第10話

 茅野と松井戸の二人は、昨日と変わらずに情報集約係として署に居残っていた。河野の過去の一件に関しては、青鳥が秘密裏に捜査することとなった。

 河野の冤罪被害唯一の生き残り。最重要参考と言わざるを得ない人間を一人で捜査することは止めたかったが、誰も声を上げることはできなかった。むしろ、青鳥が汚れ役をかってでてくれたのだと、会議室にいた全員が称賛の声を上げたいと思うくらいだった。

「見つかるんでしょうか、平の娘」

「警察をなめちゃいけないな。必ず見つかるさ。案外早いかもしれないぞ」

「ていうか青鳥さん、河野さんがいた県警だけは頑なに話しませんでしたけど……」

「あの事件内容を聞いたら、誰だって分かるよな」

「やっぱり、福岡県警ですよね。よかった、そう思ってるのが僕だけじゃなくて」

 余裕の雑談である。さすがの茅野も、あの一件を聞いてからはおとなしかった。いや、おとなしすぎた。普段の姿から考えれば、不気味なくらいだ。いつもは持論という名の飛躍しまくりな推理をひたすらに語っているのに、今はおとなしく捜査員からの連絡を待ちながら、自分のスマホを弄っている。

「ふふふ」

 そして、不意に笑う。完全に自分の世界に入り込んでいる。一方松井戸は松井戸で、何度見たか分からない捜査資料に目を通していた。目を通しすぎて、もはや何ページの何行目に何が書かれているかを空で言えるくらいだった。といっても、まだまだページ数が少ないから可能なだけなのだが。


 何時間待っただろうか。これといった重要な連絡もないまま、松井戸と茅野の二人は無為な時間を思い思いの方法で過ごした。先ほどまでとは打って変わって、雑談するという選択肢は頭の中に無かった。松井戸は、足元に僅かに感じる違和感にだけ意識を集中し、時間が過ぎるのを待った。

 そんな時、会議室の扉が開いた。青鳥がその名前の通り、顔を青くして入ってきたのだ。茅野と松井戸は慌てて手に持っていたものを机の下に追いやり、とてもきれいな敬礼を見せた。

 青鳥は一瞬、机の下に追いやられた捜査資料の方に目をやったが、特に触れることなく二人に本題を話し始めた。もちろん、あの生き残った平の一人娘の所在地が判明したという話だった。

「ずいぶん早く見つかりましたね。偽装工作などは無かったのでしょうか」

「途中、改名手続きを取っていたよ。親戚に引き取られて養子縁組もしていたから苗字まで変わっていて、少しばかり手間取ったほうだ。だが、プロの手は入っていない。あくまで合法の範囲のみで、身分を隠そうとしたようだ」

 青鳥が一息つこうとした時、茅野が矢継ぎ早に質問を始めた。

「それで、その娘は何処にいるんですか。犯行可能な場所にいるんですか」

「ああ。なんといっても、その娘は兵庫県にいる。犯行は十分可能だ」

「なんてことだ。実は知り合いだったりして」

「ああ。松井戸の知り合いだ」

「え! 松井戸さんの知り合い? 本当なんですか」

「いや。正確に言えば、この署の人間の多くが知っている人間だ。なんたってそいつは、この署で事情聴取をされたことがあるからな」

 青鳥がそこまで言ったところで話を止め、視線を松井戸に移した。茅野はまだ質問を続けようとしたが、青鳥が一切応じないのを見て、しばらくして黙り込んだ。松井戸は、青鳥の言わんとしていることに察しがついた。

「その事情聴取は加害者としてではなく、被害者として……ですよね」

「ああ。平の一人娘の現在の名前は、天城真白。隣のカフェレストルームで働いていて、あの連続誘拐事件で犯人と接触したと言い、この署にやって来た」

 松井戸は、自分が思いのほか驚いていないことに気が付いた。冤罪事件の一件を聞いた際、脳裏には真白の姿が浮かんでいたからだ。働き始めた時から、異様に河野に話しかける彼女の姿が。

「というわけで、茅野。お前今からレストルームに行って、話を聞いてきてくれ」

 青鳥は茅野に向き直ってそう命令し、また部屋を後にしようとした。茅野は大役を任されたと張り切っていたが、松井戸の心中は穏やかではなかった。

 だからだろうか、普段ではまず取らない行動をとった。松井戸は青鳥を呼び止め、自分に真白の所へ行かせてほしいと懇願したのだ。青鳥が断ろうとすると、松井戸は頭を下げた。命令違反と規定違反のオンパレードだった松井戸からは、とても想像できない姿だった。たまらず青鳥は、理由を尋ねた。

「なんで、そこまで彼女のところに行きたいんだ」

「私が、彼女の無実を誰よりも知っているからです……あの子は、真白ちゃんは、人なんて殺さない! たとえお父さんの敵だとしても、自分の人生を滅茶苦茶にした人であっても、絶対に殺さない! 彼女は無実です」

「……お前が彼女の何を知っているんだ? お前は彼女と親族でも、恋人でもない。ただの店の常連だ。プライベートの付き合いは何一つない。それなのに、なぜ彼女が犯人ではないと言い切れる。根拠は何だ」

「……刑事の勘です」

「本当にそれだけか? 本当は、また自分の相棒が死んでしまったから罪滅ぼしがしたいだけじゃないのか? 過去の分も含めて、その無念も晴らそうと」

 松井戸が、顔を強張らせて固まった。

 一部始終を見ていた茅野は呆気にとられたが、青鳥の方に事情を聞くことにした。松井戸は放心状態で、とても話にならないと感じたからだ。

「青鳥さん、今のはどういう意味ですか」

「そのままの意味だ。お前も会議の時に言っていただろう。ここに赴任した全員が、何らかの問題を起こした人間だって。偉そうにしているが、俺だって当然そうだ。その一件を知ってる人間からしたら、管理官なんて即刻辞めさせられるだろうな」

 茅野は一瞬青鳥の話に興味を持っていかれそうになったが、首を振ってその考えを吹き飛ばし、松井戸のことについての質問を続けた。青鳥は松井戸の方をちらりと見てから、ゆっくりと話し始めた。

「松井戸は一年ほど前まで、大阪府警にいたんだ。こいつもやり手の刑事だったんだが、ある時担当した誘拐事件で、犯人が人質を持って立て籠もっちまったんだ。松井戸は当時の相棒である星野と連携を取り、犯人を取り押さえることになった。でも――」

 青鳥がそこまで話したところで、正気に戻った松井戸がこちらに向かって手を差し出した。それを見た青鳥は話を止めて、松井戸に背を向け窓際に移動し、タバコを燻らせ始めた。青鳥なりの、精一杯の気遣いなのだろう。

「星野は、犯人が立て籠もっている建物内にこっそり侵入し、犯人を取り押さえに向かう。俺は外から拡声器で犯人との交渉を続け、人質の身に危険が迫りそうなときは、犯人を射殺する。そういう段取りになった。極力交渉で時間稼ぎをして、犯人を安全に制圧する。それが二人の共通認識だった。でも、俺は交渉に失敗した。星野はもう少しで犯人のいる場所に辿り着くから、発砲を待てと言った。でも逆上した犯人は、いつ人質を殺してもおかしくない状況だった。だから、俺は――」

 茅野は、松井戸の涙を初めて見た。

「犯人に向けて、発砲した。今思えば、足や手を撃って、怯ませれば良かったのかもしれない。でも、その時の俺にそんなことを考える余裕は無かった。俺は、犯人の心臓に目掛けて発砲した。そしてそれが、同じタイミングで犯人を制圧しようと飛び掛かった星野に当たった。星野が命懸けで犯人を押さえたことで事件は無事に解決したが、星野はそのまま息を引き取った。俺が、あいつを殺したんだ」

 松井戸が話し終わったが、茅野は何も言えなかった。これまで頼りにしていた先輩の壮絶な過去を立て続けに聞き、もはや茅野の心も限界だった。

 しばらく沈黙の時間が流れた後、タバコを窓の下にポイ捨てした青鳥が振り返り、松井戸に話しかけた。

「いつまで泣いてる。早く重要参考人に話聞いてこい」

「え。じ、自分でいいんですか。自分は――」

「先輩、よろしく頼みますよ。僕から仕事を奪ったんですから、必ず有力情報をゲットしてきてください」

 松井戸の言い訳を遮るように、茅野が言葉を被せた。松井戸は目に涙を浮かべながら二人の顔を互いに見て、感謝の言葉を述べてから会議室を後にした。

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