第3話 心霊トンネル

 気づいた時にはもう、車の中だった。親友の持っている車、その助手席に座っていたのである。助手席から見られる景色も同じで、昼間の時と同じ県道が見えていた。若手作家は、青年の横顔に目をやった。青年の横顔はずっと、自分の正面を見ている。車の速度計はもちろん、そのアクセルやバックミラーも見ないままで、正面の道をじっと見ていた。


 若手作家は、その光景に震えた。これが話の、悪夢であるなら。この先に待っているのは幽霊、それも「これ」を「見せている幽霊」と言う事になる。自分の不安が生んだ悪夢でないなら、この犯人は「怨霊」と言う事になった。


 若手作家は「それ」に怯えて、隣の青年に話しかけた。「止めよう、これ以上はダメだ! あの幽霊に惑わされて。お前はたぶん、夢のお前だろうが。それでも、行っちゃいけない。お前は、こんなところで死んじゃダメなん」


 青年は、最後の部分を遮った。友人の声を制して、その瞳を光らせたのである。彼は自分の正面を向いたままで、隣の友人に「ごめんな」と謝った。「こんな事に巻きこんで。お前にはまだ……とにかく、ごめん」


 若手作家は、その続きを遮った。話の続きが不意に分かったからである。青年はこうなる事が分かった上で、今回の旅に友人を誘ったのだ。「この悪夢からは、逃れられない」と、そう分かった上で誘ったのである。


 若手作家は「それ」を察した上で、隣の彼が幻でない事、「自分と地続きにある青年だ」と察した。「お前も工場で、寝ているわけ? 班長の目を盗んでさ? 作業場の裏で、『スヤスヤ』と?」


 青年は、その質問に答えなかった。まるでそう、「これに応えても、意味がない」と言うように。青年は寂しげな顔で、車のハンドルを握った。「いや、起きているよ? 意識の方はまだ、起きている。工場の中で寝るのは、危ないからね? 自分の持ち場からも離れていないよ。ただ……」


 それに「うん?」と引っかかった。今の「ただ」は、普通の「ただ」ではない。ヤバイ悩みを抱えた、そんな感じの「ただ」だ。脳天気な青年が発する、「ただ」ではない。若手作家は「それ」に違和感を覚えて、青年の横顔をまじまじと見た。「どうしたんだよ?」


 青年は、その質問に言いよどんだ。車の運転から意識を逸らさないように。彼の質問にも、「ああ、うん」と濁してしまった。彼は「ニコッ」と笑って、トンネルの中に入った。「俺の現場、ヤバイ奴が居てね? そいつにちょっと悩んでいるんだ」


 若手作家は、その話に目を見開いた。そんな話は、聞いた事がない。彼とは何度も遊んでいるが、そう言う話は出た事がなかった。若手作家は彼の話に驚く一方で、その内面に同情を抱いた。「ごめん」


 お前の悩みに気づけなくて。「本当に悪かった」


 若手作家は暗い顔で、青年の横を見た。青年の顔は、今の謝罪に苦笑いしている。それこそ、自分の人生を諦めたように。彼の謝罪にも「別にいいよ?」と笑っていた。若手作家は親友の愚行を「止めよう」としたが、肝心の本人に「それ」を止められてしまった。


「良くない!」


「いや、俺も、勇気が無かったし。お前に話すのも恥ずかしかったからさ? こんな機会でもないと……まあ、いい。とにかく鬱だったわけ。会社の上司になぶられてさ? 『じっと死にたい』と思っていたんだ。労基に話しても、証拠云々言われちゃうし。今回のドライブだって、本当は現実逃避だったんだ。会社から家に帰って、慰めに見るネットの怖い話。それにこう、夢を見てさ? どうせ死ぬなら、派手に死にたい。普通の死に方ではなく、ネットの世界を騒がせるように死にたい。そうすれば、俺の名前もずっと」


「残らないよ」


「え?」


「残らないよ、そんな風に死んだって。お前の名前は……名前自体は残っても、その思いは残らない。お前がどんな風に生きて、どんな風に悩んだのかも。ネットの連中が、好き勝手に書くだけだ。お前の尊厳を踏みにじって、その人生を弄ぶだけだよ。俺は、そんなのは許せない。お前の人生を狂わす、そんな奴等も許せない。お前がどんな風に思っていようと、これだけは」


 青年は、その言葉に吹き出した。表面上では「言いすぎ」と笑っていたが、その内面では「本当に良い奴だな」と思ったからである。青年は友人への感謝を込めて、相手の厚意に「ありがとう」と言った。「お前が友達で、本当に良かったわ。……でも」


 遅い。青年はそう、友人に微笑んだ。まるで、自分の愚行を呪うように。「


 若手作家は、その言葉に固まった。それが意味する事は一つ、「視界の中に悪霊が現われた」と言う事である。彼は車の中を見わたして、それがどこに居るかを探した。……それは、車の後ろに付いていた。後部座席の後ろにあるガラス、その一面に悪霊がへばり付いていたのである。怨霊は作家の視線に気づいているのか、空洞になっている目を動かして、相手の目をじっと見ていた。

 

 若手作家は、その光景に狂った。アレに狙われたら最後、この命もすぐに奪われるだろう。アレが自分に狙いを定めた以上は、その呪いからも「逃げられない」と思った。若手作家は悪霊の視線を受ける中で、運転席の青年に視線を戻した。運転席の青年は、彼の動揺に「落ちつけよ?」と笑っている。アレが自分の車に憑いている事を知って、それでも「フフフッ」と笑っていた。


 若手作家は彼の余裕に呆れて、助手席の上部を叩きはじめた。「なに、笑っているんだ? 相手はもう、お前の車に取り憑いたんだぞ? 車の後ろに取り憑いて……くっ、タイヤの動きがおかしくなっている。フロントガラスから見られる景色も!」

 

 揺れていた。まるで、悪霊に揺さぶられるように。あらゆる景色、あらゆる音が、揺れていたのである。若手作家は「それ」が怖くて、自分の目を瞑ろうとしたが……。相手はどうやら、その意図を許さないらしい。彼が後ろの物音に怯えた瞬間、車の左右に一体ずつ、その前にも幽霊が複数体現われてしまった。彼は「それ」に怯えて、頭の奥に目眩を感じた。「もう、ダメだ」

 

 自分はもう、助からない。アイツ等に捕まって、この命を奪われるのだ。想像よりも怖い目に遭って、この命を奪われるに違いない。彼は「最後の希望」として、隣の青年に「振りきろう!」と訴えた。が、青年は「それ」に応えない。彼の主張には「クスッ」と笑ったが、それ以外の反応は何も見せなかった。

 

 若手作家は、その反応に愕然とした。その反応から察せられる事は一つ、「彼もコイツ等の仲間だ」と言う事である。若手作家が彼に「頼む!」と叫んだ時も、それに溜め息をつくだけで、その要望に「応えよう」とはしなかった。若手作家は今の反応を投げていて、自分の終わりをふと考えた。


「ごめん、親父、お袋。俺、ここで死ぬ」


「死なないよ」


「え?」


「お前はこんなところで、死なない。お前にはまだ、先があるんだから。先のある人間が、こんなところで死んじゃいけない。アイツ等に連れていかれるのは、俺の」


「方じゃないよ! お前だって、死んじゃいけない。今の仕事が辛かろうが、それでも」


 青年は、その反論に微笑んだ。左の目から涙を流して。「もう、いいんだ。お前の気持ちは、嬉しいけど。俺は、生きる事に疲れた。毎日の仕事に追われて、自分の人生に疲れたんだよ。転職とか結婚にも、興味がないし。今の人生がダメな時点で」

 

 だからもう、眠りたい。彼はそう、自分の親友に言った。そうする事で、自分の未来を払うように。彼は「絶望」と「希望」と抱いて、友人の肩に手を乗せた。


「お前がプロになった時。俺、すげぇ嬉しかった。自分がまるで、大きくなったみたいに。俺は」


「止めろ」


 そしてまた、「止めろ」と繰りかえした。若手作家は青年の手を払って、その目をじっと見かえした。そしてまた、「止めろ」と繰りかえした。若手作家は青年の手を払って、その目をじっと見かえした。「お前だって、充分に凄いだろう? 毎日、毎日、肉体労働を頑張ってさ? ずっとアルバイトだった俺には、真似できないよ。そんな重労働なんてさ?」

 

 青年は、その言葉に押しだまった。それを聞いて、親友の意図を察したようである。彼は親友の目をチラリと見たが、やがて「ごめん」とうつむいた。「やっぱり無理だわ、お前のように生きるなんて。俺は、コイツ等と同じ場所に居るのが」

 

 お似合いだわ。そう呟いた瞬間に「クスッ」と笑った、彼。彼は怨霊達の顔を見わたして、そのすべてに「おい」と呼びかけた。「連れていくなら、俺一人にしろ。俺は、お前等と同じだ。わざわざ殺すよりも、こっちの方が良いだろう?」

 

 怨霊達は、その言葉に止まった。動きの方は止まっていないが、彼の提案を聞いて、その答えに「う、ううう」と迷っているらしい。車のボンネットの落ちてきた怨霊も、周りの霊達に倣って、その返事を考えはじめた。


 霊達は、彼の方に向きなおった。人間の耳では聴きとれないが、その答えがどうやら決まったらしい。怨霊達は互いの顔を見合うと、今度は車の窓に移って、そのドアノブを開けはじめた。「開ケロ、開ケロ、開ケロ!」

 

 若手作家は、その声に固まった。これは破滅の声、自分が死へ向かう声である。自分の未来を壊すような、そんな感じの呪いだった。彼は「それ」から逃げたくて、助手席のドアノブを握った。


 が、それも無意味だったらしい。彼としては絶対に放したくなかったが、親友の青年が「それ」を許してしまった。若手作家は、その行動に目を見開いた。「なっ! どうしてだよ ドアの鍵を開けたら、アイツ等が!」

 

 入ってくる。それはもちろん、青年も分かっていたが。青年は「それ」を無視して、ドアの鍵を開けた。それだけではなく、トンネルの真ん中で車を停めてしまった。青年は車のハンドルから視線を逸らして、自分の足下に目を落とした。「ありがとう」


 そして、「ごめんな?」


 若手作家は、その声に驚いた。自分の背後に冷たい物を感じる中で。

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