十二話 解離

朝から考えたくもないことを考えるのは、気だるさが増す。朝ぐらい、朝ボケのまま、頭を整理する時間が必要だ。


「シネ!」


この男子、俺のクラスメイトでは無い。つまり、無差別に人を操っているのか。しかし昨日とは違って、武器を持っていない。いや、そこは大して重要なところではない。俺が言いたいのは、操っているやつが今、この学校にいることだ。俺より早く、学校に着いて何がしたいって言うんだ。相当、いや、かなり俺のことを恨んでいるみたいだ。


人を操るのに躊躇がないとすれば、俺はかなり難しい奴を相手している。素性も分からないそいつの動機を探らなければ、このデジャブは再び繰り返される。俺に対しての恨みか、こういうのを趣味として行っている奴とか。頭ごなしに考えることは、相手がどうなっているかということ。意向を気にしているわけであり、そいつをどうこうするつもりもない。ただ、説得と共に、目的を知りたいだけだ。


よりかかろうとする男子は急にしゃがみ始めて、下から足のアッパーを見舞いしてきた。変則技、こいつ、柔道部のやつか。やけに体つきがしっかりとしている。昨日の奴らとは違う、風格や厳格も。威圧された心は、潔い考査をし始めていた。見た目で判断してはいけないというのも頭に取り入れていた。この場合、見た目よりオーラの方が舌にあっている。


「ハッ…!」


足のアッパーを避けたものの、後ろによろけ初めて、次は腹に向けて、パンチをしようとしていた。もろに喰らえば、呼吸困難になって、しばらく、立つことも出来ないだろう。まぁ、俺は勝敗を決める性格ではないが、今回は俺の負けだ。どうしたっても、こいつの技に勝てるわけない。が、俺は触手で自分の身を守ることだってできる。意志が認識された瞬間、右手首から蛸の触手が飛び出した。その速さ、コンマ零点一。


新幹線のような速さを目の前で体感した瞬間、男子のパンチを止めていた。さっきも言ったが、俺はこいつに勝てない。肉体的な理論では。だからこその、この触手だ。言うなれば、試合に負けて勝負に勝ったのようなものだ。まだ、勝ったとはほぼ遠い状況にはあるが。


触手で男子の手を払い除け、その男子から少し離れる。あの男子は近づかれなければ、攻撃をすることが出来ない。なるべく、距離を取って戦うべきだ。戦うとは言っても、あの男子を殺すことはない。あくまで、鎮静化が目的だ。挙句、あの男子から操られた情報を手に入れられることが出来たらいいんだが。


キーンコーンカーンコーン。


学校のチャイムが鳴る。そう、ここは廊下であり、誰もがいないわけじゃない。この戦いは''タイムリミット''が存在する。この現場を先生、生徒にも見せるわけにはいかない。常に時間を意識しなければならない状況だ。


「早めに終わらせてやる。」


触手を勢いよく、伸ばしていく。縄のように捕まえようとするが、瞬発力に避けられてしまう。何回もそれを繰り返すが、捕まえることは不可能に近づいてきた。一筋縄ではいかないとはまさにこのこと。現実を見る時がきたと、言いたいところではあったが、神の力を持つ俺がそれを考慮することは無理だ。最も、原始的な解決が一番望ましい。伝統、風化。それより、習慣の方が近い。


一つの観測、つまり、一つの見方を変えればいい。奴に近づけば、攻撃される。なら、その隙を狙えばいい。遠ければ遠いほど、攻撃した後の思考と隙の時間が相手に会得されてしまう。だからこそ、近づいてその時間さえも潰してしまえばいい。押してダメなら引いてみろ、ならぬ、引いてダメなら押してみろと言ったところだ。とすると、意味合いが勇気あるものだけが叶う、綺麗事のようだ。それこそ、偽善の建前。それは綺麗事かと言えば、善に等しい、綺麗事だ。


「これが綺麗事だったら良かったのにな。」


溜息のように独り言を言う。その瞬間に、男子がこちらに向かってくる。最大限ではなくていい。確証でもなんでも手に入れられたら満足だ。確証というのにも、これで成功しなかったという失敗もどちらにも手に入れられる代物だ。確証を得るというのは失敗でもいい。いや、これは偽善の建前、言い訳の権化だろう。後先、考えることは運命触手で分かるというのに俺は何を思考しているのだろう。確証と、決めつけたい心の迷いなんだろうか。


狙いを定めた。触手は完全に奴の間合いに入っている。殴られそうになった途端に、奴の体を縛り、触手を伸ばして、距離を置く。やっと、息をつく暇ができた。確証という、心の迷いも息をついた瞬間に消えていた。あくまで、気の迷いと言ったところだ。垣間見える、迷い。多分、きっとそう。


記憶の回廊。この男子の回廊を辿っても、やはり、黒髪セミロングの女子が最後の記憶であった。まぁ、想像通り。彼女がこの事件の犯人だ。朗報か悲報か。朗報と考えるなら、浜名の恨みではなかったこと。悲報と考えるなら、神の力の持ち主は相当な奴ということ。どちらにしろ、俺はこいつと立ち会わないといけない。よくよく考えれば、変な思想がなくなった割には、面倒事に巻き込まれている気がする。運命か、それとも神の力の施しを受けているのか。これこそ、変な思想であるからして、矛盾点が生じているような気もする。




一限目。朝のことがあってから、その後は何も起こらずに授業が始まった。平然が保たれるクラス。窓から入る風が心地よくて、眠ってしまうほどだ。しかし俺は油断大敵を拒まなければならない状況にあった。微かに残る、違和感。それと、運命触手による感知。平和を剥奪とした、緊張感溢れるこの状況に、言葉が溢れてしまいそうになる。


飲まれている。そう思っても、体は硬直し、それを愚弄するかのように身震いを行う。猫が警戒した時のように、毛が逆立つ。もちろん、髪は逆立ちはしないが、その気になれば出来そうだ。ではなく、数キロメートルを走った後の息遣いと同等のものができる。つまり、相当、参っているというわけだ。記憶に写る彼女のせいなのか、いや、それはない。自分がどれほどに自分が大切なのか知りたいだけだ。みんな勝手に生きて、勝手に死んでいく。生きたからやり遂げたのではない。死んだからやり遂げだのだ。


生物的な観点からすれば、人生に目的は存在しない。ゲームで言うところのオープンワールドみたいなものだ。目的は存在しないが、最終地点は存在するという、深く掘り下げた初期設定だ。言ってしまえば、自分が何かをしない限り、目的が定まることはない。生きるのが目的か、死ぬのが目的か以前に、心の拠り所が人にはある。それが最終地点になるかなんて、未来が分からない世界にとって、ほんの些細なことでしかない。


神の力を持ってまでして、死ぬって言うなら話は別だろう。もし、もしも、俺がこの事件の犯人に出会ったとしたら戦いになる筈だ。避けても避けられない、血塗られた運命の戦いとも言える。厨二病心をくすぐられるものの言い様を真に受けなくてはならない。まさか、そいつを殺すとか、そんなことを考えたことはない。恨みも妬みもないそいつに、なぜ、意味のない制裁を求めなければならないんだ。


説得までとはいかない。浜名の時のように、刺激する言葉を相手にぶつけるのはなしだ。ちゃんと相手を考えて、思うこと他ない。しかし、黒髪セミロングという印象は、かなり覚えやすい部類だと思うが、そんな人に会った覚えがない。いや、もしくは、覚えがないだけで会ったことがあるのかもしれない。推測でしかないし、考察を含めた理論でしかないが、今まで会ってきた男子三人は、ゾンビのような、脳に損害を負った形跡が見られた。正しくは、脳を操られたと言った方がいい。相手がもし、記憶を操作できる力を持っているとするなら、辻褄があう。


一つは、記憶操作。とは言っても、これは大体的な能力であって、具体的ではない。もう一つは、記憶消去。その者を知った瞬間に記憶を消して、追跡できないようにしている。そう考えるのが妥当だ。ただ、曖昧な点がある。黒髪セミロングという認識を理解できなくなる状態に陥る。もしくは、それをずっと考えていなければ、記憶から消去される。つまり、その者の認識が甘くなってきている。記憶消去ではなく、不認識にさせる、俺の力とは、かなり異なる力だ。回りくどくて、自分の消息を曖昧にできるのは、犯罪をしても分からない。


俺がまだ認識できる理由は、運命触手による影響だろう。あの黒髪セミロングを直視する点では難しいが、記憶の内側には内蔵できる。潜在記憶とは違う、内側に残り続ける記憶だ。姿、形が曖昧になる現象、それを認知症というのであればそうだろう。それに等しく近いことは確かである。だが、一重にそれを肯定するわけにもいかない。黒髪セミロングに会ったとしたら、認知していた記憶の会った記憶を思い出すのか、初めからの初めましての記憶なのか。それを断定したところで黒髪セミロングは俺のことをすぐさま、攻撃出来る。


先手必勝という言葉。ゲームにおいて、先手が有利になるものはほとんどない。だからと言って、油断してはならないのだ。それを含めての先手必勝、いや、油断をさせないための言葉だとするなら理解出来る。


「これで、授業を終わりにします。」


学校のチャイムと共に先生がその言葉を言う。日直が挨拶をし、俺はすぐさま、柳の後を追うことにした。嫌な予感を心に抱く。柳の道先は暗闇に伸びていく。曖昧な妄想でしかない。ただ、今は自分を信じることにする。


柳は危険なく、島莉さんと話せているようだ。安心、それよりも、身の危険を感じていることに違和感だ。自覚している、それをより強く意思表示するなら、具体的な指数を称すべきだ。何が一か、百か知ったことでは無いけども。それよりもだ。この廊下、こんなに人通りが悪かったか。いや、もはや、生徒一人誰も通ってない。立ち入り禁止の黄色い看板さえも記憶に残っていない。それすら、彷彿とさせる静けさの前に所謂、この場合、デジャブという言葉がお似合いだろう。


またまた、危機感を覚えさせられる。ピリつくほどに、士気が高まるほどに。自分を見失わないことが一番大切だ。どれが自分なんかなんて、必要ないだろう。それが油断なのならば、己を甘く見すぎている。信じるべき姿は自分だ。危機感を自覚するために。これが例え、デジャブであろうとも。


一方通行である廊下に、前から後ろから二組の男子生徒が来ていた。以前同様に、ゾンビのような動き方でこちらに向かってくる。速さは例えを凌駕したものだが。明らかにおかしい雰囲気を異なる現実だと称さなかったのは、慣れてしまったからということ。罠にはめられた。とは言っても、犯人の目的が分かったかもしれない。柳を追うことを阻止しようとする。俺との関わりを壊そうとしている。


違う、島莉さんを殺そうとしているのか。仮説、そうだとしても、辻褄が合うことばかり。説を説と表したが、立説される結果に直視しなければならない。結果の行為か、仮説の行為か、どちらを取るべきか。あくまで、不可侵の条件でしかない。


四人の男子生徒を潜り抜け、犯人がいるべき方向に向かう。運命触手を使っているわけじゃない。目的が分かった以上、犯人を追うことは簡単だ。もし、条件として、認識を甘くさせるという力は自分だけの認識であるなら、''目的''自体は自分としての認識では無い。だからこそ、目的が一緒であれば、犯人の行方を追うという認識ではなく、目的がただ同じだっただけの話になる。つまり、犯人を不認識の内に認識すればいい。


廊下を駆け抜ける。開放感と緊張感。それを同時に浴びるのは、初めてだ。そこに誰かいようとも、いなくとも、目的はただ一目に置かれる。


「待て!」


そこには、俺の記憶に残る犯人の特徴。黒髪セミロングがいた。俺を見るなり、屋上へとの階段を駆け上がっていく。考えれば、彼女からの直接攻撃はされていない。追い詰めれば、こっちの方が有利だ。


あれ、誰を追いかけていたんだろう。とりあえず、屋上に行くか。何かをまた見て、忘れた気がする。俺は多分、黒髪セミロングに会ったんだ。これを自覚できるのは短時間だ。今のうちに彼女までに辿り着かなければ。ただ、本当に屋上が正解なんだろうか。思い至った思考は、認識があやふやになったための理由である。力の影響を受けて、誤情報が与えられたのなら、屋上にいるという認識は、違うだろう。一概にそれを否定することが出来ない。曖昧すぎる。


自分の記憶を見ることが出来たらと、考えることは都合のいいこと。まずは、自分を信じてみるしかない。今は、誤情報さえも一つの証拠だ。階段を駆け上がり、屋上のドアを開ける。風が入り込み、夏が近づいているはずなのに、寒いように感じた。悪寒、それに近い何か。


「黒髪セミロング…。」


「…流石ね。」


「さぁ、話してもらおうか。」


確信した。こいつとは一度、話したことがある。


「公君、この名前の呼び方に違和感を感じないなら、記憶が保たれているんでしょうね。」


ニヤッと、口元が上がる。前にも感じたことかもしれないが、仕草はとてつもなく、アイドル的な行為である。


「あぁ、なんならお前のことを思い出したよ。役常相やくじょうさが。」


「嫌だなぁ、公君。私はサガと呼んでと言ったはずだよ。そこは覚えていないのかな。」


「そんなこと、どうだっていいだろ。お前の目的はなんだってんだよ。」


「まずは、私の神の力の答え合わせといこうか。神、ムネモシュネから授かった選ばれたものの力、記憶を操れる力!」


「ペラペラと…。やっぱり、神の力を持ってたな。」


「嫌だなぁ、公君。私は私利私欲のための力だと思うから神は関係ないよ。私だけの力であり、力だけの私なのだから。それより、公君だって、神の力を持っているんでしょう?」


「別にお前みたいにペラペラと話すつもりは無い。」


「ふーん、まぁいいか。それじゃ、私の目的だったかな?」


「柳を狙っている。確かそんなことを言われた気がするな。」


「正解。私が言う目的とは、柳君を私のものにすること。でもね、そんな簡単な話じゃないんだよ。記憶を操るっていうのも難しいことでね。」


「柳の記憶を変えて、お前のことを好きにさせればいい話だろ?」


「でも、それはただの偽りの愛でしかない。私が私利私欲という存在を邪魔だと思うなら、柳君をものにするのは本当の愛では無いといけない。これは感情論ではあるけどね。」


「そのままアタックしたところで、島莉さんに負けて終わりだろ。何がしたいんだ。」


「柳君をものにするのは、単に恋愛的な意味だけじゃない。本当にモノにするのも手の内。柳君が関わる人間も、その全てを絶って、私だけを見てくれる存在に仕立て上げる。公君と島莉さんをくっつけ、バスケを辞めさせ、友達すら作れない状態にすれば、きっと私のことを見てくれる。」


「それはただの架空だ。口だけではなんとでも言えてしまうんだからな。全てが上手くいくとは限らないし、それが本当に正義だと言うこともないが。神の力を持っていたとしても、全てが手に入るわけじゃない。」


「何を言っているの?私は私利私欲の塊。それすら、自分の存在意義として認められる。私は全ての記憶を読み取り、世界として崇めたてられる。そう、本物の神のように。」


「そうだとしても、お前は何かを失うしかない。全ての記憶を見たとしても、得られるものは簡単な達成感なだけだ。」


「達成感だなんて、私はそんなのを求めているっていうの?違う、私は完璧であることが大切であって、完璧になるための道を見ているわけじゃない。結果の行為!私は結果の行為だけを信じてきた。楽を求めた人間のような存在ということ。」


「なら、なんでお前はまだ柳を手に入れていないんだ。完璧になるための道を見ることが出来ているからこそ、恋を認識してるんだろ。俺は仮説の行為だ。終わりよければすべてよしなんて言葉は結果の行為の判別だ。完璧になるための道を見てきたからこそ、その言葉を使っていいんだ。そもそも、みんながみんな、完璧にならなくていいんだ。人間にはそれぞれに目的があり、それが最高到達点だ。」


「私は…私があるべき姿は私利私欲。勉強をしても、本を読んでも、記憶を見ても、結果の行為にしかならない。誰も私を見てくれない。仮説の行為は私以外、見てくれない!」


「だからどうした?仮説の行為を誰に見てほしいって言ったんだ。誰もそんなのに興味を持ちやしない。でも、自分だけはそれを組まなく見ることができるんだ。結果の行為は自分を見ているんじゃない。相手しか見ることが出来ない。相手から賞賛されたからこそ、相手から認識されたからこそ、結果が生まれたんだ。そこに恋とか架空とか思想とか何にもつまっていない。私利私欲じゃなくて、自己満だろ。」


「なんで、じゃあなんで、柳君は私のことを見ないの!仮説の行為だとするなら私は自分自身をよく見てきた、よく考えてきた。でも、結局、誰も努力を見てこなかった。皆、結果しか見ていなかった。」


「仮説の行為は誰にも見られない。でも、結果の行為は皆、お前のことを見ている。この事実は変わらない。けど、仮説の行為を信じたからこそ、結果の行為を貶すことなく、自分を見ることができるんだ。何も結果の行為が全て悪いわけじゃない。原因が存在するから、結果が出る。その原因が努力だとするなら、あくまで、結果の判別がなしとなったわけだ。サガ、お前はいい所があるだろう?」


「いい…所?」


「ああ。お前は仕草がとてつもなくいい。仕草の中には、明るさやコミュ力もある。誰にも話しかけられるし、元気を与えられるし、褒めることができるし、お前が当たり前だと思っている結果の行為は俺たちにとって、仮説の行為なんだよ。まだ、説が立証することは難しい。でも、お前は結果の行為でそれを判別させた。成功させたんだ。」


「私の…良さか。私が結果の行為で得たのは、良さ。」


「柳が手に入らなくても、仮説の行為を認めてくれるやつはいっぱいいる。結果の行為が見つからなくても、それを褒めてくれる奴はいるんだ。だから、結果の行為だけを見るなよ。」


「……。」


風はいつの間にか消えて、静けさが残っていた。あの時、俺は結果の行為を選んだ。でも、それはサガを否定していることになる。今だけは、仮説の行為に浸りたい。自分はまだ、救うことさえも難しい。褒めることも。


「俺はあんまり褒めることが上手くない。慰めもサガにとって、良くないよな。もうすぐ、チャイムが鳴る。先に教室に戻ってるな。もし、答えが出たなら教えてくれ。」




放課後、俺は役常相を忘れることなく、覚えていた。サガが力を使うのをやめてくれたなら、それでいい。彼女の運命は彼女が決めるべきだ。多分、結果の行為を俺は納得してしまったんだ。運命でさえ、結果によるものでしかないのに。誰にも認められないからこそ、誰かに認められたい。彼女の気持ちは誰にでも理解出来る倫理だ。


校門を出ようとすると、誰かに腕を掴まれる。今までにない感覚だ。誰かに引き止められるのは、初めてであった。


「ごめんなさい。」


後ろを振り向くと、俯いたサガがいた。顔が見えないから、言えることなんてたくさんあるんだ。そのままでいい。


「…なぁ、サガ。俺は別に謝ってくれって言った覚えは無い。」


「嫌…だなぁ、公君…。私は…!」


俯いていた顔がゆっくりと上がり、涙の跡がある彼女の顔をしっかりと視認できた。子供が泣きじゃくる手前の、あんな顔を彷彿とさせながら、息を飲みながら、ゆっくりと、俺のことを見つめる。


「私は私利私欲のために生きてるんだよ。だから、謝る必要がある。違うな、これは謝る勝手があるんだよ。」


声を震わせながら、泣くのを我慢して、制服のシワが出来るほどに掴む手を強くする。何かに縋りたい時、人間は誰かに掴まっていたいんだ。俺もそれを体験してきたからこそ、理解出来る。


「…良かった。それでこそ、役常相なんだろ。」


「うん…っ!」


是が非でも、人間はあるべき架空を見始める。何がなんでも成功させようとするものは、結果の行為しか見ていない。努力を惜しまず、努力を自分のステータスだと感じて。しかし、結果の行為は見ているだけで、認めているとは限らない。誰が何を言おうとも、努力を見ているのではなく、叶えられた架空を認めているのだ。恋だって、叶えられない志願、架空を見ている。


「それにしても、神の力ってのは意外にも、特別じゃないのかもな。」


「なんで?」


「人智を超えた存在だからこその力なのに、何もかも上手くいくわけじゃないってことだよ。」


「確かに。自分のままでいけるというわけじゃないね。」


「まぁ、その方がいい。何せ、俺達は人間だからな。」


「そうだね。」


歩いてきた道を振り返り、二つの通り道に差し掛かる。まるで、人生の分かれ道のように。いつもと同じ風景ではあるのに、実際はいつもの様に感じていた風景でしかない。考えが違うことで、この風景はいつもの姿になるとは限らない。この道だって、簡単な選択肢の内の一つであり、考える必要のない日常であることを肯定したただの道だ。


「じゃあ、また明日ね。公君。」


「ああ。」


サガは自分とは違う方向の道へと行った。彼女の後ろ姿は、とても晴れ晴れしていた。自分とは違って、陽明がはっきりしている。迷いとか、償いすらも、乗り越えてきたんだろう。俺はそんなことを、そんなことすら出来なかったんだ。人にあれだけ言っといて、自分はただひたすらに自分を理由として避けているだけの自分勝手な身である。俺のこの道はそういう道だ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━遅くなりました




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