死にたくなるほど甘やかしてあげます


「こんばんは、満月が綺麗ないい夜ですね。こんな夜には命を差し出したくなりませんか?」


 ローブをはためかせて笑う。


「『君も綺麗』? あ、ありがとうございます。……いや水族館デートに行ったカップルかなんかですかこれ恥ずかしい」


 ぶんぶんと手で顔を仰ぐ。


「まあ褒められて悪い気はしないですけどね。死神仲間は皆口をそろえてちんちくりんとかペットとして飼いたいとか言ってきますから。え? 『後者は気を付けたほうがいい』? いやまあ発言はやばいんですけど、確かにやばいんですけど……え、こわ」


「いやなんであの人と付き合えてるんだろう……えー。まあ、かなり面白い人……死神? ですからね。ペット発言以外はまともな人ですよ、多分、きっと、そうあってほしいなー」


 掌をぽんと叩く。

 

「あ、そうだ。ペットでいいこと思いつきました。今日はわたしがあなたをペットみたいに甘やかしてあげます。だだ甘に、猫ちゃん飼ったらこんな甘やかし方してあげたいなーって思ってたことしてあげます。そしたらあなたは私の母性にメロメロになると同時、いい年して情けないなーなんて羞恥の念に駆られて、喜んで私に命を捧げるって寸法です」


「完璧でしょう? もっと褒めてくれてもいいんですよ? うひひ、ってなに頭撫でてるんですか! 私をペット扱いしないでくださいよ。いや、『ペットじゃなくて子ども扱い』って大して変わりませんからね。一応私あなたの命を狙ってるんですから、忘れないでくださいよ」


「『優しいねー』って甘やかさないでくださいー。もう、私が甘やかそうとしてるのにどうして甘やかしてくるんですか。『可愛いから』? ……そういうところですよ、もう、もう!」


 ぶんぶんと腕を振り袖がはためく。


「こほん。じゃあ、今から私はあなたのお姉さんです。頑張ります」


 ベッドに腰掛けて、ローブと布が擦れる。


「どうしたんですか? 今日はずいぶん疲れたみたいですね。へえ、仕事が大変だったんですか。偉い偉いです。人間生きてるだけで偉いんですから、そこからさらに頑張って働くなんてとっても偉いです」


「仕事してなくて、頑張っても無かったら? それでも偉い偉いです。生きてるだけで大変なことなんですから。……あなたの本当に大切な価値というのは、仕事とか努力とかそういうものじゃ決まらないんですよ。あなたと、あなたの大切な人達が知ってるんです」


「死神からすれば、本当に人間は偉いんです。私たちは寿命が人間とは比較にならないくらい長いですからね。短い生を、それぞれのやり方でまっとうする。そんな人間の生き方をとても美しいと思うんです」


 人間の頭をなでる。さらさらとした髪を指で弄ぶ。

 

「大丈夫ですよ。他の誰かがあなたのことを否定しても、私はあなたの味方ですから。たとえ全世界が敵になっても、私はあなたの傍にいます」


「むう、せっかく甘やかしたいのに、距離があると寂しいですね。ちょっと隣失礼しますね」


 ガサゴソと人間のベッドに潜り込む。距離が縮まる。顔が目と鼻の先の先にある距離。


「あ、あったかい。……えへへ、これで本当に傍ですね。人間がこんなに暖かいなんて、私この温度好きになりそうです。これが命の暖かさなんですね……」


「え、『顔真っ赤』? 今だけは言わないでくださーいーよー。これでも頑張ってるんですからー」


「でも、全部演技じゃなくて本当の事なんですよ? あなたは偉い偉いですし、人間の暖かさも好きです。……頭、ギュってしてあげますね」


 人間の頭を抱きしめる。


「ああ、私これ好きです。あなたの命を全身で感じてる感じがして。あったかいなあ。あなたの鼓動、とくんとくん、ってすごく優しくてもっと聞きたくなっちゃいます」


「私の心臓の音聞こえてますか? 死神にも心臓はあるんですよ。え? 『めちゃくちゃバクバク言ってる』? それもいーわーないでくださいよー。そっちの心臓の音だけ落ち着いてて私がばかみたいじゃないですか」


「『緊張してる』? 本当ですかー? まあ、それならいいですけど……。でも、甘やかしてるんですからリラックスしてくださいよ」


 人間の背中に手を回してゆっくりとさする。

 

「ほうら、ゆっくりとなでてあげますからね。あなたは偉い偉いです。苦しくても一生懸命生きてるんです。私が死ねば楽になるよっていっても生きようとしてます。いや、そこは私的にはちょっと不満なんですけど……。それでも、それは尊いことだと思うんです」


「辛い時には泣いてもいいんですよ。私には、あなたの弱いところいっぱい見せてくれてもいいんです。どんな悩みも辛いことも、全部抱きしめてあげます」


「だって私はあなたの死神ですから。あなたが私に望んで命を差し出すとき、あなたの抱えている弱さとか、苦しみとかそういうものも知っておきたいんです。そうすればその時の感情はもっと味わい深いものになると思いますから」


「命って私たちからしたらとても素晴らしいものなんです。だからその命が辿る生きる軌跡は、もっと素晴らしいものだと思うんです」


「苦しみも辛さも全部教えてくれていいんです。私がぎゅっとしてよしよししてあげます。あなたの全てを受け入れますから」


「はい、はい。辛いことがあったんですね。辛くて心が沈んじゃうんですね。ならぎゅーってしてあげます。私の心臓の音だけ聞いて、ゆっくり呼吸してください。『いい匂いがする』? えへへーいいでしょう? ちょっといいボディソープ使ってるんです。いい匂いがするでしょう? それから、私の心臓の音がするでしょう? ちょっと速いかもですけど……それ以外の事はぜーんぶ忘れちゃっていいんですよ」


「ぎゅー。あ、あんまり嗅がれるとちょっと恥ずかしいんですけど……。でも今だけは特別ですよ? 今日はお姉さんですから」


「『膝枕がしてみたい』? ええ、いいですよ。ほんとに甘えん坊さんですね」


 ベッドを這い出して、腰掛ける。人間の頭を私の太ももに乗せた。


「ふふん、私の膝枕はあなたが初めてです。このですべすべな太ももに酔いしれてください。あ、ちょっとお腹の方は向かないでくださいねくすぐったいので。私はそんな安くないんですよ。まあ、あなたが命を喜んで差し出してくれるなら考えなくもないです」


「『温かくて柔らかい』? ええ、そうでしょうそうでしょう。て、ひゃあ! ちょっと、くんかくんかって嗅がないで下さいよ、太ももがくすぐったいです。『お姉ちゃんなら許してくれるんじゃないのか』? それはそれ、これはこれです。私だって乙女なんですから」


「まあでも、これはこれで悪くないですね。なんだかあなたが私のペットになったみたいで。ふふ、あなたと一緒の暮らしです」


 ふーっと人間の耳に息を吹きかける。


「ふふふ、驚きました? ちょうど目の前にあったから悪戯しちゃいました。ほら、ふー、ふー、ふー。うふふ、ぴくぴく震えて可愛らしいですね」


 人間の顔をお腹側に向ける。ローブと髪の毛が擦れた。


「こっちの耳にも、ふー、ふー、ふー。て、あちょっとこっち向くのはダメですって言ったじゃないですか。そりゃ向けたのは私ですけど、乙女に対するでりかしーってものをですね……耳かきをしてほしいんですか? はい」


 ローブの中から準備してきた耳かきを取り出す。

 

「うふふ、私の耳かきは脳が蕩けると評判なんですからね。ほうら、かりかり、かりかり。結構耳垢が溜まってるみたいですね。大丈夫ですよ、私がゆっくり全部綺麗にしてあげます」


「かりかり、かりかり。ふふ、緩んだ顔しちゃって本当に可愛いですね。もっとリラックスして、私に体を預けてくれていいんですよ。かりかり、かりかり」


「わ、結構大きいの出てきましたよ。すごいです。もう、こんなになるまで放っておくなんて、私が来なかったらどうしてたんですか」


 耳かきについている梵天をゆらす。


「この耳かき、ふわふわもついてるんですよ。これで細かいのも掃除しちゃいますね」


「ふわふわ、こしょこしょ。気持ちいいですか? 気持ちいい? ならよかったです。ふふふ、今なら絶賛あなたの命を歓迎しますよ。え、『命を差し出したらこれが味わえないから嫌だ』? そんなに気に入ったんですかこれ。……全く、しょうがないですね。まあ悪い気分はしないので許してあげましょう」


「こしょこしょ、ふー、ふー。ふふ、だいぶ綺麗になりましたね。反対側もやってあげますね。よく考えたら、私も反対向きに座ればこっち向かれずに済むんですよ。私って天才だと思いません?」


座る向きを反対に変えて、人間の頭を太ももに乗せる。


「かりかり、かりかり。こっちの耳垢は結構しっとりしてるんですねえ。不思議です。ふふ、だらしなく顔緩めちゃって、可愛いですね。お耳の奥、かりかりー」


「今あなたの耳は私の物です。こしょこしょ。でりけーとなので大切に扱ってあげてます。私、物は大切にする派なんですよねー」


「ふー、ふー、あれ、ひょっとしてこっちの耳のほうが弱かったりしますか? うふふ、ふー、ふうー」


「こしょこしょ、こっちの耳も綺麗になりましたね。もっとしてほしい? だめですー。やりすぎは体に良くないんですよ?」


 耳かきをローブの中にしまう。


「代わりに今日は膝枕で寝てもいいですよ。胸をトントンしてあげます。ふふ、お母さんが昔よくやってくれてたんです」


 人間の胸をゆっくりとん、とんと叩く。

 

「とん、とん、とん。ゆっくり、ゆっくり眠りに落ちていいんですよ。隣に私がいてあげますから」


「とん、とん、とん。ふふ、安心しきった顔しちゃって赤ちゃんみたい。ままですよー、とん、とん」


「とん、とん、とん……。あれ、寝ちゃったみたいですね。まあ、起きるまではこうしててあげますか」


「なんだか幸せそうな寝顔ですし」

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