水飲鳥人形:サー・ピジョン 壱

 潮風が赤茶けた砂をさらっている。


 メキシコ・ベラクルス州。地図上の塩粒のように小さな漁村。

 その入り口――「フィシオス」と書かれた看板に、純白の三つ揃えを纏った男が足を踏み入れた。男は端正な顔つきをにやりと少年らしく歪め、


「――世界に名高き平和の翼、白鳩の紳士にして無類の調停士! 誰が読んだか、サー・ピジョンとは私のこと!」


 手にした鳩頭のステッキを大きく掲げ、名乗る。


「フィシオスの皆様! 大変永らくお待たせしました……! ですが、この私が来たからにはもう大丈夫です! サー・ピジョンとお覚え下さい!」


 サー・ピジョンの張りを備えた声は、しかしフィシオスの漁村にむなしく響く。


 一か月前。ベラクルスの小さな漁村、フィシオスの漁獲が突如消失した、という事件は州政府の元にも届いていた。政府は調査隊をフィシオスに送ったが、三日と経たず連絡が途絶えた。未だフランス干渉戦争の傷跡癒えぬメキシコ共和国では、取るに足らない共同体というものは存在しない。土地全てが重要な資源、貴重な人足となり得る。加えて、州政府にはフィシオスを手放せない理由があった。その始まりは、1856年のパリ宣言によってこれまで慣習法的だった海洋での制度に国際法を適用する試みがみられたことにある。

 メキシコ共和国は勝ち取ったばかりの真の独立を保つため西欧化を進めており、領海を制定するという国際的な動きに協調する必要があった。

 ここでフィシオスの地理に目を向けると、フィシオスは強固な岩礁を構えているため波に侵蝕されず、メキシコ沿岸から槍のように「出っ張る」ような形状となっている。そのため、フィシオス周辺の「領海」――半径12海里までの広大な海洋がメキシコ共和国政府の所有物として認められるのだ。

 領海が存在する以上、かつてこの地を支配していたスペインのような海洋国家も通行は慎重にならざるを得ない。共和国政府にとって、フィシオスの土地は「防衛線」の一つとして重要なものとみなされていたのである。


(――そう。重要なのは、土地“だけ”だ)


 サー・ピジョンは自身に「調停」の依頼を持ち掛けてきた共和国政府の役人の顔を思い返していた。彼は《人形》のことも、その力を用いて数々の戦地を渡り歩いてきたサー・ピジョンのことも知っていた。


『……サー・ピジョン。貴方がクリミア戦争をはじめ各地の紛争を調停してきたという話は我々も聞き及んでおります』


『フィシオスの土地は、不要な争いの火種を沈め、このメキシコを守るため重要なのです。よって、貴方にはフィシオスの地の調査と……“調停”をお願いしたい』


『もしも、《人形》が関わっていた場合は……特に、ね。最悪、目撃したものは全て殺して下さっても構いません。今なら海賊の仕業として処理できます』


 怪力乱神を奮う、異形の傀儡――《人形》。それらを操る《人形遣い》は歴史の闇に潜む存在だ。だがそれは、決して表舞台と関わらないということを意味していない。《人形遣い》が人々の争いや暗闘に裏側から干渉していたとしても、只人にそれを暴く力はないからだ。

 ならば人々は、《人形遣い》に対して無力なのだろうか。


 サー・ピジョンは声の帰らないフィシオスの漁村に向かい、一歩踏み出す。

 彼の纏う白鳩の如き衣装は、砂埃に汚れようと輝いて映っていた。


「止まれ」

 村の広場に辿り着いた所で、サー・ピジョンは何者かの声に制止された。

 民家や船小屋から、数十人の銃や鉈で武装した兵士が姿を現し、サー・ピジョンを取り囲む。

「やや! これは穏やかではありませんね。どうですか、ここは一つ――話し合いで解決するというのは」

 鳩頭のステッキを撫でつけ、ピジョンは軽快に笑った。

 兵士の集団の内一人の男が胡乱なものを見るような視線をピジョンに寄越す。

「私は……アシエンダ復古戦線のデローサ中尉である。このフィシオスの領有権はメキシコ共和国政府ではなく、マクシミリアーノ一世に連なるハプスブルク=ロートリンゲン家に帰属している!」

 男は自らをデローサ中尉と名乗り、サー・ピジョンにサーベルを突き付けた。

「貴様、知っているぞ! サー・ピジョンと名乗り戦場を渡り歩いている記者崩れの不逞の輩であろう!」


(なるほど)


 サー・ピジョンは得心した。

 彼らはアシエンダ復古戦線と名乗った。アシエンダ、というのはかつてメキシコで運営されていた農業形態の一種であり、早い話が地主と低賃金の小作農との関係を基軸とした農地の搾取制度だ。だが、アシエンダはメキシコ独立戦争と共に瓦解し、欧米諸国によるプランテーション農業に移り変わって行った――つまり、それを復古すると宣う「復古戦線」は、アシエンダの旧支配者である保守派地主アシエンダードである。彼らは共和国以前の帝政メキシコを支持しており、その血筋の正当性を根拠にフィシオスの領有を主張しているのだろう。


「承知しました……では、一つ尋ねてもよろしいですかな、デローサ中尉。フィシオスを占拠したのはあなた方アシエンダ復古戦線でしょうか?」

「そうだ。我々は二日前にフィシオスがメキシコ政府の圧政に苦しんでいるとの情報を受け、ここを占拠した」

「二日前とね……ふむ」

 ……フィシオスからの連絡が途絶えたのは一ヶ月前だ。つまり、アシエンダ復古戦線が来るよりはるか前から、その異変は起こっていたことになる。

「貴方がた、まさか無人のフィシオスの村に土足で入り込んだのでは?」

「……貴様ッ! 何故それを知っている!?」

 兵士たちが、一斉にサー・ピジョンに向けて銃を構える。

 やはり、間違いない。この村には何かが起こっており――そして、そこから生きて帰還できたものは一人として存在しないのだ。

「このサー・ピジョンの情報網はリョコウバトの旅路よりも長く、広いのですよ」

「ふざけているのか……もう良い!」

 デローサ中尉は舌打ちし、背後の部下に指示を出した。

「先程捕えた子供ともども、殺してしまえ!」

「……子供?」

 サー・ピジョンの眉がぴくりと動く。

 次の瞬間、彼の前に縄で縛られた一人の少年が投げ転がされた。

 先住民との混血……メスティーソの子供らしく、褐色の肌にカールした黒髪。

 しかし、少年は一言も発さない。

 生気のない瞳にはただ涙が浮かぶばかりである。

「少年! 大丈夫か、しっかりしたまえ!」

 サー・ピジョンはメスティーソの少年の肩を掴んで揺すった。

 彼は調停士として戦地を渡り歩いている。こういった子供たちは、何人も見てきた。皆誰かを失い、二度と癒せない傷を人生のどこかに負っていた。だからと言って見捨てて良い理由にはならない。


「……解りました。では、もう一度だけ聞きましょう。話し合いで解決する気はございませんかな」

「話し合いだと?」

「例えば私は、メキシコ州政府に交渉できる立場にあります。アシエンダ制度の瓦解によって職にあぶれた人々には、土地管理の手腕を活かせる公共事業の斡旋を行うことも可能でしょう。無論、かつて貴方がたが搾取していた給金には遠く及ばないと思いますが――」

「もう十分だ! その弁舌とやらが貴様の武器か!?」

 無機質な銃口がサー・ピジョンの白いスーツ、その胸元に向けられる。

「よく回る舌ごと、撃ち抜いてやる!」

 引き鉄が一斉に弾かれ、発砲音が漁村に轟く。

 サー・ピジョンと少年の間を遮るものは何もない。

 弾丸が二人の全身を貫く――かに思えた。


「――私の武器は」

 サー・ピジョンの持つステッキの鳩頭に、少年の涙が吸い込まれていく。

「愛と平和だ。この下郎ども」

 次の瞬間。ステッキの鳩頭から、再び水滴が迸った。

 それを追うようにサー・ピジョンの身体が目にも止まらぬ素早さで奔る。

 逆手のステッキが閃き、兵士たちの銃を持つ手を強かに打ち、砕く。

 制動。サー・ピジョンの動きが止まる。

「君たちには、力ずくで調停の席について貰うことにしたよ。特に、子供を害するような不逞の輩とはね」

「……何だ、それは……」

 デローサは呻いた。存在するはずのないものを見たかのように。

「児童小説の、正義の味方だとでも言うのか……」

「鳥が水飲み場に現れるように――必要ならば、私は来るさ」

 みたび、水滴が走る。弾丸よりも早い。ステッキが飛来する鉛玉を叩き落とし、

 活動写真のフィルムを数枚飛ばしで引き千切るような動きで兵士たちの骨を叩き折っている。


「フハハハハ! デローサ中尉――水飲鳥人形ハッピーバード、という玩具を知っているかな」


 サー・ピジョンはマントを翻し、デローサの元へつかつかと歩んでいく。

 もはや彼を守る兵士は、全てサー・ピジョンに打ち据えられていた。

「水飲鳥は、水に反応して、それを吸い込むように動く――私の《人形》はその性質を模したものでね」


 サー・ピジョンの握るステッキの鳩頭が、水を垂らした。

 その瞬間。ステッキが凄まじい速さで動き、水滴を追随する。

 そして鳩頭が落ちた水滴を呑み込み、ステッキの動作が停止した。


「この『水飲鳥人形』は、水を呑み込むまで何があろうと止まらないし、壊れない。水滴を弾き飛ばす方向を調整すれば、銃弾を防ぐ盾にもなるし、聞かん坊を打ち据える杖にもなる」


 振るわれたステッキは、デローサが腰から抜き取っていたボウイナイフをへし折る軌道で、既に彼の意識を刈り取っている。


 ……『水飲鳥人形』の《仕掛しかけ》。

 最も至近の水分に反応し、軌道上に何が存在しようと高速で水分に追随する。

 ステッキの鳩頭によって吸収した水分は、任意に放出することが可能である。

 この時、『水飲鳥人形』の装着されたステッキを握るサー・ピジョン自身も、高速に耐え得る不壊性、及び速度を共有する。


「私は君たちのような輩には、《人形》の《仕掛》を明かすことにしているんだ。私の《人形》の強さを覚えていれば、悪事を働くなんて馬鹿な真似はできないだろうからね」


 泡を吹いて倒れるデローサの体躯を余所に、サー・ピジョンは優雅な所作で少年に手を差し伸べる。


「よく頑張ったね。勇敢な君の名を教えてくれたまえ」

「…………」

 少年は純白の紳士――サー・ピジョンを見上げ、初めて口を開いた。

「……オフレンダ」

「良い名だ」

 サー・ピジョンは白いスーツが汚れることも厭わず、オフレンダを背負う。

「話してはくれないだろうか、オフレンダ少年。この村で一体何があったのか」

 そのステッキの柄には、鳩を模した『水飲鳥人形』が輝いていた。


《人形遣い》が人々の争いや暗闘に裏側から干渉していたとしても、只人にそれを暴く力はない。

 ならば人々は、《人形遣い》に対して無力なのだろうか。


 そうではない、と彼は思う。

 何故ならば。どれほど身に纏う純白が穢れようとも、自分だけは。

 平和を愛する《人形遣い》として在り続けると決めたからだ。


「私は調停士サー・ピジョン。愛と平和を届けに来た」


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