第8話 失恋女王かく語りき〜男は気配り上手たれ〜
『そっか。今日なんだ、梅雨の幼なじみがデートに行く日』
「うん。正確にはダブルデートなんだけどね」
土曜日の昼下がり。
部活の休憩の合間だった。
軽く昼食を取ったあと、体育館そばにあるベンチに座りながら、私はあっちゃん──数ヶ月前に恋人になった大学生の彼氏と電話していた。
ちなみにレオタードの上に大きめのパーカー姿で。
なんか私、レオタード姿で電話する機会が多いような気がするんだけど、たまたまかしら?
まあナッツに呼ばれた時に比べたら、大きめのパーカーで隠れて中のレオタードは見えないし、別段恥ずかしくはないからいいけれど。
『人生初のデートなんだっけ? その幼なじみの二人って』
「うん、そう。一応アドバイスはしたけど、上手くやれているかどうかは……」
『きっと大丈夫だよ。梅雨のアドバイスだし。ほら、オレ達が初めてデートした時も、手慣れた感じだったじゃん』
「あ、あれはデートそのものに慣れていただけで、決して緊張してなかったわけじゃないからね? あっちゃんと手を繋いだ時とか、めちゃくちゃドキドキしてたんだからっ」
『あはは。わかってるわかってる』
と笑い声を上げるあっちゃん。
ふうー。なんか冷や冷やしたあ。
別にやましい事があるわけじゃないけれど、やっぱり恋人に恋愛経験が豊富──というか元カレの数が多いと誤解されるのは、あんまり気分のいいもんじゃないし。
それに今はあっちゃんしか眼中にないし、あっちゃんさえ私を好きでいてくれていたら、それだけで満足だ。
欲を言えば、もっと積極的になってほしい気もするけどね。
最後にキスしたのだって、二週間前だし。
いや、そんなに頻繁しているわけじゃないけど。
されたらされたで頭が真っ白になるかもしれないけれど!
『兎にも角にも、上手くいくといいね。その二人のダブルデート』
そうね、と相槌を打ちつつ、私はどこまでも晴れ渡った青空を見上げる。
「あれだけアドバイスしてあげたんだから、上手くやんなさいよ。ナッツに進藤君」
☆ ☆ ☆
真夏と秋人と別れてから、少し経って。
俺と羽春さんは次のアトラクション──迷路を目指して一緒に歩いていた。
「迷路ですかー。わたし、迷路みたいな謎解きって割と好きなんですよー。脱出ゲームとかにも何度か参加した事があるんですー」
「へえ。てっきりインドア派かと思ってた」
「たまに言われますー。まあ半分くらいは当たっていますけどー。どちらかと言えば、家にいる方が多いですしー」
言って、にっこり微笑む羽春さん。
あ〜、可愛い。
この笑顔を見れただけでも、遊園地に来た甲斐があったというものだ。
それに何より、今日の羽春さんは至福──じゃなかった、私服。
初めて見る羽春さんの私服姿に、自然とテンションが上がってしまう。
ネイビーのワンピースにライン入りの白のカーディガン。長い黒髪はシュシュで一つにまとめて横に流しており、よほど良いシャンプーを使っているのか、隣を歩いているだけで甘い香りが漂ってくる。
そして肩に花柄のポシェットを提げており、まさに俺好みの清楚系ファッションだった。
完璧だ。
完璧過ぎる。
これはもう、女神と崇めても差し支えないのではないだろうか。
「? どうかしましたー? わたしの顔をじっくり見たりしてー」
「あ、いや、なんでもないです」
いけない。ついうっかり見惚れてしまった。
今は曲がりなりにもデート中──羽春さんに見惚れてボーっとしている場合じゃない。
ちゃんと彼女をエスコートしなければ。
それも過剰に気遣わず、あくまでも二人で楽しむ事を前提にして。
などと気を引き締めつつ、俺は少し前に柚木さんに言われた事を思い出していた。
「気配り……?」
「そう。デートをする時に男の子が気を付けなくちゃいけないのは、女の子への気配りよ」
言って、テーブルの上に置いてあったベビースターラーメンを少しつまんで口に運ぶ柚木さん。
柚木さんに電話でデートの相談をした翌日の事だった。
日曜日にまた相談に乗ってくれるという事で、真夏の部屋に集合となったわけなのだが、ひとまず俺の方からアドバイスしてくれるというので、柚木さんの話に耳を傾けると、先のようなコメントを頂いた。
「それってつまり、ちゃんと気を遣いながらエスコートしろって事?」
「まあそれで合ってるんだけど、変に気を遣い過ぎてもダメよ? あんまり女の子を優先させ過ぎると逆に気を遣わせちゃうものだから。進藤君とナッツ、遊園地に行くんでしょ? だったらなんでもかんでも彼女の要望通りにアトラクションに行ったりするのは逆効果だと思う」
「え? それってダメなのか? あたしなら普通に嬉しいけど」
横で話を聞いていたが真夏が、柚木さんと同じくベビースターラーメンをつまみながら疑問を呈する。
「ナッツみたいなバカみたいに正直で底抜けに明るいタイプならそれでもいいけれど、羽春さんはそういう子じゃないでしょ? 私は会った事ないけれど、話を聞く限り、なんかクレバーそうだし」
柚木さんの言葉に、俺は無言で頷きを繰り返す。
実際、羽春さんは普段おっとりしているように見えて、成績はかなり優秀だったりする。
少なくとも真夏みたいに無神経という事はまずないと考えていいだろう。
「というより、気を遣われ過ぎるとこっちまで疲れてきちゃうのよね。さっきも言ったけど、なんでも要望通りに応えられると『本当は乗りたいものがあるのに、こっちに気を遣って我慢しているんじゃないかしら?』とか『主体性がないタイプ?』とか色々勘繰っちゃうのよ」
「でも女の子は、グイグイ引っ張ってくれる男の方が好感を持たれるとも聞くが……」
「一般的にはね。でも女の子がみんなそうとは限らないし、無理をさせてまでエスコートしてほしいとは、私なら思わないかな。それそも進藤君、まだ女の子の扱いに慣れていないでしょ? それに人を先導したがるようなタイプにも見えないんだけど?」
「うっ……」
まんま図星だった。
「あ、別に悪く言っているつもりじゃないからね? 進藤君、見た目はすごく男らしい感じだけど、中身は案外優しいっていうか、人当たりのいい男子なんだなっていうのは、こうして話していればよくわかるし。それ以前にナッツと親友になれている時点で懐の広い人だっていうのは言わずともわかるから」
「おー。冬樹の事、よくわかってんじゃねえか。ほんと見た目はこんなだけど、宿題を手伝ってくれたり、オカンに怒られた時にひっそりあたしを匿ってくれたり、すげえすげえ良い奴なんだよ。……て、ん? なんかあたし、遠回しにディスられなかったか?」
「気のせいよ気のせい。ていうかあんた、どんだけ進藤君に迷惑をかけてんのよ……」
心底呆れた口調で言う柚木さん。俺にしてみれば今さらの話なので、もはやどうとも思わないが。慣れとは怖いものである。
「なんにせよ、デート当日は無理せずほどほどのラインで相手に合わせておけばいいんじゃないかしら」
「しかし、具体的にはどうしたらいいか……」
「まず自分の好きなアトラクションを言って、それで相手にも訊いてみたらどう? それで同じものがあったらそのアトラクションに行けばいいと思う」
「なるほど……」
「あとはまあ、退屈させないようになるべく会話は途切らせない方がいいかもね。でも決して自分語りになってはダメよ? 特に自慢話は相手を辟易させるだけだから絶対にNG。そうね──できたらお互いに興味のある分野の方が話も盛り上がっていいかも」
ふむふむ、と頷きながら一字一句忘れないようスマホでメモを取る。
「それから、遊園地って歩き回る事になるから、時折相手が疲れていないかどうか、ちょくちょく気にしながら歩調を合わせた方がいいわよ。履いてくる靴によっては足も痛くなってくるし、たまに相手の反応を確かながら休憩した方がベターかしらね」
「歩調か……。正直そこまで頭になかった。柚木さんの話は本当に勉強になって助かる」
「私の主観も入っているから、すべての場面において正解とは限らないけどね。それに色々と口にはしたけれど、結局のところ気配りって、さりげない補助の事だと思うのよね」
「さりげない補助?」
「うん。たとえば少し前に街中で見たカップルの話になるんだけど、彼女の持っていた小さなバッグを彼氏がドヤ顔で代わりに持とうとした彼氏がいて、正直言って私、顔をしかめちゃったのよねー。その彼氏にしてみれば荷物を持ってあげたって感覚なんでしょうけど、個人的に言わせたらあれくらい持ってもらう必要なんてないし、そもそもメイク道具とか大事な物も入っていたりするから、人に任せてぞんざいに扱われるよりは自分の手でしっかり持っていたいのよね」
もちろん両手が塞がっていたとか、そういう事情があったのなら話は別だけれど──と付け加えつつ、柚木さんは言葉を紡ぐ。
「要は、別段こっちが求めていない事をするのって気配りじゃないと思うのよ。そういうのじゃなくて、さりげなく車道側を歩くとか、手の届かない位置にある荷物を代わりに取ってあげるとか──そういうのが本当の気配りだって、私はそう思う」
思わず「ほー」と感嘆の息が漏れた。
以前からしっかりした人だとは思っていたが、こんなにも自立した考えを持った方だったとは。
「すごいな柚木さんは。大人っぽいというか、素直に感心する」
「あ、いや、さっきも言ったけれど、あくまでも私の意見だからね? あんまり真に受けもられても困るっていうか、正直ちょっと照れる……」
「ほんとになー。こんだけちゃんとした女なのに、なんですぐ男に振られるんだろうなあ。もしかしておつゆって、めちゃくちゃ男運悪いんじゃね?」
「あんたはああああ! どうしてそう上げて落とすような事ばっかり言うなよ! いい加減にしなさいよねえええええ!!」
「あだだだだだだ!? ぐりぐり攻撃はあかんて! 最近じゃ『クレしん』でもやらない叱り方だから! コンプライアンスに引っかかる技だからああああっ!」
ほんと凝りん奴だな、真夏は。
なんて、柚木さんの折檻を受ける真夏を半眼で見つつ、ひっそり二人からテーブルを離す俺なのであった。
「あ、今にして思えば、あれも柚木さんの言うさりげない気配りってやつだったのかも……?」
「はい? なにか仰いましたー?」
「いやいや、単なる独り言だから気にしないで」
それよりも──と目の前にある木製の壁を見つめながら、俺は言葉を発する。
「またしても行き止まりか。遊園地の迷路だから、小学生でもクリアできるレベルかと思っていたのに、意外と凝っていて正直驚きだ」
「そうですねー。スタンプラリー制でもあるから、単にゴールを目指せばいいというわけでもないところも意外と奥が深いですよねー」
などと会話を楽しみながら、迷路を巡る俺と羽春さん。
そんなこんなで。
俺達は今、無事に目的地へと着いて、こうして二人一緒に迷路の謎に挑んでいた。
で。
その迷路ではあるが、たかが遊園地のアトラクションと侮るなかれ──いざ入ってみると地上からでは全貌が見渡せないほど広いわ、あちこち引っかけはあるわ、スタンプラリー制なのですぐには終わらないわで、謎解き好きとしてはなかなか興味深い造りとなっていた。
ちなみに、スタンプは全部で五つあるのだが、今のところ俺達が押せたのは二つだけ。この分だとまだまだ時間は掛かりそうだ。
となると気になるのが羽春さんの疲労度であるが、今のところ辛そうな様子は見えられない。むしろ生き生きとしているように見える。今回は歩きやすそうなパンプスを履いているし、何より好きな謎解きイベントを前にして疲労を忘れるほど楽しんでいてくれているのだろう。
もっとも迷路を出た頃にはさすがに疲労も蓄積しているだろうから、その時にはちゃんと休憩を挟むようにしておこう。
「あ、また分かれ道ですねー。進藤君はどっちだと思いますかー?」
「そうだなあ。左の道の方が行き止まりってパターンが多い気がするから、今度は右に行ってみるのはどうだろう?」
「なるほどー。では右に行ってみましょうー」
ニコニコと笑顔を向けて言う羽春さんに、俺も笑みを返して隣を付いて行く。
よし。今のところ順調だ。
これも柚木さんのアドバイスのおかげである。
「あ。今さっき小さい子のはしゃぎ声が聞こえましたねー。太陽が差す方角から聞こえてきたので、もしかしたらそこにスタンプがあるのかもー?」
「耳がいいな羽春さん。さすがは迷路好きだ」
少々小狡い気もするが、別段ルール違反というわけでもないし、本人がそれで良しと捉えているのなら、こっちから言う事は何もない。
というより。
初めて見る羽春さんのこんなウキウキとした姿を前にして、そんな野暮な事を言えるはずもなかった。
あー、ほんと可愛い〜。
「そういえば、今頃夏さん達はどうしているんでしょうかねー?」
「え? あ、真夏?」
見惚れていた間に突然話題を変えられ、思わずキョドリながらも俺は腕を組んで応える。
「そうだな……真夏は絶叫系が好きだから、今頃ジェットコースターにでも乗っているかもしれない」
「絶叫系ですかー。わたしはああいった類いのものは全般的に苦手ですねー。元々、高所恐怖症なせいもあるんですけれどー」
「高所恐怖症? じゃあもしかしたら、観覧車とかも苦手な方だったり?」
「んー、出来る事なら遠慮したいですねー」
「そうか……」
絶叫系が苦手だというのは、遊園地に行く前から聞き出してはいたが、まさか高いところがそもそもアウトだったとは。
これじゃあデートの最後に定番の観覧車──とはいかなくなってしまったな。
個人的に、とても楽しみにしていたのたが……。
いや、気持ちを変えよう。
こんな沈んだ考えをしていたら、表情まで暗くなってしまう。
そうなっては羽春さんにまで心配をかけるだけだ。それは俺としても本意ではない。
「あら、ここも行き止まりでしたかー」
と、そうこうしている内にまた壁と出くわしてしまった。これで何度目だろうか。
「うーん。残念ですー」
「じゃあ、一度引き返してみようか。さっき羽春さんが言ってた子供のはしゃぎ声がしたところまで行けばスタンプも見つかるかもしれない」
「そうですねー。それでは早速──!?」
と。
バランスでも崩したのか、踵を返した拍子に羽春さんが前のめりに倒れかかった。
それを見て、慌てて腕を突き出してとっさに抱き止める。
「おっと! だ、大丈夫?」
「あ、はいー。すみません、ほんとおっちょこちょいで……」
そう謝りつつ、羽春さんは苦笑しながら俺の腕から離れた。
「──そういえば、入学式の時もこうして進藤君に助けてもらいましたねー」
その言葉を聞いた瞬間、俺は思わず両目を見開いて固まってしまった。
「羽春さん、もしかして俺の事を覚えて……?」
「あ、はいー。名前を知ったのは、夏さんと進藤君がわたしのクラスに来た時が初めてでしたけれどー」
という事は、顔だけ入学式の時から覚えていたってわけか。
真夏と一緒に会いに行った時は特に反応もなかったので、俺と会った事なんてすっかり忘れているのかと思っていた。
しかし、だったらなぜ俺と再会した時にその事を話してくれなかったのだろうか──?
なんて考えが意図せず表情に出てしまっていたのか、羽春さんは少し困ったように苦笑を浮かべて、
「あの時、本当はもう一度お礼を言おうかと思っていたのですが、進藤君、なぜかムーンウォークで教室で入ってきたので、ちょっと困惑したと言いますか、なんとなく言い出せなかったんですよー」
「あー……」
そっかあ。そりゃそうだよなあ。
突然ムーンウォークをしてきた不審者を前に、周りから知り合いと思われるような言動なんてできるはずもないよなあ。
これでまた、俺の黒歴史に新たなページが加わってしまった……。
「くっ……。可能なら過去の自分をぶん殴ってやりたい……!」
「それだとタイムパラドックスが起きて対消滅しそうなので、やめておいた方がいいと思いますー」
かなりSF的なツッコミ方だった。
もしかして好きなのだろうか。SFとか。
「というより、別に殴る必要なんてないですよー。今にして思えば、けっこう面白かったですしー」
言いながら歩みを再開した羽春さんに、僕も慌ててその横に並ぶ。
「それに進藤君が普通に話しかけていたら、きっとこうして一緒には歩いてはいなかったでしょうからー」
思わず足を止めてしまった。
そんな俺に対し、羽春さんは苦笑いで後ろを振り返って、
「あー。誤解のないように言っておきますが、決して進藤君の印象が悪かったわけではありませんよー? 一度助けてもらった身でもありますしー」
「だったら、なぜ……?」
「うーん。こう言うと嫌味に聞こえかねないので、あまり気は進まないのですがー」
眉を八の字にしながら、頬を掻く羽春さん。
そうして次の言葉を待っている内に、羽春さんは若干憂いを帯びた瞳で空を仰いだ。
「わたし、昔から男子に告白されやすい方でしてー、そのたびにいつも断っているんですよー。今は誰かと付き合うという考えがまったくないのでー」
それは、俺にとって死刑判決にも等しい言葉だった。
今は誰とも付き合うつもりはない。
換言すれば、俺が今ここで告白したとしても、望みはないという事に他ならないのだから……。
しかしながら落ち込む間もなく、羽春さんは後を継ぐ。
「それでもなかなか告白してくる男子が後を引かなくて、少しうんざりとしていたんですー。だからと言いますか、教室の外で進藤君の顔がチラッと見えた時、正直ちょっとだけ身構えてしまったんですよねー。もしかしたら、また男子がわたしに告白しに来たのかと思ってー」
「うっ」
意外と目敏い。
まさか教室の外から様子を窺っていた俺に気付いていたとは……。
「まあ実際は告白ではなくて夏さんに会いに来たと聞いて少しホッとしましたけれど、でも進藤君、あの時本当はわたしに用があったんですよねー?」
「うぐっ」
本当に今日はやたら鋭い!
というかこれ、俺の気持ちに気付いていないか?
俺の気持ちに気付いた上で、牽制球を投げようとしてはいないか?
しかしそれなら、どうしてわざわざ遊園地にまで付き合ってくれたのだ?
単に俺を振るつもりでいるのら、別段電話とかでも問題なかったはずでは……?
などと色々な意味で冷や汗が止まらない中、羽春さんは固まっている俺の前までおもむろに歩んで、
「念のため言っておきますけれど、別に男の子が嫌いというわけではないんですよー? 気持ちそのものは嬉しいと思っていますしー。まあ、それでも告白されない方がありがたくもありますがー」
「……それなら、どうして俺と遊園地に? そこまで口にしたからには、俺の気持ちにもとっくに気付いていたはずだろう?」
「ええ、まあー。人の気持ちを弄ぶようであまり気分の良い話ではありませんが、どうしても確かめたい事があったんですー」
「確かめたい事?」
はいー、といつもの調子で間延びした返答をした羽春さんは、いつになく真剣な面持ちになってこう訊ねてきた。
「どうして進藤君と夏さんは、そんなに仲良くやっていけているんですかー?」
「俺と、真夏……?」
「そうですー。普通なら異性の幼なじみなんて、大抵疎遠になるか、もしくは互いに男女間を意識して距離感を取りがちじゃないですかー。よしんば良好の関係を築けていたとしても、お互いの部屋に頻繁に行き来し合えるなんて、わたしにはどうしても考えらないんですよー」
「……それって、羽春さんも幼なじみとの関係で色々あったという事なのか?」
「まあ、はいー。正直に言いますと、幼少の頃からずっと仲が良かった男の子の幼なじみがいたんですけれど、中学生になって間もない頃に告白された事がありましてー」
「それで断ったと」
「はいー。その子とは友達としか思っていなかったのでー。だから恋人にはなれなくても、ずっと友達でいてほしいって言ったんですー。でもー……」
それ以上、羽春さんが言葉を繋げる事はなかった。
言わずとも、その俯いた顔を見れば、結果なんてすぐに察した。
「その幼なじみとは、もしかして今も?」
「気まずいままですー。こちらから二、三度歩み寄った事もあるんですけれど、ことごとく避けられてしまいましてー。今では相手も遠くに引っ越してしまいまして、気軽に会いには行けなくなっちゃいましたー」
雲が太陽を覆い、辺りに影が差す。
さながら羽春さんの心情を表しているかのようだった。
ああ、なるほど。
それで羽春さんは、男子からの告白を忌避するようになったのか。
幼なじみの時みたく、告白されて気まずい関係になるのが嫌だったから。
お互いに両想いだったのなら、それで解決していた問題だったのかもしれないが、本人も言っていた通り、友人以上の関係なんて羽春さんは求めていない。
というより、誰かと付き合うという考えすら持っていないから、告白されたとしても応えようがなくて、いつしか嫌気が差してしまったのだろう。
男子からの告白というイベント自体に。
「だからと言いますかー、進藤君と夏さんを見て不思議に思ったんですー。どうしてあれだけ近くにいて、お互いに異性として意識しないでいられるのか──なんであんな家族みたいに心を許せるのかとー。
なので知りたいんですー。仮に夏さんから告白されたとして、今のままでいられるのかどうかをー」
「それは──……」
今一度考えてみる。
俺と真夏の関係性について。
そうして──
「いや、ないな。真夏が俺を好きになるなんて」
ポカーン、と羽春さんが口をあんぐり開けて固まった。
「あのー、仮の話なので、前提を覆されると反応に困るんですがー……」
「仮であっても真夏が俺を好きになるなんてありえない。それこそ天と地がひっくり返ったとしても。いや宇宙が爆発したとしてもないな」
「……どうしましょうー。あくまでも仮なのにここまで話が進まないなんて初めてですー。信頼の表れといえば、それまでですけれど、もうちょっと柔軟に考えてほしいですー」
そう言われても、ないものはないのだから仕方がない。
とはいえ、これでは羽春さんに呆られかねない(すでに呆れられているような気もするが)。
可能性は絶無だが、それでも奇跡的に真夏が俺を好きだったと仮定して……。
「そうだな……。万が一……いや兆が一そんな事があったとして、俺は──」
イメージしてみる。
真夏が秋人の前に立ったかのように、頬を赤らめながら俺に告白する場面を。
「間違いなく振るだろうな。真夏は親友としか思えないから。もしかしたらそれで羽春さんの時のように気まずい関係になるかもしれない」
「そうですかー。やっぱりそうなってしまいますよねー。この迷路みたいに、一筋縄にはいかないですよねー……」
と、目線を伏せて表情を曇らせる羽春さん。
そんな羽春さんを見て、俺は居ても立ってもいられず、唐突に彼女の手を取った。
「行こう、羽春さん」
「え? あ、あのー?」
「いいから、行こう」
多少強引に──それでも歩速には気を付けながら、俺は羽春さんを引っ張りながら迷路を進む。
進む先は、羽春さんが子供のはしゃぎ声が聞こえたという地点。
やがて、運良く行き止まりに捕まる事もなく、三つ目のチェックポイント──スタンプがあるところへと到着した。
「あ、スタンプ……。思っていたより割と近くにあったんですねー」
「羽春さん、さっきこの迷路みたいに一筋縄にはいかないって言っていたが、俺はそう思わない」
羽春さんと向かい合わせに立って言う。
「確かに難しい話だとは思う。けどよく考えて先に進みさえすれば、この迷路みたいにいつか突破口は見えるはずだ。だから──」
たとえ親友だと思っていた相手に、元の関係には戻れないと言われたとしても、俺は──
「だから、俺は諦めずに友人でいられる道を模索すると思う。何度も何度でも、俺は真夏に会いに行くと思うよ。後悔したまま離れ離れになるのだけは絶対に認められないから」
これが俺の答え。
どんなに稚拙でも、俺にとってはたった一つの冴えたやり方だ。
「たぶん真夏も、逆に聞かれたら同じ事を答えるんじゃないかな。それくらい、俺と真夏は唯一無二の親友だから」
「──そっかー」
と。
羽春さんは何か府に落ちたように、呼気混じりに呟いて胸に手を当てて瞑目した。
「わたしも途中で挫けないで、ちゃんと向き合っていればよかったんですねー……」
その時、太陽を覆っていた雲から裂け目ができた。
そこから陽光が漏れ、まるで天からの贈り物のように羽春さんを照らす。
よかった。
羽春さんが微笑んでいる。
役に立てたかどうかはわからないが、少しでも羽春さんの気持ちを軽くさせられてたみたいである。
「もっとも俺の持論だから、あまり参考になるかどうかはわからないが──」
と、そこで。
思わず照れ臭くなって頬を掻こうとして、未だに羽春さんと手を繋いでいる事に気が付いた。
「っ! す、すまない! いきなり手を繋いだりしてしまって……!」
「あらー。離してしまうんですかー?」
と。
慌てて手を離そうとしたら、羽春さんに再度手を繋がれた。
「このままでもいいじゃないですかー。どうせ誰も見ていませんしー」
「いやだが、羽春さんは俺と付き合うつもりなんて……」
「わたしも最初はそのつもりだったのですが、今の話を聞いて少し気が変わりましたー」
言いながら、ギュッと先ほどよりも強く俺の手を握る羽春さん。
「以前よりもっと、進藤君に興味を持ってしまいましたー。今はまだ、進藤君の気持ちには応えられませんが、少しずつあなたの事をわかっていきたいと、そう思っていますー。だからもうちょっとだけ、今の友達関係を続けさせてもらってもいいですかー?」
「も、もちろん!」
「そうですかー。よかったですー」
目の前で微笑む羽春さんに、俺も笑顔で返す。
真夏、こっちはなんだかんだでうまくやっているぞ。
お前の方はどうだ──?
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