第15話

 十月八日、午前六時。松井戸たちは一路車を走らせ、佐桜さざくら町の方へ向かっていた。松井戸は新田と顔を合わせているため、不在の時に家族の話を聞いたほうがいいと考えたからだ。捜査車両は出払っていたため、茅野の私用車で向かうことになっていた。

 佐桜町は岡山県との県境にある佐桜郡の中心部に位置し、岡濱市からは一時間ほどの距離がある。目に映る風景は一面の田んぼと山で、時折小さな個人商店が見られる。田舎という言葉を表現するには、丁度いいと思える場所だった。

 二人は、まず現場に向かってみた。岡山県から兵庫県を経由して瀬戸内海に注ぐ一級河川で、水の透明度は高く、川幅もかなりあった。河野が死亡した現場とは異なり、整備もかなり行き届いているように見える。街灯もここ数年で新しく着けられたであろうものが、等間隔に配置されている。とても犯罪行為を行うのにふさわしい場所だとは思えなかった。

「犯行時間は何時くらいだった?」

「発見されたのが翌日だったので正確な時間は分かりませんが、死亡推定時刻は午前一時から午前四時ごろとのことです」

「その時間なら、人が居なくて当然か」

「いえ、人がいない理由は時間だけではないかもしれません」

 茅野がそう言うと、街灯の上部に設置されている防犯カメラの方を指さした。よく見ると、レンズの部分にガムテープが乱雑に張られている。あれでは多少の光の変化くらいは写っても、映像としては全く使い物にならないだろう。

「どういうことだ?」

「署に行ってみないと分かりませんが、ひょっとしたら元々要警戒の区域だったかもしれませんね。整備が行き届いているのも、そのためとか」

「確かに、田舎の風景に似つかわしくない光景だ。他とは全然違う」

 二人は現場を後にし、新田の自宅に向かった。とても雰囲気の良い、庭付きの一戸建てだ。インターホンを押して待っていると、玄関の方から四十代半ばほどの女性が顔を覗かせた。茅野が警察手帳を示して、友勝さんのことで話が聞きたい、と事情を説明する。

「友勝の母です。お父さんは仕事に行っていて、友勝も家に居ませんが……私でよければ」

「是非お願いします。早速で失礼ですがお母さま、お名前とご年齢をお聞きしても?」

「渚です。新田渚。年齢は四十三歳で、近くの本屋さんでパートタイム勤務しています……あ、職業は聞かれてませんでしたね」

「あ、いえ。後で聞こうと思っていたので、助かります」

 渚は、言葉ではとても捜査に協力的な態度を示していたが、玄関の扉は顔の半分が見える程度にしか開かなかった。質問にも必要最低限のみを答えようとし、時折はぐらかすように笑みを浮かべることもあった。愛想のいい対応で聞き込みや取り調べがうまいと評判の茅野も、少し対応に困っているようだった。

「友勝さんは、ご両親にとって自慢の息子さんですよね」

 後ろで聞き役に徹していた松井戸が、突然話始めた。渚は急に話始めた松井戸に戸惑い、短く相槌を打つので精一杯だった。松井戸は、その動揺を見逃さない。

「父親の誤認逮捕にも負けない精神力の持ち主ですから、日本代表の内定を目されていると聞いてもあまり驚きませんでした。きっと渦中の時も、息子さんが家族を支えてくれたんじゃありませんか」

「……友勝は、そんなに強い子じゃありませんよ。あの子はお父さんが捕まった時、ずっと私にしがみついて泣いていました。まだ七歳の頃の話ですから当然です。もしあの内部告発が無かったら……もしあのまま裁判にもつれ込んで冤罪にでもなっていたら……私たち家族はもっと悲惨な運命を辿っていたでしょう。あの子も、それは同じです」

 渚が初めて、真っ直ぐこちらの目を見て答えた。

「そうでしたか、大変でしたね。今のお話を聞く限り、息子さんが立ち直ったのは、お父様が比較的短期間で家に戻ってきたからということでしょうか」

「それもあると思います。でも一番は、彼女の存在です」

「彼女?」

「内部告発してくれた女性です。彼女は入社五年目の経理部の子で、最初に不審なお金の動きに気付いた人でもあるんです。それでその子は、当時の経理部長だった負北さんに報告しました。その後警察が捜査して、夫が逮捕されました。それでもその子は必死に調べてくれて、夫が逮捕された後も不審なお金の動きがあることを突き止めてくれたんです。それで私たちの所に来て、お父さんの無実は必ず私が証明するから安心して――と、そう言ってくれたんです。あの時の友勝が、生きてきた中で一番輝いた笑顔を見せていた」

 渚は、遠くの空の辺りを見るような目で言った。いつの間にかに玄関の扉は全開になり、渚の姿も正面のリビングらしき部屋の様子も見ることができた。部屋が荒れた様子などは特になく、誰かが精神的に追い詰められている等の問題は無さそうに見受けられた。

 松井戸は、質問を続ける。

「その彼女のおかげで、新田さんたち家族の今があるわけですね。とても足を向けて寝られませんね。ところで、今もお父様とその彼女の二人は、同じ会社で働いているんですか?」

 その松井戸の質問を聞いて、渚は急に渋い顔になり、玄関の扉も再び閉まり気味になった。聞いてはいけない質問だったようだ。

「夫は、釈放される前に会社を懲戒免職されていました。釈放後もそれは覆らず、今はコンビニの雇われ店長です。夫の前職は、都会に住む皆さんからすれば中小企業勤めでしょうが、こんな田舎の中では大企業なんです。その会社を懲戒解雇された夫を雇ってくれる所なんて、何処にもありませんでした」

「……そうですか。では、友勝さんを救った彼女の方は――」

「もういいですか? そろそろ夫が帰って来るのでご飯の支度をしたいのですが。夜勤明けで疲れているでしょうから、待たせたくないんです」

 松井戸はもう少し時間を稼ごうと話したが、渚は取り付く島も与えず、遂には強引に扉を閉めた。

「警察への不信感でしょうか?」

「まあ、旦那が誤認逮捕されただけじゃなく、賄賂をもらった刑事が有罪に仕立て上げようとしてたって聞いたんだ。警察を信用しろっていう方が無理がある。たとえどんな確実な証拠を持ってきても、息子の味方をするかもしれないな」

 車内に戻った二人は、口々にそんなことを話す。

「次は佐桜署に向かう、ってことでいいんですよね」

「ああ。事件のこともそうだが、新田渚が答えようとしなかった謎の女性についても気になる。彼女が真白ちゃんを引き取ったという親戚だったりすれば、二人を繋ぐ存在になる」

「なるほど。二人が冤罪被害者であることも知っているなら、復習に力を貸した可能性もありますね」

 二人は早速、佐桜署に向かった。

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