八話 甘い蜜

相変わらず、教室から聞こえる魔の声は俺の心をズキズキと痛め付ける。先生はこの現状をまるで見向きもせず、事が収まるのを願っているだけだ。


毎日が憂鬱って、世界に一人だけな気がする。別に憂鬱とか思わなくなってきたものの、客観的に見て、いや、可哀想な視線で見て、俺はかなり憂鬱な気分を促されている。今日の浜名のことは、みんなにはバレていないらしい。先生が言うには、浜名はあのままどこかへ行き、学校を早退したらしい。これには俺も反省だ。これでは、浜名を救ったのではなく、俺自身が浜名との決着をつけたかった。という、意味合いになってしまう。柳と山名にだって、浜名のことを勘づかれてしまう。


自分が何をしたのか、今になって実感する。でも、あれぐらい言わなければ、しかし、他に方法があったのだろうか。浜名をより傷つけない方法が。


休憩時間になり、柳と山名に廊下に呼ばれた。柳の人気は変わらず、山名にスポットが行くこともある。これが格差か。


「天宮、なんかしたのか?」


「…黙秘権を行使する。」


「黙秘権って…。浜名さんに何かしたって言うの?」


柳と山名は、少し不安そうな顔でそう質問する。流石に柳と山名に嘘を貫き通すのは難しい。俺の気持ちどうこうもそうだが、この二人は意外にも、''察せる''能力がある。意外とも言ったが、俺は元から気づき始めてきたことであり、今日になって確信が着いた。


「とにかく、お前らに言う資格は俺には無い。事が収まるまで、待ってくれ。」


言い訳苦しい。俺は何もすることが出来ない。浜名に対して、あんなことしか言えなかったなんて。この二人に言ったら軽蔑されるだろうか。自分は思ったより、心配症で、それが苦痛になる。いじめより、傷つくのは自分の感情によってコントロールされた意思だ。それは自傷行為に近く、惨めで、孤独だ。


「…柳。僕は天宮の意見を尊重するよ。」


「何でだよ。山名は悔しくないのか?」


柳はいつもより、トーンを落として言う。


「悔しいって──」


「俺は天宮を救いたい。お礼をしているかも怪しいのに、天宮を救うことさえ出来ないなんて、俺は到底人間だと思えない。だから、俺は最低な人間だ。何がイケメンだ、何がかっこいいだ。俺はお礼を一つも出来ない、クズ人間だ。」


山名の言葉を遮り、柳は自分をクズ人間だと評した。それは間違いであり、本当の本当にクズな人間は俺だ。四捨五入しても、俺で、あまりも俺だ。柳が背負えるだけの間違いは俺にしかないのだ。柳が俺のための免罪符を持っていたとしても、俺がそれを持った瞬間、腐って溶ける。これは俺が犯した罪であり、救えることが出来ない程の人間が悪い。


「柳がクズだとしたら俺はもっとクズだ。山名は良い奴で、柳は俺より人でありだ。」


「どっちも良い奴すぎるよ…。」


山名は俺たちに聞こえないような声で言う。目に見えない友情は確かにここにある気がした。俺は友情だとか、愛情だとか目に見えなくて、追えないものだと認識してきた。それが今になって、終(追)えるものだと分かった。


「…とりあえず、信じてくれ。」


俺はこの方法を使わざるおえない状況になってきた。あまりにも非人道的で、非常な行為をしなければならない。これは最終手段として残していたんだけどな。


「…分かった。」


柳は自分の非を認めた上でそう言ったのか、俺の説得に応じて言ったのか分からなかった。人の気持ちなど、一番理解出来ないというのに、理解しようとしている柳はとんだお人好しだ。




放課後まで、いや、家に着くまで。俺はずっと考え込んでいた。考え込まないと、柳と山名の顔を不意に思い出してしまうからだ。これはある意味、考えたくないというのを意識的に持ちかけている。考えたいけど、今は考えたくないというのは身勝手であり、考えたいと思えば思うほど、それは考えがまとまらなくなり、考えたくない程になってしまう。


最終手段というのは、浜名を運命触手によって記憶改ざんを行うことだ。でも、本当にこれは全てやってからにしたかった。やっても無駄で、やはり頼るのはこの力しかないという限定的な場面で使いたかったが、もう、その瞬間が目に見えるほど迫っていた。


これを使いたくないと主張するのは、浜名の意思を無視して、記憶を改ざんするという抵抗だ。これは人にかける催眠でもあり、呪いでもある。もし、浜名がいじめによって今の浜名が作られたのであれば、今までに浜名がやってきたことを無下にするということだ。それは言わゆる、非人道的行為に値する。


海波さんの時は''トラウマ''を失くすために行った行為であり、自分の中にある良心があまり痛たまれずにすんだ。しかし、今回は違う。まず、根本的な所から間違っている。トラウマにしたのは俺であり、俺でしかない。これは俺がやってしまった罪であり、海波さんがやってしまった行いでは無い。つまり、本来ではトラウマを発現することはなかったのだ。


浜名の場合、俺がやってしまった行いではなく、浜名自身が経験した知識と蓄えが''罪''として認識される。その知識が、蓄えが今の浜名を作っているのならば、俺はその今を破壊しようとしている。もしかしたら、海波さんとは関わらなくなるかもしれないし、自分が美人だということに気づきもしないかもしれない。自分自身が消えかかってしまうのは、非常な行為だ。俺も経験している。


あー、駄目だ。考えても考えても、ただまとまらない問題が混みあっていくばかりだ。


翌日の朝。俺は決意も何もなくなるほどに意気消沈していた。考えすぎて、寝るにも寝れず。一時間しか眠ることが出来なかった。おかげで、俺は瞼が常に閉じかかっている。


結局、浜名に運命触手を使わざるおえないという境地に辿り着いていた。崖っぷちで、人差し指でも触れられたら落ちてしまいそうな程な場所にいる。でも、理想郷に対しての策はそれしかない。


それより、それよりというのも変だけど。眠すぎて、考えがおぼついている。頭がパンクするとはこのことか。いや、これは単純に寝不足。注意が散漫していて、簡単な言葉が違うものに変換されていく。


「あのっ…本当にごめんなさい!」


えっと、誰。


「私…勘違いしてて。酷いこと言ってしまいました!」


勝手に謝られて、勝手に誤解を解かされた。寝なさすぎて、脳が夢を見させているのか。


「えっと…。」


「許してくれますか?」


許すも何も、自分がこの女子に対して何かしたという記憶が無い。状況が上手く、理解出来ない。


「まぁ、うん。許す許す。」


「ありがとうございます!」


そして、その子は去っていった。寝不足過ぎて返事が適当になったが、俺が何をしたというのだ。まさか、いつの間にか俺の潜在意識が女子という女子を狙おうとしていたのでは。それだったら銃で撃たれても、おかしくない。


その後も、その後も。俺は色々な人に謝られた。学校にはいつもよりかは遅く来ていたため、生徒がたくさんいる。それだから分かったのかもしれない。理想郷は既に崩壊していた。


みんながみんな、架空を否定し、現実を見始めた。あの下駄箱の時に謝られた時から既に。海波さんを脅したという誤解はもう、解かれていたのだった。


こんなことが出来るのは、彼女しかいないだろう。そう、海波さんだ。


あの時は、独り言と言って、俺と関わらないという約束を守っていたのに、ここで、約束を破るとは。まぁ、でも、俺も約束事は嫌いだから、いや、約束を破ることは好きだ。そもそも、約束をしないというのが一番手っ取り早い。かつて、ナポレオンも『約束を守る最上の方法は、決して約束をしないことだ』と言っていた。それは俺も賛同する。約束を破って、下手に人間関係が壊れるよりはマシだからな。


教室に入ると、海波さんが周りの人に囲まれていた。俺に恩を着せたのか、はたまた、お礼をしようと思ったのかは俺には分からない。けど、俺は海波さんの蜜を知ってしまった気がする。甘くて、ドロドロしている。そういう蜜だ。




あれからと言うものの、俺への架空はもう無くなっていた。しかし、恐れていたことが起こり始めた。それは浜名に対する架空だ。一人を陥れるというのは、それ程の代償を受ける。それが、今になって浜名に押し付けられている。これは俺の時よりも酷い。代償に代償を重ね、生徒全員が浜名が悪いと仕立て上げてしまえる。正義感の上、浜名が悪いというのは決定づけられてしまう。俺が悪いと思っていたみんなが、あっちに矛先を向けるのは同調圧力もあったものだ。タチが悪いのにも限度がある。


海波さんはこの架空を知った上で、脅された誤解を解いた。あの時に言った言葉は、覚悟を示した意味だったのか。これには俺も驚きを隠せないほど。覚悟は人を大きく変えるのだと、神から伝えられているようだった。


「───んで、俺は恋バナがしたい。」


「どうしてそうなったの?!」


柳と山名が漫才を見してくるのは日常茶飯事だとして、なぜ、恋の話になる。人の話を聞いてなかった俺も悪いんだけど。


俺らは浜名事件(そう呼ぶことにした)を解決し、より一層、仲良くなっていた。俺はまだ、解決だと思ってはいないが、二人はそう思いたいのかもしれない。二人は、お人好しだから、というのも言葉の保険にしかならないが、浜名が勘違いをして、それがわざとだとしても、謝って、誠意を見せれば、みんなが元通りになると思っているからだ。


楽観的な考えだが、それが普通だと、綺麗事としてみんなが言いたい。それはあくまで、願いであり、この世界では、誠意を見せたところで、人情は変わることは無いということ。二人は心がイケメンすぎて、みんなとは違う精神を持ち合わせているが、世間はその人のことを侮辱するのが、常識だ。たらればで、ピュアというのも、罪の一部、なのかもしれない。


「実はな、俺、島莉さんが好きなんだよ。」


「マジ?」


「大マジよ。」


どうやら、柳は島莉花が好きらしい。島莉さんは海波さん率いるグループ、つまり、美少女グループの一人。俺の耳寄り情報だと、グループの中では目立たないくらいの美少女だと言う。それはそれで島莉さんをディスっているようにも聞こえる。目立たない美少女というのも、男子のロマンを活気させる。眼鏡を取れば、美少女だったり、前髪を上げれば、美少女だったりと、その人における特徴的な何かを失えば、美少女の完成というわけだ。だが、その人は美少女というのを隠したいかと言えば、そうでは無い。そもそも、この場合、自分自身が美少女だと言うことに気づいていない。だから、本人の特徴として、美少女を隠しているのだ。


「でも、俺。島莉さんのこと、あんまり知らないんだよな。」


「僕もあんまり知らないから、柳の手伝い、出来ないかも。」


画して、俺も島莉さんのことを知らない。柳の恋の手伝いというのをやりたいのは本心だ。理由は、浜名のことについて、柳から聞けたから、というお礼を含めたものだ。柳に助けてもらって、何か行動に起こさないというのは人間の恥である。


「でも、ゴールデンウィーク中にはデートに誘いたいんだよ。」


「…分かった。柳、俺がどうにかしてやる。」


「本当にいいのか?浜名さんとかの話や海波さんのこともあるだろ?」


「あるにはあるが、いつまでも引きずっている訳にも行かない、だろ?」


「天宮。多分、柳は天宮に対して、信用出来なかったことを悔もうとしてるんだよ。」


だろうなと理解はしていた。あの時の柳の反応は俺の事を危惧した上で、そうなったと言える。みんなが架空を見るのを辞めた時、柳は俺に対して、信用出来なかったことを悔やんでいたのだ。それはそうだとしても、あの状況で俺の事を信用する方がどれほど愚かな者だろう。山名は柳を落ち着かさせるために嘘をついたのではないかと思う、それ程、あの状況の俺の信用度は零だ。


「柳、言っただろ?あの状況で、俺の事を信用する奴の方が馬鹿だよ。俺はそれでいいと思ってるし、何しろ、海波さんのおかげで解決したからな。」


そう、俺の力ではなく、海波さんの力だ。


「…天宮が言うなら、それでいいんだろうな。」


「それより、天宮。海波さんとどうなの?」


「そうだ!恋バナなんだから、天宮の話も聞かせろよ。」


厄介なことにあの事件から、俺は柳と山名に海波さんと何か関係を持っていると疑いをかけられている。というより、好奇心旺盛な目でこちらを見ている。二人に目をつけられているのはいいんだが、海波さんにとって、それは不都合な状態だと言える。


この目は二人だからいいのだとして、それが周りに伝わっていけば、海波さんはあられもない事実を押し付けられる。海波さんにとっても迷惑であり、俺にとっても迷惑だ。少なからず、海波さんと俺の関係は恩の貸し借り状態にあるということ。有耶無耶に出来ないほどの関係であり、そこまでの関係では無い。これが、俺と海波さんの関係性を高ぶらさせている。言えば、同僚以上友達未満だろう。


「別に恋バナ関係なく、ただ単に助けられただけだ。誤解も俺と海波さんが招いたものじゃないしな。」


「ふーん。」


「何だ、その目は。」


山名は俺にニヤニヤとしている。生憎、俺はそういう心を持ち合わせているかと言えば、ないと思う。思うというのは、自分ではまだ分かっていない。それこそ、潜在意識なのかもしれないが、恋というのは自分で自覚するまでが恋だということ。ましてや、海波さんをそういう対象というのなら、違う。


「青春してるなぁ。山名はどうなんだ?」


柳が山名に恋バナを振ることは必然的に分かっていたはずだが、山名は予想以上に焦っていた。

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