山車人形:月乃眼天山 壱
その頂に佇む
女は月の
常夜の雲わけ ちはやぶる
月のみかげと おろがめば
やれ八重垣の
恋ひし過ぎめや 望月の間に
遠い夜空の伴侶に渡された刀舞は大層美しかったそうだ。
星月夜に指が伸べられれば、その顔貌に女たちのため息が漏れ、
刀玄妙に
幼少のみぎり、
月に捧げる巫女舞を武術として昇華せしめ、夫となる月以外の男人の往来を禁じ、絹造りで暮らす美しき巫女たちの小さな
……どうでも良いと、真砂は思っていた。
美しいものがこの世にあるとは到底信じられなかった。父は
+
双羽真伝月乃眼流は総本山、天台岳。その頂きに
月じみて
当代最強との呼び声高い《人形遣い》。その御姿。
――この世に美しいものなど、在りはしない。
すべて誤りだった。そうではないのだ。
母の死後、蛍雪の功にて幕府に登用され、《人形》の存在を知り、『左義長合戦』を管理する『
しかし。月乃眼天山はそうではなかった。
御伽の話は、今、真砂が手を触れ得る距離に笑っている。
「『三業番』の方ね」
天山の声は。
在り物のような一言でさえ、夜露に濡れたような甘さを孕んでいる。
仙女の如き声貌である。真砂は駿河に足を運んでいたはずだったが、ここ不尽山脈がこの世で最も天に近い場所であるのではないかと気を
強く己を保つ必要がある。真砂は《左義長合戦》の
「真砂と……申します。万夫不当の《人形遣い》と名高い天山殿に拝謁叶い、この真砂、恐悦至極に存じます」
「……あなた」
天山は小さく欠伸をして、口許に手を当てた。
「私みたいなただの《人形遣い》に、そんなに
「『左義長合戦』は神事です。貴女がたは、《
真砂の肺腑から、押しつぶされるように言葉が漏れ出た。天山の言葉には、そうせざるを得ない何かがある。
「左義長の戦に馳せる《人形遣い》は、いわば神の駒。この根付は、それを
真砂は持参していた桐箱を開けた。その中には、蝋燭の光を浴びててらてらと輝く、太鼓を象った木彫物――根付が収められている。
「来たる半年後、師走の候。この根付が、『左義長合戦』に参じる標となります。勝者には、如何なる姿にも変ずる《真我傀儡》が与えられる」
「ふうん」
退屈そうな調子を崩さぬまま、天山は根付を取った。
「じゃあ、貴女は、私に『左義長合戦』で殺し合いをして欲しいわけね」
真砂の胃の腑が、重くなる。自分は『左義長合戦』に月乃眼天山を誘い、そして……ともすれば、この
『左義長合戦』は神事であり、参加者は《真我傀儡》の編む阿弥陀籤によって裁定される。それら《人形遣い》に“参加証”である根付を届けに行くことも、真砂たち『三業番』の任の一つだった。
「……すべては《真我傀儡》が手繰り寄せた糸の結果であって、『三業番』は意思を持ちません。
『三業番』は、幕府の支配に組み込まれた一つの機関であると同時に、《真我傀儡》の従僕でもある。長きにわたる二重の権力構造は、真砂から思考を奪うには十分すぎる堅牢さを有していた。
「そ。可愛いことね」
対し、根付を弄んでいた天山の白い手が払われる。
宙に掛けられた蜘蛛の糸を手折るように、ただ優雅だった。
「本当は……先代の“天山”から、『左義長合戦』の話は聞いているの。当の彼女が戦いの中で斃れたからこそ、私が後継者に成ったのだもの」
天山は薄い唇を吊り上げた。
確かに、『左義長合戦』には、先代の参加者たちが存在する。
彼女の師――十四代天山も、その『左義長合戦』に挑み、命を落とした者の一人だったのだという。真砂は『三業番』の任に就いてから日が浅いため、前段の『左義長合戦』については無知だったが、それでもその戦いの激しさだけは仲間から聞き及んでいた。
「偶然か必然か、《真我傀儡》は、再び“天山”たる貴女を左義長の戦に選びました。あるいは、天山どのの師の仇討ちも――」
「ああ、ごめんなさい。別にね、それはどうでもいいの」
天山は想い人に秘め事を明かすような、粒立った
「はっ?」
「『左義長合戦』には出るわ。私は強い《人形遣い》と戦いたいから」
「……どういうことです?」
「ねえ。真砂」
名前を呼ばれた。その瞬間、真砂は自身の身体が縛り付けられたように――月の光に、心の蔵を穿たれたように感じた。美しかった。
「強いことは美しいわ」
「……美しいものなど」
だから。
「美しいものなど、この世に在るのでしょうか」
思わず己の生を縛る命題を差し出してしまったことにも、違和は覚えなかった。それが例え、天山に誘われた答えだったとしても。
「綺麗なものが怖いのね」
「怖い?」
真砂は、自らが不要なことを口にしていると理解している。だが同時に、天山の瞳の揺らめきと、
「貴女は美しさを愛している。でも、それが
真砂の喉がきゅうと締まる。
母は美しかった。昔のことだ。
死に際。母の陶器のように白かった肌は、梅毒の
月乃眼天山もいつか、醜く
「確かに、私は……恐れているのやも知れません」
「『左義長合戦』は神事であると同時に、紛れもない殺し合いです。生き残るのはたった一人。天山殿といえど、他の《人形遣い》に敗れ、骸を晒すこともありましょう」
……それでも。《人形遣い》であれば、『左義長合戦』を戦わない、という結末はない。誰もが何かに縛られている。《人形遣い》ならば尚のことだ。《真我傀儡》は如何なる姿にも変化する神の傀儡である。
《人形遣い》は師から、親から、あるいは仲間から――その存在を伝承されて育つのだ。歴史の闇の中に埋もれ、神の《人形》だとしか伝わっていない《真我傀儡》が、それでも本物だと。
真理、証明――《人形遣い》は、必ず《真我傀儡》に求める姿を持つ。
「――けれど。“根付”を奪うことは許容されているのでしょう」
「……その通りです」
天山は当然のことのように語ったが、それこそが真砂の話の肝だった。左義長の戦に参ずる資格――根付の奪い合いは、許されている。もしも真に《真我傀儡》が、自身の択んだ《人形遣い》による殺し合いを望むのならば――そも、“根付”を真砂から天山へ、《人形遣い》から《人形遣い》へ、受け渡すことなど不可能なはずだ。だが現実には、“根付”を奪い合う戦いが、既に世界各地で起こっているとの報せがある。第七警邏の
「なら、私の根付もいつかは奪われてしまうのかしら」
天山は薄く、しかし含むように笑った。逢瀬を待ち詫びる寵姫のようだった。
だが、真砂はそれを否定する必要がある。なぜならば、『三業番』にとって月乃眼天山は守るべき対象でもあるからだ。
「十七年前に行われた、前段の『左義長合戦』……その勝者の所在を、我々『三業番』は握っています。彼女が貴女を護ります」
初めて、天山の白眉が大きく動いた。偽りではない。前回の『左義長合戦』を生き抜いた『
今も天台岳のどこかに、潜んでいるはずだ。『皐月人形』を纏って。
だが、天山は――自身が『左義長合戦』の勝者に守られることになると聞いても、露骨に表情を歪めた。
「『三業番』は、《人形遣い》同士を争い合わせるように仕向けているのでしょう? 私を生かしておく理由があるかしら」
「我々の務めは、『左義長合戦』の運営だけではないということです」
「ああ……『三業番』は幕府の所属だったわね。『左義長合戦』は国内外を問わず、幕府を脅かす《人形遣い》を殺し合わせるいい機会になる……根付を奪い合わせる“予選“まで含めれば」
天山はほそやかな指を折り数えて、柔らかく微笑んだ。
「少なく見積もっても、二十人ほどは死ぬわね」
「名算です。しかし……」
「私が『合戦』の中で斃す人たちも含まれているのでしょう」
――言った。天山は、『三業番』たる真砂の前で、全くの躊躇なくその事実を口にした。彼女は真砂たちを牽制している。その事実を指摘しても、なお生き延びる自信――否、確信だ。彼女はその幽玄とした外見とは裏腹に、謀事への頭の回りも、怖気を覚えるほどに敏速である。
だが、彼女が求めているものは、強き者との戦いだけなのだという。
……故にこそ、恐ろしいのだ。《人形遣い》は。
「歴史の闇に隠れ、怪力乱神を振るう。そのような力を持ちながら、皆なにかに縛られ、戦い続けている……貴女方は獣ではない。縛られているからこそ、その繋がりのため何もかもを叶えようとする。私には、それが恐ろしい」
「だから、私だけを保護して、『三業番』の駒にしようとしているのね。何故私なのかは、疑問が残るけど」
そう。『三業番』の……運営側の特権。すなわち、最強の《人形遣い》に対する事前工作が、唯一可能な立場であるということ。
「至極単純。貴女が最も強く、最も勝ち上がる目算が高いからです。果てなき戦いが待ち受けています。あるいは、天山どのに比肩する強者も出て来るやも……」
『三業番』にとり、月乃眼天山との協働は、『左義長合戦』の本戦まで秘めることを狙いとした一手であった。”予選”で消耗させるつもりも、ましてやその露払いをさせる予定もない。『三業番』には、もう一つの絶対的な勝ち札がある。『皐月人形』――七鉄守屋の存在が。
あとは、天山が首を縦に振れば、労せずして左義長の戦の趨勢は決する。
そのはずだった。
「――つまらないわ」
「は?」
「つまらないと言ったの」
恐ろしいほど冷えた声音で、天山は背後の壁に立てかけられた刀を抜き放つ。
異形の太刀だった。鍔が三日月のように湾曲し、極めて細い刃が糸鋸のような骨組みに渡されている。 “天山”のみが代々引き継ぐ、隕鉄にて織られた
次の瞬間、
天山の刃が、
首元に
「……も」
――斬られる。
「守屋どのッ!」
そう叫んだ直後、真砂は天山の意図に気付いた。
彼女は、強者との戦いを求めている。圧倒的な強者である彼女が、真砂に偽る意味はない。阿る意味も、ましてや殺す意味さえも。天山はその言動に反して、
(……まずい。釣られた!)
既に、天山の視線は真砂には無い。
「ずうっと。美しい、あなたのことを待っていたのよ――」
轟音。
静謐に満ちた
――それは、身の丈二尺を超すかという
刃ばかりか、
『そうかい。あたしゃ、お嬢ちゃんには会いたくなかったけどね』
面の奥より、しわがれた声がぐつぐつと笑った。
操演者。名を
十七年前の左義長の戦を生き抜いた、比類なき強者である。
「初めまして――強いのね。大好きよ。守屋」
戦いそのものを前に、天山の頬にはただ朱が差した。
月に咲く花のようだった。
「――死ぬまで戦いましょう」
己より
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます