第5話

「昨日の天城真白さんからの証言から考えると、犯人は男性で、犯行はわいせつ目的によるものだとするのが筋だな」

 十月二日。午前七時からもはや恒例行事となっている、連続誘拐事件の捜査会議が開かれた。朝から元気いっぱいの青鳥が、まさに鬼の首でも取ったかのように、昨日真白が証言したことを報告していた。

 といっても、まだ犯人像が若い男性である可能性が浮上しただけで、大きな前進とは言い難い。仮にこれが真実だったとしても、岡濱市内に条件に該当する男性がどれだけいるのだろうか。松井戸はそんなことを考えて、朝から気が滅入っていた。

「他に、なにか報告のある者はいるか?」

「はいっ!」

 松井戸の後輩刑事である茅野が、元気な声で手を上げた。松井戸は内心、朝っぱらからうるせえよ、と思った。

「なんだ、茅野」

「新事実の報告というわけではないのですが、昨日通報者である久留米さんから聞いた話に違和感があるので報告させていただきます」

 そう言うと茅野は、特に誰かに断ることなく、さも当たり前かのように会議室の前に躍り出た。そして被害者の情報や捜査方針が書かれているホワイトボードの前に立ち、昨日の事情聴取の中で書かれた、あのバツ印が二つ書いてある紙を貼った。

「これは、久留米さんに書いていただいたものです。それぞれのバツは、自分が助けを求められた場所と実際に真白ちゃんを助けた地点を示します。久留米さんは暗くて確かなことは言いにくいが、この辺りだと思うと供述してくださいました」

 バツ印の紙を、ホワイトボードマーカーで音を鳴らしながら指示して説明する茅野。だがそこにいる誰もが、その真意を量り損ねていた。

 それでも長々と説明しようとした茅野に嫌気がさし、青鳥さんが「早く本題に入れ」と渇を入れた。

「失礼しました。では、この証言の違和感についてお話しします。この二つのバツ印がある程度の精度を持って書かれたとしたら、この二点間の距離は約二十メートルです。しかし、久留米さんはこの時、百メートル離れたところからでも分かる光度のライトを頭に装着していたんです。犯人はなぜ、こんなに近くになるまで人の存在に気付かなかったのでしょうか……松井戸さん、どう思いますか」

 突然話を振られた松井戸が、慌てて立ち上がる。反動で、椅子が倒れて耳をつんざく音が鳴った。しばらく耳を押さえた後、松井戸は取り繕うことなく、落ち着いて話し始めた。

「それは、被害者に予想以上に抵抗されたから、周りに気を配ることができなかったんじゃないか」

「確かに、そう考えるのが自然です。ですが、犯人は前日にもここで通行人と鉢合わせし、通報されているんです。いくら真白ちゃんの抵抗が激しかったとしても、周囲の警戒を怠るでしょうか。ましてや、久留米さんはクマ除けの鈴まで装備しています。周りを見渡せなくとも、音で気付くことができたんじゃないでしょうか」

 茅野の反論に、松井戸は返す言葉が無かった。倒れた椅子を戻しておとなしく着席し、肩を丸めてやり過ごすことしかできなかった。

「結論として、何が言いたいんだ」青鳥が、話をまとめようとする。

「私は、昨日の誘拐未遂事件に関しては犯人が別にいるのではないかと考えます。だから、真白ちゃんの証言を頼りにして捜査することは、かえって連続誘拐事件の犯人から遠のく結果になると思います」

「ずいぶん自信があるようだ。では、今後の捜査方針はどうするべきだと言うんだ?」

 青鳥が睨みを利かせながら言うと、茅野の勢いは完全に死んだ。蛇に睨まれた蛙の如く、体を縮こまらせていた。

「思い付きだけで、ものを言うな。お前も刑事なら、証拠や事実を根拠にして主張しろ。今の考えが本音なら、それを証明しろ。証明するまでは、こちらの捜査方針に従ってもらう」

 青鳥の正論に茅野は言い返すことができず、肩を落としてトボトボと自分の席に戻っていった。あまりに気落ちしていたからか椅子を引くのを忘れ、そのまま地面に転がり込んで、後ろのテーブルに頭を強打した。

「……それでは、本日の分担や捜査方針を発表する。天城真白の証言で得られた情報を基に、再び鑑取り捜査を行う。被害女性の関係者で条件に該当する人物を、かたっぱしから調べろ。分担は――」

 茅野が前に躍り出てまで話した持論は、完全に無かったものとされた。その上、捜査の分担の中に茅野の名前は呼ばれなかった。その場にいた刑事全員が、事実上の戦力外通告だと考えるしかできなかった。

「以上。解散!」

 気合十分で青鳥が締めの言葉を言うと、またもや声が裏返った。松井戸が必死に笑いを堪えていると、隣の席にいた河野から思い切り足の甲を踏みつけられた。あまりの痛みに悶絶していると、耳元で河野が囁いた。

「またお説教されるよりはましだろ」

 そのまま肩を叩かれ、松井戸は痛みを我慢して立ち上がり、二人で鑑取り捜査に向かった。

 だが、若い男性の知り合いという条件だけでは当然絞り込むことができず、未だ容疑者が浮上することはなかった。

「やっぱり、被害者と犯人の間に繋がりは無いんじゃ……」

「……初めてお前の意見に賛同するよ」

 思わず心境を吐露した松井戸に、珍しく河野が同意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る