第4話 あの世に逝こうぜ?

 最初は、何も分からなかった。眩い光に目を覚まして。気づいた時にはもう、ベッドの上に寝かされていた。青年は、「それ」に驚いた。自分は、確かに死んだ筈なのに。彼の視界に入ってきたのは、文字通りの集中治療室だった。


 彼は治療室の器具類をしばらく見ていたが、自分に呼吸器が付いているのを見ると、それに目を見開いて、ベッドの上から上半身を起こしてしまった。「なんで? どうして? 俺は、あのトンネルに」

 

 入っていない。そう返したのは、彼の担当医だった。担当医は彼の容態が良くなると、一般病棟のベッドに移して、そこに彼の体を寝かせた。「そもそも、入る事すらできないからね? 工場の中で倒れた君が」

 

 青年は、その話に目を見開いた。話の内容はもちろん、自分が倒れた事に「え?」と驚いたからである。彼はボサボサの頭を掻いて、主治医の目をじっと見かえした。主治医の目は、彼の反応に呆れている。「俺、倒れたんですか? 工場の中で?」

 

 その答えは、「そうだよ」だった。主治医は彼の脈を測って、その瞳に微笑んだ。「疲れすぎだ。君はずっと、あくまで検査の結果だが。ずっと頑張ってきたようだからね? 心身共に参っていたんだろう? 会社の人達は、『そんな事はない』と言っているが。医者の目から見れば、君がオーバーワークしている事くらい分かる。君は、ブラックの環境に耐えすぎたんだ」

 

 青年は、その話に言葉を失った。医者がそう言うなら、「それで間違いない」と思うが。それでもやはり、うなずけない。自分が過労死寸前だったなんて、すぐには信じられなかった。彼は自分の腕に刺さった針を見て、それが点滴の針である事を知った。「アイツは、どうなりました? 俺の友達、作家の◯◯は?」

 

 医者は、その質問に眉を上げた、質問の意味は分かっているようだが、その答えがどうも分からないらしい。青年が自分に詰めよった時も、それに「止めなさい」と言っただけで、今の質問自体に「答えよう」とはしなかった。医者は病室の中をしばらく歩いて、彼の前にまた戻った。


「◯◯は、君の友人だったのか?」


「そう、ですけど? まさか」


「知るわけがないだろう? 病院には君一人しか運ばれてこなかったし。君が◯◯の友人だなんて、病院の方が知っている筈はない。君はあくまで、一人の患者ですないんだから。患者のプライベートには、流石の名医も踏みこめないよ?」


「そんな……それじゃ!」


 アイツは、一体?


「どうなって?」


 医者は、その質問に眉を潜めた。今度は、彼への同情を込めて。「亡くなったよ、◯◯県のトンネルでね。テレビの報道では」


 事故。テレビではそう、報じられているらしい。医者の話を聞く限りでは、それが公にされている情報だった。親友は自分と会った日の夜、自分の車に乗って、あのトンネルに向かったらしい。自分の家に遺書らしき物を残して、愛用の車を走らせたらしかった。「小説の執筆に行きづまっていたようでね。彼が残した遺書にも、その苦悩が書かれていた。『自分はもう、新しい作品は書けない』と、そう汚い字で書かれていたらしい。彼の遺体を見つけた」


 青年は、その続きを遮った。親友の話はもう、聞きたくない。「親友がそんな風に死んだ」となれば、流石の彼も壊れそうだった。青年は「夢」と「現実」を見比べて、そこから恐ろしい仮説を立てた。「幽霊は、アイツを選んだのか? 『死にたい』と思った」


 自分ではなく。「生きたい」と願った、親友を選んだのか? 最後の場面で記憶が止まっている青年には、その真偽はどう頑張っても分からなかった。青年は夢の真実を「探ろう」として、医者に「俺はいつ、出られますか?」と訊いた。「行かなきゃいけないところがあるんで。出られるのなら、すぐに出たいんですけど?」


 担当医は、その質問に眉を寄せた。今の質問に苛立ったわけではなく、彼の精神が「心配だ」と思ったらしい。担当医はベッドの上に彼を寝かせて、その顔をじっと見下ろした。「君は、被害者だ。企業がどんなに叫んでも、その事実は変わらない。病院がそう、診たのならね。企業も、黙っているわけにはいかない。相応の償いが、社会からの非難が待っている。『人一人の命を弄んだ』となれば、相応の罰が待っているんだ」

 

 青年は、その話に苦笑した。復讐のそれは望んでいないが、そう言われたら笑ってしまう。自分に対して罵詈雑言を浴びせた者、それに笑っていた連中が「気の毒」と思ってしまった。青年は彼等への同情を抱いて、病室の天上を見上げた。病室の天井には、無数の染みが付いている。「俺の名前は、出るんでしょうか?」

 

 その答えは、「たぶんね」だった。医者は皮肉の意味も込めて、患者の彼に背を向けた。


「君は、ある種の有名人だ。会社の闇に負けて、その命を削った有名人。マスコミの連中は、君の個人情報を伏せているが。社会には、それを破る者が居る。社会の防壁を抜けて、その真実を暴く者が居る。『事件の真実こそが正義だ』と信じて、その闇を払っているんだ。『ネット』と言う、匿名の海に隠れて。社会のゴミカスを払っている。『目に見えない恐怖』と言う点では、彼等も現代の悪霊だ」


「現代の悪霊」


 それは、言えて妙だ。情報の世界に隠れて、そこから攻撃を仕掛ける連中。文字通りの悪霊。彼等は「電子」の世界を作って、それに霊界のような物を築いていた。「転職、か。正直、面倒臭いけど。親のスネをかじるわけにはいかない。俺にも一応、意地がありますから。あんな会社に負けていられない。ただ……」


 アイツの事を知りたい。報道の内容が本当に合っているのか、この目でどうしても確かめたかった。あの夢が現実と違っていたなら、自分の認識もどこか違っている事になる。青年は医者の指示に従って、自分の体を癒した。彼の体が癒えたのは、それから数週間後の事だった。


 自分の担当に頭を下げる、青年。青年の親も彼に倣って、その担当に「ありがとうございました」と言った。彼等は車の中に乗ると、最初は沈黙が多かったが、父親が青年に話しかけた事で、その静寂がだんだんと破られていった。「会社の連中も悪いが、お前も悪いぞ? 自分の体を無視して。『命』って言うのは、お前だけの物じゃないんだ」


 青年は、その言葉にうつむいた。正にその通りだったから。「仕事が忙しい」と言っても、その命を軽んじてはならない。「無理だ」と思ったら、「無理」と言わなければならないのである。彼は目の前の恐怖に怯えて、その道理を軽んじてしまった。「ごめん、本当に。俺……」


 父親は、その謝罪に溜め息をついた。昔の彼にも、そうしていたように。息子の愚行に呆れては、それに親愛の情を抱いたのである。父親は穏やかな顔で、自分の息子に話しかけた。「まあ、とにかく良かったよ。お前は、助かって。◯◯君には、申し訳ないが。それには、心からホッとしている。『自分の息子は、死ななくて良かった』と」


 青年は、その言葉に表情を変えた。今の言葉から察して、父も何かを知っているようである。彼は後部座席から身を乗りだして、父親の横顔を見つめた。父親の横顔は、今の話に歪んでいる。「? 自分の小説に悩んで?」


 その答えは、「らしいね」だった。父親は母親の顔を見たが、やがて息子の顔に視線を戻した。「部屋からは、遺書も見つかったらしいし。俺も、◯◯君の親から聞いただけだけど。彼は、スランプになっていたようだ。出版社からも、『売れる奴を書け』と言われて。最近は、心療内科にも通っていたそうだ」

 

 それに言葉を失った、青年。青年は改めて、自分の愚行を恥じた。「アイツは、連れていっちゃダメだった」

 

 あんな場所に、ネットの連中から「ヤバイ場所」と言われている場所に。彼を連れていっては、いけなかった。彼は自分の不幸ばかりを見ていた、そんな自分の根性が「恥ずかしい」と思った。


 己の人生に悩んでいるのは何も、自分ばかりではない。自分以外の人間、親友のような人間も同じくらいに悩んでいるのだ。「自分の未来をどうするべきか?」を、ずっと悩んでいるのである。青年は「それ」を、親友の未来を潰してしまった。「俺は、悪霊だ」

 

 アイツを殺した悪霊、人間のフリをした亡霊。自分は自分の業に負けて、親友の命を奪ってしまったのである。青年は苦しげな顔で、自分の頭を掻きむしった。


「アイツの家に行きたい」


「え?」


「アイツの家に行って、その命に手を合わせたい。アイツの死を悼む意味でも」


 父親は、その言葉にうなずいた。ある意味で加害者である息子だが、「そう思うのはごく自然」と思ったからである。父親は息子の意思を汲んで、◯◯君の家族に連絡を入れた。「もしもし? この間は、どうも。◯◯君の件ですが、息子が意識を取りもどしまして」



 ……そんな会話があった数日後。◯◯君の家に行った青年だが、そこには親友の遺骨が置かれていた。青年は、その遺骨に崩れおちた。これは自分の罪、彼の犯した大罪である。自分は親友の悩みも知らないで、この兆しに気づけなかった。「ごめん、◯◯……。本当にごめん」


 許して下さい。そう呟いた瞬間に「お前のせいだ」と言われた。彼の背後で、親友の声に囁かれた。彼の事をまるで恨むように。恨みの声を上げては、それに畏怖を乗せたのである。青年は「それ」に怯えて、自分の後ろを振りかえった。彼の後ろには、その親友が立っている。「お、お前!」


 相手は、それを無視した。夢の真実がどうであれ、青年が原因である事に変わりはない。若手作家はあらゆる無念、あらゆる怨念を抱いて、青年の首を締めはじめた。「オ前モ、コッチニ来イ」


 ……一緒ニアノ世ヲ視ヨウゼ?

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