第14話

 十月七日、午前七時。相も変わらず捜査会議である。

「新たな容疑者が浮上した」

 捜査員の報告を聞く前に、青鳥が声を大にしてそう宣言した。松井戸にはそれが誰か分かっていたが、それでも新たな容疑者浮上の知らせは高ぶるものがある。連続誘拐事件の時とは違い、捜査が進展していると思えるからだ。

「容疑者の名前は、新田友勝。十七歳。彼は十月五日金曜日に起こった殺人事件の容疑者だ。現場は兵庫県の西南にある佐桜郡佐桜町さざくらぐんさざくらちょうにある河原。死因は、刺殺だ。被害者は、波野喜助なみのきすけ、四十六歳。現場を管轄する所轄の刑事だ。ところがこいつがとんだ悪徳刑事で、賄賂を払った人間の罪をもみ消し、代わりに別人を冤罪で逮捕するクソ野郎だということが分かった。そしてその冤罪の標的にされながら、唯一起訴を免れたのが新田の父親、新田一だ」

 青鳥は一切息継ぎをすることなく、ホワイトボードに忙しなく顔写真や書き込みを行って話し続けている。松井戸の隣に座る空気の読めない茅野も口を挟めないほど、話し続けている。もはや、そのまま酸素不足で死んでしまわないか心配なくらいだ。

「新田一はとある贈収賄事件の容疑者として逮捕され、あわや冤罪で刑務所送りにされるところだった。ところが企業内で新田のことを慕っていた従業員からの内部告発により、真犯人である負北敗事(まけきたはいじ)が逮捕されたことで事なきを得た。この時はまだ波野が不正を働く前段階だったため、こいつの悪事は他のものも含めて、死ぬまで明るみに出なかったがな。全く、悪運の強い奴だ」

 青鳥が、ようやく息継ぎをする。すかさず茅野が立ち上がり、質問を飛ばす。

「確かに事件の共通点は多いように感じますが、こちらの事件とはどのような繋がりがあるのでしょうか?」

 息が乱れた青鳥が、その悪い目つきで松井戸の方を見る。説明するように、促しているようだ。

「新田は事件の二日前に、レストルームで私と河野さんに接触してきています。それも、鈴木という偽名を使ってです」

 松井戸の言葉を聞き、会議室の中が騒然となる。天城真白、東君康あずまきみやす、新田友勝。この三人に繋がりはあるのか。それとも誰か一人の犯行か。はたまた、どちらの事件も一切関係のない単独の事件なのか。

 松井戸は新たな容疑者が浮上するたびに捜査が進展していると喜んでいたが、他の捜査員は混乱していた。新たな容疑者が浮上するたび、事件は混迷を極めていた。

 その時会議室の扉が開き、一人の捜査員が入ってきた。佐桜署に情報を聞きに行っていた刑事が戻ってきたのだ。青鳥は早速話を振り、報告を始めさせる。

「新田友勝について捜査した結果、十月五日の金曜日からサッカー日本代表の選考会に参加してることが判明しました。サッカーに関しては相当な腕前で、代表内定も目された凄腕だとのことです」

「つまり、新田にはアリバイがあると」

「はい。青鳥のおっしゃる通りです。選考会は東京で、今日まで行われているとのことです。運営関係者に確認し、新田が一日たりとも練習を抜けていないことは確認済みです」

 その報告を聞いて、青鳥が意気消沈していることは誰の目にも明らかだった。だが会議室内の空気は、そこまで悪くない。むしろ、容疑者が一人減って安堵している人間の方が多かった。

「新田について不審な点があるとすれば、十月一日に学校を無断欠席したことくらいです。それと、十月三日には高校で所属するサッカー部の練習に参加せず、一時行方不明となっていたようです。警察による捜索活動も行われましたが、翌日の朝には自宅に戻ってきたということです」

 それを聞いた青鳥が息を吹き返して、嬉々として語り始めた。

「つまり、河野殺害時のアリバイは無いということだな。松井戸のさっきの話にも矛盾がないし、やはり新田が二人に接触したことは間違いなさそうだ。まだ調べればきっと――」

「新田が殺害の動機を持っているのは、波野刑事の方でしょ。なんでわざわざ、河野さんを殺害しにこんなところまで来るんですか。同じ県内とはいえ、電車で一時間はある距離ですよ」

 報告に来た刑事が反論したところで、また青鳥の勢いが死んだ。自分の言っていることが無理筋であることを理解したようだ。

「ちょっと待ってもらえますか」

 捜査方針が、再び真白の捜査に戻る流れになりそうな時、茅野が再び立ち上がった。そして、青鳥の許可を取る前にホワイトボードの方に歩みを進めた。いつもなら怒鳴りつける青鳥も、今はその気力が沸かないようだ。

 茅野はホワイトボードに到着すると、何やら数直線のようなものを書き始めた。十月一日と言った日付もあることから、事件の時系列を整理しようとしているようだ。

「ここで、改めて整理したいと思います。十月一日、新田は何らかの目的で河野さんと松井戸さんに接触します。そして十月三日、河野さんが殺害されます。両日とも、新田のアリバイはありません」

 なにを分かり切ったことを言っているんだ、という空気が会議室に流れる。それでも茅野は、話すのを止めなかった。

「そして十月五日、新田の宿敵ともいえる波野刑事が殺害されました。ここでは、新田のアリバイがあります」

 茅野はホワイトボードにどんどん情報を書き込みながら、さっきの青鳥さんに負けず劣らずの速度で話している。捜査員からヤジが飛んでも、一切意に介していなかった。

「一方、天城真白について見てみます。天城真白は十月一日から四日まで、署の隣の喫茶店レストルームにて、午後十時まで働いていたことが分かっています。つまり、真白ちゃんの宿敵である河野さん殺害時のアリバイがあります」

 茅野はそこまで言ったところで間を開け、会議室にいる捜査員を見渡した。それを見た捜査員たちは、口々に文句を言い始めた。本当に刑事かと思いたくなるような心無い言葉の数々が、茅野に降り注いでいた。

 無駄な疑いを増やして、仕事が面倒になるのが嫌な奴が多いのだろう。どうやらこの問題児たちは、身内が殺された事件でも本気を出して捜査に打ち込む気はないらしい。ある意味で、松井戸と志を共にできる者たちの集まりだと言えよう。

「だがしかし、天城真白に波野刑事殺害時のアリバイはない!」

 茅野が珍しく声を荒げ、ホワイトボードに強く平手を打ち付けながら言った。口々に話していた捜査員たちは、一斉に口を閉ざした。

「不思議だと思いませんか。自分の親の仇が死ぬときには完璧なアリバイがあるのに、相手の親の仇が死ぬときには何のアリバイもない。これがただの偶然ですか? これだけ事件に共通点があるのも? 新田が河野さんたちに接触しているのも? 全部ただの偶然ですか。本気でそう思うんなら、お前ら今すぐ刑事なんて辞めちまえ!」

 茅野の鬼気迫る迫力に、会議室にいる誰もが声を上げることすらできなかった。いくら意気消沈しているとはいえど、あの青鳥ですらその勢いに押されて、体を背もたれにくっつけていたのだ。

 その様子を見た茅野は我に返ったのか、あまり乱れていない襟を正す仕草をしてから、いつもの下手な雰囲気に戻って話を続けた。

「失礼しました。少し取り乱してしまいました。とにかく私が言いたいことは一つです。この歪なアリバイは偶然の産物ではないということです。つまりこの事件は――天城真白と新田友勝が共謀して起こした、交換殺人です」

 茅野の言葉に、会議室内は騒音に溢れた。さっきまで文句を言っていた捜査員たちも、手のひらを返して茅野に称賛の言葉を浴びせている。

 それを聞いた茅野が照れくさそうに後頭部を掻いていると、その横辺りから大きな音がして、会議室内は一気に静寂に包まれた。

 音の正体は、いつの間にか復活していた青鳥が机を叩いた音だった。

「お前ら、浮かれるのはまだ早いぞ。今言ったのは、あくまで茅野の仮説にすぎない。仮説は何処までいっても、証明しない限りはただの仮説だ。誰を動かす力もない。だから、お前らの手で証明するんだ!」

 青鳥は、真白と新田両名が共謀した交換殺人を念頭に置いた捜査方針を打ち立て、捜査員たちの捜査担当を決め始めた。

 一番の功労者ともいえる茅野は、松井戸と共に二人の繋がりを示す証拠を集めることになった。

「松井戸さん、必ず二人の繋がりを明らかにしましょうね」

 茅野が嬉しそうに松井戸に言った。松井戸は、苦笑いするしかなかった。

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