Interlude

I-1 賽は落ちる

「ふん、ふん、ふふん♪ ふふふん、ふんふん、ふふん♪ ふん♪」


 照度の高い人工灯がスポットライトのように配置され、どこまでも続いている、異様な空間。

 外に面した区画がなく、自然光が一切差し込まないその空間に、奇妙な歌声ハミングが木霊する。


 男の声。調子の外れた、きしむような、しかし上機嫌に刻まれる、その韻律。

 どことなく愛嬌がある声質のせいもあり、それ自体はひどく愉快な印象を与えるが、場の有り様と全く合致しない。その不協和が、人工灯の作る影、暗がりを見るものに意識させ、むしろ陰鬱な気配すら感じさせる。


 調度もまた奇怪。機械的に並んだ陳列棚に収められているのは、ひしゃげた弾丸、原型を想像することも出来ない金属の破片、風雨にさらされた船のオールと、統一感がない物品の数々。


 ただ一つの共通点は、血痕――どれもが、色褪せて赤黒く変質した、生物の血に塗れているということ。

 刀剣、室内外の調度、銃器、兵器に至るまで。それらがどのように扱われ、傷つけられた存在の返り血を浴びたか、物語るような配置で明かりの下にえられている。


 延々と続くその光景の向こうに、一室、高級な木材のパーテーションで仕切られた事務室オフィスのような空間がある。

 内部は広く、ゆとりのある作り。

 しかしながら、所狭しと並べられた、巨大な硬質ガラスの直方体群にスペースを取られ、随分と圧迫されてしまっている。


 だが、主はそれで一向に構わないとばかりに、上機嫌な鼻歌を奏で続けている。空間に余裕があることよりも、好ましい景観や内容物がどれだけ己の領域に詰め込まれているかに関心を持つ人物のようだった。


 実際、硬質ガラスの直方体ケースに収められているのは、この世に二つとない代物だった。


 それも当然。

 内部に存在するのは、生物――、切り拓かれた生物の標本。

 頭頂部から足先まで両断、二つに分割され、いかなる手法によってか腐敗も汚れもなく、その姿形を明瞭に晒し続けている。


 表情はことごとくが苦悶に歪み、未だ生と死の狭間にいるかのよう。

 その視線に向き合えば、常人は例外なく正気を蝕まれるだろう。


 そんな狂気の眼差しの只中にあって、くつろいだ様子で歌い続ける声の主、一人。

 小柄な男だった。肥大した鷲鼻、ぎょろりと覗く大きな瞳。立体映像ホログラフとして机上に映し出された、粒度の粗い映像を背景に、色濃い血の汚れがこびりついたナイフを磨き、満足げな様子で目を細めている。


 しかし部屋に据え付けられた古風な通話機のベルがなると、男は素早くその作業を中断し、流れるような仕草で受話器を取り、応答した。


「はい、“係争屋ディスピューター”でございます。ああ、お世話になっております。お送りした拷問用個体の出来はいかがでございましたか。ええ、ええ、左様ですか。それはようございました……」


 片手に持ったナイフの光加減を確かめながら、慇懃な口調で頷く男。


「はい、ええ。それで、次の係争やりとりではもう少し数を都合出来ればと。ありがたいことでございます。ええ、凄惨な人死にが増えるのはわたくしのやまぬ“願い”でございますから。しかし申し訳ございません、此度の準備には、いささか、ゆうの方を頂きたく」


 電話口に立つ相手がいぶかしげに問いを発する。〝係争屋ディスピューター〟と名乗った男が、そのように曖昧な返答をするとは思ってもみなかったようだ。


 男は喉を鳴らして小さく笑うと、言った。


「いえ、実を申しますとわたくし、今は“仕入れ”のために現実にくだっているところでございまして。ええ、直接出向くだけの価値がある逸品でございます。入手のあかつきには、ぜひお客様にもお薦めの方致したく。ええ、はい、それではまたこちらからご連絡を……」


 会話を終えると、男は机上に視線を向け、足を組み、再び目を細める。

 映像は望遠と思しく、高速で動き回る対象の姿を完全に捉えきれてはいないが、その相貌は折々に確認できる。

 夜の市街に溶け込む黒衣、流れる長髪、そして虹の瞳。 


「さて、“幻想破りキャンセラー”か。“円卓”にしては初動が早いと思っていたが、なるほど、預言がついたのであれば納得も行く。商談・惨殺と危険リスクは常に隣り合わせ、何とも致し方のないこと」


 言葉とは裏腹に、その口元にはひどく好戦的な嗜虐の笑みが浮かぶ。


「抗戦には反撃を、それも可能であれば悲劇的ショッキングな、横っ面を鉄槌ハンマーで殴り飛ばすような一撃を。この澄ました人形面が歪むところが、見たいですねえ……」


 男が無から取り出した“願い”は、片手に乗るほどの暗色の立方体キューブ

 無数の配線ケーブルで覆われ、鮮血を思わせる赤いランプが静かに明滅している。


 賽子さいころを振るように、男が立方体を机上に放ると、それは音もなく消失し、街の全景を映した立体映像の中へと転がり落ちていく。


 喉を鳴らして小さく笑うと、男は再び血塗れのナイフを手に取り、奇妙な鼻歌を歌い始める。

 室内に、そして広がる男の識域に響く歌声を、居並ぶ標本の群れだけが聞いていた。

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