第11話 あたしと冬樹のラストミッション



『そっか。いよいよ明日なのねー』

 デート前日の夜。

 あたしは自室のベッドに寝転びながら、スマホのスピーカー機能でおつゆと会話していた。

『にしても、ついにナッツが告白かあ。なんか不思議な気分だわ。ナッツに彼氏が出来るかもしれないなんて』

「あたしも正直驚いてるよ。まさかおつゆのアドバイスでここまで来れるなんて思ってもみなかったわ。あの失恋女王のアドバイスなのに」

『そういうところ! あんた、ほんとそういうところよっ! ていうか、そのネーミングはやめてっていつも言ってるでしょ!? 私もう彼氏いるんだから!』

「脳内彼氏なのに?」

『脳内ちゃうわ! あんた、いい加減にしないと今からでも殴りに行くわよ!? ジャムおじさんも帽子を投げ捨てて殴りにかかる勢いで突撃するわよ!?」

 ジャムおじさんって。色んな意味で大丈夫なのか、その例えは。

 それにしても、相変わらずおつゆのツッコミは冴えてるぜ。打てば小気味よく響くっていうか、冬樹とはまた違った良さがあって、ついつい揶揄からかってしまうんだよなあ。

 ほどほどにしないとガチで怒られるから、匙加減には注意が必要だけど。それでもやめられないとまらない。

『はあ。まったく、あんたはほんとにどうしようもないんだから……』

 と聞こえよがしに嘆息しながら、語を継ぐおつゆ。

『あんた、秋人君の前ではくれぐれも言動に気を付けなさいよ。特に告白する時はちゃんと場所と雰囲気を選ばないと、取り返しのつかない事になるんだから』

「でも則巻のりまき千兵衛せんべいはトイレの中でプロポーズしたのに、そのあとみどり先生と普通に結婚してたぞ?」

『あれは特殊な例っていうか、たまたま偶然が重なっただけっていうか……。それ以前に「Dr.スランプアラレちゃん」とかネタが古いわ。一体何年前の作品だと思っているのよ』

 そう言いながらきっちりこっちのネタを拾ってくれるあたり、さすがとしか言い様がないぜ。

『って、そんな事はこの際どうでもいいのよ。私が言いたいのはパニックだけにはなるなって事。あんた、昔からそそっかしいところがあるんだから。中学で行った修学旅行であんたが迷子になった時もどんだけ心配させられた事か。まあ最終的に進藤君が半泣き状態のナッツを見つけて集合場所まで連れて来てくれたからよかったけれど』

「な、泣いてねぇし! ちょっと目にゴミが入っただけだし!」

『はいはい。そういう事にしておいてあげるわ』

 ぐぎぎぎっ。おつゆの奴、さては全然信用してないな?

 泣いちゃったのは事実だけどさ!

『何にせよ、明日のデートは慎重にやりなさいよ。せっかく私があんたの勝負服を選んであげたんだから』

「勝負服、かあ……」

 復唱しつつ、私はベッドに置かれた位置とは反対側の壁──そこにハンガーでかけられた勝負服をチラッと見やる。



 七分袖のシャツワンピース──普段なら絶対着ないようなガーリーな服が、そこにあった。



「あれを明日、あたしが着るのかあ。スカート自体は学校の制服で穿き慣れてるけど、普段着としてはあんま持ってないから、なんか自分でも違和感あるわー」

『あんた、前回のデートにさんざんスカートを穿きたがっていたじゃない。もう忘れたの?』

「それはそうなんだけど、あの時は冬樹や羽ちゃんがいたから、ちょっと強気でいられたんだよ。でも今回は秋人君と二人きりだろ? だから、その〜……」

『今になって恥ずかしくなってきたってわけね。一緒に服を選んであげた時はノリノリで着ていたくせに。ナッツって、内弁慶ならぬ外弁慶なところ、割とあるわよね』

「うっ……」

 おつゆの奴、なかなか鋭い指摘をしてきやがる。

『あんた、そんな調子で本当に大丈夫? メイクや服装はバッチリ教えたつもりだけど、ナッツの場合、好きな男の子の前でも緊張しない術を徹底的に教えるべきだったかしら……』

「だ、大丈夫だって! 今まで何度か会ってんだし、それに一度はデートだってしてんだし!」

『進藤君とのダブルデートだったけどね』

 ええい! 一言うるせえわい!

『あ、そういえば進藤君も明日告白するのよね。脱出ゲームに参加するとか言っていたけど、進藤君、どんな様子だった?』

「冬樹か? 今日は学校が休みだったから昼前にちょっと見かけた程度だったけど、なんか電車の時間とか色々確認してたぞ。見た感じは普通だったけど、冬樹の事だし、実は内心そわそわしてたんじゃね?」

『そっか。でもまあ進藤君なら心配ないか。アドバイスはしておいたけれど、進藤君は進藤君で色々考えているみたいだし』

 それはそれとして、と話題を変えるおつゆ。

『ナッツは今日、何をしてたの? あんたの事だから家でジッとしてたわけじゃないんでしょ?』

「おう。今日は縁結びの神社に行って、恋愛成就のお守りを貰って来たぜ」

『へえ。あんたにしては殊勝な考えじゃない。たとえ願掛けでも気持ちが違ってくるしね』

「おうよ。けどぶっちゃけ、冬樹のためにお守りを貰いに行ったようなもんだけどな」

『え? 進藤君のため? なんでまた?』

 なんで冬樹のために恋愛成就のお守りを貰いに行ったのか。

 そう訊かれたら、答えはこれ一つしかない。



「だって、冬樹には幸せになってもらいたいから」



 それは、冬樹と協力関係になった時からずっと抱いていた想い。

 弟のような存在である冬樹に、今では大事な友達である羽ちゃんと幸せになってほしい。

 もちろん絶対に初恋が叶うなんて限らないけれど、それでもあたしは、冬樹と羽ちゃんにくっ付いてもらいたかった。

 冬樹は言うまでもないけど、羽ちゃんもすごく優しくて良い子だから。

 そんな二人が恋人同士になるなんて、姉的な立場としては応援しない理由なんてない。

 それに、冬樹とは協力関係ではあるけれど、あたしはあんまり役に立てなかったからな。おつゆを仲間に引き入れたおかげもあって、今のところはなんとか順調に進んでいるけども、きっとあたしだけだったら冬樹の力にはなれなかったと思う。

 だからせめて、あたしなりに冬樹の背中を押せるような何かをしたかったのだ。

 なんて事をつらつらと説明してみたら、おつゆに『は〜』と感嘆の溜め息みたいなものをこぼされた。

『あんた達、本当に仲がいいわねー。これで一度も付き合った事がないっていうのが未だに不思議でならないわ』

「まだそんな事言ってんのか? あたしも冬樹も、マジで恋愛感情なんかないっつーの。そもそも生まれた時から距離感が近過ぎて、男として意識した事なんて全然なかったし。昔も今も、ただの最高の親友だよ」

『ふうん。じゃあ幼なじみじゃなかったら、そういう未来もあったって事?』

「んー。冬樹と幼なじみじゃなかったら、かあ」

 もしもそうなっていたら、きっとあたしと冬樹の関係は──



「うん。絶対話そうとは思わなかったな。あいつ、顔怖いし」



『…………、え? 今なんて?』

 あたしの返答がよほど意外だったのか、一拍置いてから聞き返してきたおつゆ。

「だから、仲良くはなれなかったって話。だってあいつ、顔も怖けりゃ図体もでかい上に、いかにも堅物そうじゃん? だいたいの人間と普通に話せる自信はあるけど、冬樹はないわー。思いっきり苦手なタイプって言っていいくらい」

『……苦手って、あんだけ仲がいいのに?』

「だから、それは家族みたいにお互いの事をなんでも知ってるからだって。弟分としては最高だけど、恋愛対象にはならないな。幼なじみでもなかったら関わろうともしなかったわ、あれは」

 でもたぶんそれは、冬樹も同じなんだろうけど。

 あいつ、あたしみたいな騒がしいタイプは生理的に苦手っぽいからなあ。あたしとは生まれた時からの付き合いだから何とも思わないみたいだけど、もしも幼なじみじゃなかったら、きっと赤の他人のままで終わっていたと思う。

『なんていうか、あんた達ってつくづく奇妙な関係よねー』

「あの作品の中だと、あたしは二部の方が好きだな。次にお前は『別にジョジョの話なんてしてないから』と言う」

『いや、別にジョジョの話なんてしてないから。……ハッ!」

 こっちの思惑通りの反応をしてくれるおつゆ。驚いた声まで再現してくれるなんて、さすが心の友だぜ!

『って、一体何させるのよ。ほんとあんたは昔から変な事ばっかり言うんだから……』

「安心しろ。おつゆか冬樹にしか言わないから! キリッ!」

『「キリッ」とか自分の口で言うな。ま、あんたと進藤君がめちゃくちゃ仲がいいという事だけはよくわかったわ。わざわざお守りを買いに行くぐらいにはね』

「おうよ。あたしと冬樹の事なんて、それだけわかってれば十分だ」

 男女の友情は成立するかどうかとか、世間でよく議論されがちだけど、そんなもんは知らん。



 お互いに最高の親友だという事だけわかってさえいれば、それでいいのだ。



『で、そのお守りはもう渡したの?』

「うんにゃ。明日の朝、出掛けに渡すつもり。冬樹の奴、どうせ緊張してるだろうからさ、少しでも気持ちを和らげてやりたいんだよ」

『へー。あんたにしてはいいサプライズじゃない。でもまさか、自分の分のお守りを買い忘れたとか、そんな落語みたいなオチはないわよね?』

「あ」

『今「あ」って言った!? 言ったわよね!? あんた、マジで買い忘れちゃったの!?』

「いやいや! ちゃうねん! つい冬樹と羽ちゃんの事ばかり考えていたせいでお守りを一つしか買わなかったのは事実だけど、ちゃんと神様にはあたしの事も伝えたから! 秋人君と付き合えますようにって願っておいたから!」

『それまで忘れていたら、もはや呆れて物も言えなくなっていたわよ……』

 どっちにしろ呆れてはいるけどね、とおつゆは嘆息混じりに言いつつ、

『まあいいわ。やるべき事はやったって事で。あんたも心の準備は出来ているんでしょ? どこでどんな風に告白するのかっていうのも』

「お、おう。全然問題ないじぇ!」

『なんて?』

「……失礼。かみまみた」

『まだ噛んでるわよ。あ〜、当事者じゃないのに、なんだか私まで心配になってきたあ……」

「だ、大丈夫だって! ちゃんとおつゆのアドバイス通りにするし! お前が信じるあたしを信じろ!」

『あんたの今の言動の何を信じろって言うのよ……』

 なんか、めちゃくちゃ不安そうに言われた。

 えー。そこは快活に「信じる!」って言ってほしかったなー。

『とは言っても、私がデートに付いていくわけにもいかないし……。そうね、あんたの吉報を信じて待っているわ』

「うんうん! 告白に成功したらいの一番に連絡するから! 冬樹の次に伝えるから!」

『一番なのか二番なのか、はっきりしなさいよ。ほんとあんたって子は……』

 と、電話口から苦笑をこぼすような声が聞こえた。

 それは呆れてというより、親がバカみたいにはしゃぐ子供の姿を見て「やれやれ」と頬を緩めるような、そんな温かみのある苦笑の仕方だった。

「その……おつゆ……?」

『ん? 何よ?』



「……なんつーか、色々ありがとな」



 反応はすぐに返ってこなかった。

 でも相手の少し驚いたような息遣いだけは、耳に届いた。

 それから少しして、

『──バカね。そういうのは告白が無事に成功してから言いなさい』

「そっか。そういうもんか……」

『そういうもんよ。って、もうこんな時間じゃない。あんた、明日早いんじゃないの?』

 言われて目覚まし時計を見てみると、確かに夜中の零時を回っていた。

「やべっ。そろそろ歯を磨いて寝ないと……」

『わかった。じゃあそろそろ切るわね。おやすみ』

「おう。おやすみ」

『ナッツ』

「まだあるんかい」

 などとツッコミを入れつつ、通話を切ろうとした指を止めて「なんだ?」と訊き返す。



『明日、頑張んなさいよ。陰ながら応援してるわ』



「……おう。頑張って告白してくるわ」

 それだけ言い合って、あたしは通話を切る。

 真っ暗なスマホのディスプレイに、あたしの緩んだ顔が映っていた。




 翌日。

 秋人君とのデートの日。

 あたしは電車に揺られながら、待ち合わせ場所に一人で向かっていた。

 待ち合わせ場所には二回電車を乗り換えないといけないんだけど、ついさっき乗ったばかりの電車がその二回目となる。

 急行じゃなくて普通電車なのでちょっと時間はかかるが、待ち合わせ時間にはまだ余裕がある。早めに目覚ましをセットしておいて正解だったぜ。

「まあ、ちょっぴり寝坊しちゃったけど……」

 周りにいる客には聞こえない程度の声量で呟いて、肩下げ鞄から手鏡を取り出してメイクのチェックをする。

 朝はちょっとバタバタしちゃったからなあ。身嗜みを整えるくらいの時間はあったとは言え、少し慌てていたからメイクや髪のセットが雑な仕上がりになってしまった可能性がある。好きな男子の前で中途半端な自分を晒すわけにはいかない。

 遊園地デートの時と同様、一応おつゆに教わった通りにやったつもりだけど、それでもまだまだ不慣れな方だし、秋人君に会う前に最終チェックをしておかないとな。

 よし。特に問題はなさそうだな。今日の朝できちゃった隈も、コンシーラーで上手く隠せているし、ファンデーションの塗りにムラはない。唇もリップでちゃんと潤っている。

 おつゆに教えてもらった、男子ウケするナチュラルメイク仕様のあたしだ。

 ふう、と密かに安堵の息を漏らしながら手鏡を鞄に仕舞って、背もたれに深く上半身を沈める。

 昨日の夜はあんまり眠れなかったからか、なんとなく体がダルい。デートの事を考えたらなかなか寝付けなかったっていうか、何度も布団の中で寝返りを繰り返してしまった。

 まあしょうがないか。だって初恋の人と二人きりのデートだもん。緊張するなっていう方が無茶な話だ。

「冬樹は、今頃どうしてっかな……」

 確か、秋人君との待ち合わせ場所の二つ先の駅で羽ちゃんと会う約束をしてるって話だけど、今頃家を出て駅に向かっている頃だろうか。

 これから行く予定のサイン会が九時半からなので、あたしと秋人君がサイン会場になっている大形書店にいる頃には、冬樹と羽ちゃんが待ち合わせの駅前で会っている事になる。

 そのあと脱出ゲームに二人して参加するとか言っていたけど、ちゃんとやれるのかね? 羽ちゃんは経験者みたいだけど、冬樹は謎解きは好きでもそういうイベントに参加した事ないはずだし、足を引っ張らないかどうかが心配だ。

「ま、あいつならたぶん大丈夫か。お守りの力もあるだろうし……」

 呟きつつ、瞼を閉じて恋愛成就のお守りを冬樹に渡した時の事を思い出す。

 あいつ、笑けてくるくらいにビックリした顔してたなー。それだけあたしからのプレゼントが意外だったんだろうけど、あそこまで喜んでもらえたら言う事なしだな。

 なんかすごく感動したように瞳をウルウルさせていたし。

 ほんと、強面の巨漢のくせしてめちゃくちゃピュアな奴だよなあ。



「上手くいくといいな、あいつ……」



 そう祈るように呟きを漏らして。

 あたしは車窓から差し込む朝日の陽光に心地良さを感じながら、体を背もたれに任せた。




『……です。この電車はこの駅で終点となります。乗り換えのお客様は向かいのホームにて──』

 それまで揺られていたはずの体に違和感を持ち、聞こえてきたアナウンスにあたしはハッと覚醒した。

「……えっ。ここって一体……?」

 見慣れない景色だった。確か秋人君との待ち合わせの駅は、ここまでこじんまりとしていなかったはず。

 それ以前に、先ほど聞こえてきたアナウンスに引っかかる言葉があったような気がする。

 聞き逃してはいけない何かが。

 僅かに胸から迫り上がる嫌な予感に焦燥しつつ、あたしは弾かれるように背後を振り返って駅名を確認した。



 終点だった。

 秋人君との待ち合わせ場所から急行でも一時間はかかる距離の。



 全身の血の気がさっと引いた。

 何かの間違いなんじゃないかって、悪足掻きのように何度も目を凝らして駅名を確認してみるも、ここが終点だという事実は変わらなかった。

 変わってはくれなかった。

 次々と電車を乗り降りしていく人波を呆然とした心境で眺める。

 それでも染み付いた習慣からだろうか、半ば無意識下にのろのろした足取りで駅に降り立つ。

 キョロキョロと辺りを見回す。

 あたしがいるホームにはすでに人はいなくなっていて、向かいのホームには次の電車を待つ人達が続々と集まってきていた。

 小さな駅だからか、ホームを下りたところにすぐ改札口があって、その先にバスやタクシーなどが待つロータリーがこの距離からでも見えた。



 でもそこに、秋人君はいない。

 駅を出たすぐのところで待ち合わせをしていたはずなのに。



 当たり前だ。

 だってここは待ち合わせ場所じゃないのだから。



 あたしが待ち合わせ場所を通り越して、電車の中で寝過ごしてしまったのだから──



「──っ! そうだスマホ……!」

 ここに来てようやく事実を呑み干したあたしは、慌てて今さらのようにスマホを取り出す。

 スマホを見てみると、秋人君からのLINEや電話の知らせでいっぱいになっていた。

 待ち合わせどころかサイン会の時間になっても来ないのだから当然の反応なんだけれど、スクロールするたびに流れる『秋人君』という名前の羅列が、無数の針となってあたしの心を刺すかのようだった。



 どうしようどうしようどうしようきっと怒っている呆れている失望されたかもしれない嫌われたかもしれない怖いイヤだ誰か助けて──



「──────、冬樹……」



 と。

 その瞬間、冬樹の顔があたしの脳裏をよぎった。

 いつもあたしが困った時に何度も手を差し伸べてくれた、幼なじみの姿が。

「冬樹──冬樹冬樹冬樹……っ!」

 無我夢中だった。

 縋り付くように震える指で冬樹の連絡先を必死にタップして、ギュッとスマホを耳に当てる。

 十コールくらいして──永遠にも思えるような長いコール音が鳴ったあと、ようやく電話が繋がった。

『もしもし? 真夏か?』

 少し不機嫌そうな声だった。

 それでもどこかこっちを気遣うような声音に、あたしは人知れずホッと安堵感を覚える。

『真夏? どうした? 何かあったのか?』

 冬樹の問いかけに、あたしはハッと我に返る。

 そうだ。安心している場合じゃない。早く状況を説明しないと!

「……どうしよう冬樹。あたし、電車の中で寝過ごしちゃって、終点まで来ちゃった……」

『はあ!?』

「どうしよう……冬樹……あたし、どうしたら……!」

『落ち着け真夏! とにかく、秋人にはもう連絡してあるのか? していないのなら今すぐ電話して──』

 と。

 そこで突然通話が切れた。

「っ!? なんで!?」

 慌ててスマホを耳から離して画面を見る。



 スマホの充電が切れていた。



「あっ……」

 唐突に昨夜の事を思い出した。

 昨日、遅くまでおつゆと電話したあと、そういえばスマホの充電をし忘れていた。

 そのあと、今朝も少しバタバタしていて、スマホは忘れずに持ってきたけど、バッテリーの容量まで確認していなかった。

 終わった。完全に終わった。

 しかも最悪な事に、秋人君と連絡を取らないまま。

 一応探せば公衆電話くらいはあるかもしれないけれど、相手の電話番号なんて逐一覚えているはずもなかった。

 連絡先さえ登録していたら、スマホですぐに電話ができるんだから。

「あたし、バカだ……っ」

 駅のホームで一人膝を付いて、あたしは項垂れる。

 ほんと、何やってんだあたし。真っ先に電話しなきゃいけない人をそのまま放置して、我が身可愛さで冬樹に助けを求めてしまった。

 寝不足やパニックに陥っていたせいもあるけども、とんでもないミスを連発してしまった。

 あれだけ、おつゆに気を付けるように言われていたのに……。

「もう、どうしたらいいかわかんないよお……」

 ポロポロと涙が止めどなく零れ落ちる。

 その涙を拭う事すら忘れて、あたしはしばらくそのままうずくまっていた。




 あれからどれくらい時間が過ぎたのだろう。

 気付くとあたしは、駅のホームのベンチで一人虚無感に包まれた状態で座っていた。

 時たま、通りがかりの人が不可思議そうにあたしを見ていたけど、声をかけられる事はなく、そのままやり過ごす人がほとんどだった。

 けど今のあたしにとっては、それすらどうでもよかった。

 ただ今は、何も考えたくなかった。

 家に帰る事すら、したくなかった。

「冬樹に会わせる顔がないな……」

 お守りを渡して、頑張れとまでエールを送ったのにこのザマなんて、情けないにもほどがある。

 何より、秋人君には本当に悪い事をしてしまった。もうあたしとなんて話したくすらないかもしれないけども、明日学校で会ったらちゃんと謝らなきゃ……。

 ああ、ダメだ。何も考えたくないのに陰鬱とした事ばかり想像してしまう。これはしばらく、立ち直れそうにないかも。

 もう一歩も歩けない──立ち上がる気力すら湧いてこない。

 いつまでもベンチに座っていたら駅員さんに声をかけられるかもしれないけど、それすらどうでもよく思えるくらいに、何もする気が起きなかった。

 何もしたくなかった。

「いっそ消えてしまいたい……」

 自己嫌悪のあまり、自暴自棄めいた独白を漏らす。

 本当に消えてしまいたい。景色と一体化してしまいたい。

 こんなバカで間抜けで情けないあたしなんて、誰にも見られたくない──



「夏さん!」

「真夏っ!」



 と。

 いつの間にか目の前に停まっていた電車から、見知った二人が焦燥した顔相で飛び出すように現れた。

 一人は、いかにも清楚系なファッションに身を包んだ羽ちゃんと。

 もう一人は、あたしの幼馴染──



 冬樹が、そこにいた。


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