最終話 誘いの代償

 そこで「ハッ」とした。「自分は一体、何していたのだろう?」と。書斎の中で、その意識を戻してしまった。若手作家は不安な顔で、書斎の中を見わたした。書斎の中には様々な資料が置かれ、机の上にも辞書類が乗っている。パソコンの画面には何も書かれていないが、備忘録の中には様々な草案が書かれていた。

 

 若手作家は「それ等」をしばらく見たが、親友の事をふと思いだすと、自分のスマホに手を伸ばして、親友の携帯に電話を掛けた。が、そこに出たのは警察。それも、「◯◯さんですか?」と言う確認だった。


 若手作家はその質問に驚いたが、相手が警察である以上、「余計な動揺は、怪しまれる」と思った。「ここは、落ちつこう。あの夢(若しくは、現実)は、どう意味なのか? その真実を探る方が先だ」と思ったのである。彼は夢の最後に苛立ったが、警察にはあくまで冷静を装いつづけた。「どうして、警察が? アイツ、何やらかして?」

 

 警察は、その疑問を否めた。それどころか、「貴方に伺いたい事があります」と聞きかえした。警察は彼に親友の状態を話した上で、彼にまた「本当に何も聞いていないですか?」と訊いた。「。何か情報は知っていますか?」

 

 若手作家は、その返事に困った。それに「聞いています」と言うのは容易いが、その内容を話すのは難しい。相手に「夢の中で聞いた」と言っても、それを信じてくれるか怪しかった。彼は「夢」と「夢」の内容に眉を寄せたが、警察には冷静な口調で「何も聞いていません」と応えた。「アイツとドライブに行った時も」

 

 警察は、その返事に肩を落とした。「工場の中で倒れていた」とは言え、一応の疑問は抱いていたらしい。彼に投げかける質問からも、その気配が感じられた。警察は彼への嫌疑を残したままで、彼に「電話では、アレなので。詳しい話はまた、後日に伺ってもいいですか?」と言った。「我々も、調書を書かなければならないので。彼が自殺であるのは明らかなようですが、それでも色々と調べなければならないんです」

 

 それに「分かりました」と返す、若手作家。若手作家は警察との通話を終えて、机の上にスマホを置いた。「くそっ、一体なんなんだ?」

 

 ? 過労で倒れただけのアイツが? アイツはまた、自分とあのトンネルに行って……。そう言えば、自分はどうして生きているのだろう? 本当は死んでいるのかも知れないが、仮に「生きている」とすれば、あの場面からどうやって生きのびたのか? 


 様々な憶測は立てられるものの、それが示す答えにはどうしても辿りつけなかった。あんな連中に襲われて、普通の人間は無事な筈がない。まず間違いなく、死ぬ筈である。自分の常識から言えば、それがホラーの現実だった。でも、「そうでないない気がする」

 

 これがアイツ等の仕業なら、この現実さえも「夢だ」と思ってしまった。夢の先に夢が待っている現実、現実と夢が曖昧になった世界。そんな世界に今、「自分の意識が飛んでいるんだ」と思った。彼はそんな現実に対して、細やかな抵抗を試みた。「ネットの世界にコイツを書きこんでやる」

 

 それがたとえ、「無駄な抵抗だ」としても。「何もしないよりは、ずっとマシだ」と思った。相手がそう言うつもりなら、こっちも黙っていられない。神社やお寺での浄霊も、「これには、無意味だ」と思った。


 その二つが本物かどうかも分からないのに? 「現実の浄霊が通じる」とは、どうしても思えなかった。若手作家はネットの掲示板に「これ」を書きこんで、今の現実が夢かも知れない事、その夢から抜けだせない事も書きいれた。「誰でもいい」

 

 この現実が本当ではない事を知って欲しかった。今の自分に疑問を持つ事、現実への恐怖を知って欲しかったのである。彼は掲示板にすべての情報を書きいれると、椅子の背もたれに寄りかかって、自分の目頭を摘まんだ。彼の目頭は、その体温に温まっている。「ふう」

 

 終った。そう思うしかない。本当は終っていなくても、心の内に「終った」と思うしかなかった。彼は担当の編集者に電話を掛け、その彼に「すいません、疲れました」と言って、編集者との通話を切った。「死のう……」

 

 どうせ、助からないなら。「自分で自分の命を終らせよう」

 

 若手作家は家の台所から包丁を取って、自分の喉元に刃を向けた。



 ……だった、らしい。テレビやネットの情報では、自分の家で首を切ったようである。青年は親友の死を知って、激しい喪失感に襲われた。あの親友はもう、居ない。学生時代からずっと一緒だった男は、カルシウムの塊になってしまった。彼は周りの人達から励まされてもなお、胸の喪失感に襲われつづけた。「ちくしょう。俺があんな」

 

 トンネルに連れていかなければ。親友は今も、自分の隣に居たかも知れない。自分の隣に居て、「自殺なんか止めろ」と言ってくれたかも知れない。「こんなのは、人生の一場面だ」と、そう自分に諭してくれたかも知れないのである。青年は彼の墓に手を合わせて、自分の将来をふと考えた。「どうするかな? 今の仕事にはもう、耐えられないし。作家のお前に比べたら、俺なんて」

 

 いや、同じだ。作家も工員も同じ。この社会で働いている事に変わりはないのである。社会の中で働いている以上、今の苦しみからも逃げられない。作家は〆切りに追われ、工員は3Kに苦しむ。これからの社会がどう変わるかは分からないが、現時点では「それ」が変えようのない事実だった。青年は自分の親友に謝ると、悲しい顔で墓の前から離れたが……。


 彼が墓地の出入り口に目をやった瞬間、そこから知らない男が入ってきた。青年は、その男に目を見開いた。男も青年に気づいたようだが、男が親友の墓に向かってきたからである。青年は自分よりも年上の男を見て、その男に「こんにちは」と話しかけた。「◯◯のお知り合いですか?」

 

 男は、その質問に驚いた。見ず知らずの青年にそう訊かれて、心の底から驚いたようである。男は青年の顔をまじまじと見たが、やがて「失礼ですが?」と話しはじめた。「貴方が△△さんですか?」

 

 今度は、青年が驚いた。見ず知らずの男からそう言われて、本当に驚いてしまったらしい。青年は相手の顔をしばらく見たが、ずっと昔に聞いた親友の話を思いだすと、相手にある種の親近感を覚えて、目の前の男にまた頭を下げた。「担当の人ですね? アイツからも、話を聞いています。『自分の事をずっと支えてくれた人だ』と。二人で飲んだ時によく話してくれました」


 担当者は、その言葉に黙った。それに胸を打たれたのか? あるいは、返事の言葉が見つからないのか? その真実は、青年には分からなかった。担当者は若手作家の墓をしばらく見ると、今度は青年の顔に目をやって、その目をじっと見はじめた。「惜しい人が、死んだよ。彼には、才能があったのに。俺は、彼の才能を買って」

 

 その日々をずっと支えてきたのに。それがまさか、こんな事になるなんて。例の一件を知らない彼には、これが「理不尽な事件」としか思えなかった。担当者は墓の前に座ると、陰鬱な顔で自分の煙草を吸いはじめた。


 が、やはり引っかかるらしい。青年が自分に話しかけた事もあったが、担当者自身も自分の疑問に「ううん」と唸ってしまった。担当者は携帯灰皿の中に煙草を入れて、青年の目をじっと見かえした。


「△△さん」


「はい?」


「◯◯君は、本当に自殺なんでしょうか?」


「……たぶん。いや!」


「え?」


「アイツは、自殺なんかじゃない。自殺のように見えても、本当は……」


「△△さん?」


 青年は、その声に息を吸った。そうする事で、自分の罪を振りかえるように。あのトンネルを思いだしては、それに「ごめん」と謝ったのである。青年は若手作家の墓を撫でると、真剣な顔で担当者の顔を見つめた。「これから話す事は、俺の夢です。俺があの日、◯◯と一緒に行ったトンネルの。その場所で色々な事が起こった。本当は、俺が死んだ筈なのに。アイツはきっと、俺の身代わりになって」


 担当者は、その話に眉を寄せた。「俺の身代わり」と言う部分がどうやら、引っかかったらしい。青年が自分に「それ」を「話そう」とした時も、相手の話を遮って、自分の意見を「言おう」とした。彼は青年が何かを知っている、あるいは、「事件の黒幕だ」と思って、ポケットの中に手を入れた。ポケットの中には、愛用のスマホが入っている。


「どう意味だい?」


「言葉通りの意味です。俺は、ある心霊スポットにアイツを連れていった。幽霊が出る事で有名な、心霊トンネルに。俺は自分勝手な理由ですが、『死ぬ前にそこを見よう』と思ったんです。『どうせ死ぬなら、思いきり死のう』ってね? アイツには、その同行を頼んでしまった。アイツは、トンネルの事は知りませんでしたけど。俺は、『自分の気持ちを紛らわせよう』として」


 アイツをドライブに誘ったんです。そう言いかけた瞬間に「人殺しが!」と言われた。青年は「それ」に驚いたが、相手の言葉を「否めよう」とはしなかった。自分は、ただの人殺し。それがどんなに非現実な事でも、自分が原因でこうなった事に変わりはなかった。


 青年は地面の上に膝を突いて、目の前の男に頭を下げた。「こんなのは無意味」と分かっていながら、それでもやらずにはいられない土下座である。「俺、あのトンネルに行きます。事件の原因を作ったのに、自分だけが助かるなんて。世間の人が許しても、貴方が許さないでしょう。俺は、文字通りのクズです。生きていても、仕方ないクズ。俺は……」

 

 。この罪を償うためにも、この呪いだけは絶対に断ち切らなければならなかった。彼は地面の上から立ち上がると、担当の男にまた頭を下げて、自分の車に向かいはじめた。あのトンネルで、自分の命を絶つために。

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