第三十六話「褒美の使い道」

「けれど……殿下、ですか……?」


 小声でフラッドが応える。


「今は女中も近衛も侍女もいます。臣として、フロレンシア様の醜聞しゅうぶんの種になるようなことは、したくないのです。ですので、このような誤解されかねない行動も、お控えいただければ……」


「……そこまで私のことを思ってくださっているとは……。ありがとうざいます――」



 ゆっくりとフロレンシアが離れる。



「ではフラッド、なにもせずお世話になるだけ、というのは王家の教えに反します。なので、なにか私へ要望があれば、遠慮なく申してください。それが対価となるのです」


「ははっ!」


 なにも頼むことはない。と、思いつつ頭を下げたフラッドは、クランツの被害者であり、今はフォーカス邸の女中となっている、女たちのことが脳裏に浮かんだ。



「では殿下……早速で申し訳ないのですが、お願いがございます……」


「なんでしょう?」


「実は……王女である殿下に、このようなお願いは大変恐れ多いのですが……」


 フラッドの耳打ちにフロレンシアは微笑を浮かべる。



「喜んで。やはりお優しいのですね、フラッド……」



 そうしてクランツに監禁され、今はフォーカス邸で女中として働いている女たちが執務室に集められた。


 室内にいるのはフラッド、フロレンシア、女たちだけだ。



「フラッド様……どのようなご用件で?」


「私たちということは……」


「しっ、静かに、殿下がいらっしゃるのよっ」


 集められた女たちは思い思いの反応をする。



「皆に集まってもらったのは他でもない。その傷のことだ。今までどのような治療も薬も効果がなかった。が、今回、フロレンシア王女殿下に、お力をお貸しいただけることとなった。殿下の魔法は《治癒》。どのような怪我も病も癒す聖なるお力だ!」



 生来人や生き物が傷を負うことを嫌った、心優しいフロレンシアが発現させた魔法、それが《治癒》であった。


 効果はあらゆる傷を治す力であり、死者にも適応され、傷の酷い亡骸なきがらは生前の姿形を取り戻せるという能力だ。



「まっ、まさか!」


「私たちのような者に魔法を……?」


「恐れ多いです……」



 女たちの傷は深く、フラッドも手を尽くしたが、医者や薬では傷跡を治しきれない者がほとんどであった。



「皆静かに。殿下の御前だ」


 フラッドの一声に女たちは黙った。



「皆、楽にしてください。今回は私の魔法で皆を癒しましょう。その前に、大事なことを覚えておいてください。私は、フラッドにどのような頼みでも聞き入れる。という提案をし、フラッドは私の提案にこの答えを出した。ということを――」



「では一列に並べ」


 号令と共に、一列に並んだ女中は、フロレンシアの固有魔法である【治癒】によって見る見るうちに痛々しい傷痕が癒されていく――



「ああっ……!! そんなっ――」


「諦めていたのにっ……!!」


「うあ……うああああああ――!」



 フロレンシアの魔法によって傷跡が完全に癒された女たちは、滂沱ぼうだとも形容できる涙を流して喜んだ。



「ありがとうございますフラッド様! フロレンシア様!」 


「この御恩、一生忘れません!!」


「フロレンシア様に栄光あれ!! フラッド様に栄光あれ!!」



「皆、気持ちは嬉しいが俺はなにもしていない。感謝する相手を間違えるな。殿下に感謝を捧げるんだ」



「「「「ありがとうございます王女殿下!!」」」」



「殿下、私からも心よりの感謝を申し上げます」


 フラッドがフロレンシアに跪いた。



「フラッド……」


 フロレンシアは言葉がでなかった。自分への交渉権をどのように行使するのかで、フラッドという人物を見極めようとしたが、自分が浅はかだったと。


 フラッドは自身の欲望を満たすためではなく、部下、それも使用人である女中たちのことを一番に思った。



 『王族の魔法を女中に用いてほしい』この発言は、不敬罪にも問われかねないほど非常に危険なものだ。王族の高貴な魔法を下賤げせんな輩に行使させるなど、理由や背景はどうあれ不敬以外のなに物でもないからだ。フラッドもそのことは十分に理解していただろう。だがそれでも、フラッドは女中たちの傷を癒してもらうことを選んだ。



(なんて高潔なのでしょう……)


 今の場に立ち会えただけで自分はフォーカス領に来た価値があった。と――

 そうしてフラッドを慕う自分の気持ちは間違いないものだ。と、フロレンシアは理解したのだった。



 その後――


「それにしても、殿下にすごいお願いをしましたね」


「ああ、女中たちのことか? あの痛々しい数々の傷は俺のせいでもある。そのことを思えば、当然の行いをしたまでだ」


「フラッド様のお優しさに裏がないことは分かっていますが、これまでは知っていましたか?」


「なんのことだ?」


「王族の魔法を、貴族ですらない使用人にもちいらせることなど、問答無用で不敬罪になる。ということです」


「…………マジ……?」


 フラッドが顔面を蒼白にさせる。


「はい。まぁ、殿下が相手なので、どう転んでも、そのようなことにはならなかったでしょうが、処刑されても不思議じゃありませんでしたね」


「なるほど……。だが、俺に悔いはない。殿下も許してくださった……んだよな……? あの女中たちの涙を見て、俺は自分が間違っていたと言うような人間にはなりたくない。だから、今でも、この記憶を持ってあの時に戻っても、俺は同じ選択をするだろう」


「フラッド様ならそうでしょうね」


「だろう? 俺に後悔はない。だが、正直に言えば、殿下以外の者に不敬罪ではないか? とせっつかれはしないかと、少し明日が怖い。いや、めっちゃ怖い。どうしようエトナ? 俺、大丈夫だよね……? 今日は俺が寝るまで傍にいてくれるか?」



「ふふっ……。かしこまりました。大丈夫ですから、安心てくださいフラッド様」



 そう言ってエトナは珍しく微笑むのであった。

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