第三十八話「皇子ヴォルマルク」

 ビザンツ帝国領コムネノス・帝国軍駐屯地――


 長い石壁で囲われた中には、実に十万近くの軍勢が駐屯しており、大小様々な幕舎ばくしゃが無数に立てられていた。


「殿下! 不審な男が現れ、皇女殿下にお会いしたい。などと世迷言よまいごとをほざいております!」



「ならば俺に報告などせず、とっとと斬り捨てるがいい」



 報告を受けたビザンツ帝国第一皇子、ヴォルマルク・シャルナゴス・ビザンツがワインを飲みながらそう答えた。


 二メートル近い長身に鍛え上げられた体、長い金色の髪をオールバックにし、切れ長な目が特徴的な整った顔つきをしている。



「そ、それが……どうやらその不審な男は、フォーカス領の領主であるらしいのです。しかし、供は侍女一人に使い魔一匹だけなので、どうにもうさんくさく……」


 ヴォルマルクの目が細まる。


「なに? それは真か?」


「はい……。容姿は間諜かんちょうの情報と一致します……。おそらく本人かと……」


「なるほど……そのバカは亡命か内通しに来た。というわけか?」


「そこまでは分かりませんが……」


「いいだろう。姉上に目通りさせるかは俺が判断する。ここへ連れてこい」


「はっ!」



 何も知らないフラッドとエトナとディーがやってくる。



「俺は第一皇子ヴォルマルク・シャルナゴス・ビザンツだ」


「フォーカス領領主、フラッド・ユーノ・フォーカスと申します。供のエトナと使い魔のディーです(よしっ! なんとかここまで来ることができたぞ! 後は上手く立ち回るだけだ!)」



 エトナが頭を下げ、ディーはマスコット形態で黙ったままその肩に乗っている。

 フラッドは前世でヴォルマルクと会っていないため、とりあえずへつらっておこうと決めていた。



「それで? 敵国の領主が直々になんの用だ? それも下賤げせんな輩が、第一皇女である姉上を指名とは、無礼にもほどがあるぞ」


「私を売り込みに来ました」



 前世のカインという内通が受け入れられた前例があるので、フラッドは上手くいくだろう。と、思い込んで楽観視していたため、それほど緊張はしていなかったうえに、なにも深いことを考えていなかった。



「呆れたものだ。お前は聖人だと持ち上げられているようだが、実際はただの売国奴か」


 つまらなそうにヴォルマルクはワインをあおる。


「聖人を自称したことはございませんし、名声で腹は膨れませんので……」


「つまらぬ輩だ。姉上にお会いさせるまでもない」


「(やべぇ、掴みが悪いぞ。なんとかコイツの機嫌をとらないと……)殿下にはそのつまらぬ輩にわざわざ会っていただき、感謝のしようもございません」


 フラッド本人にそのつもりはなくとも、嫌味しか聞こえない言葉に、ヴォルマルクの額に青筋が浮かぶ。



「……皮肉か? 下郎」


「いえいえ、そのようなことは……。本心でございます」


「ふんっ。それで? お前はどのような手土産を持ってきた?」


「えっ?」

「まさか手ぶらで来たわけではあるまい?」


⦅マジか!? 金せびられるとは思わなかった……! エトナ、今いくら持ってる?⦆


 小声でエトナに耳打ちするフラッド。



 ヴォルマルクの言う手土産とは、裏切りの確約や、重要機密等のことであったが、フラッドは賄賂を要求されている。と、盛大に勘違いしていた。



⦅これだけしかありませんよ……。というより、皇子が言ってる土産ってお金のことじゃ……⦆


⦅とりあえず無いよりはマシだっ⦆

⦅あっ、ちょっ⦆


 エトナが止めるのも聞かず、フラッドは金が入った革袋を差し出した。


「どうぞ殿下、少ないですが、これが今の手持ち全てでございます」


 それを召使いが受け取ってヴォルマルクに渡した。


「……なんだこのはした金は? 俺をバカにしているのか……!!」


 眉を吊り上げて革袋を投げ捨てるヴォルマルク。


「やっぱり足りませんか(やべぇ……怒ったぞ……)……?」



 怯えるフラッドの様子に、挑発したのではなく、本気で賄賂のつもりだったと理解するヴォルマルクは、怒るよりも呆れる気持ちのほうが強かった。



「……どうやらお前は本物のバカのようだな。聖人どころか、とんだ痴愚ちぐではないか」


「そのとおりです。私も分不相応な称号をつけられ、苦労しているのです」


「どう勘違いされればお前のようなバカ者が、聖人扱いされるようになるのか不思議だな」


「私もです」


「いいだろう。そのバカさに免じて、お前が帝国に降るというのなら、帝国の爵位を与え領地を保証しよう」


「ありがとうございます殿下(なんだ、こいつ話の分かるいい奴じゃん!)! では、皇女殿下にお目通りを許していただけるのですね!」


 ヴォルマルクの眉が不快げに動く。


「何故そうなる?」


「(こいつ天然か?)何故もなにも、ここの最高責任者はカリギュラ皇女殿下。皇女殿下の保証がなくては、ただの空手形でございましょう?」


 フラッドは何故かここで小賢しさを発揮し、ヴォルマルクの不興ふきょうを買う。


「俺では不足と言いたいのか……?」


「いえいえ。殿下にはぜひ皇女殿下へお口添えいただければ……」



「俺をお前の小間使いにでもなれとほざくか!!」



 激怒し、グラスを床に投げつけ激怒するヴォルマルクと、めちゃくちゃビビるフラッド。



「ひぇっ!? いっ、いえいえ、そのようなことは……!」


「いいだろう。着いてこい」

「はっ、はいっ」



 幕舎を出るとヴォルマルクが剣を抜き、切っ先をフラッドへ突き付けた。



「おい下郎。お前が俺の一撃を防げたら、姉上に取り次いでやる」



「えっ(無理に決まってるだろそんなん!?)!? いやいや、殿下それはちょっと……!」


 ヴォルマルクは帝国でも有数の剣の使い手であり、さらに固有魔法である肉体強化を用いた近接戦は無類の強さを誇る。


(まぁ……生存本能が発現したフラッド様なら大丈夫でしょう……)


(主なら大丈夫だろう)


 エトナとディーが無言のまま同じことを思っていた。



「問答無用!!」



 フラッドが答える間もなく、上段からの一撃が繰り出された――


 が――


 ヒュッ――!



「な……に……?」



 確かにフラッドを捉えていたはずのヴォルマルクの一撃は、空を切っていた。フラッドの生存本能が発動し無意識の内に回避したのだ。



「え……(なにが起こったんだ?)?」



 故に、当のフラッド本人も何が起こったのか理解していなかった。



「チッ……! 運のいい奴だ。約束だ。姉上に取り次いでやる――」


 今の一連のやり取りは、自身の近衛や一般兵も見ていたため、ヴォルマルクはプライドもあって約束を反故ほごにすることができなかった。


「あっ、ありがとうございます(ワザと外してくれたのか! やっぱこいつめっちゃいい奴じゃん)!」


 そう一人勘違いするフラッドであった。

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