第2話 拡散
嫌な毎日だった。表面上はいつもと同じだが、その裏側では異様な事が起こっていた。家の洗面所で歯を磨いていると、鏡の隅っこに変な物が見える。学校の教室で友達と話していると、その背後に気配を感じる。そんな異変が四六時中、あらゆる方向、あらゆる瞬間に感じられた。
彼女が「ここは、大丈夫だろう」と思っていたファーストフード店でも、その店員が人数よりも一個多い水を持ってくるし。友達とお洒落な食べ物にスマホを向けた時も、そのフォトに不気味な影が見られた。女子生徒は「それ」に怯えて、友達にその内容を話してしまった。「し、信じて貰えないかもだけど! 実は……」
彼女の友達は、その話に聞き入った。半分は「嘘だ」と思ったが、もう一方では「マジ?」と思ったらしい。普段は仲間と恋バナしか話さない女子も、この話に耳を傾けていた。女子達は彼女の話を聞きおえると、それぞれに「ううん」と唸ったり、「嘘、マジ!」と怖がったり、今の話に黙ったりした。「それ、ガチでヤバイじゃん? 自分の家に幽霊が出たなんて。あたしだったら」
倒れる。そう呟いた一人に残りも「うん、うん」とうなずいた。女子達は思わぬホラー話に押しだまったが、やがて「お祓いに行った方がいいんじゃない?」と言いはじめた。「アンタの見間違いかも知れないけど。それがもし、見間違いじゃなかったら? 色々と大変じゃない? 死んだあの子も、ヤバイ奴だったから。下手に放っておくと」
掻き回されるかも知れない。それは、女子生徒も思った。死んだ同級生は、(良くも悪くも)感受性の強い子だった。少しの冗談も本気に捕らえるし、女子達が話す下ネタにも嫌がる。挙げ句は、男子達にも「そう言う話は、止めて」と言っていた。
女子生徒はそんな彼女が「面倒臭い」と思っていたが、その一方では「裏表が無い良い子」とも思っていたので、自分のグループに彼女が入ってくると、周りの友達程ではないが、彼女が好きそうな話題を選んで、彼女と無難な会話を楽しんでいたが……。
それがまさか、こんな事になるなんて。昨日まで生きていた人間が「死んだ」と聞かされた時は、「悲しい」と言う気持ちよりも「なんで?」と言う気持ちの方が強かった。彼女は同級生の葬式に行って、彼女の死を悼み、クラスの女子達と一緒に泣き、そして、人間の死を忘れた。
が、それも昨日までの話。あの図書室で、○○のエッセイを読むまでの話だった。彼女は「エッセイとの関わりは、何も無い」と思いながらも、一方では「彼女がどうして目の前に現われたのか?」と考えつづけた。「あれからもう、随分経っているのに?」
女子達は、その質問に押しだまった。そう言われれば、確かに。死んですぐなら分かるが、時間がこれだけ空いたのはおかしい。女子生徒の前に現われた理由も、何だか「ふわっ」とした感じだった。気まぐれに現われて、気まぐれに脅かしただけ。何かの気まぐれで、「彼女を驚かせただけ」に思えた。
女子達は異変の原因に唸りながらも、一方では冷静な思考を持ちつづけた。「とにかく、お祓いに行ってみなよ? 家の親にも話してさ? 近くの神社かお寺に行けばいいんじゃない?」
彼女も、その提案にうなずいた。自分の頭がおかしくなった可能性もあるが、「そこから行った方がいい」と思ったからである。神社やお寺の住職から「幽霊ではない」と言われれば、(病院の精神科や心療内科に行かなければならないが)幽霊の恐怖からは「逃れられる」と思った。彼女は友達の提案に従って、お化けの専門家に「視て下さい」と頼んだ。「私にたぶん、『同級生が憑いている』と思うんですけど?」
神社の神主は、その質問にうなずいた。除霊で有名な神主だが、彼にも同級生の霊が見えたらしい。神主は神社の中に彼女を連れていくと、その神様に祝詞を上げて、彼女の体から霊を離そうとしたが……。
どうも、難しいらしい。彼女への干渉は無くなるらしいが、その存在自体を消す事はできなかったようだ。女子生徒の頼みで、もう一度とやっても同じ。彼女への影響力が減っただけで、それを祓う事はできなかったようである。神主は女子生徒やその家族も含めて、彼等に除霊の結果を伝えた。「最善は、尽くしましたが。彼女の霊は、やはり」
そこまで聞けば、充分だった。女子生徒の両親は神主に「他の霊能者では、いけますか?」と訊いたが、神主には「ダメでしょうね?」と返されてしまった。
「ここよりも高いところに行っても?」
「お金の問題では、ありませんが。恐らくは、ダメでしょうね? 彼女は、普通の幽霊とは違う。恨みよりも深い何かを抱えた、文字通りの悪霊です。悪霊には、人間の言葉は通じない。ここも決して、弱い神ではありませんが。それでも、薄めるだけで精一杯でした」
両親は、その言葉に肩を落とした。それは、事実上の敗北。神主側の敗北を示す、言葉だったからである。両親は「それ」を聞いて、神社の神主に頭を下げた。女子生徒も、自分の両親に倣った。彼等は神主の今日のお礼を祓って、自家用車の中に乗った。「どうする?」
そう訊く父親に誰も応えなかった。彼等は神主の判断に不満を抱いたが、専門家がそう言っている以上、「今の状態が理想かも知れない」とも思った。「祓えなかったのは、残念だが。ううん、まあいいだろう。相手の影響力も減ったし、こう言うのも意外と慣れるものだ。『それがある』と思えば、意外と怖くない。元は幽霊も、普通の人間だからね?」
女子生徒は、その意見に眉を寄せた。それは第三者の台詞、普通の人間が抱いた感想である。本人の気持ちに寄りそった感想ではない。「そこにあっても、無視すればいい」と言うのは、ある意味で身勝手な意見だった。女子生徒はそんな意見を言う父親に苛立つ一方、母親からも「そうね、確かに」と言われた事で、反論の機会をすっかり失ってしまった。「最悪」
そしてもう一度、「最悪」と呟いた。「あの子の事をいじめ、そんなのはどうでもいい。相手の気持ちは、変えられないけど。それだって、あんまりだよ! 私に取り憑いて」
そう呟いた瞬間に「ハッ」とした。「自分はどうして、あの子に取り憑かれたのだろう?」と、そう内心で思ったのである。怒りの感情は消えていないが、その疑問だけはどうしても消えなかった。
自分はたぶん、あの子に何もしていない。彼女から恨まれるような、そんな仕打ちはしていない筈だ。彼女の皮肉めいた冗談に笑う事はあっても、彼女にそれを返した事はない筈である。彼女は「それ」が疑問で、その日はずっと苛々しつづけた。
異変が起きたのは、それから数日後の事だった。同級生の気配に怯える彼女ではあったが、それが自分に何もしてこない事もあって、相手の影に慣れはじめた頃にはもう、相手に親近感のような物を抱いていた。
女子生徒は朝の洗面台はもちろん、家の廊下で同級生と擦れちがった時や、お風呂の中で相手を見た時も、それに「クスッ」と笑って、彼女の存在を受けいれた。「幽霊ってさ、お腹空くの?」
そう相手に訊いた瞬間、相手も「それ」に首を振りはじめた。女子生徒は「それ」がおかしくて、彼女に自分の疑問をぶつけはじめた。
「眠くならない?」
……ならない。
「家の家族に会いたくない?」
……会いたくない。
「友達と遊びたい?」
……遊びたい。
「ふうん! それじゃ、何して遊びたい?」
……買い物とか色々。
「そっか。私も、買い物に行きたい。お母さんにお小遣いを減らされちゃったから、前みたいには行けないけど。次のテストでいい点を取ったら」
お母さんにお小遣いのアップを願う。そんな願いの入った中間テストは、彼女の想像を超える出来だった。得意な教科も十点、苦手な教科も三十点くらい上がっている。「赤点は、防ぎたい」と頑張った数学も、赤点どころか、平均以上の点を取っていた。彼女は「それ」に驚いたが、それ以上に「怖い」と思ってしまった。「自分が学校の中間テストに臨んだ」と言う記憶、その記憶がすっかり抜けていたからである。
彼女はその異変に怯えたが、それもすぐに落ちついた。異変の恐怖が消えたわけではない。恐怖の正体がふと、分かったからである。背後の同級生に訊いた答えは、彼女の予想とまったく同じだった。……相手はどうやら、自分の体を乗っ取っていたらしい。相手がどの瞬間に入ったかは分からないが、とにかく乗っ取られたのは確かだった。
背後の同級生に恐怖を覚える、女子生徒。女子生徒は相手の方を振りかえって、その顔をじっと見かえした。「お小遣いを上げてくれたのは、嬉しいけど。こう言うのは、止めて? 私もズルしてまで、お小遣いは欲しくないから?」
同級生は、その言葉に怒った。いや、怒ったらしい。本人の気持ちは分からないが、その日を境にして、彼女の姿が視られなくなった。同級生は女子生徒の家から消えると、しばらくはどこにも現われないで、日々の静寂を保ちつづけた。
その静寂が破れたのは、それから数日後の事だった。女子生徒に「あのね?」と話しかける、生徒の一人。彼女は残りの女子達も巻きこんで、彼女達に自分の悩みを話しはじめた。「最近、見るんだ。あの子を、自分で自分の命を絶った……」
それを聞いた女子達が押しだまったのは言うまでもない。彼女達は例の女子生徒も含めて、話の続きを促した。「そ、それで?」
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