第12話 二人の告白



「冬樹に、羽ちゃん……? なんでここに……?」

 駅のベンチに座ったまま、茫然とした面持ちで俺と羽ちゃんを見上げる真夏。

 よく見ると、目が赤くなっている。さっきまでずっと泣いていたのだろう──涙の筋らしき跡が両の頬に残っていた。

 そんないかにも悄然とした真夏に、俺は呆れと安堵が半々に混じった溜め息をこぼしながら、

「お前の電話が切れたあと、すぐにここまで電車で来たんだ。羽春さんも一緒にな」

「もしかしたらすれ違いになるかもしれないと思ったんですけどねー。でも夏さんが終点に残っている可能性もあったので、こうして二人で来たんですよー」

 まだ終点にいるかもしれないと言ったのは進藤君ですけれどねー。

 そう言って微笑みかけてきた羽春さんに、俺も笑顔で頷き返す。

 真夏の事だから、ショックで落ち込んだままでいるかもしれないとは思っていたが、まさか本当に終点で留まっていたとは。

 まあ、あの電話からして相当焦っていたようだったしな。先に秋人じゃなくて俺に電話をしてくる時点でパニックに陥っていたのは明白だったし、まして自暴自棄になって愚かな行為に走らなかっただけでも幸いだったと言えなくもない。

「でも、二人共デート中だったのに……。あたしなんかのせいで……」

「バカ」

 また泣きそうになっている真夏の頭頂部を手の甲でコツンと軽く小突いて、俺は言葉を紡ぐ。



「泣いているお前を放っておいてまで、デートなんて続けられるわけないだろ。親友舐めんな」



 直後、せき止めていたものが一気に溢れ返るかのように、真夏の両目から次々と涙がこぼれた。

「冬樹〜……」

「あー。泣いちゃダメですよ夏さん。ただでさえメイクが少し落ちてしまってるのにー」

 幼子のように大粒の涙を流す真夏に、羽春さんはハンカチを取り出して優しく目尻を拭う。

「進藤君も、泣かせるような事を言っちゃダメじゃないですかー。そんな簡単に流していいものではないんですよー? 女の子の涙はー」

「え、あ、はい。以後気を付けます……?」

 ていうか、俺が悪いのか? 俺はただ真夏を励まそうとしただけなのだが……。

「でも、やっぱりごめん。あたしのせいで二人のデートの邪魔をしちゃったのは変わりないし……」

「だから気にするなって。俺も羽春さんも、お前が心配で来ただけなんだから」

「そうですよー。友達なんですから、何かあれば心配して駆け付けるとは当然ですー」

「冬樹、羽ちゃん……。二人共、ありがとう……」

 ぎこちなくも、ここに来てようやく笑顔を見せる真夏。

 だがそれも、またすぐに元の暗い表情に戻って、

「はあ……。ほんと、あたしって大バカだ。二人には心配かけちゃうし、せっかくの秋人君とのデートを電車で寝過ごして台無しにしちゃうし……。こんなどうしようもないあたし、秋人君に嫌われたとしても仕方ないよな……」

「そんなの、まだわからないだろ」

 と。

 俺は間髪入れず、真夏の言葉を否定した。

「本人に訊いてもいないのに、なんで嫌われたってわかるんだ? そういうのはちゃんと、秋人に面と向かってから言え」

「……でもあたし、結局秋人君に全然連絡しないままこんなところにいちゃってるし、あっちも絶対怒ってもう帰ってるよ……」

「それは大丈夫ですよー。ここに来る前に、進藤君が笹峰君に連絡しておいたのでー。笹峰君も、まだ待ち合わせ場所に残ってくれているはずですよー」

「えっ? 秋人君が? なんで……?」

「俺がそこに残るように頼んでおいたんだ。本当は秋人を拾ってからこっちに来ようかと思ったんだが、お前が待ち合わせ場所に戻ってくる可能性もあったからな。それに俺と羽春さんの方が終点に近い位置にいたから、先にお前を迎えに行ったんだ」

「秋人君が、あたしを待っていてくれてる……?」

「そうだ。だから一緒に行くぞ真夏」

 言って、俺は真夏に手を差し伸べた。



「お前のデートは──いや、俺達の告白大作戦ラストミッションは、まだ終わっちゃいない」



「冬樹……」

 少し逡巡するように、視線を僅かに彷徨わせながら両手を組む真夏。

 それでも、やはりこのままではいけないと思ったのか、真夏はおそるおそる俺の手を取った。

「よし。そうと決まれば、さっそく秋人に会いに行くぞ真夏」

「少し待ってください進藤君」

 と。

 意気揚々と真夏を立ち上がらせて改札口に向かおうとした俺に、羽春さんが不意に呼び止めた。

「その前に、夏さんのメイクを直しましょうー。次の電車が来るまでにまだ時間はあったはずですからー。好きな男の子に会いに行くのなら、なおさらですー」




「たまたま急行の電車があって、本当によかったですねー」

「うん。これなら予定より早く秋人に会えそうだ」

 戻りの電車の中だった。

 真夏を終点で見つけたあと、秋人と合流すべく戻りの電車に乗り込んた俺達は、三人並んで座席に座っていた。

 ちなみに並びは、一番端から真夏、俺、そして羽春さんとなる。

 もっとも、真夏とは割と離れた位置にいるので、は傍目には他人同士に見られるかもしれないが。

 まあ少し立ち直ったとはいえ、まだデートをすっぽかしてしまったショックも残っているだろうしな。これから秋人にも会うわけだし、緊張と不安で誰かと話す気にはなれないのかもしれない。

「あの、進藤君。夏さん、どんな様子ですかー?」

 真夏には聞こえないよう、俺のそばに寄りながら耳元で囁いてきた羽春さんにドキッととしつつ、こっちも小声で「えっと、まだ落ち込んでる感じっぽい」と返す。

「……そうですかー。あんな事があったあとですし、無理はないですけれど、やはり心配ですねー……」

「確かに心配ではあるけど、自業自得な面もあるし、あとは自分で立ち直るしかないと思う」

 そう答えると、羽春さんは少し面食らったように両目を瞬かせた。

「……ちょっと驚きましたー。進藤君って、意外と夏さんに厳しいところもあるんですねー」

「そりゃまあ、小さい頃からの長い付き合いだし。親友で幼なじみとはいえ、ケンカだってする事もあるし、時には厳しい事を言う事もあるさ。ま、大抵すぐに仲直りするけど。あいつと遊べない日があると、どうにも調子が狂うんだよなあ」

「なんか、いいですねそういうの。お互いに心を許していると言いますか、本当に良いコンビって感じですー」

「こ、コンビ?」

「はいー。長年連れ添ってきた漫才コンビのようですー」

 なんだか、裏で不仲説を囁かれていそうな関係性だな……。

 そういえば羽春さん、確かお笑い好きでもあったか。じゃあ単純にそういう連想をしただけなのかもしれないな。

「でも、そうですねー。進藤君の言う事も一理あると思いますー。今のわたし達にできるのは、こうして笹峰君に会うまでの道のりを一緒に付き添う事くらいしかありませんからー。わたし達が夏さんの代わりに謝るというのも変な話ですしー」

「それでいいと思う。もちろん全力でフォローはするつもりだけど、俺達は当事者じゃないし、あとは真夏と秋人との間で話し合うしかない」

「別にこれで二人の関係がお終いというわけでもありませんしねー。デートだってまだ次の機会があるでしょうしー」

 そうだね、と相槌を打ってすぐ、羽春さんの「デート」という単語を聞いて、俺はハッと重要案件を思い出した。

「……あの、今日は改めてすまない。せっかく脱出ゲームに行く約束だったのに……」

「それこそお気になさらず。先ほどの言葉を繰り返す事になりますが、デートならまた次の機会がありますからー」

「…………」

「? どうしました進藤君。急に顔を赤らめたりしてー」

「いや、なんつーか、デートだと思ってくれていたんだなって……」

「あ。えっと、そのー……」

 モジモジとスカートをいじる羽春さん。その仕草がまた可愛いらしくて、俺はたまらず視線を逆方向──つまり真夏のいる方に逸らした。 



 冷凍イカのような目をした真夏がこっちを見ていた。



「ごほんごほんっ。あー、そういえば、あれから秋人に連絡を取ってなかったな。一応LINEで『今から真夏と一生にそっちへ向かう』って知らせておくか」

「そ、そうですねー。その方が笹峰君も安心すると思いますー」

 羽春さんも真夏のあの表情を見たのだろう──多少焦った様子で俺に同調する。

 そりゃ真夏の心境からしてみれば、ラブコメめいた雰囲気なんて目に毒でしかないよな。ちょっと配慮が足りなかったかもしれない。

 それからはなるべく会話を控えつつ──周りの乗客からしてみたら、お通夜状態に見えたかもしれないが──俺達三人は秋人が待つ駅へと向かうのだった。




 秋人がいる駅には、一時間ほどで到着した。

 駅に着いてからいっそう表情を強張らせる真夏の手を俺と羽春さんの二人で引きながら、改札口へと急ぐ。

 それから改札口を抜けて、エスカレーターを降りた先の向こうに、秋人の姿を見つけた。

 と、あっちもエスカレーターに乗っている俺達に気付いたのだろう、大きく手を振りながらこっちへと走り寄って来た。

「よかったー。どうにか成瀬さんとすれ違いにならずに済んだみたいだね」

「ああ。真夏が終点からずっと動かないでいてくれていたおかげでな」

 真夏にしてみれば不本意というか、別段終点にいたくて留まっていたわけではないと思うが。

「ありがとう野中さん、冬樹君。成瀬さんをここまで連れて来てくれて」

「いえいえー。わたし達の方が距離的にも近かったですし、なにより心配でしたからー」

「そうだな。それに真夏も、いきなり秋人と会うのは色々気まずかっただろうし」

 言いながら、さっきからずっと俺の背中に隠れている真夏の方を見やる。

 当の真夏は、俺に水を向けられても背中に顔を埋もらせたまま、動こうとはしなかった。

 合わせる顔がないとか、たぶんそんな理由だとは思うが、一言も返せないなんて、これは思っていたより重症かもしれない。

 その雰囲気を秋人も肌で感じ取ったのか、真夏にあれこれ言及する事はせず、代わりにこう提案した。

「ひとまず、いったんここを離れようか。ここだと落ち着いて話もできないからね」




「なにはともあれ、何事もなくて本当によかったよ」

 駅の近くにあった、小さな公園だった。

 そこで空いていた二人掛けのベンチに羽春さんと真夏を座らせたあと、秋人はその正面に立って、心底安堵したように目元を緩めながら話を切り出した。

「最初はすごく焦ったよ。時間になっても来ないし、電話しても全然出ないし。冬樹君から電話がなかったら、どうしてかいいかわからないまま、ずっと途方に暮れていたかも」

「あー。そういえば秋人、電話した時にかなり動揺してたもんな」

 俺が真夏の話をする前に『成瀬さん、どこにいるか知らないかい!? 時間になっても待ち合わせ場所に来ないんだ!』と開口一番に訊いてきたくらいには。

 なんて事を隣に立つ秋人に言ってみると、少し恥ずかしそうに頬を掻いて、

「いやー、あの時は成瀬さんの事しか頭になかったから。事故とか事件に巻き込まれていたらどうしようって。でも単に寝過ごしちゃっただけだったんだね。スマホの充電も切れちゃって、とっさに冬樹君にしか電車できなかったって話をあとで聞かされた時は、思わずその場でへたり込んじゃったよ」

「そんなに心配してくれていたのか。俺としては多少腹を立てていたとしても仕方がないと思っていたが」

「そりゃ故意にサボられでもしたら僕でも怒るけど、事情が事情だからね。逆に何事もなくて心からホッとしたよ。友達がケガをしたとか、そういった話は聞きたくないしね」

「ですって、夏さん。笹峰君が優しい人で本当に良かったですねー」

 などと笑顔で声を掛ける羽春さんに、無言で小さく頷く真夏。

 うーむ。まだ遅刻したショックから立ち直れていないみたいだな。

 しょうがない。少し助け船を出してやるか。

「ほら真夏。お前から秋人に言う事があるだろ?」

 言って、俺は真夏の肩に片手を置いた。

 気まずいのはわかるが、このまま口を閉ざしていてはなんの解決にもならない。

 とりあえずなんでもいいから会話をしてみるだけでも心のもやが多少なりとも晴れるはずだ。そう思っての行動だった。

 すると俺の意図がわかったのか、真夏は恐々とながら伏せていた顔を上げて秋人を見た。

「……あの、その、秋人君。デ、デートに遅れてごめんなさい。それに連絡もしないまま、ずっと秋人君に心配かけちゃって……」

「その事ならもう気にしてないから。成瀬さんが無事なら何も言う事はないよ。だから成瀬さんも、そんなに落ち込まないで。ね?」

「でも、サイン会が……」

「それはちょっぴり残念ではあるけど、またどこかでサイン会を開いてくれるかもしれないし、その時を気長に待つとするよ」

 おおっ。なんてイケメンな答え方なんだ。爽やかな笑顔も相俟って、まるで釈迦如来のようにすら見える。

 この笑顔を前にしたら、きっと真夏も元気を取り戻してくれるはずだ──と思っていたのだが、当の本人は相も変わらず浮かない顔をしていた。

 というより、さっきよりも落ち込んだ表情をしているようにも見える。

 なんだ? まだ何か気掛かりな事でもあるのか?

 そう思ったのは俺だけではなかったようで、隣に座る羽春さんが心配そうに真夏の手をそっと握って、

「……夏さん、まだ何か気になる事でもあるんですかー? さっきも言っていましたけれど、笹峰君、何も怒ってなんていないんですよー? だからいつもみたいな可愛い笑顔を見せてくださいませんかー?」

「……無理だよ。だって、何もかも全部あたしのせいなんだもん。あたしが電車の中で寝過ごしたりしなかったら、今頃秋人君は好きな作家さんからサインを貰っていたはずだもん。それなのに、笑う気なんて全然なれないよ……」

「夏さん……」

「成瀬さん……」

 涙声で応える真夏に、どう対応していいかわからないとばかりに当惑する羽春さんと秋人。

 まずいな……。

 真夏の奴、完全に負の沼に嵌ってやがる。

 その証拠に、口調からしていつもの覇気が微塵も感じられない。いつもはもっと男勝りな喋り方なのに、今は引っ込み思案の女子みたいになってしまっている。

 特に一番まずいのは、真夏の陰鬱とした雰囲気に羽春さんも秋人もだんだんと呑まれつつある点だ。

 このままでは、皆の中で今日という日が良くない思い出として記憶に刻まれかねない。



 それはダメだ。

 それだけは絶対に看過できない。

 せっかくの羽春さんとのデートの日を暗い思い出として残したくないというのもあるが、それ以上に真夏の心に消せない傷が残ってしまう──恋に怯える人生を、この先送る事になってしまうかもしれない。



 そんなの、絶対に認められない。

 親友として、このまま何もせずにいてたまるか!



 とはいえ──

 現状、この暗澹としたムードを打破する方法は何一つとして思い付かない。

 ここで何もしなかったら、一生後悔する事になるかもしれないのに。

 どうしたらいい?

 どうすれば、この状況を変えられる?

 そうこうしている内にも、時間だけが無常に過ぎていく。

 早くなんとかしないと、いつ解散となってもおかしくないと言うのに。

 くそっ。何かないのか? この重々しい空気を劇的に変える方法は……!

 と。

 何か妙案を思い付く手掛かりはないかと、苦し紛れにジャケットのポケットに手を入れた瞬間、指に何かが触れた。



 今日の朝、真夏がくれた恋愛成就のお守りだった。



 そのままポケットの中でお守りを握りしめて、俺はふっと微笑をこぼした。

 バカだな、俺。

 悩む必要なんて、何もなかったんだ。



 俺に出来る事なんて、最初から一つしかないんだから──



「羽春さん」

「え。あ、はい?」

 俺に突然呼ばれ、一瞬驚いたように肩を跳ねさせて返事をする羽春さん。

「いきなりで戸惑うかもしれないが、少しだけ俺の話を聞いてもらいたいんだ。いいだろうか?」

「話、ですか……?」

 少しだけ気にするように真夏を一瞥したあと、羽春さんはこくりと頷いた。

 その様子を見た秋人が、何かを察したように無言で後ろに下がった。

 ありがたい。

 実なところ、友人のそばで今からやろうとしている事を見られるのは、けっこう恥ずかしいものがあったからな。

 などと心中で秋人に感謝しつつ、俺は話を切り出す。

「本当は、今日のデートの終わりに伝えるつもりだった」

 とは言いつつ、真夏から電話が来なかったら、あのまま勢いで告白していたと思うが。

 などと内心苦笑しつつ、俺は続ける。

「だからこんな状況で言うのはどうかと思うし、正直場違いかもしれないが、それでも羽春さんに伝えたい言葉が──気持ちがあるんだ」

 羽春さんは黙って俺の話を聞いていた。

 真剣な面持ちで。

 何を言われるか──どう返事をするかさえ、すでに覚悟を決めたような瞳で。

 そんな羽根さんに少し気圧されそうになりつつ、俺はなけなしの勇気を振り絞って告げた。



「羽春さん──君の事が好きだ。俺と付き合ってほしい」



 十一月のほのかに冷たさを帯びた秋風が、俺の火照った頬を撫でる。

 周りは時間が止まったかのように静謐としていて、あたかも羽春さんの言葉を世界が待っているかのようだった。

 ややあって、微かな吐息と共に羽根さんがベンチから立ち上がった。

 そしておもむろに組んだ手を胸の前に寄せたあと、口許を綻ばせながらこう言った。



「はい。よろしくお願いいたします──冬樹君」



 一瞬、耳を疑った。

 というか、頭が真っ白になった。

 それでも返ってきた言葉を脳内で再生して、意味を咀嚼して、そうしてようやく現状を把握したあと、俺は「え」とだけ声を発した。

「ふふっ。どうして冬樹君が驚いた顔をしているんですかー? 告白した側なのにー」

「あ、いや……」

 可能性は三割五分だと思っていたからだとか、不意打ちされる形で名前を呼ばれて驚いたとか色々理由はあったが、衝撃がでか過ぎてうまく口で表現できなかった。

「もしかして、振られるとか思っていましたー? わたし、けっこう前から態度で示していたと思いますけどー」

「えっ。そうだっけ?」

「そうですよー。まあ状況が状況ですし、そう思うのは無理ないかもしれませんけれどー。でもわたし、割と以前から好きになっていましたよー? 具体的に言うと、遊園地デートの時から惹かれ始めていましたしー」

「あ、あの時から……?」

 そりゃ、手応えみたいなものは感じていたが、まさかあれからずっと好意を──それも恋心に昇華するほどの想いを抱いてくれていたとは。

 それはともかく、今俺が確認したいのは世界

「つまり、えっと……オーケーって事で合ってる?」

「はい。わたしも冬樹君が好きって事ですー」

 と、恥ずかしそうに頬を紅潮させる羽春さん。

 そんな羽春さんの反応を見て、俺は「しゃっ!」とガッツポーズを取った。

 おっと。俺ばかり喜んでる場合じゃなかった。

 俺にはまだやる事が──次に託さないといけない相手がいる。

「真夏」

 俺の呼びかけに、それまで面食らった顔(先ほどのやり取りを見て呆気に取られていたのだろう)をしていた真夏が、ハッと忘我から返ったようにまなこを見開いた。

 そんな真夏に、俺はポケットからお守りを取り出して、前に突き出す。



「次はお前の番だ、真夏」



 ☆ ☆ ☆



 あたしの目の前に差し出された、冬樹の手。

 その手のひらには、あたしが今朝冬樹に渡したお守りが──恋愛成就のお守りがあった。

 ちゃんと御利益はあった。

 冬樹の初恋が実った──羽春ちゃんと恋人同士になれた。

 それ自体はすごく嬉しい。

 昨日までのあたしなら、大手を振って祝福していたと思う。

 でもそれは冬樹のお守りだからこそ効果があったんだ。

 あたしにまで御利益があるとは思えない。

 それに──

「あ、あたしはいいよ。だって、もう何もかも遅いもん……」

 そうだ。

 あたしはとんでもないミスをやらかしてしまった。

 せっかく秋人君が敬愛する作家のサインを貰える機会を、あたしのせいで不意にしてしまった。

 そんなあたしが、告白なんてできるわけない──その資格すらない。

 だって今でも申しわけなくて、まともに秋人君の顔を見れないんだから……。



「まだ遅くなんてない!」



 と。

 冬樹があたしの手を強引に取って、そのままお守りを握らせてきた。

「冬樹……?」

「お前の事だから、どうせ自分に告白する資格なんてないとか思っているんだろ? 言っておくけど、気持ちを伝える事に資格なんて必要ないからな? 確かにデートに遅れてしまったかもしれないが、それはちゃんと謝ったし、秋人にも許してもらえたんだ」

 だから真夏、と冬樹はあたしの目をまっすぐ見つめながら、言葉を紡いだ。



「お前はお前の気持ちに素直になれ。罪の意識で自分の想いを押し殺す必要なんて微塵もないんだよ」



 その言葉に、あたしは胸を打たれた。

 さっきまで震えるばかりでろくに動かす事もできなかった手が、自分の意思でお守りをギュッと掴む。

「──しっかりな、真夏」

 お守りを受け取った途端、冬樹があたしの肩を軽くポンと叩いて、羽ちゃんと一緒にその場から数歩後退した。

 息を呑み込む。本当は水でも飲みたいところだけど、緊張で喉がガラガラに乾いているせいか、唾液すら出てこない。

 準備は不完全。覚悟も未だに不十分なまま。

 それでもあたしは、鉛のように重く感じる腰を上げて、ベンチから離れる。

 たとえ決意は固まっていなくても、あたしには言わなきゃいけない事がある。

 ここまでお膳立てしてくれた冬樹のためにも、ずっと胸に秘めていた想いを伝えなきゃいけない相手がいる。

 そうしてあたしは前方にいる秋人君の姿を──思わず視線を逸らしたくなる自分を必死に奮い立たせて、まっすぐ正面に見据える。



 秋人君は、あたしを待つように静かに微笑んでいた。



 そんな秋人君の優しい表情にまた泣きそうになりつつも、あたしはぐっと膝に力を入れる。

 逃げるな、あたし。

 弱腰になっちゃダメだ。

 あたしはまだ、何もしていないんだから──

「……秋人君。あたしの話、聞いてくれる?」

「いいよ」

 即答してくれる秋人君。

 ありがとう、と小さくお礼を言ったあと、あたしは続けた。

「秋人君、前に言ってくれたよね? あたしの事をすごいって。カッコいいって。でもあたし、全然すごくもカッコよくもないんだ……」

 今日のデートのために買ってきたスカートの裾をお守りと一緒に力強く握り締めながら、あたしは言う。

「電車で寝過ごしちゃうし、ガサツだし、普段はスカートなんて穿かないし、メイクもしないし、誰かに協力してもらわないと好きな人に会いにすらいけないし、本当にダメダメな人間なんだ……」

 それでも。

 それでも、秋人君が良いと思ってくれるなら──



「こんなダメダメなあたしだけど、秋人君の事を好きになってもいいですか……?」



「──なんだ、そんな事か」

 と。

 あたしの決死の思いで告げた言葉に、秋人君は依然として優しい笑顔を保ったまま、こっちの方へゆっくり歩いてきた。

「成瀬さん、前に言ったよね? 困った時はいつでも相談してほしいって──甘えてもいいんだよって。でもそれ、僕も同じだからね? 成瀬さんも僕に弱い部分を見せてくれたって全然構わないんだよ」

 少しずつあたしに歩み寄りながら、秋人君は温和な口調で続ける。

「確かに電車で寝過ごすのはよくないと思うけど、それは今から直していけばいい話だし、ガサツなのも大らかとも言えなくもないし、スカートとでもホットパンツでもどっちでも似合っているし、メイクも僕好みのナチュラルな感じだし、誰かの協力があったとしても、こうして会いに来れるだけでも十分勇気があると思うよ」

 だから、自分の事をダメダメなんて言わないでほしいかな。

 そう言って、秋人君はあたしのすぐ目の前で立ち止まった。

 そして──



「だって成瀬さんは──真夏さんは僕の目から見ても十二分に素敵な女の子なんだから。

 そんな真夏さんだからこそ、僕も好きになれたんだよ」



 その言葉に。

 あたしは呆然としてしまった。

「え……? 今、秋人君、好きって……?」

「うん。好きだよ真夏さん。僕と付き合おう」

「え。え、え、え、え? えええええええ!?」

「うーん。相変わらず良いリアクションするなあ」

 驚愕して悲鳴を上げるあたしに、可笑しそうに目笑する秋人君。

「ほんと? ほんとにあたしでいいの……?」

「うん。真夏さんがいい。真夏さん以外に考えられない」

「ひゃああああああああああっ!?」

 マジで!? マジでマジでマジで!?

 信じられない! ダメ元というか、当たって砕けてもいいくらいの気持ちで告白したら、まさかのOKを貰えるなんて!

「おい聞いたか冬樹! あたし、秋人君と付き合える事になったぞ!」

 と、喜びのあまり飛び跳ねながら冬樹の方を振り向いたら──



 冬樹が号泣していた。

 めったに泣いたりしない冬樹が、ボロボロと涙を流して。



「冬樹!? なんでお前が泣いてんだよ!?」

「ぐすっ……。だってお前が幸せそうに笑うから──初恋が実って本当に良かったなって……」

「んだよ、お前……。ずるいだろ、そんなの……」

 本来ならあたしが泣く場面なのにさ。

 そんな風に泣かれたら──



「バカぁ〜。お前の泣き顔を見たら、こっちまで泣けてきちゃっただろぉ〜!」



「あらあらー。冬樹君だけじゃなくて、夏さんまで泣き出しちゃいましたー」

「ほんと、つくづく気の合う二人だよね」

 人目を憚らず落涙しつ続けるあたしと冬樹に対し、羽ちゃんと秋人君が揃って可笑しそうに破顔する。

 そうしてあたしと冬樹は、二人に温かい視線で見守れながら、涙が枯れるまでいつまでも泣き続けた。


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