山車人形:月乃眼天山 弐

 七鉄守屋なながねもりやは『皐月人形さつきにんぎょう』を引き継ぐ七鉄家の跡取りとして、世界各地の《人形遣い》との戦いに人生の大半を費やした。しかし、彼女の六十七年にわたる生涯において、その喉元に刃を突き付けた《人形遣い》は二人のみだった。

 一人は《錬金人形》を操る老いた《人形遣い》だった。活動写真の木間こま打ちのように錬成と分解を繰り返しながら《人形》を操作することで、慣性を無視して恐るべき速度で躯体を操る秘術を有していた。

 そして、残るもう一人こそが、『左義長合戦』にて死合った月乃眼流最強の剣士――十四代月乃眼天山である。彼女たちの操る『山車人形』は、守屋の『皐月人形』と同等の巨躯、同系の着襲縣かさねがただ。それは通常の《演糸》によって操演者と繋がれる《人形》とは一線を画しており、操演者自身の身に纏われることにより駆動する、まさしく「着る」《人形》だった。

 だが、守屋は十四代天山を殺した。全ての願いを踏みにじって、《真我傀儡》に願った姿が、確かにあったはずだった。


「――常夜の雲わけ ちはやぶる」

 濾過した蜜のような清冽ながら淫蕩な笑みが響く。

 彼女の羽織っていた絹の襦袢が、剥がれていた――否。

 蚕糸が、彼女の背後、なにかに巻き取られてきらきらと光っている。仙女じみた天山の裸身が蝋燭の光に照らされ、ぬらりと照っていた。

(こいつは、先代の天山より骨が折れるね)

 同じ系統の《人形》を遣っていてもだ。守屋はそう確信している。

「月のみかげと おろがめば やれ八重垣の 神室桑」

 天山の唄が響いている。先代と戦った守屋は、この詠唱に聞き覚えがあった。『山車人形』を己の元に誘うための詩吟だ。『皐月人形』を纏った守屋は、迷わず追撃を選択する。僅かな手指の操作。守屋が纏った《演糸》が『皐月人形』の大具足と連動し、《人形》が把持する薙刀が翻る。防がれることは解っていた。それでも『山車人形』相手には、攻め手を緩めるという選択肢はなかった。

 守屋が返した横薙ぎの刃を、突如張られた絹糸の束が塞ぐ。須臾しゅゆの間に布束は寸断されるが、既に天山の姿は消えている。

「恋ひし過ぎめや 望月の間に――」

 ただ。蝋燭の光だけが、糸で繋がれた刀影を落としていた。


(来る)

 

 守屋は石突を道場の畳に突き刺した。右足を軸にし、反対の左で地を蹴る。旋回と同時、背後からの剣圧を、崩していた体勢から更に前転を行うことで躱す。石突を簡易的な回転軸として扱うことで、『皐月人形』のような巨躯であっても素早く旋回を実行することができた。軸足を残し、武器を把持しつつも相手の挙動に応じた一連の回避動作に移る歩法である。七鉄なながね流においては《茎途けいと》と呼ばれる歩法であった。風の残響と共に、剣風が遠ざかる。恐らくは『山車人形』の《演糸》に刀を繋げ、背後を取ると同時に投げ放ったのだろう。一流の《人形遣い》ならば、《演糸》を急所としてではなく、致死の武器と為せる。その魔手が真砂に迫っていればあるいは戦い方を変える必要があっただろうが、天山の狙いは彼女ではない。真砂を狙うことで、その護衛である守屋を引き出したのだ。

『……どうにも解せないね』

『皐月人形』の水晶眼球ばいざから視覚情報を受け取りながらも、守屋は面頬めんぼお越しのくぐもった声で問いかけた。

『そうまでして、何だって強い奴とやりたい?』

『うふふ』

 桃の花と戯れるような調子で、天山は笑った。その身には白いかいこのような姿形の《人形》を纏っている。身の丈は『皐月人形』と同じく二尺を越えるほどだったが、総身を赤糸縅あかいとおどし黒具くろぞなえで鎧う艾草がいそうとは対照的に、『山車人形』はその一面が白く輝き、絹と羽毛が蚕にも似た細やかな木の骨組みを飾っている。右の逆手には、天山自身が握っていたものと同じく、隕鉄製とおぼしき糸鋸じみた変わり刀を備えていた。月の化身の如き出で立ちである。

『ねえ、守屋のおばさま。《人形遣い》は、不自由な存在だと思わない?』

『良くない男に、何か吹き込まれたかい』

『つまらないこと言わないで。私が貞節を捧げたのは彼だけよ』

 その言葉に応えるように、『山車人形』の頭部がびくりと悶えた。『皐月人形』と同系統、着襲縣の《人形》でありながら『山車人形』の構造はまるで異質だ。

 ……基礎骨格に、生命活動を保った生物を採り入れている。

『私が強いものを愛しているのは、“彼”が強い私を見初めてくれたからよ』

『ハ! 成程ねェ』

 守屋は呵々と笑った。思ったよりも、まったく単純な動機だったからだ。

『惚れた男のためか』

『ええ。だから左義長の戦を勝ち上がって、彼に相応しい私になるの。月乃眼の女たちも……理由わけは違えど、皆強さを求めているわ』

『不自由な女だ。嫌いじゃないね』

『嬉しいわ。わたしを縛る糸は、わたしがえらんだのだもの』

 守屋は面頬の下で、知らぬ間に唇を吊り上げていた。

 異質だと思っていた天山だが、根本の部分で

 

 守屋の婿は彼女自身に比べても余程才があったが、人を傷つけるほどに自らも壊れてしまう心の持ち主だった。それでも、彼の剣腕ならば自身と同じく『左義長合戦』を勝ち抜くことができただろう。その代償として、彼の心は修羅道に堕ちる。

 だから守屋は彼を殺した。深閑とした森で彼の頭蓋を砕いた時の喪失は今も守屋を規定している。《真我傀儡》などに彼の心を壊させたくはなかった。それは家名よりも、神の人形よりも、よほど価値があることだったからだ。守屋は、なぜ天山が強さを尊ぶかを悟った。人は誰もが何かに縛られている。だが、強さがあれば、縛られるものを選べる。守屋はその強さ故に想い人を人として手折ることができた。

『だからあんたは、月乃眼のお山の大将やってるってわけだ』

 ほとんどの女が力を持たぬこの時代に、選択肢を教えようとしている。

『ふ。知ったことじゃないわ。彼女たちは彼女たちで、勝手に選ぶでしょう』

『なるほどね。あたしも少し、あんたのことを気に入ってきた』

 二人は同じく強さを求めている。互いに深く理解し合うからこそ、互いを殺してどちらかの強さを証さなければならぬことを知っている。

(確かに、奴の弟子さね)

 先代の“天山”もそのような、強さに飢えた女だった。繰り返しとなるが、《人形》そのものを操演者の身に纏い、内部に収納した《演糸》によって外装を操作する《着襲懸》にとり、『山車人形』の構造は極めて異質である。薄絹と羽毛の装いに、宿り木の如きくわの骨組み。内部には天山の細く折れそうな肢体が収められている。これでは、そもそも《人形》の致命的な拳打や呪術といった《仕掛け》を耐え切ることなど到底敵わない。

(――尋常の《人形遣い》なら、そう考えるねえ)

 月乃眼天山はその域で語るべき存在ではない。

 ぐばり、と、『山車人形』の背中が開く。――と言ってもよかった。

 そこから這い出したのは、二対の巨大な、しかし柔らかい羽根だった。


「月天號。昇って」

 

 羽化登仙のように。鞭毛べんもうを備えた、まさしく蚕蛾さんがの羽根が、守屋が破った伽藍がらんを突き抜け、空へと『山車人形』を運んだ。凧のような軽やかさだ。

 ……だが、この機動は。上空からの神速の奇襲。先代の天山も翼を用い、空を駆けていたからだ。滑空と同時に斬撃を見舞う極めて一方的な戦法であり、『左義長合戦』が終盤を迎えるころには、抗うことができる《人形遣い》は守屋しか残されていなかった。守屋は紙一重で飛行速度を越えた迎撃を繰り出し、先代“天山”を殺害することができたが、恐らく億分の一のずれがあれば、守屋はこの場に立っていなかったはずだ。

(だが、ここで飛ぶのは妙さね)

『山車人形』への迎撃に焦点を絞るならば、今の飛行は悪手であると守屋は判断していた。むしろその進路を狭めただけのように思える。『山車人形』に長物や飛び道具はない。握っていたのはあの隕鉄の糸鋸、その一つだけだ。伽藍に飛び込む道筋は守屋の穿った跡の一つだけであり、天山が先代の死に学んでいるならば、むしろ先程の飛行は――


『――艾草! 弾き飛ばしな!』


『人形』の内部に巡る《演糸》がを解き放ち、大薙刀を竜巻のごとく旋回させる。破壊の渦。道場の柱梁が軋む。同時、極めて鋭い衝撃が『皐月人形』を襲い――その大半が、凄まじい刃圧に吹き飛ばされて霧散する。余波によって伽藍はついに砕け、呻きをあげて崩れ行く。


『真砂の嬢ちゃん!』

「わ……解ってます! 外に!」

 真砂が堂の外に走り去ったのを横目に見ながら、守屋は落下する瓦礫を篭手で乱雑に払い飛ばす。夜空には、月の化身のごとく佇む月天號の姿があった。

 ――既に、二撃目が装填されている。獣をも凌駕した脚力にて、艾草は《茎途》を起点とした回避走行に移行した。背後を爆音と衝撃が霹靂の如く劈いていく。

『山車人形』の把持した鋸剣が断続的に鋭い音を奏でている。そこから繰り出される剣閃は、指向性を伴った音響と爆撃に変じて地表を襲う。

『ふむ。音だね。面倒な手合いだ』

 精緻な飛行曲芸。白兵戦の圏外、高高度からの爆撃。絶望的な状況のはずだったが、守屋の言葉に焦りはない。彼女の六十七年にわたる戦闘経験の中で、こうした戦術を用いる《人形遣い》は六人目である。守屋は《茎途》を用い、速度を全く殺さぬまま走行を切り返していた。慣性に速度を乗算し、握った大薙刀を高跳び遊戯のように跳ね上げる。跳躍。黒具の大甲冑おおよろいが夜空に踊る。『皐月人形』――艾草の身の丈は二尺半あまり。大薙刀の丈は五尺。つまり身動きの取れぬ宙にあろうと、周囲七尺半が守屋の刃圏と化す。

 ――月乃眼天山相手に、七尺半。

 天山が尋常の《人形遣い》であれば十分すぎるほどの射程であったが、妖蛾の如く神速にて浮揚する『山車人形』相手には、まるで足りない。中空を狙った大薙刀の軌道上に、既に天山は存在しない。

 ――狙い通りだった。月乃眼天山には知る由もなかったが、戦況は守屋の描いた絵図、その絵枕かんばすの上に載っている。


 重さ五貫の大薙刀が、

 糸に操られたかのように切り返し、夜の沙幕を切り裂いた。

『ふうん。そういうこと、してくれるのね』

 喜色を露わにしながら、天山の纏う月天號が、初めて受け太刀に回る。

 二重の歯車のように下半身と上半身を連動させ、飛ぶ薙刀の推力と転力を同時に殺した。歯車に簪を差し込まれたように、刃の回転がガちりと止まる。

 月乃目流、応じの弐。

《羽二重》と呼ばれる受けの技だった。

 今の攻撃は天山の意識の内だ。技で受けることができる。一流の《人形遣い》ならば、《演糸》そのものを攻撃に用いる技量さえ有している。天山が最初の一撃を繰り出す際、自身の《演糸》を刀に接続し、射程を延長したように。


 その天山を以てしても、続く一手を察知することは不可能だった。


 月天號の足が下がっている。『皐月人形』は、跳躍の最高点を跨ぎ、慣性のまま落下していたはずだ。しかしその篭手と手甲だけが、『山車人形』の脚部を強く締め付けている。宙に延びる腕部に引かれ、『山車人形』の高度が更に落ちる。


 七鉄流においては、傀儡組討術くぐつくみうちじゅつの伍。

陽幹ようけん》と呼ばれる遠当とおあての技である。


『……その《演糸》。やっぱり、力そのものね』

『当たりだよ、嬢ちゃん』

 齢六十七の七鉄守屋が、何故二尺にも及ぶ甲冑の《人形》を纏い全盛と変わらぬ駆動が叶うのか。答えは至極単純だった。尋常の《演糸》は操演者の膂力りょりょくを《人形》に伝えるための媒質だが、『皐月人形』の《演糸》は力学それ自体を糸条に撚り、帷子かたびらのように内部に張り巡らせ、地を砕く剛力を現わしている。

 つまり、今『山車人形』の脚部を抑える『皐月人形』の篭手と手甲は、力の《演糸》によって操られたものとなる。先程手から離れた大薙刀を自在に操ったのも、力学の《演糸》による遠隔の手業であった。無論陽幹には欠点も存在する。今のように《演糸》が露出した状態で、より強い力を外から加えられれば、力の糸は形象を失い霧散するだろう。通常は《人形》の内部で帷子のように力の糸を撚り合わせることで、異常な強度と膂力を両立しているからだ。しかし、『山車人形』の翼が《陽幹》を引き千切る推進力を生むことはないと、七鉄守屋は知っている。先代の天山がそうだったからだ。

 着襲縣の《人形》にも、いくつか欠点が存在する。戦闘能力は操演者本人の武技に大きく依ること。遠隔からの操演が不可能なこと。……そして、は、構造上在り得ないこと。

 人間は音速を越す飛行の初速にその身一つで耐えることはできない。内部に天山の細身を包む『山車人形』は、強靭な『皐月人形』の《演糸》と握力を引き剥がすほどの速度に寸時到達するようには作られていない。かといって、持った刀で糸を切断すれば、宙に浮かぶ薙刀への防御が敵わなくなる。

 守屋は《陽幹》を用いることはなかった。先代と違い天山は遠間でも戦いうる飛び道具を所持しており、彼女を中空から引きずり下ろすことありきの戦術の組み立てでは、初手で《陽幹》を糸ごと吹き飛ばされていたおそれがある。今代の天山の異質さは、皮肉にも守屋に適切な警戒を与えていた。

 故に武技による回避と攻撃のみに専心し、刀を防御に向けざるを得ない状況を作った。一撃目の跳躍を「虚」、二撃目の演糸による薙刀の投擲を「実」としたように構造の酷似した攻撃を連続させ相手の読みを鈍らせるのは七鉄流を初めとした古武術の定石ではあるが、守屋は加えて「着襲縣の《人形遣い》が、自ら糸を晒すわけがない」という先入観を利用した「真」の三撃目を配置することにより、天山の警戒を掻い潜った。


(このまま、地面に引き倒す。嬢ちゃんが対応するより早く)

 

 地上での柔術を交えた組討ちは、膂力に勝る『皐月人形』が圧倒的に優勢である。地に這う『山車人形』の四肢を小枝でも折るように蹂躙できるだろう。

 守屋は『皐月人形』の腕を引こうと――


『――歌って、月天號』


 静寂の中で、右の視界が赤く染まった。

 致命傷となる首元への衝撃を、無意識に染みついた修練で、体を捻って逸らす。認識できたのはそこまでだった。鼓膜と右目が潰れ、右肩が抉れている。『山車人形』を過たず掴んだはずの延ばした左手は、しかし虚しく引きちぎられ、空を切っていた。耳障りな残響とともに。


(振動――そうか)


 守屋が天山の攻撃の正体を理解すると同時、左足から焦煙しょうえんを噴き上げた『山車人形』が視界の潰れた右側に回り込んでいる。守屋はその機動に、超人的な戦闘経験と洞察のみで追随していた。使い物にならない左腕の篭手と手甲を切り離す。佩楯ごと抉られ傷ついた右肩を、力の《演糸》にて止血し、視界の隅から伸びてきた天山の剣を紙一重で払う。後方を衝撃波が駆け抜けていく。


『……だが、嬢ちゃんはあたしに寄って殺すことはできない。近くであんなもん撃っちまったら、自分を巻き込んじまうからね』


 死地にあって、守屋の心象は凪いでいる。遠く、長い黒髪に隠れた、真砂の瞳が見える。彼女の眼には、既に公儀ばくふとしての使命感はなく、ただ純粋に、美しい物に焦がれる少女のような様相が渦巻いていた。

 ……そう。天山の《演糸》は、真砂が目で追っていたものだ。


『嬢ちゃんの《演糸》は、その奇麗な絹糸おべべさねェ』

『あら。ばれちゃったわね』


 霰の如く振りかかる衝波を、天台岳の木々を巧みに用いた走行でいなし続ける。加速し、遮蔽に旋回し、あるいは急停止によって着弾位置を巧みにずらす。

 ……そうして待っている。彼女の刀、“あしぎぬ”の燃え尽きる一瞬を。


『人形の《仕掛け》ってのは、必ず何かを「操る」ように出来ている。あたしの『皐月人形』は力そのものを掌中に収めるが、あんたの場合は絹糸……つまり、糸の振動までをも自在に操っている……大方はあの、よく解らん生き物の力なんだろう。絹ってのは蚕が吐き出すもんさね』

『うふふ』

天山はただ笑った。

『この力はね。彼に――お月様に貰ったの。一番、糸を操るのが上手だからって』


『山車人形』の刀が、隕鉄によって織られた、という理解は正確ではない。恐らくは隕鉄特有の靭性と耐熱性により、内部に仕込まれた絹糸を塗装しているという解釈が正しいだろう。最初に刀の衝撃波を見せることにより、《仕掛け》の肝は刀にあると誤認させる。単純だが効果的な《演糸》の隠蔽は、「自身の《仕掛け》の本体が脆弱な絹糸である事実を悟らせない――という天山の意図も暗に示していた。

 先程守屋の拘束を振り払った衝撃は、恐らく左脚部を覆う絹糸のみを音速を越え振動させたものだろう。その捨て身の防御は斜め衝撃波を生み出し『皐月人形』の左手を吹き飛ばした。

 守屋の驚異的な戦闘能力はその戦闘経験から来る洞察力と、本人の武技に依る。

 しかし天山の強さはそれとは質が違う。彼女は――人形と通じているが、他の《人形遣い》と比べても恐ろしいほどに底が見えない。長年連れ添った伴侶のように、『山車人形』の性能を、最大限に引き出すことに特化している。

 しかし、その代償として天山は左足を損傷し、地上戦に移ることが出来ない。直接守屋に斬りかかってこないのは、そうしたわけもあるのだろう。

 対する守屋も、《人形》の左腕を欠損している。

 彼女の戦闘経験は、これから起こる出来事を正確に予測していた。


 七鉄守屋は敗れる。月乃眼天山の右目と両足を奪って。


 天山の衝撃波は、連射を続ければ摩擦熱によって絹糸本体が焼き切れる。刀の方は隕鉄によって装われているぶん多少寿命が長いが、長時間運用可能なものではない。強者との決着を着けたがっている天山は、予備の武装を取りに戻ることもしないだろう。その隙を突き、『皐月人形』の足を《陽幹》にて限界まで伸張させ、その加速度に載せるように砲弾じみて艾草の上半身を自切する。先程の跳躍との速度差で天山の認識を誤認させ、一発目の衝撃波をすり抜ける。


 最早薙刀は吹き飛んでおり、そこからは徒手の間合いである――そう天山に思わせていたところで、天山の衝撃波を回避する間に糸をさせた薙刀を操り、飛来させる。天山の反応速度ならば刀の衝撃波によって防ぐだろうが、それでも薙刀の重量を載せた推進力は握力の比ではなく、勢いを失った刃でも脆い外装ごと操演者の右目を切り裂くだけの速度は保っている。そして天山の刀に張られた絹糸がついに燃え尽きる。だが、そこで『山車人形』が追いつく。残った右足を犠牲に衝撃波を『皐月人形』に放ち、『皐月人形』は完全に沈黙する。寸前で艾草から脱出した守屋は人形の頸部――『山車人形』の本体である蛾じみた蟲を小刀で裂こうとするが、同じく脱出した天山が須臾の間に守屋の腹を裂く。

 最善を尽くした結果の攻防で、七鉄守屋は己が敗北することを悟った。


(悪いね。あんたの所に行くよ、頼孤らいこ


 それでも、跳躍に向けて《演糸》を張り巡らせる。

 もはや《真我傀儡》に願うものはない。失ってしまったからだ。

 失ってしまったものを、悔いようもなかった。

 月乃眼天山は比類なき強者である。十七年前に彼女のような《人形遣い》が存在したならば、あるいは夫を――頼狐を、修羅に堕ちるよりも早く殺すことが叶ったかも知れない。守屋はそれが叶うほど強くなかった。

 彼女ならばあるいは、『左義長合戦』を、その宿命を砕けるかも知れない。

 だから、天山と戦えて善かった、と思う。

 

「――お待ちください!」


 ……そう。悔いはなかった。だが。

 夫を殺すことしか叶わなかった、己への恨みがないかと問われれば。


『真砂の、嬢ちゃん』

「貴女たちは……《人形遣い》は、いつも! 何もかもが思い通りではない! それほど美しい力と技を持ちながら、殺し合わなければならない……!」

「『三業番』の貴女が」

 人形を解いた天山が、裸身で地に降り立つ。

「それを言うのかしら」

恐らくは彼女の纏っていた襦袢と狩衣が、そのまま内部の《演糸》として機能していたのだろう。だが彼女に恥じらいの色はまるでなく、声音は夜の鋼よりも冷たい。

「私はいま、守屋を殺すか、殺さないか、択べたわ。それを邪魔するの」

「より大きな選択が叶います。いま、思いついたのです」

「……何が言いたいの?」

 その問いに、真砂は静かに目を見開いた。狂気の炎が宿っていた。

「貴女方が組めば、《真我傀儡》を殺すことができます。必ず……」

『――』

 守屋が絶句するのをよそに、真砂は続ける。

「心のどこかで、こうするつもりだったのかも知れません。私は美しいものが壊れるのが嫌で、信じないふりをしようとしていた。けれど、今の戦いを見て……貴女方まで『三業番』のはかりごとの中で壊れるのは、どうしても腑に落ちなかった……」

 真砂の拳からは、血が滴っている。

「貴女方が殺し合う宿命があるのだとすれば、それは『左義長合戦』を望む、《真我傀儡まがくぐつ》のせいではないのですか……? 天山どのが強き者との戦いを所望するならば、《真我傀儡》こそ戦うべき相手では!?」

「……ふうん」

 天山が、おもむろに刀を持ち、『皐月人形』を纏ったままの守屋に歩み寄る。左足は血に塗れていたが、却ってそれが白い天山の絹髪と裸身に彩を添えていた。

「死人の夢見事としては、悪くないわね。でも」

 そのまま、刀を横薙ぎに振るう。『皐月人形』の鼻緒が切れ、兜が落ちた。

 天山の眼前に、守屋の素顔が露わになる。

「……やっぱり、私の思った通りの、可愛いおばさまだったわね」

「はん」

 守屋は笑った。どこか重荷を下ろすような笑みだった。

「こんな婆を口説いてどうしようってんだかね」

「お友達になりましょう。私、あなたのことが気に入ったわ」

 天山はくすりと笑う。

「私は貴女より、少し強かったわ。だから、友達になるかどうかも、私が決めて良いと思わない?」

 ……まるで子供の理屈だ。恐ろしい、と守屋は思う。

 子供の理屈を本気で振りかざす獣ほど、恐ろしいものはない。だとすれば、夫を殺してから擦り切れたようだった守屋の余生は、天山にせめてもの鎖をつけるためにあったのかも知れない。彼女は《真我傀儡》に、何も願わなかった。姿も見ていない。夫の代わりになるものなど、存在しないと知っていた。

「……茶飲み友達になって、どうするよ」

「決まっているわ。真砂の言う通りにするのは不本意だから、自分で面白そうな方を選ぶけど……強いものは美しいって、言ったでしょう。私」


 古来。神は、山岳、並びにその頂の岩木を依り代として天から降りると伝えられていた。山車とは山岳を模して造られた祭礼台であり、そこに降りる蚕の神をかたどった《人形》こそ、月乃眼流の『山車人形』である。彼女たちは、舞うように戦い、戦うように舞う。月乃眼流にとって美と武は不可分であり、極みに至った剣士のみが神の依り代である『山車人形』をいただくのは必然であった。


 十五代月乃眼天山は、未だ不敗である。


 彼女は妖しく笑い、夜に浮かぶ月天號へと手を伸べた。

 まるで愛を求めるように。


「――《真我傀儡》を殺すわ。彼のために」


 山車人形だしにんぎょう。銘を月天號げってんごう

 操演者そうえんしゃ。名を月乃眼天山つきのめてんざん


真我傀儡まがくぐつ》に求めし姿は、愛慕なり。

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