第13話

 十月六日、午前七時。この日は土曜日であったが、身内が殺害され、重要参考人が二人も浮上した今、松井戸たち捜査本部の人間に休暇などというものは存在しなかった。

 今日もまた、連続誘拐事件の時から恒例の捜査会議が幕を開ける。だが今回は身内が被害者のためか、問題を抱えた捜査員たちも本気を出しているのか、とにかく捜査がスムーズに進んでいることが実感できた。

 昨日報告したばかりの東のことですら、既に調べ上げられていた。彼は大学内で真白と繋がりがあるだけでなく、出身地が同じ福岡県であることが判明した。その上、居住地もかなり近いらしい。その頃から、何らかの接点を持っていた可能性はある。茅野の読み通り、東が真白のストーカーだとしたら、かなり長期に渡って付きまとっている可能性も出てきたということだ。

 松井戸は改めて事件を振り返ろうと、会議室の前で今後の方針を話す青鳥の話を半分無視し、捜査資料に目を落とした。

 鑑識からの報告を再度確認する。河野の死因は階段に頭を打ち付けたことによる脳挫傷で、即死。現場には足跡が二人分、どちらも男性のものである可能性が高いとの分析結果が出されている。

 状況証拠も物的証拠も、全てがあの現場に天城真白が居なかったことを証明していた。だが、彼女の持つ動機には無視できないものがある。

 もし東が真白のストーカーで全てを知っていたとしたら、彼女に助けを求められて道を踏み外した可能性はある。もしくは、一人で思い上がって、彼女を救うことに繋がるなどと妄想を膨らませて犯行に至った可能性もある。

 どちらにしても、まずは真白よりも東の捜査に乗り出す方が有効だと思われた。だが青鳥は東よりも真白の身辺捜査を優先するよう、捜査員に指示を出した。

 一瞬松井戸は理解できなかったが、よく考えてみれば上層部の意向としては何ら矛盾しないと分かった。上層部が恐れているのはこの事件の犯人が野放しになることではなく、過去の隠蔽した冤罪が明るみに出ることだからだ。

 そう思うと、松井戸は少し身震いがした。咄嗟の判断とはいえ、レストルームであの冤罪のことを認める発言をしたからだ。上層部にバレたら、次はどんな処分があるか分かったものではない。

 また一つ、墓場まで持っていこうと思う秘密が増えた。松井戸は、そう感じた。

 捜査会議が終わると、松井戸は一旦自分のデスクに戻った。廊下の自動販売機で買った缶コーヒー片手に、束の間の休息をとるためだ。

「上層部は、一体何を考えているのでしょう。この状況で、あんなに怪しい東をそっちのけにして真白ちゃんの捜査を優先するなんて……よく分かりません」

 茅野が愚痴を言いながら松井戸のデスクの隣、本来なら河野が座るデスクに座ったことで、束の間の休息は終わりを告げた。

 河野が居なくなった今、この正義感の強さしか取り柄のない男が松井戸の相棒になっていた。怒られない程度に仕事をこなして、無難な人生を送る。そんなことを目標に掲げる松井戸にとっては、厄介な相棒だった。

「上層部にとっては、隠蔽した冤罪事件が明るみに出るほうが怖いんだろ。だから、実行犯の疑いが高い東よりも、計画を持ち掛けた可能性が高い真白ちゃんを追う。当然の決断だよ」松井戸は、溜息交じりにコーヒーを一口飲む。

「それにしても松井戸さん、僕気になることがあるんです。なんで河野さんはあんな危険場所に、一人で向かったんでしょうか」

「連続誘拐犯が真白ちゃんの事件に関わっていないと分かったから、改めて調べようとしたとか。そんなところだろう」

「それなら、何故河野さんはわざわざ私服に着替えてから向かったのでしょうか。あの日、河野さんは誘拐犯の捜査が忙しい中、青鳥さんに無理を言って早上がりさせてもらっています。なんのために? 真白ちゃんの件が気になるなら青鳥さんにそう言って、公式に捜査できたはずです。それこそ河野さんなら、相棒の松井戸さんを置いて行ったりしない。それに、暗くなってから一人で捜査するなんて危険なこと、一番あの人らしくないでしょう」

 茅野に言われるまで大して気にしていなかったが、確かにあの日、河野は松井戸に早上がりすると言っていた。既に私服に着替えていたので松井戸も引き留めることができなかったことを、思い出した。

 それと同時に松井戸は、もう一つ重要なことを思い出していた。

「茅野、調べてほしいことがあるんだ」

 松井戸は茅野に耳打ちすると、茅野は満面の笑顔で元気のいい返事をし、走って部屋を出て行った。頼りにされていると感じられて、嬉しかったのだろう。だが、本当は面倒な聞き込み捜査を任せ、茅野をこの部屋から追い出したかっただけなのだ。

 松井戸は茅野が部屋を出たのを見計らい、河野のデスクを捜索し始めた。事件の少し前に、河野が何か紙切れを見て背中を丸くしていたことを思い出したのだ。遺留品にその紙きれは無かった。

 つまりその紙きれが、このデスクのどこかにあるかもしれない。事件に大きく関わっているかもしれない。

 そう思った松井戸は、空き巣も驚く荒らしっぷりで、河野のデスクを捜索した。そして、引き出しの奥に仕舞いこまれた丸まった紙を発見した。松井戸はゆっくりその紙を広げ、中身を確認する。

 そこには、“十月三日、午後七時。暗闇に包まれた河原で待つ。過去の罪を悔い改め、その報いを受けよ”と印刷されていた。その様相は、どこからどう見ても脅迫状だった。

 過去の罪とは、冤罪事件のことだろうか。ということは、この脅迫状の差出人は真白ということなのだろうか。

 松井戸は考えても答えが出ないので、取り敢えず青鳥に報告しようと思い、会議室へ向かった。会議室では青鳥が定位置に座り、何やら書類と睨めっこしていた。

「青鳥さん、どうしたんですか? そんな怖い顔して」

「あ? 松井戸、お前何でここにいるんだ。聞き込みはどうした」

「それなら、茅野に任せました。それよりも、青鳥さんに相談したいことが……」

 そう言って松井戸が青鳥の隣に陣取るよう移動すると、手元の書類が目に入った。三枚の書類の内一枚はびっしりと文字が書かれ、残り二枚は左上にクリップ止めされた顔写真があった。

 それを見た松井戸は例の脅迫状のことを忘れ、書類に見入ってしまった。一枚の顔写真に見覚えがあったからだ。どんどんその写真に向かって前のめりになる松井戸。近づいてみて確信を得た松井戸は、思わず記憶の中にあるその人物の名前を声に出した。

「鈴木くん?」

「……何言ってるんだ、お前? 字が読めなくなったのか? ここにはっきりと新田友勝にったともかつって、大層な名前が書いてあるだろ」

 松井戸は、青鳥が指指さすあたりに目をやる。確かにそこには、“氏名:新田友勝”と書かれている。松井戸は戸惑いながらも名前のことは忘れ、一旦話を続けることにした。

「この顔写真は何ですか? 新しく警察学校に入学する二人とか」

「そんなもん、俺がいちいち持ってるわけねえだろ。河野の昔の件を捜査している時に色々な署に連絡してたら、さっき協力頼んだ署の一つから送られてきたんだよ。うちの管轄でも警官が殺されて、そいつが賄賂もらって冤罪を量産する悪徳警官だったってな。同じ兵庫県内だし、連続殺人の可能性はないかっていってさ、情報提供があったわけ。考えすぎだよな」

「この二人が被害者ということですか」

「いや、このいかにも悪徳警官って顔してるひげもじゃ顔の方が被害者で、このいかにも学校でモテてそうな好青年が容疑者。まだ若い、高校生だとよ」

「なんでこの少年が容疑者だと?」

「この悪徳刑事が関わった冤罪事件の中で、唯一逮捕を免れた男の息子だそうだ。つまり、この悪徳刑事の生前に唯一冤罪が確定していた男の息子だってことだ。父親の復讐ってところも、こちらとの共通点な気はするけどな。偶々だよ。連続殺人なんて、フィクションの世界だけの話だ」

 青鳥は、書類を叩きつけるように机に投げた。

 松井戸は、周囲の机の上を見回す。乱雑に散らばった書類たち、途中まで真剣にとっていたであろう書きかけのメモ。そして、ホワイトボードに書かれた連続殺人の文字。青鳥の本心が言葉とは裏腹で、上層部から言われた理屈で自分を無理やり納得させようとしているのだと、すぐに分かった。

「この新田という男は、調べられないんですか」

「河野の件との繋がりが今のところはない。なにかあれば、それを口実に捜査することはできるだろうな」

「弱くても構わないなら、あるかもしれません」

 松井戸の言葉を聞き、青鳥は怪訝な目を向ける。どうやらあまり信用されていないらしい。少しショックだったが、松井戸は切り替えて話し始めた。

「十月一日。つまり河野さんが亡くなる二日前に、僕は彼と会いました」

「……偶々見かけたことが繋がりだとでもいう気か」

「彼は、レストルームにいたんです。そして鈴木直樹と偽名を名乗り、警官志望だと話して、僕や河野さんと話したんです」

 そこまで言うと、青鳥は顎に手を当てて考え始めた。

 察しが悪いなと思いつつ、松井戸は話を続ける。

「もし彼が本当に警官志望で、自分の将来の糧に僕たちの話を聞きたかったのだとしたら、なぜ偽名を名乗る必要があったのでしょうか。なぜ彼は自宅の近くでもない喫茶店にいて、僕たちに話しかけることができたのでしょうか。平日の夜ですよ。好青年にしては、不良のような行動パターンです。これは、偶然なんかじゃない。むしろ犯行前の下準備、ターゲットを確認しに来たと考えるほうが自然です。それにあまり考えたくありませんが、レストルームで待ち伏せしていたことから、真白ちゃんと繋がっている可能性も考えられます。今こちらの事件に大きく関わっている二人と繋がりのある可能性がある殺人容疑の人物。調べない手はありませんよね」

 青鳥は携帯片手に、足早に会議室を後にした。

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