第16話
佐桜署に着くと、二人は目を疑った。片田舎にある警察署だというのに、自分たちのいる岡濱東署より数倍もきれいな外観をしていたからだ。ここにきて、益々自分たちの待遇の悪さが目に見えた。
が、その動揺を何とか沈めて二人は署の中に入った。受付で事情を話すと、いきなり所長室に案内された。佐桜署にとって初めてといっても過言ではない合同捜査に、署内全体が浮足立っているように二人は感じた。
「始めまして。松井戸さんと茅野さんですね、青鳥さんから話は伺っています。ま、まずは掛けてください。今お茶を入れますから」
その言葉を聞いて、茅野は嬉しそうに「ありがとうございます」と言い、松井戸は相変わらずの無愛想さで「結構です」と言った。すると所長が戸惑ったような、物悲しげなような、よく分からない感情の目を松井戸に向けてきたので、松井戸は溜息交じりに「では、お言葉に甘えて」と答えた。
署長は二人に背を向けながらお茶を入れ始め、そしてゆっくりと話し始めた。
「お二人には、今のこの署内はどう見えますか? ひょっとして、私も含めて、初めての合同捜査で浮足立っているように見えていませんか」
心の中を見透かされた二人は思わず狼狽し、何の返答もすることができなかった。署長はその反応を見て微笑みながら、二人にお茶を差し出した。
「署内が浮足立っているのは間違いありません。でもそれは、初めての合同捜査だからではありません。波野が起こした冤罪事件が明るみになり、再捜査の波が押し寄せているからです。市民の皆様からも、苦情の連絡が殺到しています」
「そのことに関して疑問だったのですが、波野刑事が亡くなったからといって、どうしてその冤罪事件たちが明らかになったのでしょうか?」
「彼は賄賂をもらった相手も克明に記録していました。遺留品から、それが見つかったのです。どうやら冤罪事件を仕立てた後も依頼人たちを脅し、定期的にお金を払わせていたようです。賄賂を渡した人間の中には、結局捕まったのだから、払った金額合計二千万を返金しろと行ってくる輩も居ました。恨みを持つ人間なら、山ほどいるでしょうね」
「それと、もう一つお伺いしたいことがあります。現場の河原についてです。私たちが先ほど見てきた時は、防犯カメラの前にガムテープが貼られていたのですが」
「ああ、あそこは少し前までホームレスの溜まり場となっていたんですよ。それでそこに住むホームレスが、プライバシーの侵害だとか言って貼ったんです。早く剥がしたかったところですが、地域の人権団体がうるさくてね。結局今に至り、あそこは見た目とは裏腹に、犯罪の温床となりつつあったというわけです」
「でもホームレスの方々、今はいませんね」
「先週あたり波野刑事が筆頭になって、追い出し作戦を決行したんです。結果は成功でしたが、人権団体からはあまりにやり方が強引だと批判されました」
その後も様々な話を署長から聞いたが、要約すると次の二点にまとめることができた。波野は余罪だらけの悪徳警官であり、恨みを持つ人間が相当数いること。現場は地元民の間で治安の悪いイメージが定着し、通行人があまり居ないことである。松井戸と茅野の二人は、どこか河野の事件現場と似通った印象を受けた。
波野刑事殺害事件の詳細が把握できたところで、二人は話を、新田が誤認逮捕された件に切り替えた。署長は一瞬顔を曇らせたが、真摯に答えた。
波野が、当時経理部長だった
「その、内部告発者について詳しく知りたいのですが。知っている情報はありますか」
「……彼女のことは詳細に知っています。名前は
「ただ?」
署長は気まずそうに眼を泳がせた後、自分で入れたお茶を一気に煽った。そして、意を決したように話し始めた。
「――彼女は二年前、自殺したんです。内部告発をしたことが原因で嫌がらせが始まり、遂には人材の追い出し部屋に入れられたようですね。遺書には、“これ以上生きても何の意味もない”と書かれていたとか」
内部告発で救われた人間もいれば、追い詰められた人間もいる。実に残酷で二面性のある現実が、二人に突き付けられた。始終空気感が重たかったため、茅野は署長にお茶を進められて以降、一切言葉を発していなかった。
「……その人の顔写真なんか有ったりしますか」
「きっと彼女に関しても聞かれると思いましてね……用意しておきましたよ」
そう言うと署長は、一枚の顔写真を取り出した。その女性は、双子ではないかと思えるほど天城真白に似ていた。松井戸と茅野は、新田が真白に近づいた理由はこれではないかと考えた。かつての恩人と瓜二つの真白を県内のどこかで見かければ、新田が好意を持って接する可能性は十分にある。
また少し飛躍しすぎではあるが、新藤真由美が真白と血の繋がりがあったとしたどうだろう。新田と真白の間には自然と接点が生じ、自分たちを苦しめた冤罪事件への復讐を誓いあったとしても不思議ではないだろうか。
その時、署長室の内線が鳴った。松井戸たちに断りを入れてから内戦に応じた署長は、みるみる顔を青くしていた。そして内線の対応が終わると、松井戸たちに一言だけ言った。
「犯人が自首してきたそうです」
波野刑事殺害を自供する男がいる取調室に急行した松井戸たちは、その供述内容を食い入るように聞くことにした。
「それではまず、名前と本籍地をお願いします」
「……お前、俺にそんなものがあるように見えるのか」
男は静かに、しかし怒りを込めて答えた。その言葉を聞いて松井戸は、男のことをよく観察してみた。身なりは薄汚く、とてもどこかで働いて家庭を営んでいるような、そんな風には見えなかった。
頭は禿げ散らかしていて、所々引っ搔き傷のようなものが見える。真新しいものもあり、ホームレス生活に相当なストレスを感じていることは間違いなさそうだ。つまりこの男は、少なくとも一時は、世間でいうところの“普通”の生活というものを送ったことがあるのだろう。それが、何らかの理由で落ちぶれた。体中の自傷の痕跡から考えると、以前は相応の高い地位についていたのかもしれない。
松井戸がそんなことを考えていると、体勢を立て直した取調官が質問を続けた。
「では、なんとお呼びすればいいでしょうか」
「……ミミズ」
「え?」
「俺はミミズだ。人間に見つかれば気持ち悪いという理由だけで命を奪われ、死体になって干からびればしょんべんをひっかけられる存在。それが俺だ。俺がどこかで野垂れ死んだところで、無縁仏として土に帰るだけだ」
ミミズと名乗る男は、最初に怒りを露わにした以降はずっと俯いて話していた。自分の人生に負い目を感じているようだった。
「えー、ではミミズさん。波野刑事殺害時の状況を教えていただけますか」
「あいつ、俺たちを河原から追い出してからもしばらく、俺たちが戻ってこないか見張っていたんだ。深夜に河原をパトロールに来ては、こっそり戻った仲間たちをぶん殴って追い返しやがった。あの日は、俺がターゲットだったんだ。でも俺は、あいつが来ることを知っていた。だから予めゴミ箱から古くなった包丁を調達しておいて、仲間の敵討ちをするつもりだったんだ。計画通り、あいつはやってきた。偉そうに上から目線で講釈垂れるから、油断した隙に腹を刺してやったんだよ」
ミミズは悪びれる様子もなく、淡々と答えていた。そこからは諦めが見て取れる。
「では、なぜ自首を」
「このまま外に居たって、明日の食い物の心配をし続けるだけだ。だったら捕まって、何も心配しない生活をする方がましだ。違うか?」
その後もミミズは、聞かれたことに全て端的に答えた。松井戸たちはその様子を見て、少し違和感があった。あまりに答えるまでの間が短いのである。まるで、想定される質問の答えをあらかじめ用意しているかのようだった。
「なあ、お前の車借りていいか」
「どうしたんですか、急に? 松井戸さんにならいつでも貸しますよ」
「じゃあ、お前はここに残ってあいつの取り調べをしてくれないか。署長には、俺が頼んでおく」
「それは構いませんが、松井戸さんはどちらに?」
「新藤真由美は、確かに真白ちゃんにそっくりだ。でも、この人はすでに亡くなっている。一応この署の人に頼んで真白ちゃんの親族かどうか調べてもらおうとは思うが、空振りに終わる可能性の方が高いと思っている。だから、他の可能性を探ろうと思ってな」
「他の可能性?」
「ネット上の繋がりだよ。そのために、あいつに話を聞こうと思う。岡濱東署が総力を挙げたが一切捕まらず、ターゲットを確実に誘拐したあいつ。俺が取り調べに参加していた時あいつは、“被害者の情報をSNSで集めていた”と言った。俺たち生きた化石には理解できない話だ」
「それが何の関係があるんですか?」
「あいつは警察の捜査網を掻い潜り続けた。何故だ。どこで情報を仕入れた。そのことに関しては、その後の取り調べでも明らかになっていない。上層部は偶然だと判断したようだが、俺にはそうは思えない。俺たちが感知できないネットの活用法があるのかもしれない」
「それを聞きに行くと?」
「ああ。これも空振りかもしれないけど、俺たちが想像しにくい繋がりがあるとしたら、それを知ってそうな奴に訊くことが一番だ」
そう言うと松井戸は取調室を後にし、署長に茅野の件を直談判して了承をもらった後、茅野の車に乗って、アクセルを踏んだ。真新しい靴が何度か横滑りしたが、何とか無事に発進し、車は岡濱東署への道をひた走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます