第3話 ごちそうさまでした♪


「まぁまぁ。今日のところはあまり“通い妻”のことは深く考えないでください。今夜は私が作ったご飯を食べて、楽しく過ごしません?」

「あ、でも気になって「何か不満でも?」……いや、ないです。有り難くいただきます……!!」


 俺の回答に満足気な表情を浮かべた唐澤さんは冷蔵庫から缶ビールを取り出し、俺が座っているテーブルの前に出してくれた。

 一瞬だけ、般若の顔が垣間見えた気がするんですが……


「んっ? どうしました?」

「いや、なんでも……」


 料理の皿をテーブルにコト、と置きながら微笑む唐澤さん。笑顔の裏に隠れた殺意にビビって、何も言えねぇ……。


 うーん、普通に見ている限りは清楚で綺麗な人なんだけどなぁ。どうしてこんなことに……。



 そんな事を考えている間にも、目の前にあるテーブルの上はどんどんと豪華になっていく。


 レンジで温め直した唐揚げを南蛮風にリメイクしたものや、ポテサラにレタスやミニトマトをトッピングした副菜。そして同じく熱を取り戻してアツアツになった、白米ご飯だ。


「ごめんなさい、お弁当の残り物になっちゃうんだけど」

「いえいえ、元々はコレが目当てで来たんですよ? むしろ豪華になってラッキーです!」


 思えばこんな感じで誰かとご飯を食べるなんていつぶりだろうか。


「それじゃあ、乾杯しましょうか」

「えぇ、御馳走になります!」


 プルタブを開けた瞬間のプシュッという小気味の良い音がふたつ、部屋に響いた。


 社会人になっていつの間にか、この音を聞くと団欒の開始の合図となっていた。普段は家でむなしく推しの配信でも見ながら、冷えた飯を腹に収めているが――今日は違う。



「んんんっ、美味しいですねこの鶏南蛮!! 甘辛いタレと酸味のあるタルタルソースが唐揚げのしょっぱさと絡み合って、ご飯もビールも進みます!!」


 揚げたての「カリッ」と「サクッ」は無くなってしまっているけれど、その食感を補って余りあるほどに美味しくリメイクされている。

 元々はお弁当に入っている主力のオカズだし、それ自体にも下味がしっかりとついているからこれだけでも絶品だ。


 それに今回はタルタルというトッピングがついている。同じ味で飽きることが無いし、しつこすぎないから舌も疲れない。


 ポテサラも林檎の細切りが入っているおかげで、口の中を爽やかにリセットしてくれる。唐揚げ、ポテサラ、唐揚げと箸が止まらない。


 ああ、これなら何個でも食べられる気がするな~。



 ――じぃぃいい~



「あっ!? す、すみません……」


 思わず夢中になって食べていたら、唐澤さんのことを放置してしまっていた。彼女はビールの缶に口を付けたまま、俺のことをじっと見つめていた。その頬はすでにピンク色に染まっていて、なんだか色っぽい。


 後で代金はしっかり払うつもりだけど、今は人の家で御馳走して貰っているんだからちゃんとお礼も言わないと。


「あの、今日は御馳走してくださってありがとうございます。久しぶりにこんな美味しいご飯を食べたので……」


 いったん箸をおいて、お礼を込めて頭を下げる。もちろん、正直な感想だ。人の作った料理なんてお弁当以外では無かったし、つい子供みたいにはしゃいでしまったんです。


 おそるおそる顔を上げる。すると、唐澤さんは満面の笑みを浮かべていた。


「たくさん食べて貰えて、とても嬉しいですっ!! いつもは妹と二人きりなので。こんなにモリモリ食べてくれる人が居ないんですよ」


 赤ら顔の唐澤さんはとっても上機嫌だ。照れと酔いが混ざった表情が可愛い。


「こっちのサラダも食べてくださいね♪ はい、あーん」

「あ、あーん……お、美味しいです」

「うふふっ、良かったぁ~」


 このヤンデレお姉さん、距離感がバグっていないか……!?


 あーんをさせながら、彼女はイスを移動させて俺の隣にやって来た。まるで甘える猫のように、べったりと俺にしなだれかかっている。

 そして「今日は妹も居ないから……」と熱の篭もった吐息交じりに耳元で囁いた。


 アルコール臭の混ざったその吐息で、俺の首筋はジリジリと火傷してしまいそうだ。


「あの……もしかして唐澤さん、もう既にかなり酔ってます?」

「ねぇ、井出さん。この家に居る時はミドリって呼んで?」


 頬っぺたを膨らませた彼女は、皿の上にあったミニトマトを指で摘まんだ。それをそのまま、俺の唇へと押し付ける。


「ねぇ、いいでしょう? ここには私と貴方しかいないんだし……誰も咎める人なんて、いないじゃない?」


 ミニトマトのムニュっとした感触。

 それと共に、彼女の細い指がそのまま口の中へと侵入してくる。


「ほらっ、言ってみて?」

「むぐっ……み、ミドリ……さん」

「ミードーリー!! “さん”付けも禁止ぃ!!」


 グイグイと触手のように俺の腔内を蹂躙する二本の指。舌を捏ねるように弄んできた。


 さっきまであれだけ優しかった彼女も、今は俺を苛めて楽しそうに嗜虐的な笑みを浮かべている。


 とにかくこのままでは何かがマズいと察した俺は、無理やり彼女の手を掴んで、己の口から追い出した。


「やめてくださいよ、ミドリ……!! って何をやっているんですかっ!?」

「んん~っ? 井出さんの味見ぃ♪」


 やっと口が解放されたかと思ったら、今度はその指がそのままミドリの口の中へ。

 そのままチュパチュパと音を立てて、こちらを熱の篭もった瞳で見てくる。


 こ、これは間接キスどころじゃないぞっ!?

 美味しそうに自分の指をしゃぶる姿は、明らかに男の俺を誘っているじゃないか。



「ねぇ、井出さん」

「――な、なんでしょう……??」

「私ね……心も身体もポッカリ穴があいてしまって、とっても寂しいの。だから……アナタで埋めて欲しいなぁって」


 唾液とはまた違う生唾がゴク、と喉を通った。

 この人、いったい俺の何で穴を埋めさせようとしているんです!?


「つ、つまり……それって……」

「んふふっ。全部口で言わないと分からないかしら?」


 そんなことを言いながら、段々とミドリの顔が俺に近づいて来る。


 どうしよう、俺は何をすれば正解なんだ!?


 クソッ。会社の求人のように、未経験者でもウェルカムなんですか!? でもアレってあくまでも、建前なんですよね!? う、上手くやれるのか俺ぇええ!?


 テンパり過ぎて、俺は目を回しながら意味不明なことを考え始めている。そんな事をしている間にも、もう唇が触れそうな距離まで近付いていた。


 ――えぇい、ままよ!!



 ようやく覚悟を決めようとした、その時。

 玄関の方から騒がしい物音がした。


「ただいまー、お姉ちゃん。もぉ~雨がひどくって、ビショビショになっちゃったよ! ってあれぇ? 誰かお客さんが居るのぉー!?」

「……チッ」


 あれ? 妹さんが帰って来たみたいだ。

 っていうか今、舌打ちしませんでしたか!?


「しょうがない、今回はここまでか……」


 ミドリは残念そうな表情で、俺の座る椅子から離れていった。

 妹さんが廊下を歩いてこちらへ近づいて来る音がする。


 た、助かった……!?

 あぶない、本当に襲われるかと思った。


 ご飯を食べに来たのに、逆に喰われるとか洒落にならないぞ。

 あれ? 逆か?

 もしかしてコレって、俺にとってもおいしい展開だったのか!?



「井出……誠さん、また明日も来てくれますよね……?」

「え、どうして俺の下の名前を? って、それは俺の……っ!!」


 ミドリの指に挟まれていたのは、俺の名刺と免許証。俺がスーツに入れっぱなしだったものだ。まさか下の名前どころか、職場も住所も掴まれている……!?


 そうだ、俺がお風呂に入っている間に身元が分かるものは全部把握されてしまったんだ。もしや、スマホの中身も!?


「私は通い妻なんですから。家や連絡先は当然、共有してくれますよね?」

「え?」

「それとも――」


 彼女は俺の耳元に口を寄せると、妹さんに聞こえないよう小声で囁いた。


「私が押し掛け女房になっちゃいましょうか?」

「――!?」



 ニコニコとした笑顔で、俺の返事を待つミドリ。アレは、俺に有無を言わせない気だ。

 おいおい、完全に詰んでるじゃないか……。


「は、はい……よろこんで」


 どうやら俺はもう、この怖くて可愛い通い妻からは逃げられないようだ。



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