第2話 弁当屋に通っていたら通い妻ができました


 弁当屋に併設された、こぢんまりとした一軒家の居間。そこには、半裸の姿で髪をびしょ濡れにさせている人物がいた。


 ……残念ながらその人物とは、アラサーのお兄さん(自称)である俺である。



「どうしてこうなった!? 俺はただ弁当を買いに来ただけなのに!?」


 残業をどうにか切り抜け、土砂降りの雨の中を走り、俺は夕飯を求めて行きつけの弁当屋に飛び込んだ。そうしたら店のオーナーである唐澤さんがこんな事を言い出した。


『井出さん、お腹が空いているでしょう? 私もまだですし、店じまいしたら一緒に食べません?』


 ……いやいやいや?

 客と従業員の関係でしかないのに、流石にそこまでして貰うのは気が引ける。


 気持ちは嬉しい。だが俺も紳士的な男を自負している。せっかくのお誘いだが、俺は固辞して帰ろう……そう思ったのだが。


『私と一緒にご飯を食べるの、そんなに嫌なんですか……?』


 と涙ぐまれてしまった。

 そんなに俺と食べたかったのか!?


 まぁ、帰っても一人で食べるだけだったし。

 一緒に食べる人が居てくれた方が、そりゃあ寂しくは無い。そこまで言うなら……


 据え膳食わぬは紳士にあらず……ん? なんか違う気もするけど、まぁいいか。


『なら、店先でもお借りして一緒に食べましょうか』


 だからそんなことをポロっと言ってしまった。


『店先なんて言わず、こちらの母屋おもやにどうぞ〜』


 一転して恐怖を感じるような笑顔になった唐澤さん。


 気付いたら問答無用でこの家に押し込まれてしまった。そして何故かスーツを乾かすからと脱げと命令され、更には風邪をひくからとお風呂を借りることになり……今に至る。居間だけに。



「そもそも、いくら常連だからって、未婚の女性が無闇矢鱈むやみやたらと男を家に上げるモンじゃないぞ!? 世の中には豹変して襲っちまうような、野蛮なハレンチ野郎だっているんだからな!」


 と言いつつも、俺はさっき唐澤さんが出してくれたお茶を有り難くズズズ、と啜る。


 彼女は弁当屋である『グゥの音亭』のオーナーであり、俺の癒しだ。そんな人を襲うなんて恥知らずな真似はしない。


 ちなみにその唐澤さんはと言えば、俺のスーツを乾かすと言ったきり、そのまま何処かへと行ってしまった。俺の一張羅のスーツが雨に濡れたままでは明日の出勤で困るだろうと、気を利かせてくれたのだ。



「しっかし、初めて女の子の家に上がったが……うん、どこを見ても可愛いな」


 この家には現在、唐澤さんと高校生の妹さんの二人だけで住んでいるらしい。

 男が住んでいるような気配はまるで無い。


 俺が一人暮らししている部屋と違って、ゴミなんて一つも転がっていないし、ちゃんと整頓もされている。


 きっと彼女は綺麗好きで几帳面な性格なのだろう。

 お店で売っているお弁当も彩りが良くて、隙間なくキッチリ詰められているしな。


 そう考えると、彼女にとってこの部屋は大きなお弁当箱みたいなものかもしれない。

 そして所々に置いてある可愛いクマのぬいぐるみやクッションは、ひょっとすると妹さんの趣味かな?



「どうしたんです? 部屋を見ながらクスクスと笑って。何か変なモノでもありました?」


 棚にあった写真立てを見ていた俺の後ろから、私服に着替えた唐澤さんが話し掛けてきた。

 おっと、あんまり人の家をジロジロ見ているのは失礼だったな。


「すみません。あまりにも自分の部屋とは違い過ぎて、物珍しかったもので……」


 俺はそう言い訳しつつ、今度は彼女から目が離せなくなっていた。

 あぁ、今の俺はとんでもないハレンチ野郎だと罵ってくれてもいい。


 ――彼女があまりにも可愛すぎたのだ。



 普段の唐澤さんは、お店のユニフォームとも言える白シャツにエプロンというカチっとした姿。

 長い黒髪は紐で留めてポニーテールにしている。


 だが目の前に居る彼女は髪をおろし、Tシャツに短パンという非常にラフな格好になっている。

 襟のあるシャツと違って襟元が緩いせいで、彼女の薄め(推定B)のおっぱいがチラチラと見えてしまっていた。


 ……とはいえ、俺は女性の胸をいつまでもガン見するほどの変態じゃないので、他にも目を向ける。


 日焼けも無い真っ白な手足は、細すぎず太すぎず。

 実に俺好みのほどよいムチっとさで……って俺は何を言っているんだ!?



「ふふふ。さっきから井出さん、目がキョロキョロとして挙動不審ですよ?」

「あぐっ!? も、申し訳ない……!!」


 絶対にコレは、俺が唐澤さんをいやらしい目で見てしまっていたのがバレている……!!

 でも何で彼女はそんなに嬉しそうな顔をしているんだろう??



「井出さんはもう“通い妻”なんですから、この家は自分の家だと思ってゆっくりしてくださいね?」

「あの……さっきも言っていましたが、その“通い妻”とはいったい……??」


 俺の質問に「もう、またそうやって知らないふりを……」と返しつつ、唐澤さんはお弁当を電子レンジに放り込んだ。温まるまでの合間に、今度は冷蔵庫を漁り、野菜を切ってサラダを作り始める。予想通りというか、手際が良い。慣れた手つきの包丁使い……だけど、なんだか今は少しだけ恐怖を感じる。


「ほら、昔から女の家を訪れることをそういうでしょう? ご飯を食べに私の店にくる……これって立派な通い妻だと思いません?」

「か、通い妻って……まさか、俺がそうだって言うんですか!?」


 通い妻というのは元々、平安時代の貴族が妻の家を訪れて愛し合う行為だったはず。それとこれとは、状況が違い過ぎないか!?


 だが彼女にとってはそうではないらしい。ニッコリ頷いて、通い妻についての詳細を話してくれた。


 なんでも唐澤さんいわく、現代の日本でもそれが週末婚というカタチで再び流行っているらしい。

 同じ住居で生活をせず、余裕のある週末などにパートナーの家を訪れると言ったものだ。


 敢えて同居しないことで、限られた時間を演出。その時間を大事にすることで、二人の愛情は最高に盛り上がり…………なんだとか。すごい長い沈黙のあいだに、何か期待するような含みがあった気がするけれど、敢えて詮索はしない。聞いたらなんだか大変なことになりそうだし。


 ともかく、だ。ようするに今の俺の状況は……!?


「さっき井出さんは私に『毎日でも唐澤さんのご飯が食べたい』って言ってくれたじゃないですか。アレはもちろん、そういう意味で仰ったんですよね?」


 え? どういうこと!?

 それは客として弁当を食べたいという意味であって……。


 思わずそう聞き返そうと、口を開きかけて……そのまま、閉じた。

 ふと目が合った彼女が、ドロドロに濁った黒い瞳を俺に向けていたからだ。それも、怨嗟を込めたオーラを纏いながら。


 あのまま続けていたら、その右手に持った包丁の先がどこへ向かうか分からない。そんな恐ろしい雰囲気だった。



 そう、俺はようやく気付いたのだ。彼女は――


「これからは井出さんのご飯は私がお作りしますので。だからちゃんと食べて、お仕事を頑張ってくださいね……ア、ナ、タ♪」



 か、家庭的なヤンデレだったみたいだ……!!




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