第9話

 十月四日、午前七時。河野の事件の件で、捜査会議が始まった。

 検視の結果が報告され、河野の死因は階段に頭を打ち付けたことによる脳挫傷で、即死だったことが分かった。また現場の二人分の足跡は、どちらも男性のものである可能性が高いとの分析結果が出ているとのことだった。

 また、階段の下にある河野の足跡に足を滑らせたような痕跡があることから、仮に犯人と呼べる人間がいたとしても、最初から明確な殺意を持っていた可能性は低いのではないかとの見解が述べられた。

 一人で足を滑らせた事故か。何者かと揉みあいになって起こった事故か。そのどちらかだと考えられた。

「あの、少しよろしいでしょうか」

 茅野がまた性懲りもなく、静まり返って陰気な雰囲気となった会議室で声を上げた。青鳥もまたこいつかと思ったのか、額に手をやって何度か頭を振った。他の捜査員たちも、冷ややかな目を向けている。完全にアウェーだ。

 だが、茅野の正義感はそんなことで折れるほど弱くはない。茅野は、一度自分が正しいと思ったことは、絶対に曲げない信念の持ち主なのだ。

 既に起立し、まだかまだかと指名されるのを待っている茅野を見て、さすがの青鳥も呆れて指名した。茅野は指名されると、その場にいた誰もが思っていながら口にできなかったことを言った。

「河野さんの過去について、調べさせてください。ここに赴任されるということは、何か問題行動を起こしたということでしょう。今回の事件が何者かによる加害ということなら、それが動機になった可能性もあります」

「……それは本件とは関係がない。前にも言っただろう、憶測でものを言うな。とにかくお前は昨日と同じく情報集約係を――」

「憶測を証明するために、捜査する必要があるんです。この捜査を許可していただけない場合は、青鳥さん、あなたが知っている河野さんについての話を全て聞かせてください。言っておきますが、今回私は引き下がるつもりはありませんよ」

 今回の茅野は、青鳥に何を言われても折れなかった。その強い信念は、無許可でも捜査するということを現しているようだった。それでも青鳥が説得しようとするが、遂に茅野が会議室を退室しようとしたことで、すべてを話すと約束した。

 全捜査員が、固唾を呑んで見守った。話しにくそうにする青鳥の姿が、今から話されることの重大さを物語っていた。

「俺が今から話すことは、ここにいる以外のすべての人間に漏らすな。漏らしたものは、懲戒の対象となることを肝に銘じておけ」

 そう言って、青鳥は河野がこの人材の墓場に赴任された理由を話し始めた。所々抽象的な言い方をしたが、そのことについては誰も突っ込んで聞かなかった。それよりも、内容を咀嚼することで精一杯だった。


 十年前、河野は九州地方にある県警察で勤務していた。まだ勤続五年ほどだったが、捜査一課のエースと呼ばれるほどに期待されていた。同期の中で一番の出世頭であることは、間違いなかった。

 そんな折、河野はとある連続殺人事件の捜査を担当することになった。この事件はとても厄介で、犯行現場や犯行時間、犯行方法等に何の法則性もなかった。

 ただ一つ、犯行現場には必ず安産祈願のお守りが置かれているという特徴があった。置かれている場所がバラバラで、遺体から随分と離れたところに置かれていることもあったことから、捜査本部ではあまり重要視されていなかった。

 だが当時の河野は、そのお守りに目を付けた。犯人がわざわざ現場に残したとしたら、そこに犯行の動機に繋がる何かがあると考えたからだ。儀礼的な意味合いを持つ、連続殺人。他の捜査員にはフィクションの見過ぎだと笑われたが、ただ一人だけ河野の話を真剣に聞いてくれた先輩刑事と共に、河野はその筋で捜査を開始した。

 お守りの出所は、すぐに分かった。同県内にある、安産祈願で全国的に名の知れた神社だった。早速その神社の神主に聞き込みを行ったが、お守りは毎日二百個ほど売れる人気のもので、一つだと不安だからと、十個や二十個まとめて買う人も相当な数いるという話だった。当然購入者のデータなどあるわけもなく、そこから犯人を絞り込むことは難しいと考えられた。

 だが、大きな収穫があった。この神社には古くから伝わる、忌まわしい言い伝えがあったのだ。それは多くの生贄を捧げるほどに、生まれる子どもが強く逞しく育つと言いうものだった。

 生贄の捧げ方は、いたってシンプル。子供が生まれるまでに、所定の場所で所定の時間に命を昇天させればよかった。その場所と時間が、今回の犯行と完全に一致した。一見何の共通点もなかった犯行現場は、歴史の中で見れば、どこも神道において重要視されてきた場所だったのだ。

 犯行方法も同じだった。生贄を捧げる時は、出来るだけくるまず楽に昇天させる。但し命への敬意も込めて、同じ方法で昇天させてはならない。この決まりも、犯人は守っていた。

 ただ一つ違ったのは、生贄の対象になったものだった。言い伝えでは、鶏を生贄に捧げるよう忠告されている。犯人は、この部分だけは無視した。我が子のために、他人を犠牲にしたのだ。

 河野は、すぐにそのことを捜査本部に報告。最初は半信半疑だった上層部も、言い伝えと犯行の共通点を立て続けに話す河野の話を聞き、その線で捜査に本腰を入れることになった。

 やがて、五件目に犯行が行われた。今回の犯行は、ロープで首を吊っての殺害だった。だが、犯人はここでミスを犯した。ロープに皮膚片が付着していたのだ。もちろん被害者のものとは違うと鑑定され、犯人のものである可能性が高いと考えられた。更に今回の犯行では、匿名で目撃情報が寄せられていた。

 これまで姿形も見えなかった殺人鬼の輪郭が、仄かに見えた気がした。河野は喜び、その目撃情報や鑑取り捜査の情報から容疑者を絞り出し、遂に一人の男を逮捕するに至った。

 男の名前は、平明久。二件目と四件目、五件目の被害者の務めていた会社の社長だった。この男の人相は、目撃情報に完全に一致していた。その上、まもなく二人目の子供が出産されるとのことだった。一人目の女の子は虚弱体質で、十一歳の今でも通院が続いているという。そのため、次に生まれてくる子には強く逞しく育ってほしいと願っていてもおかしくなかった。動機があるということだ。

 河野は、この男が犯人だと確信した。しかし、一つ問題があった。ロープに残された皮膚片と、DNAが一致しなかったのだ。当時の鑑定はまだ制度の問題があったため、この一点から平が犯人ではないことを証明するものではなかったが、それを覆す新たな証拠は必要だった。

 捜査本部は平に自供させることに躍起となり、連日厳しい取り調べが行われた。しかし、平は犯行を否認し続けた。河野も新たな証拠を探すべく奮闘したが、交流期日まで、遂に何も見つからなかった。

 肩を落とす河野に、あの先輩刑事が声をかけた。先輩刑事は「あいつが犯人だという証拠が見つかった」と言い、血まみれの包丁を差し出した。まだ未発見だった凶器を発見したので、手柄を譲ってやるという話だった。

 河野は大慌てで証拠品を鑑定し、包丁に付着していた血液が一件目の被害者のものだということ、取手に平の指紋が付着していたことを明らかにした。取り調べでそのことを告げられた平は、すべての犯行を認めた。

 現代の日本にとっては絶滅危惧種だった連続殺人犯逮捕というニュースは、全国を飛び交った。テレビと新聞では連日連夜平の顔写真と実名、会社名までもが報道され続けた。そのせいで会社は倒産、平一家は路頭に迷い、生活保護を受給する結果となった。

 しかし、話はこれで終わらなかった。検察が起訴判断をしている際、例の包丁が発見された経緯に不審な点があると言い出したのだ。そして再度その証拠品について調べると、付着していた指紋は何者かが偽装した可能性があることが判明した。

 疑いの目は、それを提出した河野に向いた。そして河野が事の経緯を話すと、件の先輩刑事が調べられることになった。

 先輩刑事は、あっさりすべてを認めた。証拠品を捏造したこと。そして、ほんの数日前に生まれたばかりの第一子のために、自分が連続殺人事件を起こしたことを。つまり、平は冤罪だったのだ。

 上層部は、頭を抱えた。平が逮捕されたことは既に報道されているし、それで実害も出ている。今更冤罪を認め、真犯人は身内いましたと謝罪するのは、警察の信頼を地に落とすことを意味していたからだ。

 そうかと言って、冤罪と分かっていながら刑務所に入れるわけにもいかない。それは何十年後かに冤罪が明らかになった際に、とてつもない爆弾となることが分かっていたからだ。

 この場を収める方法は、一つしかなかった。平を釈放し、真犯人を刑務所にぶち込む。それらをすべて、秘密裏に行う。平には個人的な賠償を行い、その代わりに秘密保持契約書にサインさせる。平への補償は割増しになってしまうが、金で解決できるならその方が傷が浅かった。

 平は、その提案を受け入れた。受け入れなければ無実の罪で服役させられるかもしれないのだから、平に選択の余地はなかった。その裏で、新犯人の逮捕と裁判が秘密裏に終わり、死刑判決を受けていた。表向きの罪状は、当然別の物に書き換えられていた。

 警察は悲劇の終焉に胸を撫で下ろしたが、平の悲劇は続いた。釈放の報道が一切なされなかったことを受けて、平が違法な方法で刑を免れたのではないかと噂になったのだ。最初は警察に向いていた非難の声も、やがて平に直接届くようになった。

 家には連日嫌がらせの電話が鳴り響き、窓という窓が割られ続けた。倒産して路頭に迷った社員たちが、家の住所や電話番号、その他の個人情報を手当たり次第に拡散したのだ。当時はネットの力がまだまだ弱かったが、地域の中で一つの家族を追い詰めるには、口コミの力だけで十分だった。

 平は警察に相談し、警護をつけるように頼んだ。秘密保持契約の破棄をちらつかせて脅された警察は、警護をつけた。しかし、それがまずかった。やはり警察と平は裏で繋がっていると、誤解を加速させたのだ。

 それ以降は悲惨だった。平の奥さんは心労で倒れ、お腹の子供と共に帰らぬ人となった。警察の警護も世論の反対に押し切られる形で打ち切られ、平とその娘は県外へ引っ越した。それでもすぐに居場所を特定され、嫌がらせが続いた。

 そして平は遂に耐え切れなくなり、娘を一人残してこの世を去った。遺書には、警察や世間への恨みつらみと共に、娘当てにこんな一節があったという。


“お前だけは、何にも染まらずに生きてくれ。悪意の黒に染まらず、復讐の心も持たず、ただひたすらに、自分の人生を生きてくれ。お父さんはいつでも、空から見守っているからな。”


 一人生き残った娘は親戚に引き取られ、その後も元気に過ごしているという話だった。

 河野の方はしばらく県警で変わらず勤務していたが、この一件から不用意なミスが目立つようになった。そこで精神的に安定するまで、この岡濱東署で勤務し、リハビリするようにと言われて赴任した。表向きの理由は尤もだが、実のところは体のいい厄介払いだった。

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