最終話 縁
二人が帰った後の神社は、想像以上に静かだった。神社の境内はもちろん、その廊下も静まりかえっている。廊下の窓に当たる風はうるさいが、それ以外は無音の世界を保っていた。
神主は祭壇の上に人形を置いて、その目をじっと見た。人形の目は、人間と同じように光っている。「それにしても、驚きです。まさか、人間が人形になってしまうなんて。神主の私でも、驚きですよ。普通は、人形の中に魂が宿る」
そう言いかけた瞬間に「フッ」と笑った。神主は人形の前にお茶を置いて、彼女に「どうして、そうなったんですか?」と訊いた。「貴女は死人だが、死人ではない。呪いでこの世に留まっているのなら、それを早急に祓うべきです。こんな異常事態に巻き込まれたのなら」
人形は、その言葉に微笑んだ。「そんな心配は、無用」と言わんばかりに。「それが普通かも知れません。ですが、それを祓うつもりはない。私は自分の意思ではありませんが、自分の好きだった物になれましたから。それに喜ぶ事はあっても、悲しむ事はないんです」
神主は、その話に呆れた。人形が喋っている状況も異常だが、それを人形が喜んでいる状況も異常である。ましてや、「人形の中に入れられた」と言うのに。まともな感性らしい神主には、とても信じられない気持ちだった。
神主はお清めの酒を飲んで、目の前の人形にまた向きなおった。目の前の人形はやはり、今の状況を楽しんでいる。「人間が一番のホラーだな」
それに「えっ」と驚く反応もやはり、普通ではなかった。人形は相手の疑問を不思議がって、神主の顔をまじまじと見てしまった。
「どう言う意味ですか?」
「言葉通りの意味だよ。普通の神経なら、まあいい。それよりも」
「はい?」
「ここに収められたのも縁だ。貴女のこれからを考える意味でも、その経緯は話して貰いたいね? 貴女がなぜ、人形の中に入ったのかを?」
人形は、その質問に「ニヤリ」とした。今の質問をまるで、嘲笑うかのように。人形は楽しそうな顔で、自分の過去を思いかえした。自分がまだ、人間だった頃を含めて。「昔の私は、所謂オタクでした。曰く付きの物を集める、オタク。怪しい物を集めるコレクターだったんです。家の中にも、それを入れる棚があって。私はいつも、その棚を眺めていました。そこには、私のすべてがあったから。自分の家に帰ってくるといつも、その中身を眺めていたんです。あの日、あの場所で、あの鈴を拾った時も」
神主は、その話に眉を上げた。話の中に出てきた鈴、それに興味を抱いたらしい。
「その鈴は、どう言う鈴だったんですか?」
「気になります?」
「それりゃあね? 私も、こう言う身分ですから。怪異の元凶には、少しばかりの興味があります。その鈴が、貴女に」
「危害は、加えていませんよ? 鈴の中には、そう言う霊が居ましたが。その霊も、私の性分に呆れたようで。私が彼女を脅した時には」
「怪異を脅す?」
それは、とんでもない事だ。普通の人間が、怪異を脅すなんて。どう考えても、普通ではない。彼女は、自分が思う以上に危険な人物であるようだ。「そんな事ができたんですか?」
その答えは、「できました」だった。人形は「それ」を思いだして、自分の回想に「クスクス」と笑いだした。
「あの怯えようは、本当に見物でしたよ。お化けが人間を怖がるなんて。普通ならありえない。私としては、『彼女に殺されるかも』と思っていましたが。ふふふ、相手に殺される事はなかった。私は家の中にお化けを飼って、だけじゃありません。飼うだけじゃ満たされない。私はもっと、そう言う物が欲しくなった。そう言う物が欲しくなって、それがありそうな場所を探した。地味の人達が、『あそこは、ヤバイ』と言う場所を。手当たり次第に調べたんです。そして」
神主は、その続きを遮った。それはもう、聞かなくても分かる。彼女は何らかの霊障を受けて、この人形になったのだ。「狂っていますね?」
人形はまた、彼の言葉に微笑んだ。今度も、その意図を嘲笑うように。
「人間なんて、そんな物です。みんな、どこかが狂っている。私を殺した連中もきっと、その狂気に捕らわれたんでしょう。彼等は村の風習で、神様に私を捧げたんですから。それも……これは、あまり言えませんが。国の人達からも、認められて。私の体をズタズタにしたんです。村の中にあった刃物や農具を使って、人間の体を切りきざみました。私は、その痛みに叫んだ。叫んで、叫んで、叫びつづけた。私は彼等に自分の命を奪われてもなお、その苦しみに捕らわれつづけたんです。自分の命はもう、無くなっているのに」
神主は、その話に眉を寄せた。話の内容があまりに嫌で、自分の気持ちをまず落ちつけたかったらしい。神主は自分の頭を掻いて、今の場所から立ち上がった。
「警察に言いましょうか? 貴女の話がもし、『本当だ』とすれば。日本が法治国家でなくなります。『法律の効かない土地がある』となれば、法律も何も無くなってしまう。私は……これでも、日本国民ですからね? そう言う場所は、ご勘弁願いたいですよ? 貴女だって」
「別に構いません」
「は?」
「そう言う場所があってもいいでしょう? 日本の中には、そう言う場所もある。私は縛りある現実よりも、刺激ある非現実の方が好きですから。そう言う卑怯は、是非とも残すべきです。私のような人間を喜ばすためにも。オカルトは、現実へのカウンターなんです」
神主は、その台詞に呆れた。それを聞いて、「説得は無理だ」と思ったらしい。人形が彼に笑いかけた時も、それに「困ったお方だ」と笑っていた。神主は部屋の窓を開けて、その室内に空気を入れた。「ここは、怪異の預かり所。本人が望むなら、その浄化を手伝いますが。貴女の場合はたぶん、そんな物は求めていないですね?」
人形は、その質問にうなずいた。流石は神主、「分かっているね」と言う風に。彼女は嬉しそうな顔で、神主の目を見つめた。神主の目はやはり、彼女の愚行に呆れている。「よろしく、神主さん。ここの事はまだ、分からないけど。『その内に慣れる』と思うから」
神主も、それにうなずいた。彼女の気持ちはどうであれ、それが「最善の策」と思ったからである。神主は人形の頭を撫でて、その仲間達を見わたした。彼女の仲間達も、その新入りに喜んでいる。仲間の中でも一番に古い日本人形も、彼女に「よろしくね」と微笑んでいた。
神主は彼等の様子を見て、「とりあえずは、大丈夫だろう」と思った。「ここは、怪異が怪異でないからね? 人間の方が、怖い時もある。彼女の話にでてきた、村も」
怖い。彼女は「探さなくていい」と言ったが、それでも不気味な事に変わりはなかった。日本の司法ですら手を出せない場所、文字通りの魔境。そんな場所が実際にあるなんて、どんな怪談話よりも怖かった。神主は神社の巫女達も呼んで、怪異達と一緒に午後の休憩を取りはじめた。「そう言えば、◯◯さん」
そう神主に自分の名前を言われた人形は、彼の顔に視線を移した。巫女の一人が煎れたお茶を飲もうとしたところで、彼に「貴女が拾ってきた悪霊は、どんな感じだったんです?」と訊かれたからである。
彼女は湯飲みのお茶を少し飲んで、長テーブルの上に湯飲みを置いた。「女性の幽霊です。最初は、彼女の気配しか感じなかったけど。幽霊は私の前に現われて……たぶん、『今もさまよっている』と思います。私が居なくなって、きっと寂しがっているから」
神主は、その話に違和感を覚えた。彼女の性格を考えれば、当然かも知れないが。それでもどこか、「普通でない」と思ったからである。神主は一つの予想を持って、自分のお茶を飲みほした。
「怪異との縁はまだ、切れていない。『貴方自身にその自覚はない』と思いますが。縁は、あらゆるところに結びついています。今の自分には関わりない事でも、未来にその縁が結ばれるかも知れない。人間や怪異が『それ』に苦しむのはきっと、その繋がりが深いからでしょう。人間が『良縁』を求めるようにね。貴女と怨霊の関係も」
「『深い』と思います。だからまた、会える。あの素敵な怨霊に。私は、あの怨霊に魅入られましたから。あの怨霊もまた、私のところに引きつけられる」
人形は「ニヤリ」と笑って、例の怨霊を思った。そうする事で、自信の気持ちを満たすように。
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