第8話 理由

「アルノー戦について、不可解なことの一つですが、それほど厳しい戦局ではなかったはずなのに非常に終局まで長かったことです。

 また他の地域が次々に勝利を収めていったので、そこから残った戦場にどんどん余力のある部隊を送り込んで急速に終戦に向かいましたが、アルノーを指揮するグロワーヌ侯に増援を送る旨伝えても、やんわり拒否されていたそうです」

 スコットがエリスと話したかった理由はそれだ。ただの気がかりだったが、今一気に疑惑になった。

 アルノーは地獄の30年戦争の最終決戦の地となった。30数年前の大飢饉に乗じて奪われた土地を奪還し、隣国ギリアムを完全降伏ささてようやく終戦となったのである。

「ご存知のようにずっと膠着状態と報告が上がっていたので、最終的に天才魔術師のジェレミア率いる部隊が派遣されました。しかし、彼らが到着する直前に一気に戦局が動いて勝利を収めたわけです」

「まるで帳尻を合わせるよう」

「そう、本当はもっと早く勝利に導くことができたのに理由があって長引かせていたのではないかと。

 その理由を調べるべきだったのかもしれませんが、なにせそのころは勝利に湧き立っていて、その道筋が妥当だったかなど調べる無粋な真似はできませんでした」

「その理由をエリス嬢が握っているかも知れないと」

「ええ」

 先程の部屋よりさらに王宮の奥、何重にも防御魔法がかけられているエリアに入る。襲撃した者も、ここにターゲットがいるとわかっていても入ってはこれない。

「失礼する」

 軽くノックをして入ると、ソファに座っていた紺色のメイド服を着た女性が立ち上がった。

(うわっ…)

 側近のアーノルドとエリックは思わず見惚れてしまった。レオナルドはすっと息を呑んで睨むように見ている。

(あー、だいぶ強めに感情抑えてるな)

 優しげな顔、色が白くてぽってりした唇、大きな目の中の濃い瞳の色は緑だろうか。会った時はおかしなドレスに目を奪われて気づかなかったが、美しい人だった。なによりきゅっとウエストは締まっているのに、紺色のワンピースの胸元を押し上げる膨らみが大きい。首もとまできっちり覆われているのに、隠されているから余計にその中身を想像してしまって、前の淫らなドレスよりなお蠱惑的に見えた。

 このタイプはレオナルドの好みだ。今すぐ口説いて寝所に連れ込みたいのを必死で抑えているだろう。下半身の欲求が強めの男だが、きちんと時と場合を考える理性は待ち合わせている。

「事情は?」

「まだ何も話していません」

 レオナルドはソファに掛けるように促すと、自分は反対側に座った。

「グロワーヌ侯とは何が遺恨でも?」

「唐突ですね。私の方が、帰れと言われていたのに急に奥へ連れてこられて事情をお聞きしたいのですが」

 エリスの態度は戸惑っているとか怯えているとかではない、何かはっきりと思い当たる節があるようだ。

「あなたのドレスが襲撃にあった。おそらくグロワーヌ侯の手のものだろう」

「そうでしょうね」

 エリスは早いな…と思った。エリスはグロワーヌ侯とその娘が今日のパーティーに来ることは予想できたが、侯爵にはエリスがパーティーに来ることなど考えもしなかっただろう。

 元聖女は噂のせいで、隠れ住むような生活を強いられている。それが堂々とパーティーに乗り込んで、王太子に元聖女と名乗った上で逆プロポーズするなど、常識では考えられない。

 しかしエリスが王太子と接触したと見るや否や早速始末にかかってきた。命令一つで人を殺すことを厭わない者たちを常に側に置いているのだ。

「殺されるような心当たりがあるということだな」

 エリスは探るようにレオナルドを見た。自分が体験したことを詳らかに話しても、王太子といえど魔法のように全て解決できるわけではないだろう。何せグロワーヌ侯は三人の英雄には劣るとはいえ、勝利への功労者の一人だ。

 エリスは想像以上に展開が早くて態度を決めかねていた。

「私は元聖女の立場改善のために王宮に訪れたのです。グロワーヌ侯爵がくだらぬ噂を流したせいですわ」

「グロワーヌ侯は貴方が何人もの騎士と関係を持っていたと話していたが」

 怒りのため、かっとエリスの顔に朱が走った。

「それを聞いて、『ああ、やっぱり』とでもお思いになったのかしら」

 レオナルドはそれには応えなかった。

「我々にとって、私と接触したその直後にその相手が狙われた、ということだ。この警備の厳重な王宮で。王宮から出ればもっと簡単だっただろうに、一刻も早く貴方の口を塞ぎたいらしい。貴方がグロワーヌ侯にとって不都合な何かを持っていると考えるのが普通だ」

「ただグロワーヌ侯の弱みを握りたいだけなら、お考えが浅いですわ」

「まさか! ベッドでどんな変態プレイが好きだったとしてたいした弱みにはならない。女に不自由しない貴族なんて、普通のセックスじゃ飽きて特殊な趣味に走る御仁も少なくないからな」

 エリスはすうっと青ざめるのがわかった。彼女には頭から離れない光景がある。グッと奥歯を噛み締めて何かが込み上げてくるのを必死で抑える。

(グロワーヌ侯はエリス嬢との関係を否定していたが、あれは嘘だろう)

 そこにいた誰もがそう思うほどにエリスは動揺して見えた。

「そろそろ、腹の探り合いのような話はやめよう。何か起こっているなら早めに対処したい」

 それを聞いて、ついにエリスの見開いた大き目から涙が流れ出た。あまりに突然で止めようと努力する間もなかった。

「対処ならもっと早くして欲しかったですわ」

 スコットがそっとハンカチを差し出した。エリスはそれを受け取って目元を押さえた。

「元聖女の噂は半分は本当で半分は嘘です」

 大きく息を吸って意を決して話し始めた。

「戦場では誰もが地獄を見たと思います。しかし、私たち、アルノーの聖女が見た地獄はそれらとは違います。

 多くの聖女はグロワーヌ侯を含めた高位貴族たちに強姦されていたんです。自分の意志で関係を持った聖女はいません」

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