二話 蛸として

目覚めるとアルコールの匂いがする、あまり好まれない場所、病院にいた。


布団の温もりを感じながらも鉄骨に直撃した痛さを思い出していた。


「高校…いけなかったな。」


罪悪感が残る中、鉄骨を食らった割には体の損傷は少ないことに気づく。当たり所は完全に満身創痍ではあったんだけど。


「目覚めましたか。」


病室のドアをゆっくりと開けて入ってきたのは病院の先生だ。優しい声で、俺に問う。


「あの、ここは。」


話す言葉が見つからず、病院だと分かっていても、尋ねてしまった。


「ここは病院ですよ。鉄骨に当たるなんて相当でしたね。」


「あんまり損傷を負ってないように見えるんですが、大丈夫なんでしょうか。」


「ええ、私もびっくりですよ。骨が宝石のように硬かったとしか言いようがありません。」


髭を触りながら言う先生は典型的な先生のようだった。


「そういえば、あなたにお礼を言いたいと女子高校生が来てましたよ。あの子が助けを呼んだんだとか。」


あの女子高校生とは、多分、押した女子生徒のことだろう。お礼とかどうでもいいんだけど。会ったら、適当にあしらっておこう。


「…そうですか。」


「親御さんには、高校から連絡があったそうで、すぐにここに来るそうだよ。」


「分かりました。」


先生は病室から出ていき、俺一人だけとなった。


初っ端から俺は不幸だ。因果律は俺のことを全てにおいて嫌っている。未来もこの先も。


それにしても、白い糸は神に貰った力で合っているのだろうか。憶測はそれぐらいで、未来が見えるなら便利だ。様々なことにおいての利点が効く。


気に掛りなのは、あの女子生徒に''トラウマ''を植え付けてしまったことだ。何故かって、それは俺が鉄骨に下敷きにされるという謎演出によってだ。勝手に押されて、勝手に助けられて、勝手に死ぬなんて常識的に考えて、気持ち悪いし、怖い。俺だったら心療内科に行ってる。毎日通えるぞ。


記憶を消せないだろうか。それか上書きとか。


「おい、人間。」


聞き覚えのある重複された声に耳を立てる。


「神様っ!」


「我はハスターだ。まぁ、呼び方なんてなんでもいいが。記憶を消したいと言ったな。」


「言ってはないけど、思いましたね。」


「お前の身から出ている白い触手で、相手の記憶を操作することが出来る。」


「…触手?」


「お前が思っていた糸は触手だ。言っただろう、我は蛸の神であると。」


「確かに言いましたね。」


確かに言ったけど、にしても細すぎる。


「その触手を集中させて、相手の脳内に入り込むのだ。そこから記憶を摘出し、記憶を消すことが出来る。」


「触手を集中させる?」


「その触手は''運命触手''と呼ばれる。我の力の半分ちょっとしか使えないが、問題は無い。この世界だって半分ちょっとだ。運命触手はこの世界の流れを意味する。」


「流れ…。」


「実際に未来を見ているのではない。その先を見ている訳でもない。ただ流れに沿ったある出来事の順列が見れているだけだ。その力を応用し、順列を乱すことが出来るのが運命触手の本来の力だ。」


「ここまで起きた順列を無くすことが出来るというわけか。」


「強いて言うなら、新しい出来事を注入するだけだ。人間はよく、新しいものには敏感と聞く。」


「なんとなく、分かりました。やってみますね。」


「力を利用するのはお前だ。何したっていい。だから、面白い結果を待ってる。」


「飽きないといいですね。」


「神は昔から飽き性だ。」


そう口にしながら、暗い煙の中に消えていった。俺の人生に面白いという言葉はどこにもない。この力こそが今は面白いという定義に当てはまるだろう。


自分を見られているのか、はたまた、力を見られているのか。でも、今は面白いと思われているだけ得している。


そんなことを考えていると、走っている足音が聞こえてくる。小走りでどこか幼さを感じる。


「あのっ!」


病室のドアを強く開けたのは、あの時見た、女子生徒であった。運命的な出会いではなく、必然的な出会い。


「えっと…誰ですかね?」


くどいが名前を聞くのには最適解。あの時助けてもらった丸々ですで、大抵は名前が知れる。


「私は蒼空高校の海波渥美です。」


あわあわしながらも、どこか上品さを感じる自己紹介。俺なら、こんな上品さより、天下一品から天一を引いたようなものを覚えるだろう。


「あー、思い出した。押したこと、怒ってますよね?」


流石に怒ってなかったら、お地蔵さんにでもなれる。この場合、天使か。


「そんなっ!怒っているわけないじゃないですか!」


今、絶賛怒っている。


「落ち着いて…。怒ってないならなんでここに来たんですか?」


天使だったのは間違いなかったが、脅迫か、いや、この場合、殺される可能性を含めといた方が良さそうだ。今のうちに脳内遺書でも書いていようか。


「お礼です、お、れ、い。」


俺がお礼の意味が分からないと思っているのか、強く主張した。そんな事しなくても、分かる。


「別に、お礼なんてもんいらないよ。だって、勝手に助けただけだし。」


今までの敬語を洗い流して、文句たらしく言ってみる。適当にあしらうとはこのこと。


「勝手に助けたなら、私も勝手にお礼をします。」


「はい?」


俺の道理でお礼をしてこようとするとは、さては、かなりの手立てだな。


「だって、そうですよね?勝手にされたことは勝手にすればいいんです。それならウィンウィンな関係を築けますよ。」


確かにその通りだ。これには神も驚愕していることだろう。


「だけど、お礼って何をするんですか?こんな平均的な面白くもない男に何をするって?」


あまりにも嫌味を詰め込めた質問に海波さんは息を飲む。これに関しては俺が悪い。というか、最悪な質問だ。


「…する。」


微かに聞こえるそれは、アリが話しているかのような声量だった。


「えっと、なんて?」


「だから、何でもするって言ったんです!」


顔を林檎にしながらそう言う。出荷時期よりも塾したその顔は恥ずかしさに呑まれている。


「何でもって…そんな。」


何でもって言ったって、何かをするって訳でもない。健全な男子高校生の前でそんなことを言うなんて。まさに蟻地獄に嵌っているじゃないか。


「勝手にしろ、としか、言いようがないです。」


「…そうですよね。」


さっきから冷たい態度をとってしまっているのは、記憶が消せるからだろうか。自分でも怖い。力を手にした人間っていうのは恐ろしいな。


でも、もう、記憶を消そう。決定的な何かは無い。ただ、海波さんが可哀想なだけだ。これは自分を満を持して言っているわけじゃない。自惚れている訳でもない。


「ごめん、海波さん。」


「なんで急に謝るの?」


可愛らしい表情をする。困惑しているが、これはもう夢になる。正夢でも、予知夢でもない。ただの幻想だ。


意識を集中させ、運命触手を海波さんの頭へと向かわせる。すると、脳内に海波さんが持つであろう記憶が入ってくる。


様々な記憶だ。色とりどりで自分が経験したかのような感覚に陥る。懐かしい気持ちや温かい気持ち。それは一種の幻想であることを理解出来ようか。


その中には、冷ややかな、いや、焦りの気持ちが感じ取れる記憶があった。それは俺が鉄骨の下敷きになっている記憶だった。これを摘出すれば、俺との記憶はなくなる。自己紹介をさせたのも、お礼をしようとしてくれることもなくなる。


俺はそんなんでいい。それだから、この世界が成り立っている。俺は躊躇いなく、記憶を摘出した。


意識が戻った。自分に戻ってきた。海波さんは大丈夫だろうか。


「え、あれっ?ごめんなさい!」


自分がなぜここにいるかも分からずに謝って俺の病室から去ってしまった。これで世界の安定は守られた。

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