第2話 二重の悪夢
お化けトンネルは、◯◯県と△△県の県境にある。昔は交通の要所として栄えていた場所だが、その近くに高速道路ができたせいで、現在では高速代金をケチろうとする運転手しか通っていないし、そう言う運転手すら「あまり通りたくない」と思っていた。
あそこのトンネルには、幽霊が出る。
幽霊に車を乗っ取られた。車のハンドルが効かなくなる。
ブレーキを踏んでも、止まらない。世間には報じられていないが、闇に葬られた事故が山ほどある、等々。
噂の後ろに尾ひれが付いて、どれが本当か分からなくなっていた。
青年の友人は、その話に苦笑した。話の内容は「いかにも」だが、それを実際に聞かされるのは嫌らしい。「一介の物書き」としても、それに「凄いな」と言うしかなかった。友人は呆れ顔で、外の景色を眺めた。
外の景色は、普通だった。どこにでもあるような県道。その先にただ、一つのトンネルがあるだけだった。トンネルの中には照明が光って、昼間でも明るい。道幅の方も広くて、事件や事故はほとんど起こらなそうだった。
友人は「それ」に「ホッ」として、自分の飲み物を飲んだ。「先入観があったけど。こうしてみると、普通のトンネルだな。車の方も、結構走っているし。夜に行っても」
怖くない。そう思った友人だったが、青年に「甘いね」と言われてしまった。友人は何が甘いのか分からず、不機嫌な顔で青年の顔を見かえした。青年の顔は、相手の表情に「ニヤリ」としている。「大丈夫だろう、これは? トンネルの入り口にも、注意書きが貼ってあったし?」
青年は、その言葉に笑みを消した。今の言葉に呆れたわけではない。ただ、彼の思考に呆れただけだ。普通一般のホラーを知っているだけで、その本質を知らない彼に呆れただけである。
青年は自分の正面に向きなおって、トンネルの中に車を走らせた。「見える物だけが、すべてじゃない。お前は何か……うんう、ただ『こうだ』と思いこんでいるだけだ。『心霊スポットは、こうだ』って言う風にね? 自分の先入観に捕らわれているだけなんだよ」
友人は、その言葉に苛立った。言っている事は尤もだが、コイツに言われるのは腹が立つ。(普段は、「どちらか」と言うと)オチャラ気キャラである彼から言われるのは、色々な意味で「ムカつく」と思ってしまった。
そんな真理を突いた言い方、コイツにはあまりに不似合いすぎる。コイツは自分の事をからかって、それに「真面目だなぁ」と笑うような奴だった。彼はそんな態度に呆れて、青年の顔を睨んだ。青年の顔はじっと、自分の正面を見ている。
「工場勤務は、ご立派ですね? 社会の土台を造るどころか、その本質すらも分かっている。一介の物書きには、とても無理ですよ? そんな風に悟るなんて」
「俺は、別に悟っていない。自分が『凄い人間だ』と思っている事も。俺はただ、『お前は、頭が堅いな』と思っているだけだ。俺の話を聞いただけで、『この話は、こうだ』と決めつけている。本当はもっと、違う真実がかるかも知れないのに」
「ふうん。それじゃ一体、何が真実なのさ? 『トンネルの怖い話』と言ったら、そう言うのが定番だろう? 『車のバックミラーに何かが写った』とかさ? そう言う話が、たくさん溢れている。お前が連れてきた、このトンネルにも」
「あるさ? でも、普通のホラーとは違う」
「どう言う風に?」
青年は、その質問に微笑んだ。まるでそう、相手の質問を嘲笑うように。
「ここ自体は、普通のトンネルなんだ。いつの時間に通っても、その幽霊が見られるわけじゃない。『ここで幽霊を見た』って言う人は、その夢で幽霊を見ているのさ」
「夢の中で幽霊を見る? それって」
つまりは、気のせいなんじゃ? そう言いかけた友人だったが、青年にまたも遮られてしまった。友人はトンネルを先に目をやって、その光に目を細めた。トンネルの出口にしては、「少し眩しい」と思ったからである。「『悪夢を見る』って事?」
その答えは、「当たり」だった。友人は楽しげな顔で、トンネルの中から出た。
「ここを通った夜にさ、夢の中に出てくるんだよ。車のボンネットを叩いたり、フロントガラスにへばりついたりしてね? 相手を脅かしに来るんだ。ネットの書き込みでも、その被害に遭った人が居るらしいし。被害者の話に寄れば」
「ちょっ、ちょっと待て! それじゃ、最初の話と違うだろう? 最初の話では、『トンネルの中に幽霊が出る』と言っていたし。夢の中に出てくるなら、そんな話にはならない筈だ?」
「確かにね、そう言う話にはならない。夢の中に出てくるなら、話の最初に『夢』が付く筈だ。『現実に見た』とかではなく、『夢の中に幽霊が出た』ってなる筈だよ。あの時間、あの場所で、『あの幽霊を見た』ってさ? ある種の集団幻覚になる筈だ。でも」
「ち、違う?」
青年は、その質問に笑みを消した。そうする事で、話の雰囲気を作るように。
「そう言う事。夢の中にも、幽霊は出てくる。出てくるが、そこからが本当に恐ろしいんだ。幽霊の追撃から何とかか逃げきれても、フフフッ。俺なら絶対に漏らすね? 自分では気づけないが、あのトンネルに来ている。寝る前は、寝間着姿だった筈なのに。外出用の服に着替えて、あのトンネルに車を走らせているんだ。それも、法定速度を無視してね。『ガードレールの外に飛びだそうと』する。ネットの掲示板に『これ』を書きこんだ人も、九死に一生を得たらしい。崖の開けた場所に丁度、車が落ちた事で。救助隊の人に何とか助けられたようだ」
怖い? 青年はそう、友人に聞いた。相手の度胸を試すように。「夢の次に悪夢があるなんて。二重の意味で、怖いだろう? 本当の恐怖は、現実に待っているなんてさ? 嫌らしい事この上ない。俺もこれを聞いた時は、思わず泣きそうになったよ」
友人は、その話に青ざめた。冒頭に聞かされた話がまさか、そんな風に繋がるなんて。雛形の物語が好きな彼には、言葉にできない恐怖だった。友人は不安な顔で、青年の横顔を見つめた。青年の横顔は、今の話にほくそえんでいる。「ふざけているよ。悪夢と悪夢の二段攻撃なんて。本当に馬鹿げている。県の人は、あのトンネルを浄めないの?」
その答えもやはり、「分からない」だった。友人は県道の脇にコンビニを見つけたようで、友人に「少し休もう」と言うと、嬉しそうな顔でコンビニの駐車場に車を停めた。「お祓いの類は、しているんだろうけどね? それがたぶん、効いていないんだろう。相手は、かなりの悪霊らしいし。そいつが色々な事故を起こすせいで、色んな霊を集めているらしいから。祓っても、祓っても、やって来るんだろう。文字通りの磁石みたいにさ?」
友人は、その推理に押しだまった。「それが正しい」とは、限らない。でも、「正しい」と思えてしまう。夢に夢を重ねる悪霊なら、「それも充分にありえる」と思った。彼は今もニコニコ笑う青年に畏怖を覚えたが、彼から今夜の夕食を奢って貰った上、彼に仕事の愚痴も聞いて貰った事で、自分の家に帰った頃にはもう、今日の愚行を忘れていた。「まったく、アイツの気まぐれにも困ったもんだよ。あんな場所に俺を連れて行って」
だが、もういい。気にしたところでもう、どうにもならないのだから。どうにもならない事を考えても、仕方ない。彼は家の書斎に行って、その机に目をやったが……。そうしようとした瞬間に自分のスマホが鳴りだしてしまった。
その音に「ビクッ」となる、彼。彼は一種の不安を覚えて、スマホの画面に目をやった。スマホの画面には、担当の名前が表れている。彼が現代の文芸家としてデビューして以来、その担当をずっと任されている編集者だった。彼は編集者のダメ出しに怯える一方で、その相手が編集者であった事に「ホッ」とした。
「もしもし?」
「お疲れ様です、進捗はどうですか?」
「進捗……」
それはもう、進んでいませんよ? 机の上に座るだけで、そのキーボードはまったく叩いていなかった。彼は憂鬱な顔で、担当の男に謝った。「ごめんなさい、ほとんど進んでいません。プロットの方は一応、できているんですが。その内容にどうしても、自信が持てなくて」
担当は、その返事に落ちこんだ。彼の事はずっと信じているが、こう言われるのはやはり辛い。彼の謝罪に対しても、「大丈夫です」と返してしまった。担当は彼の不調を案じて、彼に「君の事を追いつめるつもりはないが、こちらにも段取りがあるので。印刷所にも、一応の〆切りを伝えてありますし。筆が進まないのも、分かりますが」
若手作家は、その言葉に謝った。言葉自体は柔らかいが、これは文字通りの文句である。相手は、彼の仕事が進んでいない事にとても苛々していた。若手作家は「それ」を察して、担当の男に「申し訳ありません」と返した。「何とか書きますから。どうが、もう少しだけ待って下さい。お願いします」
担当は、その返事に溜め息をついた。彼への不満を表すように。
「わかしました。それじゃ、もう少しだけ待ちます。君の作品は、うちの主力ですからね。こんなところで終らせるわけには、いかない。私もなんとか、頑張りますから」
「お願いします」
そう返した瞬間に切れた電話は、今まで聞いたどんな音よりも怖かった。若手作家は九死に一生を得た思いで、自分の仕事に取りかかろうとしたが……。今日の遠出が悪かったのだろう。気持ちの方は焦ったが、頭の方は「眠い」と思ってしまった。若手作家は自分の眠気に負けて、ソファーの上に寝そべった。「明日やれば、いいか」
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