第2話 見えない芸術

 。人間の目には見えないそれを、そのレンズを通して写しだす。肉眼では見えない世界を、そのフィルムに焼き付ける。現代はデジタル画像の発展が著しいが、彼が写真を知ったそれは、誰もが忘れつつあるフィルム写真だった。


 失敗の許されない写真。現像するまで分からない写真。写真の中には美しい風景が写され、風景の中には山が、山の手前には森が、そして、森の真ん中には人が写っていた。彼はその写真に魅せられて、写真の風景を見つづけた。「綺麗」

 

 そう、思わず呟いた。写真のそれは、首つり自殺を写した物なのに。すべての調和が取れていたせいで、死の先にある美を感じてしまったのである。彼は小学生の感性で、その恐ろしい美を読みとった。


 「生」と「死」が混ざった美は、「最上に美しい」と。そして、その感性を「褒める人もまた美しい」と。自分と館長しか居ない写真館の中でそう、感じてしまったのである。彼は自分の隣に目をやると、真剣な顔で館長の目を見つめた。


「この写真、? ネットの動画で観たけど。これって、悪い奴でしょう? 悪い写真なのにどうして、飾っているんですか?」

 

 小学生らしい真っ直ぐな質問。少年は普通の大人が見せる遠慮を知らないで、館長に子どもの本能をぶつけた。「他の写真は、そうでないのに?」

 

 館長は、その疑問に微笑んだ。まるでそう、少年の感情をくすぐるように。相手の頭を撫でては、それに「この写真が特別だからだよ」とうなずいたのである。


 館長は少年の頭から手を退けると、今度は寂しげな顔で正面の写真に視線を移した。「この写真はもう、二度と撮られない。僕がどんなに臨んでも、ね? 写真の彼女はもう、この世に居ないんだ」

 

 少年は、その言葉に押しだまった。写真の内容もそうだが、その話ですべてを察したらしい。館長が「クスッ」と笑う横で、「ムッ」と苛立ってしまった。少年は両手の拳を握ると、今度は館長の顔を見あげて、その目をじっと見はじめた。「周りの人には、怒られないの?」

 

 その答えは、「怒られる」だった。が、それに「でも」と加えられた。館長は写真の女性に視線を戻して、それに永遠の哀を見せた。


「諦めてしまった。最初は、『こんな物は、張るんじゃない』と怒られたけど。最近は、誰も言わなくなった。僕が頑として突っぱねるからね。僕の異常を罵る人も、仕舞いには疲れてしまったんだろう。過去の事実は、揺るがせない。『写真』とは、時間の一部を切りとる芸術だから」


 その一言に「え?」と驚く、少年。どうやら、「芸術」の部分に戸惑ったらしい。こんな物を「芸術」と言うのは、本当の天才か異常者にしか思えなかった。


 少年は館長の異常性に「才能」を感じる一方で、その良心に「やっぱりおかしいよ」と訴えた。死者の写真を載せるのが、(館長の意思を汲んでも)芸術には思えない。芸術の名を借りた、「愚弄」としか思えなかった。魂への敬意が無い物は、どんな物も芸術にはなりえない。

 

 少年はそう感じて、館長の芸術を諫めようとしたが……。館長には、それが通じなかった。少年がどんなに怒っても、それに「分かっていない」と返して。挙げ句は、「君もいずれ分かる」と笑いだした。


 少年は彼の異常性に震えたものの、内心では新しい感覚、滅びの美を感じはじめた。「最も悲しい物は、最も美しい物。だから」

 

 撮る。カメラの中に収めて、それを表す。「印刷機」と言う機械を使って、それに美を流しこむのだ。他者には最低の思考でも、本人には最高の思考なのである。少年はそんな雰囲気を感じて、館長に自分の気持ちをぶつけた。彼のこれからを決める、運命の気持ちを。「僕も、こんな写真を撮れるかな? 館長さんのような」

 

 館長は、その疑問に微笑んだ。「それを待っていた」と言わんばかりに。少年の頭を撫ででは、その変化に「頑張れ」と言ったのである。


 館長は少年の頭から手を退けて、目の前の写真にまた視線を戻した。目の前の写真にはやはり、首吊りの様子が写されている。「写真は、永遠だ。時の洗礼を受けてなお、その輝きを決して失わない。君がこれから進んでいく世界は、そんな時間を切りとる世界だ」

 

 少年は、その言葉に胸を躍らせた。頭では、「不謹慎だ」と分かっていても。「道」と言う言葉が、その不遜を弾いてしまったのである。自分の道を進むためなら、どんな外道を厭わない。社会の良識が襲ってきたとしても、その良識を「ねじ伏せよう」と思った。少年は自分の夢に希望を抱いて、写真館の中から出て行った。「良い物を撮ってやる」

 

 最初は、どんなに下手でも。自分の力を信じて、この道を進んでやるのだ。「僕の気持ちが折れない限り。僕は、真実の写真を撮りつづける。普通の人には見えない、本当の普通を」

 

 少年はそう感じて、夕方の道路を歩きつづけた。多くの人が通る道路を、そして、様々な人生が交わる道路を。夕日の光を背中に浴びて、その道を黙々と歩きつづけたのである。少年は自分の家に帰ると、(父が家に帰るのを待ってから)自分の両親に「お願いがあるんだけど」と言った。「買って欲しい物があるんだ」

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