終ラナイ青春
第1話 エッセイの余波
◯○は、大衆向けの作家だった。ライトノベルやキャラクター小説のような作品ではないが、その誠実な世界観が受けて、テレビドラマはもちろん、それが原作の映画作品も作られている。
彼女は、その作品群が好きだった。お洒落な小説にはついて行けないが、その世界観には好感が持てる。学校の読書好き達が「流行」を追いかける中で、彼女だけは質実剛健の世界に浸っていた。彼女は学校が放課後になると、クラスメイト達の隙間を縫って、学校の図書室に通った。
学校の図書室は、静かだった。図書室の出入り口に「私語厳禁」と書かれている上、その利用者達も基本的には静かである。授業の課題に「ううん」と唸る者達を除いて、大半は書架の中から持ってきた本を黙々と読んだり、自分の持ってきた文庫本を開いたり、スマホのWeb小説などを読んだりしていた。
彼女もその中に混じって、○○の最新作を読みはじめた。○○初のエッセイ、それも作者の心霊体験が書かれたエッセイを読みはじめたのである。彼女はエッセイのページを捲って、その内容をじっと読みつづけた。「心霊トンネル」
それが作品のタイトル、見るもおぞましい題名だった。題名の下には作者名が入れられ、その全体には不気味な写真が刷られている。彼女は「それ」に恐怖心を抱いたが、自分もこう言うのが初めてだった事もあり、今ではその恐怖もすっかり無くなっていた。「ふうん、こんなところがあるんだ」
夢から覚められない場所、「死」と「生」が繰りかえされる場所。そんな場所が、日本の某県にあるのである。彼女は「それ」が不思議でならなかったが、「目に見える物がすべてではない」と思うと、その可能性もすぐに信じられたし、今の現実でさえも「幻想かも」と思った。
今の自分が見ている物は、脳のどこかが見せている幻想。幻想のそれが、幻想になっていない物かも知れない。自分がそう信じているだけで、本当は幻かも知れなかった。彼女はそんな考えに耽って、学校のチャイムが鳴ってもなお、真剣な顔で今の席に座りつづけた。「あっ!」
そう呟いた時にはもう、遅かった。図書室の窓から差し込む月光、それに照らされた目の前の読書スペース。スペースの周りには様々な物が置かれているが、彼女の周りにはエッセイ本しか置かれていなかった。彼女は周りの景色に首を傾げたものの、一方では「意味が分からない。周りの人はどうして、私に教えてくれなかったんだろう?」と怒って、図書室の中から「ムカつく」と出て行った。
図書室の外もやはり、暗かった。図書室の明かりも消されていたが、廊下の明かりも消されている。彼女が電気のスイッチを押さなければ、廊下の先すら見えない程だった。彼女は「これは、何かの嫌がらせか?」と思って、普通なら怖がる筈の廊下を苛々しながら歩きはじめた。
が、やはりおかしい。自分の感覚がおかしくなったのかも知れないが、それでも「おかしい」と思ってしまった。どんなに歩いても、三階の廊下から抜けだせない。廊下の端にある階段を降りても、そこにあるのは三階。その端に図書室がある、三階の廊下だった。彼女は目の前の光景に驚いて、今の現象に首を傾げた。「そ、そんな? 一体なんなの? 学校の三階から降りられないなんて? こんなの」
おかしい。こんなのは、間違っている。自分はただ、好きな作家のエッセイを読んでいただけなのに。こんな事が起こるのは、どう考えてもおかしかった。彼女はその場に蹲って、自分の頭を押さえた。「これは、夢だ」
あのエッセイに書かれていた通り。夢の上に夢が重なった、現実である。階段の下から足音が聞えてきたのも、「その夢が見せる幻影だ」と思った。彼女は階段の足音に希望を抱いて、階段の方に走りよったが……。
それが最悪の間違いだったらしい。足音の主は見えたが、それが予想外の人物だった。半年前に「○死」した同級生が、その正体だったからである。彼女は頭の上が真っ赤になっている同級生を見て、その同級生から思わず逃げだしてしまった。「うそ? なんなの、あれ? あの子は」
飛びおりた筈なのに? 家の二階から飛びおりた筈なのに? どうして、階段を昇ってくるの? 誰も居ない学校に姿を現しているの? あの子の葬式は、ずっと前に終っているのに。同級生の少女は、級友達のすすり泣きに見送られた筈である。「それがどうして?」
女子生徒は、目の前の光景に怯えた。が、それもすぐに収まった。相手の理由は分からなくても、それが自分に迫っているのは確かだからである。あんな物が自分に迫っている以上、自分もそこから逃げなければならない。図書室の中に逃げこんで、机の下に隠れなければならなかった。
彼女は受付けの下に身を潜めると、自分の体を覆うように抱きしめて、元同級生の足音に耳を澄ませた。同級生の足音は、黙々と進みつづけた。図書室の中に入った時も、そして、部屋の中を歩きはじめた時も。嗚咽の声を交えては、その室内を黙々と歩きつづけたのである。女子生徒は相手の足音に注意を払って、ここから出る機会を窺いつづけた。
が、それを許す同級生ではない。彼女の方は「どっかに行け」と思ったが、本人の方は「それ」をまったく無視していた。受付けの机に近づく、足音。それに重なる、同級生の息づかい。同級生は受付けの前に止まると、机の上に「自分が借りたい本」を置いたのか、嬉しそうな声で自分の正面に「オ願イシマス」と言った。「一週間、借リタインデスガ?」
女子生徒は、その願いに押しだまった。それに応えたら、殺される。あるいは、「連れていかれる」と思うと、それにどうしても応えられなかった。女子生徒は「自分でも無意味」と思いながらも、真剣な顔でうろ覚えの読経を唱えはじめた。「お願い! どっか行って、どっか行って!」
相手は、その願いを無視した。彼女の声が聞えたわけではないが、その気配を察して、机の下を覗きこんだのである。元同級生は女子生徒の顔を見ると、その反応に「ニチャ」と笑って、彼女の体にふわりと飛びついた。
……それがたぶん、気絶の原因だろう。周りの生徒達には気づかれなかったが、女子生徒が「ハッ!」と飛び起きると、それに驚きながら彼女の顔をまじまじと見はじめた。彼女はその視線に怯えて、周りの生徒達に「ごめんなさい!」と謝った。「う、うううっ」
生徒達は、その反応にほくそえんだ。彼女の反応はもちろん、彼女がそれを恥ずかしがって、図書室の中から出ていったのも面白かったらしい。彼女が受付けの生徒に「プッ」と笑われた時も、その生徒に倣って、互いの顔を見合っていた。
彼等は女子生徒の喜劇に笑いつづけたが、受付けの生徒が彼等に咳払いすると、それに「あっ、ヤベッ」と言って、自分の本をまた読みはじめた。「アイツのせいで怒られちゃったよ」
そう愚痴る彼等だったが、肝心の本人には届かなかった。女子生徒は学校の階段を降りて、いつもの駐輪場に向かった。「もう、最悪! あんな夢を見たから」
笑われた。そう言いかけた瞬間に「ハッ」とした。「あれは、本当に夢だったのか?」と、そう内心で思ってしまったのである。○○のエッセイを読んだせいで、「あんな夢を見たのだ」としたら? 彼女は本気でエッセイの呪いを信じかけたが、それを信じた瞬間に「馬鹿らしい」と思いなおした。「そんな事がある筈はない、怖いエッセイを読んだだけで」
あれはきっと、自分の作った夢だ。エッセイの影響を受けて、自分の作った夢。怖い妄想が作りだした夢である。彼女はそう考えて、自分の自転車に跨がった。が、どうもおかしい。自分の家に帰った時は普通だったが、それから夕食を食べると、自分の背後がどうしても気になってしまった。
彼女は家のキッチンに自分が使った食器類を持っていくと、いつもの食休みを挟んで、お決まりの一番風呂に入った。「ふう」
そんな風に溜め息。彼女は自分の顔から洗って、次に自分の腕を洗いはじめた。が、そこで違和感を覚えたらしい。お風呂の温度はいつもと変わらないが、それに妙な空気を覚えてしまった。彼女は湯船の中から出て、浴室の中をゆっくり見はじめた。
浴室の中には、湯気がいっぱい。湯気の向こうには壁があって、壁には水滴が付いていた。彼女は水滴の一つ一つを見て、最後に浴室の鏡を見はじめた。浴室の鏡には一つ、彼女の体が写っている。中学の頃よりは色っぽくなった肢体が、その表面に写っていた。
彼女は不安な顔で、鏡の表面を見はじめた。鏡の正面には……嫌な物、例の同級生が写っていた。同級生は彼女の後ろに立って、そこから彼女を眺めている。彼女が「それ」に震えた時も、それに無表情を保って、相手の反応をじっと見ていた。
女子生徒は、自分の後ろを振りかえった。本音では、振りかえりたくはない。浴室の中から飛びだして、両親にこの事を伝えたかった。が、恐怖がそれを許さない。相手の気配に圧されて、自分の後ろを振りかえってしまった。彼女は自分の死、あるいは、消失に怯えながらも、不安な顔で自分の後ろを見わたした。
……彼女の後ろには、誰も居なかった。浴室の鏡には、確かに写っていたのに。視界の中に入るのは、浴室のタイルだけだった。彼女は「今のお化けは、自分が作った幻。ただの勘違い」と思いなおして、浴室の中から出ていったが……。
やはり、どこか抜けていたのだろう。本人は浴室の中を確かめたつもりだったが、その隅っこには不気味な髪が、誰の髪の毛とも違う髪が落ちていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます