変わるもの、変わらないもの
束白心吏
変わるもの、変わらないもの
あれほど日中うるさかった蝉の鳴き声がいつの間にか遠くで蜩の鳴き声になっていた。引っ付くような暑さに不快感を抱きながら靴を履き終えれば、タイミングを見計らったかのようにインターホンが鳴った。
今は盆前、親戚が来るのはまだ先と考え、誰が訪ねて来たのか考えながら扉を開ければ、いたのは私が想定していなかった幼馴染だった。
「こんにちは
「……
翡翠色を基調とした浴衣を着た幼馴染は行儀良く挨拶までしてから私の姿を見ると、くすっと誰もを魅了するだろう可愛らしい笑みを浮かべた。
「知音ちゃんも準備万端だったんだね」
「そっちこそ。綾香もお祭り?」
「うん。毎年一緒に見てるでしょ?」
見てる、というのは花火のことだ。今日の祭りの最後には、町内でも一、二を争う大きさの花火が打ち上がる。それを私は綾香と毎年一緒に見ていたことを指している。
とはいえ今年からは綾香は他の友人と見るだろう。そう考えると、少し悲しい気分になる。
「知音ちゃんは何か買ってくの?」
「んー、焼きそばでも買おうかな」
「型抜きはやらないの?」
「今年はいいかなぁ」
そんな気分でもないし。
他愛のない会話を10分ほど交わしながら歩けば、いつの間にかお祭りの会場に到着していた。
私は母から貰っていた……というより渡されたお金で焼きそばを買う。
「お祭り価格って言えば聞こえはいいけど、正直ぼったくりだよね」
「確かに」
それからいつものように綾香の好きな綿飴を……っと。
「綾香は綿菓子食べる?」
「自分で買うよ」
「いいよいいよ。私、渡された分で残ったお金、返すよう言われるから」
別に渡されたお金だから気にしたくはないけど、お金にガメつい母は数年前本気で実行した。なので使い切りたいのが本音だ。
屋台のおじさんから綿飴を買って、綾香に渡す。こうしていると、幼い頃に戻った気分だ。
「知音ちゃん、そろそろ行こう?」
「え、うん……」
途中まで道が一緒なのか……この辺りの通りの地図を脳内で開いて、いつも花火を見ていた場所までの道順を改めて辿る。
私の目的地は山の中腹の開けた場所だ。今いる場所から真っ直ぐに行けば山に入れるけど、その間に待ち合わせに使える場所ってあったっけ?
そんな私の疑問も知らず、綾香は隣で綿あめを美味しそうに食べながら歩く。
改めて綾香は変わったなと思う。肩甲骨の辺りまで伸ばされた、手入れも欠かせていないのだろう艶やかなロングヘアーに、傷一つない玉のような白い肌。中学時代からオシャレに興味があったのか肌のお手入れは欠かせなかったようだけど、高校に上がってからメイクも始めたのか、綺麗さにより一層の磨きがかかっているように思う。贔屓があるかもしれないけど同性の私から見てもそうなのだから、クラスの男子から人気が出るのも納得だ。
「? どうしたの?」
「あ、なんでもない」
あまりに凝視し過ぎたか、視線に気づいた綾香が不思議そうに振り返る。
まあ今や手の届かない場所にいる彼女だ。あまり見過ぎるのは目に毒というもの。
話題も尽きたまま歩くこと暫し。山へ登る道まで来た私達だが、綾香の待ち人らしき人物はいない。
不思議に思い立ち止り、辺りを見渡していれば、先に坂を上っていた綾香が私の名前を呼んだ。
「知音ちゃん?」
立ち止った私の方に早足で駆け寄ってくる綾香。他に友人と待ち合わせといった様子もないことが不思議でならず、私はついつい声を発した。
「あんた、友だちと見るんじゃなかったの」
「知音ちゃんだって友達でしょ?」
それより早くしないと始まっちゃうよ? と急かされ、綾香と肩を並べて急こう配な坂道を上る。
「こうして歩くのも、久しぶりだね」
「確かに」
どこからともなく聞こえる蜩の鳴き声を背景に、ぽつりぽつりと、言葉を交わす。
これも久しぶりだ。半年……とまではいかないが、高校に上がってからは中々話す機会もなかったため二人でいると酷く懐かしい気分を覚えた。
「綾香のことだから、今日もクラスの仲いい奴と見て回ると思ってた」
「……そうかな」
「そうだよ」
高校デビューってやつをして綾香は一気に目立つようになった。私自身、悪目立ちする質なもんだから一緒にいて目立ってなかったかと問われると微妙なところだが、新たな場所で新たな友人に恵まれたのは確かだろう。
目的地の前にあるホテルの駐車場の自販機でそれぞれ飲み物を買い、私達だけの秘密の絶景スポットに入る。うん。相変わらず誰もいない。
「そういえば、ここを教えてくれたのは知音ちゃんだったね」
「……昔から穴場なんだよね。ここ、木が生い茂ってるから見つけづらいの」
人付き合いが苦手で、嫌なことがあると外をあてもなく歩いたり走ったりは日常茶飯事だった。それこそ誰もいないだろう場所へと進んで行ったから、ここ以外にも実は穴場はあったりする。まあ、花火を見るならここが一番だけど。
私の言葉がツボに入ったのか、綾香は肩を震わせる。
「教えてくれたときもそう言ってた」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
昔を懐かしむように、綾香は目を閉じる。
そういえば、私が綾香をここに連れてきたのって――
「私がいじめられてるところを助けてくれて、泣いてる私を笑わせようって、ここに連れてきてくれたこと」
「……そうだったかもね」
思い返すと照れくさい。自分でもらしくないことしたなぁと思ってる。それがまあ私の人間関係の、そして綾香の人生を大きく変える分岐点になってるんだから、別に後悔とかはないけど。
「――たぶん、その時からなんだよね」
流れが、変わった。
綾香の纏う雰囲気が、ほわほわしたものから張り詰めたものに変わった。嫌な予感が幾つも脳裏を過る。拒絶か、絶縁か、絶交か……どれも言葉は同じか。しかしまあ優等生で可愛い子ちゃんな綾香だ。私という存在は重荷、いや負の遺産にしかならないのだろう。
ま、私としてはよくここまで関係が持ったって感じだけど――
「私が、知音ちゃんのこと好きだったのって」
「……はい?」
――私は思わず聞き返していた。
何と言った? 脳が綾香の言葉を認識することを拒む。
「好きだったの。ずっと」
いつの間にか私の方に体を向けていた綾香は更に続ける。
「初めて助けてくれた時からずっと気になってた。私を慰めるために秘密の場所に連れてきてもらえた時は嬉しかった。知音ちゃんのお家で初めてやったゲームは楽しかったし、オススメされた本は全部覚えてる」
綾香の言葉と共に、覚えのある記憶が幾つも脳裏を過る。
「……ありがと。私も好きだよ。親友として」
だから私の口から出たのは、そんなありきたりな、彼女の言葉の真意を捻じ曲げたものになった。
「違う! 私は、一人の女性として、知音ちゃんを好きなの!」
綾香が叫ぶと共に、花火の打ち上げが始まり、大爆音が文字通り腹の底まで響いて来た。
眩しいな、と思う。花火も、綾香も。同時に「ああ、彼女と私では住む世界が違うんだな」と再認識させられた。
彼女は魅せる側なのだと。自分の足ひとつで歩いていける強い存在なのだと。
「私がどうして髪型を変えて、メイクまでしたか知ってる?」
「自分を変える為、じゃないの?」
「それもあるけど――一番は、知音ちゃんと好みに近づくため」
「私の好み?」
そう自分で言っていて、脳裏である時に綾香とした会話が再生される。あれはいつだったか、時節までは覚えてないが、私の母の持ってる好きな少女小説を教えてた時だったのは確かだ。
『知音ちゃんはこういう主人公が好きなの?』
『んー、別に。どっちかってと、優等生なキャラの方が好みかな』
――と。
しかしあれは創作における好みの話であり、現実における好みというのは考えたこともなかった。
「ねえ私、知音ちゃんの理想の女の子になれたよね?」
上目遣い気味に綾香はそう聞いてくる。その表情はズルい……そう思うと共に、少しは創作における趣味嗜好が現実で好きな容姿に重なる部分があるんじゃないかと考え直してる自分がいて嫌気がさす。
「なってるわよ」
「じゃあ――」
「でも私は、綾香らしい綾香が一番好きだよ」
「! それって――」
「私の趣味に合わせなくていいってこと」
私はそう言って先程買ったお茶を一気に半分くらい飲み干す。
綾香がどう捉えたかはわからない。だけど少し思った。あの日あの時に綾香を助けようと思ったのは、私も綾香のことが気になっていたからなのかもしれないと。
「……久々にウチ来ない? ゲームしよ」
「対戦系はダメだからね」
「わかってる」
私は好きなんだけど綾香は対戦ゲームの類が苦手だ。育成ものやシミュレーションゲームを好んでやってた記憶がある。あの頃から殆ど綾香しかやってなかったので埃をかぶっているだろうけど、久々にそういうのをやるのも楽しいかもしれない。
花火はまだ終わっていないけど私達は下山する。こうして途中で降りたのは初めて一緒に花火と見た時以来か。
隣を歩く綾香はというと、私の右腕をがっしりと掴み、手は指の一本一本を絡めて絶対に離さないと言わんばかりに引っ付いていた。
「そういえば知音ちゃんは勉強してるの?」
「私が無計画なのは知ってるでしょ。そういう綾香はどうなの」
クラスの人気者になって、夏休みに色んな人から誘われていたのは知っている。それを思い出してモヤモヤした気分が湧きあがっているのを察したのか、綾香は腕への抱き着きを強める。
「計画的にやってるから、一緒にやろ?」
「……クラスメイトと遊ぶ約束とかはいいのか?」
「全部断ったから大丈夫」
「はぁ!?」
思いがけない言葉に思わず荒々しい大声が響いてしまう。花火中だったのが幸いか。
そんな私の反応が面白かったのか、綾香は笑って言う。
「だって皆と遊んでたら、知音ちゃんとお祭りにいけなかったかもしれないじゃない。それに、お稽古があるって言ったら、皆信じちゃったし」
そう言いながらメッセージアプリのグループチャットを軽く見せて来る綾香。
……確かに、今の綾香はお嬢様然としてるけどさぁ。
「小悪魔になったわねぇ……」
「でもこういう子も好きでしょ」
「はいはい好きですよ」
悪戯に成功した子どものような笑顔を見ていると怒る気すら失せてきた。
なんだかんだで、綾香も変わってないんだなと安堵する自分がいる。これも惚れた弱味ってやつかしら……なんて。
変わるもの、変わらないもの 束白心吏 @ShiYu050766
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