6

 ヘンリーは愛人の子として生まれた。物心ついた時から、母と一緒に屋敷で働いていた。

 自分の父親が誰かは、いつの間にか知っていた。母は直接教えてこようとはしなかった。だが、度々夜になると父が部屋に尋ねてきては母に追い返されていたので、察した。


 屋敷には小さな男の子がいた。ヘンリーより年下の男の子。最初は、仕える相手だと思っていたが、父が誰かを悟った辺りで、弟だと知った。


 父が同じなのに、扱いの差は雲泥の差。使用人と屋敷の主人の子。虐げられているわけではないが、ありとあらゆるところで格差を思い知らされた。

 着ているもの、食べるもの、学ぶこと、すべてが違う。


 母が違うだけでこうも違うのか、と思い困惑しつつも受け入れていた。ある程度成長するまでは。



 思春期を超えた頃、弟に婚約者ができた。彼女を一目見た瞬間、ヘンリーは恋に落ちた。

 そして、絶対に彼女を得られないということに、絶望した。

 彼女を深く知る度にその絶望は深くなった。彼女は下働きの人間にも優しく、惜しげもなく笑ってくれる。むしろ、相手が貴族ではない分、より屈託のない表情を見せてくれた。


 弟と彼女との仲は微妙なものだった。それは思春期の男子特有の素直になれない行動がもたらすものだった。

 だが、悲しむ彼女を見るのは身を切られるようだった。弟の真意は手に取るように分かったが、だからこそ弟の行動は許せるものではなかった。


 自分なら、そんな行動はとらない。彼女を悲しませないのに――


 あの男が憎い。そして、あの男との格差を作り出した父が憎い。



 母が風邪をこじらせた。

「ごめんなさいね。そろそろ、この家から出ていこうって思った矢先にこうなるなんて……」

 母は彼に謝った。彼が気にするなと言っても、ずっと謝り続けた。


 奥方は、薬や医師の手配をしてくれた。母がかかった質の悪い風邪はハガード領全土で流行り、使用人たちのほとんどがかかってしまった。奥方は母にも分け隔てなく治るようにと気を配ってくれた。ヘンリーに対してもだ。

 それでも、母は儚くなってしまった。この質の悪い風邪は結構死亡率が高いものだったのだ。



 ヘンリーの目からは、父や弟はこの質の悪い風邪の時に何も動いていなかったように見えた。

 奥方は領民の生活の立て直しに奔走し、弟の婚約者は慰労に回るなどしていた。だが、肝心の男どもの動きははっきりとは見えなかった。


 女達はこんなにがんばっているのに、この家の男達は。


 自分が弟の立場なら、もっと……という思いはどうしても打ち消せなかった。




「……もしかして、それは呪いの肩代わりではなく、呪い返しか?」

 ジャービスがウィザーズに問う。彼女は微笑みをたたえたまま、答えない。

「ヘンリー! 呪いを止めなさい! このままでは、あなたが死に至るわ!」

「……今更」

 ヘンリーは胸を抑えて苦しみながら、それでもどこかすっきりとした表情をしていた。

「これで、やっと終われる」




 ある日の夜会。ミーガン嬢は誰かを探していた。

「あっ」

 壁際、すぐにバルコニーに出られるような位置に、彼女はいた。

「もし。お久しぶりですね」

「……どこかでお会いしましたか?」

「とぼけないでくださいませ。……ウィザーズさん」

 ミーガンは小声で彼女の名を呼んだ。名を呼ばれた彼女の表情はほとんど変わらなかったが、瞬きを一つして辺りを確認してからミーガンに向き直った。


「壁際の高嶺の君の正体が霊媒師だなんて、誰も想像できませんわね」

「……私は、誰にも声をかけられない壁の花。なんですか、高嶺の花って」

「堅い声と表情で近寄りがたい、けど見た目は最高。だから、高嶺の花ですわ。あなたのことは隙あらば狙おうと思っている男性はたくさんいましてよ。でも、あなたに隙がないから、それは叶わないのです」

「……わたくしに、なにか御用ですか?」

 ミーガンに褒められているのかどうかわからない、からかいを受けて彼女は話を逸らす。


「ハガード卿とアデラ夫人、今日は揃って参加されてますわね。とても仲睦まじいご様子でしたわ」

「……ええ。ようございましたね」

「ええ、ええ。無事解決して、本当に良かったですわ」

 彼女はあいまいな答え方をしたが、ミーガンははっきりと事情を知らない人間しか言わないような言い方をした。



「ねえ。ウィザーズさん。もしかして、あの呪いの件はあなただけの力で解決できたのではないですか?」

「……なんのことだか」

 彼女は困ったように笑って、その場を立ち去ろうとした。

「また、なにかありましたらお話ししましょうね!」

 ミーガンは彼女に手を振る。彼女は苦笑しつつ、お辞儀を返した。


 困ったわね。顔を隠して仕事をしていたのに。おかしな縁ができてしまったわ。社交界の生き字引なんて、口が軽そうじゃない。

 でも、あの情報網は使えるわよねえ……


 彼女、ウィザーズは迎えの馬車に乗りながら、ため息をついた。


 まあ、でも良かったのよね。あの若夫婦の憂いがなくなったのは。


 ウィザーズは今夜見かけたハガード夫妻の表情を思い浮かべた。新婚夫婦にふさわしく、幸せそうな清々しい笑顔。

 もう、ハガード家には呪いはない。

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君を愛することはないと言わないといけないんだよね カフェ千世子 @chocolantan

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