第7話 殺害計画

 風俗の仕事をしていることは、他の誰にも言わなかった。娘にも言わないつもりだったのだが、本当は、

「あなたが借金を作るから、私がこんなことまでしなければいけないのよ」

 といいたいのもやまやまだったのだが、一つは恥ずかしいという思いがあったのも事実である。

 もう一つの理由は、自分が風俗の仕事をしていることで、娘を叱ることができなくなるということが大きな理由でもあった。

 確かに事実は、娘の借金のためなのだが、そんな事情を知らない娘が、

「お母さんだって、そんな仕事をしているのに、私に説教なんかよくできるわね」

 と言われてしまうと、自分の言葉に説得力がなくなることが怖かった。

 実際に、もう娘のことを信頼できなくなってしまっている。本当なら、ちゃんと説教し、なるべく、法律による縛りなどないに越したことはないのだ。もし、法律の保護を受けることになると、今の生活も、裁判所に管理されてしまうことになるからだ。それは、何とか避けたかったのだ。

 そんな中で、この商売を続けるには、店舗型よりも、派遣型のデリヘルがいいと思ったのには、一つの理由があったからで、それは、

「真夜中にでもできる」

 ということであった。

 店舗型は、深夜の時間帯は、営業をしてはいけないと、風営法で定められている。しかし、デリヘル系は、24時間営業が可能だった。

 夕方軽くパートして、夜デリヘルということで、今のところ、何とか生活がしていけるのであった。

 ただ、デリヘルで不安がないわけではなかった。

 というか、これがデリヘルの一番の問題であり、逆に店舗型の安心なところでもあるのだが、問題なのは、

「派遣された先では、店のスタッフの力が及ばない」

 ということであった。

 店舗型であれば、女の子の立場はある程度、保証されている。

 何といっても、自分のところの店の内部だから、いくらでも方法はあるというものだ。

 部屋の内部のベッドのそばには、非常ボタンが設置されている店が多く、客が女の子と面会する前に受けた注意事項に違反しようものなら、女の子が非常ボタンを押すことができる仕掛けになっていて、ボタンを押されると、スタッフが飛んできて、客に文句をいい、そのまま出禁にされることになるだろう。

 もちろん、この情報は、この一帯のお店にも共有されることになり、他の店に行こうとしても、

「あなたは、○○というお店で、出禁になってますね?」

 と言われて、こちらも出禁ということになるだろう。

 ただ、これも、携帯の番号が変わっていれば、分からないことである。なるほど、ネット予約などで申し込んできた時、確認の電話が店から入るのだが、それは、客が冷やかしなどではなく、ちゃんとした予約であることの確認だけでなく、電話番号による出禁の確認という意味もあるのかも知れない。

 出禁にされるというのは、よほどのことだろうから、お店間での情報共有も結構重要なのかも知れない。

 もう一つ、店舗型であれば、有利な点があった、それは、

「身バレを防ぐ」

 ということであった。

 店舗型であれば、前述のように、法律に触れなければ、自分の店なので、

「女の子を守る」

 という意味で、いろいろな設備投資をすることができる。

 例えば、待合室をマジックミラー形式にするとか、防犯カメラを複数台設置するなどして、予約した客を、待合室で待たせている間。案内予定の女の子に、相手を確認させるということができるのだ。

 もし、相手が、彼女にとって都合の悪い男の可能性もある。

 例えば、親や、学校の先生、仕事をしていれば、同僚や上司など、さらには、今彼でったり、元カレなどというのは、非常に場が悪くなってしまうので、実際にどうするかはその時々で変わるだろうが、事前に分かっておくというのは、必要なことである。

 だが、デリヘルの場合は、それがまったくできない。

 出禁に対してだけは、電話番号で分かるのだが、身バレに関しては、まったく分からない。

 客としては、基本的に自分の部屋から電話予約をするか、ホテルに入ってから、電話を掛けるので、相手がどこの誰なのかということは、女の子がその部屋を訪れるまで分からない。

 自宅であれば、分かるのだが、ホテルへの派遣の場合は、分かりようがないというものだ。

 さらに、出禁になるようなことをされたとしても、そこに非常ボタンがあるわけでもなく、ホテルを利用しているだけなので、何かあっても、ホテル側は第三者なので、基本対応は不可であろう。

 そうなった時が一番の問題で、どうすることもできない。デリヘルの一番の問題点ではないだろうか?

 明美は今のところ、問題はないが、いつどこでどんな問題があるのかを考えると怖くないといえば、ウソになる。

 ただ、今のところ、できることは、今のこの生活しかなかった。本当であれば、娘にこれ以上の浪費はやめてもらいたいのだが、なかなか難しい。今のところ、うまくこなしているが、どうなることか、不安でしかないのだ。

 そんなある時、デリヘルの客で、おかしな話をしてくる人がいた。年齢的には、自分とあまり変わらないくらいの、40代の男性であろうか?

 彼が話をしているのは、あくまでも、自分の知り合いということであったが、その人の話は、非常に明美の境遇に似たものだった。

 明美は少し怖くなった。まさか、そのことを確かめるのは正直怖いし、できれば、出禁にしてもらえればよかったのだろうが、この男は、数日に一度は自分を指名してくれる、いわゆる、

「上客」

 だったのだ。

 明美は源氏名を、

「まりな」

 と言ったが、男は、

「まりなさんが、今苦しんでいることがあるのであれば、僕が救ってあげたい」

 というのであった。

 最初は、

「冗談を言っているのだろうか?」

 と思った。

 何と言っても、明美くらいの年齢の女性が、真夜中にこのような仕事をしているのだから、当然、訳アリだということは、誰にでも想像がつくことだろう。だから、

「苦しんでいる」

 というのは、まりなに限らず、皆大なり小なり、かなりのことを抱え込んでいるのは、必定である。

 だから、冗談だと思われても無理もないことで、

「何言ってるのよ。私は大丈夫」

 といって、気丈に振る舞うしかないと思ったのだ。

 実際に、そう言って気丈に振る舞ったが、

「そう? じゃあ、もし苦しい時は苦しいといってもいいんだよ」

 と、優しく声を掛けてくれる。

 この人が悪い人ではないということは分かっているつもりだったが、客と嬢の立場ということをわきまえておかないと、いけないことは分かっていた。

「何のために、このような仕事をしているのか?」

 ということを忘れてしまっては、本末転倒であることは、分かり切っているからだったのだ。

 その男が、今度は違う話をし始めた。

 その話というのは、一人の女の子の話であった。その女の子というのは、今年、二十歳になる女の子で、

「うちのつむぎと、あまり変わらない年齢ではないか?」

 と心の中で思った。

 この客に限らず、明美は自分のプライバシーを口にすることはなかった。家族構成などまったく話していない。

 客に甘えてはいけないという思いと、

「客は基本的に、怖いものだと思って、自分の中で警戒心をしっかり持っていないといけない」

 と思っていたからだった。

 だから、自分に娘がいることは話していないが、自分が主婦であることは、それを売りにした宣材をしているので、客の中には。

「子供がいるくらいは、織り込み済みだ」

 と思っているだろう。

 だが、まさか、成人しているような娘がいるとは思っていないだろう。今は40代半ばになっているのに、宣材年齢として、37歳にしているのは、ギリギリの線であっただろう。

 だが、実際にうまく化粧をした時は、客によっては。

「30代前半じゃないのかい?」

 と、宣材年齢よりも、さらに若く見てくれる客もいて、そこは、ありがたかった。

 きっと、年齢相応に見られていれば、客が減っていたかも知れないし客層がさらに上だったか、逆に、マザコンのような若い連中が客をしてついたかも知れないとも思った。

 どっちにしても、今の方が客層からすれば、ちょうどよく。自分でも納得がいったお仕事ができると思っていたのだった。

 その男がいうには。

「その娘さんがね。実は父親に性的暴行を日常的に受けているようで、そのことに悩んでいたんだよ」

 というではないか。

「どうして、そんな話をこの私に?」

 と、少し警戒しながら、明美は言ったが、

「どうしてなんだろうね? まりなさんになら、話しやすいと思ってね」

 というではないか。

 そして、彼はさらに続けた。

「その子は、母親がいなくてね。父親が父子家庭で育てていたんだけど、その父親がずっと前から不倫をしていたそうなんだよ。それを偶然知ってしまって、最初は気まずい感じが家の中に漂ったらしいんだけど、ついに、父親が、娘に手を出したということなんだ。その父親というのが、性格的に歯止めが利かないようで、娘を蹂躙したことで、自分の性格が歪んでしまったことを自覚すると、きっと自分が何をすればいいのか見失ってしまったんだろうね? 不倫相手とはそのままの状態で、家では娘を蹂躙しているということらしい。娘の方も、すっかり諦めの境地に入っているようで、このままだったら、二人は畜生道をまっしぐらということのようなんだ」

 という話をした。

 正直聞いていて、あまり気分のいいものではない。

 自分だって、娘の犠牲になって、こんな仕事をさせられている上に、この仕事をしている以上。娘に強くも言えないという立場から、どうすればいいのかを、思い悩んでいるというところであった。

 男から、お-こんな話を聞いていると、

「どうやって、そんな話を聞くんだろう?」

 と感じた。

 何か、情報通な人間で、それで知っているのかとも思ったが、それなら、軽々しく、しかも、自分に何の関係もない立場である風俗の嬢に話す内容ではないだろう。

 それに、

「軽々しく」

 という雰囲気でもないように思える。

 そう思うと、何かの思惑があって、この男は、明美にこんな話をしているのだろう。

 本当はもっと聞いてみたかったのだが、自分から聞くというのは、

「この話に興味がある」

 ということを自分から言うようで、それは避けたかった。

 下手をすれば、今の自分の立場も、うっかりと、いや、我慢できずに話をしてしまわないとも限らないからだ。

 明美は、どちらかというと、情に流されやすい方なので、人の話に興味が湧くと、いつの間にか、自分が話の中の主人公にでもなったかのような気がしてくるのだった。

 それは、あまりいい傾向とはいえない。特にこんな仕事をしている以上、仕事とプライベートに関しては、しっかりと線引きをしておかなければいけないと思うからだった。

 明美は、何とか自分を制して、相手にそれ以上聞くことはしなかったが、相手がどういうつもりでこの話を明美にしたのかということくらいは、知りたい気もしたのであった。

 その客が、明美に恐ろしいことを言ってきた。

「まりなさん、いや、明美さんといえばいいのかな?」

 というではないか、

「この人は私のプライベートなことを知っているんだ」

 と思うと恐ろしくなった。

 しかも、この話し方は、身バレどころの話ではない。

「俺は、お前のことを何でも知っているから、お前は俺から逃げることはできないんだ」

 といっているのと同じである。

 しかも、何がいいたいのか、その顔は、完全に、

「カエルを睨んだヘビ」

 と思わたのだ。

 もちろん、カエルというのは、明美のことである。

「どうして私の名前を知っているんですか?」

 と聞くと、

「私はね。困っている人がいると、鼻が利くんだよ。困っている人を助けてあげようと思っているので、よかったら、話を聞いてもらえないだろうか?」

 ということだった。

「一体、私の何が困っているというんですか?」

 と聞くと、

「つむぎさん、かなりお金をお使いになっておられるようですね? この商売も、そのためなんでしょう?」

 と図星を言われると、さすがに背筋が凍る思いがした。

 きっと、顔色は真面目な話、土色だったに違いない。

「どうして、それを?」

 というと。

「だから言っているじゃないですか。お困りの人がいると私には分かるんだってね。そして私はその手助けをすることが自分に与えられた任務だと思っているんですよ」

「何を言っているのか、さっぱり分からない。私を脅迫しようというんですか?」

 というと、男は、手を横に広げて、

「やれやれ」

 とばかりに、首を振った。

「だから、そうじゃなくって、お助けしたいといっているんですよ。あなたは、今のままだと、浪費癖の娘から逃れることはできない。そして、旦那に本当はバレたくないと思っているようですが、もうすでにそれは無理だった。娘が借金をしていることをあなたが知っているわけだけら、旦那が知らないわけはないでしょう?」

 と、実際に、今自分が八方ふさがりになっていることを指摘されてしまい、いまさらながら、どうしようもない状態になっていることに気づいたのだった。

「でも、そんな私のプライバシーまであなたが知っているというのは、どういうことなんです? あなたは、娘が旦那の知り合いなんですか?」

 と聞くと、

「いいえ、どちらとも、面識がありません。もっとも、面識があったら、あなたにこんな話は持ってきませんよ」

 というではないか。

「私は、正直、今は自分のこと、つまり、自分が家族に対してのことで精いっぱいなので、まわりをまったく見ることができないんですが、あなたには、全体が見えているとでもいうんですか?」

 と、いうと、

「ええ、全体だけではなく、あなたのことは、その気持ちの奥まで分かっているつもりです」

 と言われて、またしても、ゾッとするのだった。

 これは、ストーカーよりも恐ろしい。なぜなら、こちらの弱みを握って、身体中を逃げられないように、雁字搦めにして縛っているのだから、どうしようもないと感じるのだ。

「あなたに、私の何が分かるというんですか?」

 と、ヒステリックではあるが、内心、びくびくである。

「私は、正直、あなたの気持ちは分かっていないのかも知れないが、どうしたいと思うのかがわかるんですよ。たぶん、あなたは。それを考えるのが怖いという思いから、思い切ることを躊躇っている。だから、自分では考えがまとまらないと思っているんでしょうが、あなたには、ある程度まで腹は決まっていて、背中を押してほしいだけではないかと思うんです」

 というではないか。

「腹が決まっている?」

 と言われ、またしても挑戦的にいうと、

「ええ、分かっているつもりですよ。今のあなたのその挑戦的な態度を見ているだけで、心の中が透けて見えるようなくらいだ。あなたは、恐ろしいことを思っている」

 というと、さすがに心当たりがあるため、ぐうの音も出ないというのは、まさにこのことであろう。

 確かに、今のままでは、家族は離散してしまう。娘の借金が嵩めば、旦那も黙ってはいないだろう。当然離婚を言い出して、こうなった責任をすべて、妻に押し付けて、自分は、

「まったく知らなかった」

 ということを盾に、借金問題から逃れるつもりではないだろうか?

「実は、あんたの旦那は、一人の女の子を金で買ったことがあるんだよ。それをちょっと、私は知ったことで、今回のことを考えたんだけどね?」

 というではないか?

「一体何をしようというんですか?」

 と明美がいうと、

「いえね。皆さんそれぞれに事情があって、死んでもらえば楽になる人がいるんですよ。その仲介を私がしようかと思ってですね」

 という恐ろしくも、本当であれば、聞きたくもないセリフをよくもぬけぬけといってのけると思い聞いていたのだ。

「じゃあ、私は娘に死んでほしいと思っているとでも?」

 というと、

「ええ、自分では打ち消しているつもりなんでしょうが、心の奥ではそう思っているはずですよ? そうでもしないと、あなたの人生は、ここで終わってしまうでしょうからね」

 と言われ、背筋に一筋の汗が滲んでくるのだった。

 いい返せないでいると、

「どうやら、図星のようですね。それなら話も早いというものだ。あなたは、たぶん、心の中で、自分で殺すのは忍びない。捕まりたくもないし、自分で手を下すということに対して、どうしても、自分を納得させられない。でも、このままだと、自分の身の破滅は分かり切ったこと。娘のために、自分の人生を棒に振っていいものかって思っていますよね?」

 というのを聞いて、思わずうなずいてしまった。

 それを見た男は実に嬉しそうに、

「だから、あなたに手を貸そうというんです。あなたが自ら手を下すことなく、娘がこの世から消えてくれればいいわけですよね?」

 と言われ、

「あなたが、娘を殺すとでもいうんですか?」

 と聞くと、

「そんなことはしませんよ。ここのこうやって、私はあなたとの接点がある以上、私があなたの娘を殺すには、すでにリスクがあるわけです。私とあなたの関係など、警察がその気になって調べれば分かりますからね。そもそも、私がここであなたに目をつけるわけだから、警察のような専門家には、あなたと関係のある人は一人も逃しませんよ」

 というではないか。

「だったら、殺すなんて不可能じゃないですか? 事故にでも見せかけるとでもいうんですか?」

 と聞くと、

「そんな運のようなことはしませんよ。本当に殺すつもりなら、絶対に殺してしまわないといけませんからね。殺し損ねると、2度目はないから、一度目の失敗をずっと引きずって生きていくことになるんです。できますか?」

 と言われて、首を振った。

 なるほど、この男の言う通りである。一度思い立ったら、完遂してしまわないと、後悔が残ってしまって、それ以上は何もできなくなってしまう。

 そう思うと、この男のいっていることが、いちいち正しく思えてくるから不思議だった。

「私は催眠術にでもかかっているのだろうか?」

 と思ったが、男は笑って、今後のことをゆっくりと話し始めた。

 元々、この指名も、最初から、相手を明美だということが分かってのことだったということである。

 男が話すのは、旦那が、一人の女の子を、

「買った」

 というところから始まった。

 明美にとっては、聞きたくもない話ではあったが、男がいうには、

「ここから話さないと、始まらない」

 ということであった。

「その女の子というのは、父親から蹂躙されて、無理やりに犯されたようなんだ。その子は、父親に対して、いずれは殺してやりたいという思いを持っていて、その思いは、あなたが娘に思っている感情よりも、さらに深いものだと思うんだ。彼女は父親が生きている間は、自分に自由はなく、生きている心地がしないはずだからね」

 というのだ。

「私の今よりも、それは確かに深刻だわ。でも、このまま放っておくわけにはいかないということで、立場は同じなのではないかと思うんだけど、違うかしら?」

 というと、

「そうだよ。その通りだよ。だから程度の違いこそあれ、あなたたちは、同じ立場なんだよ。お互いに誰かに苦しめられていて、放っておくと、破滅しか待っていない。じゃあ、どうすればいいのかということなんだよね」

 というのを聞いて、

「交換殺人?」

 と明美がいうと、

「そう、その通り、交換殺人というのが、思い浮かんでくるよね? だけど、基本的に交換殺人というのは、不可能に近いんだよ。なぜなら、交換殺人というのは、まず大前提として、交換して殺人を行った人間同士が知り合いであるということを知られてはいけないということ、そうでないと、知り合いだということがバレたりすると、犯行が見破られる。交換殺人というのは、それが分かった時点で、すべてが瓦解するんですよ。たとえば、殺人方法で、密室であったり、アリバイトリックというのは、最初から分かっているものだけど、一人二役だったり、交換殺人というものは、それが捜査する側に分かってしまうと、犯人が特定される。特定されてしまうと、あとは、その裏付けとなるだけなので、これほど見破られやすいものはないというわけさ」

 という。

「確かにそうですね」

「それにね、交換殺人というのは、自分たちだけで相談すると、絶対に成立しないんだよ」

 と言われ、

「えっ? どういうことですか?」

 と聞くと、

「だって、交換殺人の意義というのは、一種のアリバイトリックなんですよ。つまり、犯人だと思われている人間に、絶対的なアリバイを作るためのものだから、当然ですよね? 計画した人間と実行犯が違っていて、この二人の関係性がないとするならば、それこそ、完璧な犯罪というものはないものだ。つまり、二人が同じタイミングで殺人を犯すということは不可能なんですよね? だって、自分が死んでほしいと思った相手が殺された時、完璧なアリバイがないといけないわけですからね」

「ええ、そうですね」

「だから、そうなると、必ず時間差が出てくるわけです。つまりは、あなたが殺す時と、相手が殺してくれる時ですよね?」

 と男がいうが、この男が一体なのを言いたいのか、明美には今のところ、見当もつかなかったのだ。

「まだ分かりませんか?」

 と言われ、考え込んでいたが、男もさすがに業を煮やしたのか、自分でどんどん話始めた。

「時間差があるということは、最初にたとえば、あなたが、あなたとはまったく関係のない相手を殺したとしますね? 相手にはその時、完璧なアリバイがあるわけです」

 と言われても、まだ明美はぴんと来ない。

 男は続ける。

「ということは、相手には完璧なアリバイができて、しかも、それは本当に殺人をしていないわけだから、相手にとっては、目的は達せられたことになるわけです」

 とここまで言われて、

「あっ」

 さすがにここまで聞けば、明美にも、この男が何を言いたいのか分かったのだ。

「どうやら分かったみたいですね?」

 と言われて、

「交換殺人というのは、もろ刃の剣なんですね。ここまでくれば、交換殺人は成り立たないことが分かってきました」

 と明美は言った。

「じゃあ、どういうことなんです?」

 というと、

「今度、殺人を請け負った方からすれば、ここで辞めるのが一番なんですよね。何も自分が相手を殺すリスクを負う必要はない。ここで終わらせれば、自分の完全犯罪で終わってしまう。何しろ完璧なアリバイがあるのだし、実行犯ではないのだからですね。しかも、交換殺人などということは、警察には言えない。もし言ったとしても、誰が信じるというのか、結局、自分は相手のために危ない橋を渡って、その場所で置き去りにされてしまっただけなのだから」

 という。

「そう、その通り。だから、完全犯罪などできるわけはない。こんな話をしたところで警察も信じてはくれないでしょうからね」

 と男は言った。

「じゃあ、どうして、こういう話を私に持ってきたんですか? あなたも、誰か死んでほしい人がいると?」

 と言われて、男はそれに答えず、

「私は、言い方を変えれば、善意の第三者ということになるんでしょうか? 交換殺人がうまくいかない一番の理由は、自分たちだけの思惑だけで動いているからで、極端な話、相手はどうでもいいんですよ。自分さえ問題なければね」

 と男はいう。

 それを聞いた、明美は、

「じゃあ、あなたは、その仲介人ということですか?」

 というと、

「ええ、そういうことになりますね。この犯罪には、中立な人が一人いないとなりたたないんですよ。立会人といえばいいのかな? まるで裁判官のようなジャッジメントができるような人ですね」

 と、男がいうと、またにやりと笑った。

 その表情にどこまで信憑性があるというのか、考えただけで怖かった。

 一度身体が怖ってしまい、震えが痺れに変わってきた頃、

「まるで夢でも見ているのだろうか?」

 と、明美は感じたのだ。

「交換殺人の仲介人? 何と馬鹿げたことを」

 というと、考え込んでしまった明美だった。

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