第2話

「ここが現場か。存在は知ってたけど、本当に何もないな」

 現場について、松井戸が率直な感想を言う。その場所は比較的見晴らしの良い土手で、何か犯罪行為を行うにはとても不向きな場所のように感じた。

 しかし現場保全の黄色いテープは、確かにこの土手の一部から下の河原に向かって長い区間を囲っている。その中には、虫メガネやピンセットを持った鑑識たちが、地面にキスでもするかの如く近づいて、念入りに調べている。

「昼間でも人通りがまばら、車が通るのは百メートルほど先の橋。街灯もほとんどないから、夜は真っ暗だろうな。当然、監視カメラなんて高尚なもんは無い」

 辺りをざっと見渡した河野が言う。確かに丁度昼休み時だというのに、周囲を見渡してみても通行人の姿は指で数えられるほどしかいない。道が整備されているとはいえ、車が一台通るのがやっとの道幅しかないため、車の交通量も少ない。

 川を渡るための鉄橋が二百メートルほどの幅を開けて二本掛かっているが、街灯はその間に五本。どれもかなり年季の入った代物で、その明るさには期待できそうにない。周辺には民家が多いため、監視カメラもおなじことだ。

「ここの川。あまり気にしてなかったけど、結構川幅があるんですね」

「ああ。一時はボート屋とかカヌーの練習とか、様々な人がこの川の世話になったらしいが、簡単に増水して河原に水が上がる……なんて噂が出てからは人が消えた。だから、市のお偉いさん方も大量の税金を使って川の保全をして安全性を高めたが、結局人は帰ってこず。税金の無駄遣いだって、批判をくらう始末だ」

「それで、他の設備が改善されないままなのか」

 土手から下を見下ろし、河原の方に目をやる。そこでもまだ、鑑識たちが必死に捜査をしている姿が見えた。今は昼間だから下の人たちの動きが丸見えだが、あの頼りない街灯の力では、夜に下の人の動きを見ることは不可能だろう。

 松井戸は、今まで後ろで黙ってメモを取り続けていた後輩刑事に声をかけた。

「通報者は?」

「はい。毎晩十時ごろに、この土手をランニングする方です。通報者の証言によれば、この辺りの暗がりから女性に助けを求められて、急いで走ったが既に姿は無かったとのことです。でもその声があまりにも鬼気迫っていたため、その場で警察に通報。駆け付けた警察官が辺りを捜索すると、河原で遺留品と思われるバッグや下足痕などが発見されたとのことです」

「まだ、犯人が前回と同一人物であると結びつける証拠はないのか」

「ありません。ただ狭いうちの管轄範囲で似た犯行が繰り返されたことから考えて、上層部は同一犯だと考えているようです」

 松井戸が少し腑に落ちないという表情をしていると、河野が割って入ってきた。

「しかし、なめられたもんだよな。警察署から一キロくらいだろ、ここ」

「はい。それもあって、本当に同一犯かどうかは慎重に考えるべきだと思います。それに、これが誘拐事件かどうかも」

「……疑ってかかることはいいことだが、あまり縁起の悪いことは言うもんじゃねえぞ」

「すいません」

 松井戸が謝罪すると、河野が突然松井戸の後輩刑事に声をかけた。河野も名前を憶えていないのか、呼びかけの言葉しかなかった。完全に油断していた後輩刑事は素っ頓狂な声を出し、動揺してメモしていた手帳を落とした。どうやら、河野に怖いイメージを持っているようだ。

 まあ、確かに身長が百九十はあろうかというガタイの良さで、暴走族のリーダーでもはっていそうな顔面を備え付けているのだから、無理もないことだろう。

「さっきの通報者の話で気になることがあるんだ。通報者は被害者に助けを求められたんだよな。この街灯の量だから相当近くに来ないと人がいるか分からないと思うが、さっきの話を聞く限り、通報者は犯人を見ていないと証言したんだよな。不自然じゃないか?」

「その点に関しては、通報者が安全に配慮した模範的なシティーランナーだったからだと思います」

「どういうことだ」

「現場に駆けつけた警察官たちからの話によれば、通報者は遠くからでも見えやすい光度のライトや反射板、音でも気づきやすいように鈴なんかをつけていたようです。これで、暗がりの中で通報者の方は先に見つかっても、通報者からは被害者が見えなかった説明が付きます」

 後輩刑事の話を横耳で聞きながら河原の方をもう一度覗くと、下の方で忙しなく動いていた鑑識課の人たちが引いて行くのが見えた。鑑識作業が、大方終わったのだろう。

 松井戸は、河野や後輩刑事に声をかけて河原に降りて行った。下りる途中、松井戸と河野が後輩刑事に捜査情報を仕入れるのが早いことを褒めると、後輩刑事は今話した情報は、ほとんど捜査会議で話されていたことだと答えた。

 後輩刑事から優しく――会議は集中して聞いてくださいね。忘れそうだと感じるならメモを取ってくださいね――と諭され、松井戸もさすがに動揺した。自分にもプライドがあったのかと、少しばかり驚いた。

 河原に降りて見上げてみてると、意外と土手に高さがあることが分かる。さっきまで鑑識が調べていた辺りから土手を見上げると、他の場所と違って草が倒れている。おそらく土手で被害者を襲った犯人が通報者に驚き、被害者を引きずって河原に降りたのだろう。

 そこからほど近い地面に、急発進したであろうタイヤ痕が認められる。そのタイヤ痕の側にしゃがみこんで、河野がなにやら難しい顔をしている。松井戸が、少し遠巻きなところから声をかける。

「河野さん、なにか引っかかることがありますか?」

「これだけ跡が残るほどの急発進だから、土手の上にもいても音が聞こえたんじゃいないかと思ってな」

「当然でしょう。何を当たり前のことを言っているんですか」

「じゃあ、通報者にも聞こえたはずだよな。なぜ駆け付けた警官に、その話をしなかったんだ。緊急配備すれば、あるいは」

「車が走り去ったのは、警官が来てからですね。通報者と一緒にその音を聞いたと、その警官が証言しました。その音を聞いたから、河原に降りて何か痕跡が無いか探したそうです。これも、捜査会議で言っていました」

 確信をついた探偵のような口調で話した河野だったが、あの後輩刑事がすぐに否定した。後ろから見ても、河野の耳が赤くなっていることが分かった。

 松井戸がそっと近づいて肩を抱こうとすると、急に立ち上がった河野の頭突きを喰らう羽目になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る