水飲鳥人形:サー・ピジョン 弐

 サー・ピジョンが窮地を救った少年は、名をオフレンダといった。

 アシエンダ復古戦線を拘束した後、オフレンダは「見せたい所がある」と言い、サー・ピジョンを村の裏手に案内した。彼は混血階級メスティーソらしいぼさぼさの黒髪を正すこともせず、ずかずかと歩いていく。


「オフレンダ少年。一体どこに行こうと言うのかな」

「……見ればわかる。着いたよ」


 突然、オフレンダは足を止めた。

 眼前に、盛られた土が広がっている。

 墓だ。各地の戦場を歩いて来たサー・ピジョンにはすぐにわかった。一人で大人を埋葬する必要のある子供は、こういう簡素な墓をよく作る。盛り土には浅く刺された銛や帽子のように被せられた投網など、元は漁村で使われていたのだろう物品が一つずつ添えられていた。


「これはカティスおじさんの銛。去年海蛇と戦った時に、柄の部分が欠けた。こっちはケラーおばさんの包丁。よく美味しいソパ・ビルデを作ってくれた。こっちの投網は……」


 オフレンダの要領を得ない言葉を、サー・ピジョンは止めなかった。盛り土の下に埋まっているものが彼にとってどういう存在なのか、眼前の墓場を一目見ただけで理解したからだ。盛り土の数は十や二十では効かない。

 これらを全て、オフレンダが自ら埋葬したのだとしたら。

 思い出を放る洞の中に少年はどのような絶望を見たのだろうか。


 サー・ピジョンは歩み出て、不格好な墓の前で十字を切った。

「きみと、きみに善意をれた全ての村人たちの為に祈ろう」

「……そうだね。皆、良い人たちだった」

 オフレンダも、純白の紳士に並び片手で十字を切る。

 もう片方の手には、赤樫で造られた素朴なギターが握られていた。

 ギターの胴には、子供の落書きじみた髑髏の顔が彫られている。

 よく見ると、盛り土の前にもそれぞれ一つずつ髑髏を土に描いた跡があった。


「フィシオスの村では、『髑髏カラベリタ』を祀ってるんだ。おれは、髑髏を音楽で鎮める仕事をしてた。白人階級クリオーリョのお兄さんには解らないかも知れないけど……」

「ふむ。擬人化した死を髑髏の表象に籠める……死者の日の信仰だね? 冥府の女神ミクトラン・シワトルに捧げる祝祭が起源と言われているが……」

 

 すらすらと風習の起源を述べ始めたサー・ピジョンに、オフレンダは少し驚いたような顔をした。しかしそれはある種当然のことであり、サー・ピジョンは“調停”に赴くにあたり、可能な限りその土地の風習や迷信を調べてから望む。西欧諸国近代にあっては、科学こそ最も多くの人々が戴く信仰である。それと同じように、人が生きるには須らく信ずるものが必要であるとサー・ピジョンは理解していた。


「……お兄さん、詳しいね。白人の人は、おれたちのことになんか興味ないかと思ってた」

「ふははは! 卑下してはいけないよ、オフレンダ少年。世界は広い!」

 サー・ピジョンは自身の両の手を交差させる。

「……誰かが必ず、君のことを気にかけている! 例えばそう――私とかね」

 鳩のような形を取った掌印が、オフレンダの頭上で羽ばたいた。

「やめろよ。恥ずかしいから……」

 オフレンダは褐色の頬に少しだけ朱を差し、サー・ピジョンの手を払う。

「それにうちのお祭りは、死者の日だけじゃないんだ。年中やってる」

「ふむ。この村特有の風習ということかな?」

「うん。さっきも言ったけどおれは、こいつで――」

 オフレンダは手に持ったギターを、軽く爪弾く。

 その音色はサー・ピジョンを感心させた。社交界にも顔の効く彼は以前奢多な知人の付き合いでウィーン・フィルを見せられたことがある。オフレンダが気まぐれに弾く五弦は、それに勝るとも劣らぬ情感を持って響いていた。

 人ならざるものさえ惹き付けるような玄妙な調べを奏で終終えたあと、オフレンダは照れ隠しのように頬を書いた。

「こうやって、髑髏を鎮めてたんだ。そうしないと、人が死ぬって……そう教えられてきた」

「大したものだね。君なら立派な演奏家になれるだろう。私は子供に嘘はつかない」

 それは弁舌を巧みに用いる交渉者の、紛れもない本心だった。

「……どうも。数日前から、急に皆が倒れ始めてさ。多分、何かの拍子に髑髏を怒らせちゃったんだ――次はきっと、おれだと思う」

 そう言ってオフレンダはまともに取り合う様子もなく、足元の小石を蹴った。自らの命が、まるでその程度の価値だとでも言わんばかりに。

「でも、こんな話……」

「信じてくれるか、って?」

 オフレンダがびくりと肩を震わせる。

「君は頭の良い子だ。自分の常識と、相手の常識が、違うかも知れないということをきちんと考えているね」

「何だよ。さっきから、おれのこと褒めてばっかで……」

「本心さ。なぁ……少年」

 サー・ピジョンは水飲鳥人形の杖を握り、尋ねた。

「その髑髏は、《人形》の形を取ってはいないかな」

「えっ……」

 オフレンダは視線を彷徨わせる。

「おれ、お兄さんにそのこと教えたっけ……」

「覚えておくといい、少年。この世界では、誰もが何かに縛られている。例えば、人という種は――怪力乱神を振るう《人形》に」


《人形》は、《人形遣い》と対にならなければその力を発揮しない。必ずどこかに、オフレンダの言う所の――「髑髏」なる《人形》を操る《人形遣い》が存在するはずだ。必ず見つけ出し……対話を試みる。必要ならば排除も辞さない。それが白鳩の調停士の責務だ。


「恐らくこの村も、悪しき《人形》によって何らかの影響を受けている。だが――縛られていても、足掻くことは無駄ではない」

「……無駄だよ。皆死んだんだ」

「違う。君が生きているじゃないか」

 サー・ピジョンはオフレンダの背丈に合わせ、長い脚を屈み込んだ。

「それが私の希望だよ。……少年の希望も、聞かせてはくれないか」

 に促され、オフレンダは自身のギターに視線を落とした。

「……フィシオスみたいな、小さな村じゃ無理だけど。髑髏に捧げる歌を演奏するときさ。村の人たちは、みんな褒めてくれたんだ……」

 オフレンダの語り口は、河原で奇麗な石を拾い集めるときのように、ぶつぶつと途切れ、幾度となく過去を振り返る。

「だから、もし、生きていられるなら。おれの音楽で、誰かに笑って貰いたい」

 サー・ピジョンはその言葉に頷き、純白のマントを翻した。

「ならば、足掻こうじゃないか。少年」

「何を……」

「その髑髏とやらの前に案内してくれたまえ。君だけは必ず、生かしてみせる」


 サー・ピジョンの渡ってきた世界の中では、悲劇も戦火も有りれている。それでも彼は燃え盛る炎に僅かばかりの水を滴下する。フィシオスの土地を確保し、領海を担保することすら本質ではない。大義も理想も存在せず――個人的な趣味で愛と平和を求めているのだと、彼はうそぶく。


 サー・ピジョンは、人間が嫌いだ。

 だが、人間の作った世界までを憎んでいるわけではない。


                    +


 オフレンダの案内により、サー・ピジョンは崖際の境界に辿り着いた。

 フィシオスの海風が吹きすさぶ中、聖カトリーナの聖像がベラクルスの海を見下ろしている。


「……ここに、『髑髏』がいるはずだよ」

 少し固くなった面持ちで、オフレンダは教会の押し戸に手をかけている。

「オフレンダ少年。きみはこの教会の神体……『髑髏』に対して、そのギターで鎮魂歌を奏でる役目を負っていた。そうだね?」

 少年が頷いたのを見届け、サー・ピジョンは更に質問を重ねた。


「なら、君より年上の“演奏家”を見たことはあるかな?」

「えっと、おれの前は隣のメラニーお姉ちゃんが髑髏を慰めてたよ。今は旅芸人の一座に弟子入りしたって皆言ってたけど」

「……ふむ」


 サー・ピジョンの瞳が細められる。

 オフレンダの話には不自然な点が多かった。オフレンダ自身というよりは、この村のしきたりについての部分だ。サー・ピジョンはここに来る前に、フィシオスが所属するベラクルスの主要な出入国記録についても目を通している。しかしここ20年、内戦状態のメキシコ――特に海上保安の要害たるベラクルスに、旅芸人が出入りする余地はなく、またそのような記録も確認していない。しかしながら、オフレンダの前任の“演奏家”が失踪したときは、この怪死事件は発生していない。加えて、オフレンダがサー・ピジョンに見せたあの天才的な演奏の腕前――人ならざるものさえ惹き付けるような玄妙な調べ。

 サー・ピジョンの脳裏に天啓が轟いた。瞬間。


「すまない」


 サー・ピジョンは短く呟き、逆手に持ったステッキをオフレンダの脳天に振り下ろす。それは目にもとまらぬ速さで、少年の頭蓋を割り砕こうと閃き――その刹那。


 押し戸を突き破って生えて来た擲斧トマホークが、サー・ピジョンのステッキを間一髪で防いだ。火花が散り、その余波に押されたオフレンダが吹き飛ぶ。


「……やはり、姿を現したか」


 サー・ピジョンは水飲鳥人形のステッキを刺剣の如く構え、境界の扉を蹴破った。途端、彼の目には異形の祭壇が目に入って来る。教会は髑髏の貴婦人カトリーナを嵌め込んだステンドグラスに照らされていた。色とりどりの飾り紙パぺルピカド二十枚の花弁センチパストルと共に、壇の中央には子供の身長ほどの髑髏が鎮座している。しかし、その骸骨には全身の骨に対し、極彩色の幾何学彫刻が偏執的なまでに施されていた。関節は銅線や毛糸で補強され、歪んだ頭蓋骨は先住民の用いる仮面のように鬼精じみた様相を描いている。


「あ、ああああ……『髑髏カラベリタ』……『葬送人形カラ・ベラ』、が……!」


 オフレンダはがくがくと膝を震わせながら、極彩色の骸骨――『葬送』の名を冠したその《人形》を指さした。


(違う。『葬送人形』は君を守ったんだ)


《人形》は当然のことながら、人間のような意思や自己複製機能を持たない。ましてや自律して任意の人間を守護することなど不可能である。もしも自律・自己複製する《人形》を生み出せる者が存在するならば、あるいは《真我傀儡》にすらも手が届くだろう。そう――極東の地、日本で行われる神事、『左義長合戦』。サー・ピジョンはあらゆる手段を尽くし、

 故に、今ここに《真我傀儡》が存在するはずがない。


 最も高い可能性は――そう。

 


 だが、彼にその自覚は一切存在しない。

 ならば如何にしてオフレンダは『葬送人形』の遣い手となり、フィシオスの村民を一人残らず殺し尽くしたのか。既に答えはサー・ピジョンの中で確定的なものとなっていた。だが。


(少年には、決して明かさない。私の純白は全ての苦難を退ける色だ)


 かたかたと極彩色の死がゆらめき、『葬送人形』がサー・ピジョンに対峙する。

 オフレンダに一切危害を加えず、《人形》を無力化する必要があった。

 サー・ピジョンは、オフレンダの夢を――音楽で誰かを喜ばす、という夢を聞いた。ならば彼はその夢を守る。その先にある愛と平和を守る。

 それくらい叶えられなければ、《人形遣い》である甲斐がない。


「――行くぞ、ミスター・クルッポ!」


 彼は頼もしい己の《人形》のを呼び、マントを翻す。応えるように、『水飲鳥人形ハッピーバード』がかくんと頷いて水を吐き出した。

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