第5話 電脳空間にて②
「チャンスは残り一回です」
どこか楽しげな声を聞きながら、ぼくは頭を抱えていた。
──どうしよう。手がかりがない。
まさか犯人が目潰しを食らっていたとは思わなかったのだ。
なにか視界に有用なものが映ったりしないかと思ったのに、周囲の状況は全くわからないままだ。
ただ、情報は少しだけ増えた。
どうやら、犯人はクローゼットを開けたとき、誰かの攻撃にあったらしい。
順当に考えて攻撃者はぼくだが、一度目のフラッシュバックによると、ぼくはそのときパニックを起こしている。まともな攻撃ができたとは思えない。だからやられてしまったのだろうか。
ただ幸いにして、フラッシュバックの中にぼくが「やられた」情報は見られなかった。極限状態のパニックでフラッシュバックが作動しただけで、身体的には無事な可能性は十分ある。
とにかく、反撃の材料を探さなければ。
ぼくはクローゼットの中にいる。姉さんは部屋の中にいる。犯人はクローゼットに入ってきたところだ。
正直、かなり分が悪い。
犯人の目こそ奪ったが、その後ろにはぼくを裏切った姉さんがいるのだ。いくら意識が戻ったぼくが犯人に抵抗しても、姉さんが犯人に加勢したらそれまでだ。
(せめて武器になるものを見つけて、それから犯人だけじゃなく、姉さんの動きも封じないと……)
チャンスは残り一回。誰の認知を覗くべきかは、はっきりしていた。
「さあ、誰の認知を再現するかお選びください。これが最後のチャンスです」
「っ……ぼくは……」
わかっている。姉さんの認知を覗くべきだ。
だけど、ぼくはためらっていた。
ぼくは姉さんを信じていた。
たとえ表面上の優しさだったとしても、引き取られたばかりのぼくに「私、ちょうど弟がほしかったの」と微笑んだ、あの笑顔を信じていたかった。
命惜しさにぼくを売った姉さんの五感を、なまなましく体験する。
そのことに、ぼくは耐えられるのだろうか。
そんなことをしてまで、生き延びてなんになるのだろう。
(だったらいっそ、このまま──……)
「……城田ユーリさま」
「えっ」
アナウンス音声が、ぼくの名前をはっきり呼んだ。
顔を上げる。ほの明るい電脳空間内で、にこやかな声が響いていた。なんとなく、懐かしい声だった。
「当ソフトの提供するチャンスを利用するか否かは、ユーザーの判断に委ねられております。ですが、これだけは忘れないでください。私どもは、ユーザーの生存を祈って、当ソフトを開発しております。……ユーリ」
「あ──」
やわらかく呼びかける、どこか覚えのある声。
それで、わかった。
生死がかかった場にはあまりにも不釣り合いな、にこやかで楽しげなアナウンス。
いっそ不躾なそれを、ちっとも不快に感じなかった、そのわけが。
「……お母さん……?」
そのトーンを、ほとんど忘れかけていた。でも、思い出せば明らかだ。
懐かしいその声音は、間違いない、ぼくの母の声を模したものだった。
アナウンスがにこやかに告げる。
「生きてください。それが開発者の願いです」
「……っ」
ぐっ、と感情がこみ上げる。
ぼくはぎゅっと手を握りしめると、息を吸って、顔を上げた。
「……最後のチャンスを使うよ。姉さんの認知を再現してくれ」
「かしこまりました。……幸運を祈ります、ユーリ」
懐かしい、やわらかな呼びかけを最後に──ぼくの目の前は、ぱあっと光に満ちていった。
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