第2話 小萌
何でこんな事になっちゃったんだろう。
小萌の心はいつまでもぐるぐると同じ所を回っていた。
けれど身体の中には、まるでもう一人の自分がいるみたいで、走り慣れた山林を飛ぶように駆け抜けて行く。
本当なら今頃は、剣道の県大会に向かうバスの中だった筈なのだ。
切っ掛けは今朝方の事だった。
学校の正門で、顧問の草間先生運転する送迎バスを待っていたら、校舎の方から破裂音と生徒達が叫ぶ声が聞こえたのだ。
「・・・これって銃声だわ」
最初に反応したのは親友の真結だった。
一瞬だけ困ったような顔をすると、小萌の腕に自分の腕を絡めてくる。そして周囲に聞こえ無いように小声で小萌に逃げるようにと促したのだ。
小萌がこれを言うと怒るのだが、彼女はサンダーバードに出てくるブレインズの様な存在だった。
彼女は何でも知っていて、つまり、真結の言う事に間違いは無いのだ。
あっ、これってなんかヤバイやつだ。
直ぐに小萌自身もそう感じた。背中にチリチリと痛みが走る。昔から危険があると、ただ分かってしまうのだ。
二人して頷き合う。そう、助けが必要だ。
真結が小萌の腕をふり解く。
小萌が真結の手を取ろうとすると黙って首を振った。自分が一緒だと逃げ切れない。運動神経に難のある真結は既にそう結論していた。
昔からこの辺りでは神懸かりと呼ばれる特殊な才能を持った子供が良く生まれる。
いわく勘が鋭い。勉強やスポーツが良く出来る。そんな中でも小萌と真結の存在は別格だった。
その才能から営利目的で誘拐された事も二度や三度では無い。
要するに彼女達は場数を踏んでいたのだ。
とりあえず家に帰って爺ちゃんを連れて来る。
それが彼女達が下した結論だったのだ。
小萌の実家は剣道の道場だった。道場主の小萌の祖父は飯縄山最強で、この辺りでは天狗の二つ名で呼ばれている。
飯縄山で最強という事は長野県で最強で、多分北日本くらいで最強の筈だった。
そんな小萌の爺ちゃんが、ちょっと鉄砲を持った位のやつに負ける筈が無いのだ。
『じっちゃん!』
けれど、その思惑は当てが外れた。
家の近くで銃声が聞こえ、転がるように駆けつけると、頼りの祖父は血だまりの中に倒れていた。
近くに黒服の男が二人倒れていて、どうやら相打ちなったらしい。
助け起こすと祖父の腹からは血が流れていて、べったりと小萌の手を汚す。
「・・・節子の所へ行け」
祖父にはまだ意識があって、弱々しくそう呟いた。
節子とは祖父の末の娘で小萌の叔母に当たる。
以前小萌がとある宗教団体に誘拐された時に、方々に手を回して事件を解決してくれた、とっても頼りになる叔母さんだった。
「ご神体を持って裏山から行け」
何でこんな事になっちゃったんだろう。
けれど小萌には分かった。これって逆らったら駄目なやつだ。
顎ががくがくと震え、全てを投げ出して拒否しようと心があがく。
けれど、心の中から別の自分が現れて小萌の身体を操って行く。
剣術の師匠でもある祖父の言う事は絶対だった。
でも身内をこのまま捨てて行くなんて、それだけは出来ない。
祖父を助け起こすと銃創のある腹回りをさらしできつく縛り上げる。
セコムの通報ボタンを押して天井の防犯カメラに向かって頭を下げる。
どうかお願いします。
意識のない黒服達を武装解除、後ろ手に荷造りテープでぐるぐる巻きにする。
背中がチリチリと痛んで小萌に危険の限界を知らせてくる。慌ててカメラを祖父の方に向けたら、あとは天に任せるしか無かった。
「死んじゃだめだからね」
祖父の道場には立派な神棚があって、そこには一振りの御神刀がお祀りされていた。
意識の無い祖父に向かってそう呟くと、神棚から御神刀を降ろして、さらしでグルグル巻きにする。
まだ使って無い弁当と一緒にリュックに詰め込むと勝手口から裏山に出た。
一瞬だけ真結と合流したいと思ったが、こんな時は振り返らない事が約束だった。
そのまま自宅を後にする。
山道に分け入った所で、自宅の方角から複数の車が急ブレーキをかける音がして、程なく銃声が上がった。
思わず耳を塞ぐ。
何でこんな事になっちゃったんだろう。
セコムの北村さんと駐在の吉野さんは二人とも祖父の弟子だった。
祖父と違ってそこそこしか強く無いが、だからこそ二人とも慎重だった。下手を売って怪我する事なんて絶対に無い。
そう自分に言い聞かせるしかなかったのだ。
◇◇◇
小萌は自分が普通で無い事を知っていた。
まずその姿が普通でない。
断っておくが顔は可愛らしい。小顔だし、中々いけてる方だと自分では思ってる。
でも、手足が長く間接が太い。
百七十の背丈なのに股下が一メートルを超えるのだ。
それだけならモデル体型と言えなくも無かったが、残念ながら腕も長かった。
これは秘密だが、最大で直立したまま地面に手のひらを着ける事が出来る。
この所為で、昔から蜘蛛だの蟹だのと呼ばれてどれだけ傷ついた事か。
手足が長いと華奢のように思えるが膂力は強い。何せ剣道部では片手で男子と打ち合って負ける事が無いのだ。
足が長いので一気に間合いを詰める事が出来、腕が長いので相手の間合いの外から竹刀を届かせる事が出来る。正に無双だった。
付いたあだ名が妖怪蜘蛛女。
酷くない?絶対女の子に付けて良いあだ名じゃ無いよね?
小萌がそう言っても、真結は自業自得だと言って取り合ってはくれなかった。
腕を短く見せる術を覚えてからは、そうしたコンプレックスも減って来たが、逆に人間の範疇からは遠ざっかった様にも思う。
ちなみにこれを使った技は、ナタクみたいだって男子部員から絶大な人気を誇ったのだが、真結からはドン引きされて二度と使うなと言われて封印指定されてしまっていた。
ともあれ節子叔母さんは軽井沢に住んでいて今向かっている方向とは反対側だった。
けれど爺ちゃんは裏山から行けと言った。
状況整理だ。
真結ならば絶対にそう言う。
爺ちゃんを襲った黒服は白人と黒人の二人組だった。
二人とも同じ茶色の拳銃を持っていて予備弾倉を入れるケースもお揃い。
そして、後から来たのが使ったのは自動小銃。
日本の暴力組織は自動小銃を使わない。
この国では殺傷力の強い兵器の使用は重罪。ぶっちゃけ死刑になるからだ。
彼らの持つ武器は東南アジアで作られていて、どちらかと言うとチープな感じ。
黒服が使った茶色の拳銃も玩具ぽい印象だが、小萌は知っていた。これはSIG M17といって米軍の使用する正式拳銃なのだと。
東側の偽装の可能性もあると真結なら言うかも知れない。でも多分敵は米国の政府筋。
そして、狙われているのは自分。
小萌は昔、叔母から聞いた事があった。
米国にはミュータント・プロジェクトと呼ばれる秘密計画があって、特別な才能を持つ人の遺伝子を掛け合わせて強い兵隊を作っているのだと。
その時はマーベルコミックでもあるまいしと思ったし、今でも冗談であって欲しいと願っている。
でも節子叔母さんは、小萌が狙われる可能性が高いと断言していた。
誇大妄想と笑わば笑え。
けどこういう時、真結ならきっと最悪の予想をする。
敵は強いし、兵器の使用を躊躇わない。
自動小銃よりも強い武器だって使うかも知れない。
そういう用心をする。
真結は何て言ってたっけ。
米軍は成功体験を基に戦術を組み立てる。
そこにヒューマニズムなんて無いし、敵は人間扱いなんてされないのだ。
お山は森。
森林で戦争になった場合、彼らはどんな戦術を使うだろう。
そう。真結は言ったし、自分だって予想できる。
お山は××××になるのだ。
◇◇◇
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