船員峠

@2321umoyukaku_2319

第1話

 仙人峠という地名の場所は日本各地にある。岩手県の遠野市と釜石市を隔てる仙人峠は紅葉が奇麗なこと、そして交通の難所として知られる。この仙人峠は、その名前からして人里から離れた神仙の地を連想させるし、実際そんな感じの場所だけれど、人がいないわけではない。かつて鉱山があって大勢の坑夫が暮らしていた。その坑夫千人が落盤事故で生き埋めになった。それで千人峠と呼ばれるようになったのが、いつのまにか仙人峠に変わったと言われている。その他に、アイヌ語が元になっているとの説もある。いやいや、元は船員峠だったと唱える者もいる。

 船員峠説は、江戸時代の豪農が子孫に書き残した本の中の記述が、その根拠となっている。

 その著者は遠野郷の菊池某という長者である。彼は自らの体験や見聞きした話を書き記した。その中に、遠野と釜石を隔てる山塊に暮らす不思議な人間の話がある。

 赤い髪と鋭く尖った高い鼻が特徴的な大男で、人の言葉は話せない。その力は強く熊をなぎ倒すほどだったというから人間離れしている。

 その男と山中で出会い話をした人物がいる。江戸時代の人で阿部将翁あべしょうおうという名の本草ほんぞう学者だ。

 本草学とは薬の原料等になる動植物や鉱物を研究する学問である。それらを採集するため阿部将翁は山を調査中に、その野人と出会った。

 阿部将翁は、人の言葉が話せない大男と会話をした。そして、その異人が外国の船乗りであることを知った。

 男は異国船の乗組員だったが、船長やその他の船員とトラブルを起こしたため罰せられそうになったのでボートを奪って船を脱出し、陸地へ逃れたのだと説明した。

 その元船員は阿部将翁に、この近隣に鉄鉱石が採れる場所があると教えてから立ち去った。北へ向かうという。蝦夷地を経由して大陸へ渡るつもりとのことだった。

 ここで二人の会話の場面は終わっている。

 疑問が湧いてくる。

 外国人の元船員との会話から、これだけの情報を聞き取った阿部将翁とは何者か?

 盛岡藩(南部藩)領閉伊へい郡の出身で、中国本土へ渡航し本草学を学んだとも、長崎のオランダ人からヨーロッパの学問を教わったとも伝えられている人物だ。鎖国時代の日本人としては十分に国際派と言えよう。

 国際人の阿部将翁はオランダ語の会話が可能だった可能性はある。あるいは他のヨーロッパの言語もペラペラだったかもしれない。

 阿部将翁その人が異人の血を引いていたことも考えられる。柳田国男『遠野物語』によれば閉伊郡の沿岸部には西洋人の洋館が幾つも建っていたようだ。日本人との通婚もあったらしい。鎖国体制下の日本でも、外国人との交流は盛んだったのである。 

 阿部将翁の親が西洋人だとしたら、親の母国語を習得していた可能性はある。

 遠野郷の菊池某が書いた本には、二人がコミュニケーションを取っていた言語に関する記述はない。分からなかったから書かなかったとも、分かっていても書かなかった、二つの可能性がある。後者の場合、文章に残すことで子孫が被るかもしれない後難を避けたのだろうか。

 異人の船乗りがいた峠を阿部将翁は船員峠と名付け、その人物からの助言に従い鉄鉱石の鉱山を見つけたことが記されて、この話題は終わっている。

 菊池某の死後に起きたことを書く。阿部将翁の発見した鉱脈は釜石鉱山となり、明治日本の産業革命に大きな役割を果たした。今は閉山している。

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