第9話 失恋女王はかく語りき〜女は甘え上手たれ〜す



「遊園地に着ていく服? あー、そうね。その時の状況とか相手にもよるけど──」

 おつゆをあたしの部屋に呼んで、冬樹の相談が終わった頃。

 いよいよあたしの番となって、まずデートに何を着ていけばいいのかと真っ先に訊いてみたら、おつゆはりんごジュースの入ったコップにちょっとだけ口を付けて、滔々と語り始めた。

「秋人君、だっけ? その秋人君だけど、聞いた感じ爽やか優等生って感じみたいだし、カジュアルに決めておけば問題ないんじゃないかしら?」

「カジュアルって、たとえばどんなん?」

「んー。あんたの場合、あんまり落ち着いたやつは似合わないと思うから、活発そうに見えるTシャツにショートパンツとか?」

「えー? けどデートの時はミニスカートを穿いた方が男は喜ぶって、何かの雑誌で読んだぞー? そうだよな冬樹?」

「え。俺っ?」

 と、それまであたしの隣で黙って話を聞いていた冬樹が、水を向けられて素っ頓狂な声を上げた。

「そう、お前。お前もスカートの方が好きだろ? 特にミニが。主にミニが! この太ももフェチめ!」

「誰が太ももフェチか。勝手な妄想やめろ」

「でも膝下よりは膝上派だろ?」

 一瞬黙る冬樹。素直な子!

「……いや否定はしないし、どちらがいいと言われたらミニスカートの方がいいが、別にスカートじゃないとダメというわけじゃないぞ。一番重要なのは、お互いに楽しい日を送れるようにする事じゃないのか? ファッションだってその一つだと俺は思う」

「もっともな意見ね」

 うんうん、と冬樹の言葉に頷くおつゆ。

「そもそもあんた、遊園地に行くんでしょ? そんなところにミニスカートで行ったら、階段を上ったりアトラクションの風圧とかでスカートの中が見えかねないでしょうが。無難にパンツにしておきなさい」

「そっかー。確かにあたしのスカートの中を秋人君に見られるのはちょっとなー。とっておきの勝負下着を穿かなきゃいけなくなる」

「見せる気満々か! だからスカートはやめなさいって言ってんでしょうがっ!」

 このおバカ! とおつゆにチョップされた。

 単にツッコミを入れただけかもしれんけど、地味に痛いんだよなあ、これ。

 なんて頭をさすりつつ「でもさー」とあたしは反論する。

「パンツはパンツでなんか味気なくね? ちょっとくらいは、あたしにドキがムネムネしてほしいんだよなあ〜」

「ショートパンツでも十分よ。太ももを露出する事には変わりないんだから。だいたい好きな人に意識してもらえるのはいいとしても、それで太ももばかり目が行かれるのもなんだか悔しくない?」

「それは、まあ……」

 太ももばかり見られるより、あたしの顔を見てほしいなあとは思う。

 というか、ぶっちゃけ気まずい。むしろ恥ずい。想像しただけで頭がフットーしそう。

「見た目はもちろん大事だけど、初デートならちゃんと自分の良いところをアピらないと。まだ向こうもナッツの事を友達くらいにしか思ってないでしょうし、まずは性的に見られない程度に異性として意識してもらわないと、始まるものも始まらないわよ」

「うーん。自分の良いところ、かあ」

 あたしの良いところと言えば──



「やっぱこの美貌? そんで性格かな? いやー、良い点しか言えなくて照れますな〜」

「……よく堂々とそんな事が言えるわね。しかも冗談じゃなく本心で言ってそうなあたりが、呆れを通り越して感心するわ」

「真夏らしいな」



 盛大に嘆息するおつゆと、もう慣れたと言わんばかりに冷めた顔をする冬樹。

 なんでや。事実を口にしただけなのに。

「まあ自信を持つのはいい事だけどね。ちょっとくらいは謙虚さもほしいところだけど」

「その点はたぶん大丈夫な気がする。俺達の前でこそこんな態度だが、秋人の前に立てばすぐ大人しくなるから。それこそ借りてきた猫みたいに」

「だ、誰が猫じゃい! 猫は猫でも大熊猫パンダの方だしー。早乙女さおとめ玄馬げんまの方だしー」

「らんま1/2ネタは少しわかりづらいというか、正体があんなオッサンのパンダで本当にいいのか?」

 的確なツッコミしてくる冬樹なのだった。

 さすがはあたしの親友──この部屋に長年遊びに来ているだけの事はあるな。

 痒いところにまで手が届くというか、やっぱツッコミ役はコーデネート、もといこうでねぇと!

「とりあえず服装は今言ったのでいいとして、あとはデート時に注意しなきゃいけないところだけど──それは進藤君に聞いた方が早いかもね」

 チラッと目線を送るおつゆに、冬樹は自身を指差して「俺?」と訊ねた。

「ええ。私から言ってもいいけれど、やっぱり男の子から聞いた方が参考になるでしょうし。進藤君だったらデート中になにをされたら嫌だと思う?」

「そう、だなあ……」

 腕を組んで瞼を閉じる冬樹。

 ややあって──

「これは男女関係ないかもしれないけど、遊んでいる最中にしきりにスマホをいじられるのは、あんまり良い気分はしないな」

「あー。それは確かに感じ悪いわね。気の置けない相手ならそこまで気にしないけど、交流の浅い人間にやられたら、たとえ同性でもイラッと来る仕草だわー」

「えっ。じゃあ連絡が来た時とかどうすんだ? いっそ電源を切れとでも?」

「そこまで言わないけど、大事な連絡以外はこっそりトイレとかで済ました方がベターなんじゃない? 男の子って、自分の話に興味がない素振りを見せると途端に冷めちゃうところがあるから」

 マジかー。目の前でスマホをいじるのって、そんなによくないのかー。

 じゃあ、友達からのLINEとかもすぐには返せなくなっちゃうなあ。ま、事情を話せばわかってもらえるか。

 それでわかってもらえないような友達なら、別にいらない。

 こっちから徐々に距離を取って縁を切ればいいだけの話だ。

 誰にでも優しい顔ができるほど、あたしは器用じゃない。そういう意味じゃあ、けっこうドライな性質なのかもしれないな。

「──まあ正直、会話中にスマホをいじり出すのは、遠回しに『その話には興味がない』っていう意思表示の可能性もあるから、一概にすべて悪いとも言いきれないけれどね。そういう女の子の言外なサインを察知するのも、デートする上で大事なポイントよ、進藤君」

「な、なんと……! それは知らなかった……」

 おつゆの言葉に衝撃を受けたかのごとく面食らう冬樹。

 あー、あるある。あたしもたまにやるわー(主にオトン相手に)。

「で、冬樹。他はないのか他は?」

「ん? ああ、他か。そうだな……やたらと物をねだってくる女子は遠慮したいな。ちょっとした小物とか食べ物くらいならともかく、高そうな物をやたら要求されるのはさすがに懐的にもキツい……」

「学生の身ならなおさらよねー。これがどちらかが学生でもう片方が社会人って立場ならまだわからないでもないけれど、まだ学生同士であれこれねだられるのはキツいわよね〜」

「ていうか、そんなん誰でもイヤじゃね? それとも社会人になったら恋人になんでも奢るもんなのか? あたしは秋人君にそんな事してほしいなんて思わないし、そういう事をしたいとも思わないぞ」

「それでいいのよ。むしろそっちの方が健全だから。付き合っている男になんでもかんでも奢ってもらったりお金を出してもらおうとするなんて、かなり古い考えだと思うし。バブル世代じゃない、そういう考えを持った人って」

 バブル世代という言葉自体が、すでに化石じみている感があるけれど、とクールな表情で言うおつゆ。

 うーん。今更ながらこいつ、本当にあたしと同い年か? 実は年齢偽ってなくない? 実は二十六歳のOLとかなんじゃね?

「じゃあ、あれか。デート中はできるだけ甘えない方がいいってわけか」

「んー。甘えない方がいいかって言われたら、そういうわけでもないのよねー。相手やシチュエーション次第っていうか」

「えー? どういう事だよー? 結局あたしはどうすりゃいいんだー?」

 甘えていいのか甘えない方がいいのか、はっきりしてほしいぜ。

「そこはさじ加減よ。進藤君だって女の子に甘えられる事自体は、そんなに悪い気はしないでしょ? 無茶苦茶な要求とか、実際は他に狙いがありそうな腹黒いお願い以外なら」

「あー。確かに悪い気はしないな。特に『手を繋ぎたい』とか『もうちょっとだけ近付いてもいい?』とか言われたら素直に嬉しい」

「男の子は好きそうよねー。そういういじらしい感じの甘え方。まあ私もたまに使うけど」

「なぬぅ!? おつゆも甘えたりするのか!? あのおつゆが男に!?」

「どの私よ」

 相変わらず失礼な奴ね、とあたしをジト目で見ながらおつゆは言う。

「私だってあっちゃんに甘えたくなる事くらいあるわよ。デートの帰り際になって『もうちょっとだけそばにいたい』とか言ってみたり……」

「そう言って、崖から突き落とすんだな?」

「落とさないわよ!? やめてもらえる!? そういう火曜サスペンス劇場みたいな発想!!」

 ていうか、なんで私があっちゃんを殺さなきゃいけないのよ! とおつゆにまたチョップされた。だから地味に痛いってそれ!

「まったくあんたは……。とにかく、今言った事を守ればなんとかなるわよ。あとはナッツ次第ね」

「あたし次第、か。うぅ、なんだかすごく緊張してきた……」

「わかる。俺も今考えただけで手や足が震えそうになる……」

「……あんた達、まだデート前日でもないのに何を言ってんのよ。気持ちはわからないでもないけど」

「そう言われても、今までデートなんてした事ないんだからしょうがねぇじゃんか……」

 ていうか、正直自分でもびっくりだ。

 あたしがこんなにも緊張してしまうなんて。

 中学校の生徒会選挙で、壇上で応援演説した時でさえ、こんなに緊張した事なかったのに。



「ま、それが恋をするって事よ」



 その言葉に、何ががストンと胸に落ちたような気がした。

 そうか。これが恋ってやつなのか……。

 こそばゆくて、もどかしくて、なんだかずっと落ち着かない気分だけれど。

 それでも、いつまでもこのトキメキに浸っていたいような。

 そんな不思議な気分だった。




 そんなこんなでデート当日。

 途中まで冬樹や羽ちゃんと一緒に遊んだあと、きりのいいところで二手に分かれて、あたしと秋人君はジェットコースターに乗ろうとしていた。

「本当はみんなで一緒に乗れたらよかったんだけど、野中さん、絶叫系は苦手って言っていたからなあ。無理はさせられないから仕方ないけれど、個人的にはちょっと残念だったかなー」

 言って、一段ずつ階段を上がる秋人君。

 そんな秋人君の服装は、ネクタイ入りの白シャツにブラウンのベスト──そして下は紺のスウェットという、インテリ系のファッションだった。



 カッコいい。

 私服の秋人君、めちゃくちゃカッコいい。



 着ている物自体はそこまで高そうでもないのに、秋人君が着るだけでなんだかブランド品に見えてくる。身長も冬樹ほどじゃないにせよ、細身ですらっと高いおかげもあって、モデルさんと一緒に歩いているような気分だった。

 イケメンメガネ男子、やっぱりいいわあ。

「あ、成瀬さん。足下に気を付けてね。ここからだんだん高くなってくるから」

「だ、大丈夫大丈夫! あたし、スニーカーだし!」

 こっちの歩調に合わせながら笑顔で優しい声をかけてくれる秋人君に、あたしは内心ドキドキしながらも言葉を返す。

「そっか。言われてもみれば今日はスニーカーだったね。それに可愛い服装だけど見た目は動きやすそうだし、これなら他の絶叫系でも楽しく遊べそうだね」

「う、うん! 遊べる遊べる!」

 ふおおー! 聞いたかおつゆ!?



 秋人君が今、あたしの服装を褒めてくれたぞ!



 おつゆのアドバイス通り、白のビッグシャツにショートパンツっつーカジュアルな服装で決めてみたけども、こんなに良い反応をもらえるとは。

 ていうかこうして階段を上ってみて気付いたけど、ミニスカなんて穿いてたら絶対下から見えてたな。そこそこ風もあるし、危うくまいっちんぐするところだったぜ。

 まさにおつゆ様々だな! おつゆにスーパーひとし君人形贈呈!

 まあ欲を言うと、普段はしないメイクも褒めてほしいところだけど、ナチュラルメイクだからなー。もしかしたら気付いてないのかも。

 でも冬樹やおつゆが言うには、凝ったメイクは男の子ウケがあんまりよくないって話だしなあ。けどま、特に違和感がないのなら別にいっか。

「──そういえば、今頃あっちはどうしているんだろうねー」

「ん? タッチ?」

 あだち充? 岩崎良美?

「いや、『タッチ』じゃなくて『あっち』。冬樹君と野中さんの方」

 そう言って苦笑する秋人君。あ、そっちの話か。勘違いしちまったぜテヘ☆

「冬樹と羽ちゃんかー。たぶん迷路とか北極体験館とかに行ってんじゃないかなー?」

「へー。なんだか僕達とは真逆な感じだね」

「冬樹も羽ちゃんも、あんまり激しい遊びは好きじゃないみたいだから。そんで最後は観覧車ってところかな」

 あいつ、遊園地に行ったら羽ちゃんと観覧車に乗りたいとか乙女チックな事をちょっと前に言ってたし。

 さすがドラクエ3の性格診断で「ロマンチスト」と言われただけの事はある。

 ちなみにあたしは「おちょうしもの」だった。どういう意味じゃい。

「観覧車かー。定番だよね」

「うん。でもあたしは夜にライトアップされる観覧車を見る方が好きかなー」

「夜の観覧車かー。キレイだよね、あれ。でも今日は夜までいられないから、残念だけどライトアップまでは見れないんだよねー」

「あ、いや、別にどうしても見たいってわけじゃないからっ。観覧車から遠くの景色を眺めるのも好きだし!」

 いかん。秋人君に微妙な表情をさせてしまった。

 とっさにフォローはしたけど、大丈夫か? 顔は笑ってるけど、内心気にしてないか?

 そうこうしている内に、ジェットコースター乗り場が間近に見えてきた。今は走行中なので乗車はできないが、ジェットコースターの位置的にあと十分も経てば戻ってきそうだった。

 ん? ちょっと待てよ?



 さっきのって、甘えるチャンスだったんじゃね?

 一緒に観覧車に乗りたいって、甘えるところだったんじゃね!?



 今か。今なのか。おつゆの言う、男にいじらしく甘える瞬間ってのは!

 しかし、どう甘えたらいい?「締めは観覧車でキメようぜ!」とか? いや違うな。これは違うな。

 ああどうしよう! うだうだ悩んでる内にもうすぐジェットコースター乗り場に着いちゃう!

「それならさ──」

 と。

 あたふたと慌てるあたしに対し、秋人君は不意に片手を差し伸べてこう言った。



「僕達も行こうか──観覧車」



「えっ……?」

「もちろん、行くって言っても今じゃないよ? 観覧車好きみたいだし、最後に乗るのにどうかなって」

「それはなんとなくわかるけど……」

 戸惑いつつ、あたしは無言で差し出された手をジーっと見つめる。

「あ、この手? なんか成瀬さん、さっきから落ち着きがないように見えたから、もしかしてジェットコースターが怖くなってきたのかなって。手でも繋げば少しは怖さも和らぐかなあって思ったんだけど、余計なお世話だった?」

 そっか。心配してくれたんだ。

 本当は怖がっていたんじゃなくて、単にどう秋人君に甘えるか、懊悩としていただけなのに。



 優しい〜!

 秋人君、ちょー優しい〜!



「……成瀬さん? 大丈夫? さっきから目がウルウルしているけど、なんだったら、今からでもジェットコースターに乗るのはやめておく?」

「だ、大丈夫! へいきへっちゃら!」

 目がウルウルしていたのは、秋人君の優しさに感激していただけだし!

 それよりも、先に言わなきゃいけない事がある。

 とてもとても大事な返事を。

「その、秋人君……」

 差し出されたままの秋人君の手にそっと指を伸ばして、あたしは言った。



「あたしも行きたい。秋人君と観覧車に……」



 あたしの精一杯のお願いに対し、秋人君はにっこり微笑んで、

「うん。あとで一緒に行こう、観覧車。でもその前にジェットコースターだね」

 そう言って、あたしの手を引く秋人君に。

 あたしはただ、真っ赤になった顔を秋人君に見られまいと、ひたすら俯いてばかりいた。




 それから、色々なアトラクションに乗って。

 途中で冬樹達と合流して昼飯を食べたあとも、また秋人君と二人きりで遊園地を回って。

 そうして、夕刻が近くなった頃──

「へえ。久しぶりに観覧車に乗ってみたけど、思っていたより揺れないもんだね。今日、風があまりないせいなのかな?」

 懐かしむように観覧車の中を見回す秋人君。

 そんな真向かいに座る秋人君を前にして、あたしは「う、うん」とぎこちなく頷く。

 うわあ。

 うわあうわあ!



 どうしよう、秋人君と二人きりで観覧車に乗っちゃってる〜!



 いや二人きりという意味じゃあ、さっきまでだってずっとそうだったわけだけど、周りに人がいない──しかも密室の中なんて状況はさすがに初めてだから、どうしても緊張してしまう。

 今まで以上にドキドキしてしまう。

 おかげで、まともに秋人君の顔も見れない。

 ていうか、秋人君と観覧車に乗れると決まった時から、胸のドキドキが止まらなくてジェットコースターにも他のアトラクションにも全然集中できなかった。

 これってもしかして、王道少女マンガよろしく、女の子として意識してもらえるチャンスなんじゃない!?

 壁ドンとか顎クイとか、少女マンガあるあるイベントが来るんじゃない!?

「あ、僕達が乗ってきた駅が見える。あれはボーリング場かな? やっぱ観覧車くらい高いと、周りの景色も壮観だねー」

「………………」

「……成瀬さん? なんか少し前からずっと静かだけど、どうかした?」

「……え? あ、いや、なんでも! なんでもないから! ちょっとボーッとしてただけ!」

 ああもう! 何やってんだあたし!

 せっかく秋人君が話しかけてくれてるのに、無反応で返しちゃうなんて!

 秋人君と観覧車に乗れるなんて、またのないチャンスなんだぞ! しっかりしろあたし!

 妄想に浸っている場合じゃないぞ!

「んー。もしかして歩き疲れちゃったのかな? 今日は一日中あちこち歩いていたもんねー」

「……あー、うん。そう、かも? 歩き疲れちゃったのかも?」

 嘘だけど。

 なんなら悟空が亀仙人のじっちゃんに修行をさせられた時みたく、めちゃ重い亀の甲羅を背負って歩き回れるくらい、元気が有り余っているけれど。

「それじゃあ、今は僕と話でもしていようか。こうして座っているだけでも少しは休めると思うし」

「そ、そうだねっ」

 それはこっちとしても願ってもない話だ。

「そうだ。せっかくだから成瀬さんに訊いてみたい事があったんだけど」

「訊いてみたい事?」

「うん。訊いてみたいっていうか、恋愛系の話になっちゃうんだけどね」

「恋愛系!?」

 あれ!? もしかしてフラグ立った!?

 ついに恋愛フラグ立っちゃった!?



「冬樹君って、野中さんの事が好きなのかな!?」



 ワクワク顔でそう言った秋人君に、あたしは思わず後頭部を窓にぶつけた。

「成瀬さん!? 急にどうしたの!? 今すごい音で『ゴン!』って鳴ったけど!?」

「だ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ……」

 後頭部をさすりながら応えるあたし。

 びっくりしたというか、ガックリしたと言った方が正しいけど。

「あ、秋人君は冬樹の事が気になるの?」

 もしかして、そっち系の人だったり?

 だとしたら、色々と困っちゃうんだけど……。

「冬樹君がっていうより、冬樹君と野中さんの二人が気になるって感じかな。初めて会った二人だけど、どっちも穏やかで優しそうな雰囲気だから、もしどっちも好意を持っているなら、うまく関係が進めばいいなって思って」

「そっか……」

 優しいなあ、秋人君。

 こうして遊んでいる間に、そんな事考えてたんだ。

「あ、秋人君は? 秋人君は好きな人はいないの?」

 思い切って訊いてみた。

 本当はこうしてデートする前に、確認するべき事だったかもしれないけれど。

「僕は、いないなあ。というより、今はあんまりそういう気分にはなれないかな……」

「え!?」

 どゆこと!?

 今は誰とも付き合う気はないって意味!?

「……それって、なにか理由があったり、とか?」

 あたしの質問に、秋人君は少し逡巡するように「んー」と苦笑しながら唸ったあと、

「実は僕、中学の頃に付き合っている彼女がいたんだけど……」

 過去に彼女がいたという事実にちょっとショックを受けつつ、「う、うん」と相槌を打つ。

 秋人君、イケメンで優しいもんね。交際経験があっても不思議じゃないか。

「それでまあ、一年くらいは付き合っていたんだけどさ、その時僕の女友達と色々揉めちゃってさ……」

「揉めた……?」

「うん。正確には彼女の方から女友達にケンカをふっかけに行ったんだけど、僕とその女友達を遊んでいるところを見て嫉妬しちゃったらしくてさ」

 あー。

 なるほどねー。

 交際あるあるだわー。

 あたし、男子と付き合った経験なんてないけど。

「それで最終的に彼女に詰め寄られちゃって、あとで詰問されたんだよね。『私とあの子、どっちを取るの!?』ってさ」

 うーむ。

 つくづくテンプレートな展開。

「情けない話だけど、その時の僕、なにも答えられなくってさ。男なら迷わず彼女だって言うべき場面だったかもしれないけど、その女友達、昔からずっと仲が良くて一生の親友くらいに思っていた相手だから、どっちかなんて選べなくて……」

 ゴゥンゴゥンとゴンドラが揺れる音が響く。

 さっきまでは気にもしなかったのに、今はなんとなく人を不安させる音のように思えた。

「結局、彼女とはそのまま別れちゃったよ。せめて女友達だけとは以前みたいに戻りたかっんだけど、その子にも『私がそばにいたら、秋人の邪魔になるだけみたいだから』って言われて、その日以来、連絡も取ってないんだよね……」

 うわー……。

 秋人君、板挟みにされてかわいそう……。

 もちろん、誰が悪いってわけでもないんだけど、はっきり言ってすごく面倒くさい状況には違いない。

 あたしだったら夜も眠れんわあ。

「そんな事もあって、今はちょっと恋愛する気になれなくて。周りの人の恋愛は応援したいって気持ちはあるけれど、自分の事になると積極的にはなれないんだよね」

 もう四分の一も進めば一番上に着くといったところで、不意に陽が陰った。

 夕焼けに染まっていた地上が仄暗い色へと変わり、どことなく悲しげに映る。

「はは……。我ながら情けない話だよねえ。優柔不断っていうか、はっきりしなくてさ。彼女に愛想を尽かされても仕方がないと思う……」

「そんな事──!」

 と。

 つい衝動的に立ち上がったその時、強めの風が吹いた。

 その強風のせいで、それまでさほど揺れなかったゴンドラが大きく揺れる。

「わっ!?」

「!? 危ないっ!」

 突然の振動に踏ん張りが利かず、バランスを崩しかけたあたしの肩をとっさに押さえようとする秋人君。

 そして──



 気付けば、壁ドン状態になっていた。

 正確に言うならば、あたしが秋人君に壁ドンしていた。



「………………」

「………………」

 驚いた顔であたしを見る秋人君。

 対するあたしも、突如やってきた予想外の事態に頭が真っ白になっていた。



 いやこれ、逆うううううううううう!?

 あたしじゃなくて、秋人君に壁ドンしてもらいたかったんですけどおおおおおおおおおおお!?



 ていうか顔ちかっ! めっちゃ肌キレイ! 間近で見たらほんと顔が整ってる! もはや尊いっ!

「だ、大丈夫だった成瀬さん?」

「あ、はい。大丈夫っす……」

 少し経って。

 ようやく正気になったあたしと秋人君は、お互いに慌てて体を離して椅子に座り直した。



 ちゃっかり秋人君の横に座って。



 ……………………。

 いや、違うんだよ?

 狙ってやったんじゃなくて、たまたまだよ?

 無意識に隣に座っちゃったんだよ。他意はないぞ?

「びっくりしたねー。急にゴンドラが揺れて」

「そ、そうだねっ」

 苦笑しながら言葉を切り出した秋人君に、あたしはまだ内心ドキドキしながら首を振る。

 あー、ほんとびっくりした。色んな意味で。

 なんて考えながら、それとなく秋人君の横顔をこっそり窺う。

 相変わらず鼻梁の整った顔立ち。いつまでも眺めていられそうなくらい、あたしの視線を奪う。

 でもそんな端正な顔も、今だけは曇っていた。

 きっと、さっきの話を引きずっているのかもしれない。

 うーん。

 色々後悔しているんだろうけど、そこまで自分を責める必要なんでないのに。



 だって、どちらかを選ぶなんてできない問題なんだから。

 むしろ簡単に選べるようなら、あたしは秋人君に恋したりしない。



 だから。

 秋人君には元気でいてもらいたい。

 今だけは過去の事なんて気にせず、この時間を楽しんでほしい。

 そのために、あたしにできる事は──

「……秋人君」

「ん? なんだい?」

 微笑みながらあたしに顔を向ける秋人君。

 そんな秋人君に、あたしは──



「もっと、周りに弱音を吐いてもいいと思うよ?」



「…………、え?」

「あの、えっと、あくまでもあたしの感想って事で聞いてほしいんだけど……」

 両手の指を絡ませながら、あたしは秋人君を横目で見ながら言う。

「さっきの話を聞いたかぎり、秋人君って普段から周りの人に弱い部分を見せないところがあるんじゃないかなって。あ、もちろんそれがダメってわけじゃないよ? 男の子ってどうしても強がらないといけない場面って多いと思うし。

 それでも、本当に辛い時は誰かに弱いところを見せてもいいんじゃないかな? 秋人君、色々と悩みを溜め込んじゃうタイプに見えるし」

「それは……うん。否定はできないかも。ていうか、実際その時も誰にも相談する気になれなくて、ずっと一人で悩んでたくらいだし」

 と、気まずそうに頬を掻く秋人君。

「だったら、なおさら自分の気持ちを誰かに吐き出してみたらどうかな? たまには誰かに頼ってみるのもいいと思うよ」

 おつゆは、あたしに甘え上手になれって言ったけどさ。



 あたしは、男も時には誰かに甘えていいと思う。



 だって、なんでも自分に都合よく進むわけじゃないし、色々な問題に直面して困る事だって当然あるはずだ。

 それこそ、男女関係なく。

「あたしは嬉しかったよ? 秋人君のそういった話を聞かせてもらって。今までずっと趣味の話ばかりしていたけど、こうして悩みも打ち明けてもらえて、すごく信頼された気分になった。

 だからってあたしにどうこうできる問題じゃないし、同じ立場になって考えたら、絶対秋人君みたいに悩むと思うけど……」

 たとえば、秋人君に付き合うようになって。

 もしも冬樹との関係を不快に思っていたのだとしたら。

 たぶん、めちゃくちゃ悩む。

 頭が火が出そうなほど、考え込むと思う。

 それでも、あたしは──



「でも、あたしはどっちも諦めたくない。恋人か親友かなんて選べないほど大切な存在だから。

 だからそんな時は、素直に周りを頼っていいと思う。あたしだったら友達や誰に相談してもらったり、協力してもらったりして、二人に納得してもらえるような道を探すと思う。

 それでダメだったら、さすがに諦めるしかないかもしれないけど──悲しいけど距離を置くしか方法はないかもしれないけど、でもあたしだったら後ろは振り向かない。別々になっちゃった二人の分も含めて、あたしは前に進みたい。進まなきゃいけないと思う」

 それが大切だった人達との、せめてものけじめの付け方だと思うから。

 だから──



「秋人君も何かあったらあたしに言って。力になれるかどうかはわからないけれど、絶対相談に乗るから。一緒にあたしもたくさん悩むから」



 その時、曇っていた空が唐突に晴れて、茜色の陽光があたし達に降り注いだ。

 いつの間かゴンドラは頂点に達していて、その分夕日の光が間近に感じて、あたしは思わず両眼を細める。

「すごいね」

 と。

 前方から差し込んでくる夕日に眩んでいた間、椅子に沈めていた左手の上に何か温かなものが置かれた。

 ようやく光にも慣れて、あたしはうっすら瞼を開ける。



「今の成瀬さん、すごくカッコいい」



 視線の先に、秋人君の笑顔があった。

 その胸元付近には、あたしの左手を秋人君が両手で包み込んでいて──

「あっ。ごめん! 急に手を握ったりして……!」

「だ、大丈夫だから!」

 慌てて離そうとした秋人君の手を反射的に取って、今度は彼の手をあたしが包み込みながら言う。

「だからもう少しだけ、このままでいてもいいかな……?」

「う、うん……」

 あたしの問いに、恥ずかしそうに頬を染めながら頷く秋人君。

 あたし達が乗ったゴンドラが、最後の半周を回ろうとゆっくり下降していく。



 それとは対照的に、体中の熱がぐんぐんと上昇していくようにあたしの顔を火照らせた。


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