魔女の涙
「先生……本当に行くんですか?」
その日、不安そうな愛弟子の声を、私は背中で聞いていた。
「行くよ。仕事だからね」
「でも! ……先生じゃなくても、別に、良いでしょう? 男の人がいるじゃないですか」
「男たちは皆、戦闘訓練ばかりしている。戦略を考える役目は、賢者である数名が担う。その数名の一人が私だ」
「他の数名だっているじゃないですか!」
「医療班の指揮も取れて、なおかつ応急処置もできる者は、他にいるか?」
「でも……」
「そもそも決定事項だ。私に拒否権はないよ」
あからさまに不服なのが、見なくても伝わってくる。私は、戦場に出かける準備をしていた。愛弟子を見ずに準備しているのは、気が変わらないようにするためだった。
「大丈夫、必ず生きて帰るから」
支度が全て終わった時、依頼状を片手に、今度こそ愛弟子の方を見て、頭を撫でる。
「だから、帰ってくるまで、留守番を頼むよ」
ぽろぽろと大粒の涙を流す愛弟子に、優しく、愛情を込めて微笑む。
「絶対、ですよ……」
ぎゅっ、と掴まれた服に、がらにもなく「行きたくないな」と思いつつ、愛弟子の手を握り、そっと離し、扉に手をかける。
「行ってくるよ」
少しでも安心してもらいたくて、いつもの調子で出かける私を、愛弟子は、涙を枯らさずに、最後まで見送っていた。
__時は経ち、二年後。
ようやく戦地から帰還した私は、すぐに家へ帰った。やっと、やっと愛弟子に会える。その思いでいっぱいだった。生きて帰ってきた喜びよりも、「愛弟子に会える」という喜びの方が大きかった気がする。
しかし、そんな私を待ち受けていたのは。
「あ、先生! おかえりなさい!」
「こんにちは。どうも、お邪魔しています」
愛弟子と、優しそうな見知らぬ男。何故、私の家に愛弟子以外の人が、しかも男がいるのか。察することはできても、その事実を信じたくはなかった。すぐには受け入れられなかった。
「紹介するね! 彼女が私の先生、ミアさん」
「はじめまして、先生。私は小さな町で医者をしています。ノアと申します。彼女からあなたの話は聞いています。とても素晴らしい医者だと」
「あ……あぁ……はじめまして。えぇ、まぁ、医者……でもあります……」
「先生、こっちが私の彼氏! ノアね! 一年前くらいに出会って、意気投合したの! 近いうちに結婚したいと思っていて……」
これ以降は、殆ど頭に入ってこなかった。
いつかは来ると思っていた。私の愛弟子……リリーだって、一人の女の子だ。ずっと愛弟子であるわけがない。ましてや戦場に立つ魔女の弟子で居続ける方がおかしい。彼女は誰よりも可愛くて、優しい子。男が、黙っているはずがない。
魔女のいないうちが、一番の狙い時。「家を空ける」ということがどういうことを意味し、何に繋がるか。頭では、ちゃんとわかっていたはずだった。しかし、どうしても受け入れられなかった。愛弟子との別れなど、受け入れたくなかった。
その日の夜、私は初めて泣いた。いつしかの本の通り、魔女の涙は宝石の如く輝いていた。キラキラと輝きを放ちながら、枕の上に転がる涙。人間の目からは到底出るはずのない異質なそれは、忌々しいほどに綺麗だった。
この涙を加工して、指輪にしたら。きっと、あの二人の結婚指輪に似合うだろう。この涙を加工して、耳飾りにしたら。きっと、お揃いの装飾としてお守りになるだろう。この涙を加工して、ネックレスにしたら。きっと、リリーの花嫁衣装に似合うだろう。この涙は……。
考えれば考えるほど、涙は溢れた。そして、宝石となって、輝きを増していった。それは、私への皮肉にも思えるほどに。
これが罰というだろうか。戦場で、何人もを殺した。死にゆく仲間に、涙を流さなかった。人の心を忘れた魔女への、罰だと。
今頃、体を寄せ合って寝ているであろう隣の部屋の二人を思いながら、私は、朝が来るまで泣いていた。
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