最終話 オカエリナサイ

 生き地獄。いや、死に地獄か? どちらにしても、地獄である事に変わりはなかった。怪異よりも怖い人間に飼われる日々。その人間に自由を奪われる屈辱。そんな時間が延々とつづいたのである。


 呪物の先客らしい扇子も、自分の不幸を嘆いていた。怨霊は、自分の運命を呪った。あんな人間に拾われた、自分の境遇を呪った。怨霊は棚の中に収められてもなお、悲しい顔で日々の地獄を味わいつづけた。

 

 だが、それに一つの転機。今の生活を変えるような転機が訪れた。事件の経緯は分からないが、ここの家主が事故に遭ったのである。彼女の趣味であるホラースポットを巡る中で、横から走ってきた車に轢かれたのだが、その事故がどうも不自然だった。


 事故があった場所は、見晴らしの良い国道。道と道の間には横断歩道があって、その信号も決して見逃すような物ではなかった。赤信号を無視しなければ、こう言う事故すら起こらない。「それが起こった」と言うなら、それは呪い以外の何者でもなかった。怨霊は彼女の身に起こった事、その呪いに対して「まさか?」と思った。「アノ女ハ、何カニ殺サレタノカ?」

 

 あの女が求めていた怪異に。彼女は「それ」に触れて、自分の命を落としたのだろうか? 怨霊は事件の真相に想像を走らせたが、「それも無意味な事」と思って、その想像自体を止めてしまった。「ソレヨリモ」

 

 自分は、自由だ。あの女が死んだ事で、ようやくの自由を得たのである。怨霊はその自由に喜んで、彼女の家族に引き取られたが……。それも、すぐに追いだされてしまった。彼女のような物を置いていく物好きは少ない。


 普通は、早々に売り払う(あるいは、然るべき場所に持ってく)物である。彼女は「不気味な物」として、そう言う神社に納められてしまった。「『コウナルダロウ』トハ思ッテイタガ、マアイイ。アノ家ヨリハ、ズットましダ。ここには、ワタシノ仲間モタクサンイル」

 

 魂の宿った人形も、悪意の籠もったまりも。みんな、みんな、彼女の仲間だった。彼等の中に居れば、自分の精神も落ちつく。あの恐ろしい過去を思い出さなくていい。夜な夜な聞える仲間達の声は、彼女にとっての子守歌だった。怨霊は「それ」に「ホッ」として、(神主の上げる祝詞は別だったが)自分の未来に光を抱いた。「ココハ、天国ダ」


 誰にも壊されない天国、自分だけの楽園。そんな場所に今、自分のそれを置いていた。彼女は自分の状況を喜んで、この永遠に続く日々を楽しんだ。が、それにも終わりがある。終わりの時がいつになるかは分からないが、それは変えようのない事実だった。彼女は同類の起こした霊障に巻きこまれて、住みなれた神社の中から追いだされてしまった。「ソ、ソンナ? ドウシテ?」


 こんな事になってしまったのか? 彼女は生前の言葉を思いだす中で、ゴミ捨て場の中(普通なら然るべき場所に運ばれる筈だが)に捨てられてしまった。ゴミ捨て場の中は生臭く、そして、辛気臭かった。自分のような存在も居たが、大抵は普通のゴミ。それも、悪臭の放つゴミだったからである。


 彼女の先輩らしき怪異も、この環境には耐えられなかったのか、ゴミ収集の車がゴミ捨て場にやって来ると、怪異の後輩たる彼女に「ゴメンネ?」と謝って、車の中に放りこまれた。彼女は、その光景を眺めた。本当は彼女の裏切りを怒りたかったが、同時に嬉しい気持ちもあって、先輩の旅立ちを見送ってしまった。

 

 彼女は先輩の姿を見送った後も、沈んだ顔で自分の周りを眺めた。彼女の周りには、ゴミステーションの壁が広がっている。「自分ハ、連レテ行カレナカッタ」

 

 こんなにも、目立っているのに。私自身の妖気が働いて、業者の人々を追いはらってしまった。彼女は閉まりきった檻の中で、自分の人生に暗闇を覚えた。それに光が差したのは、ある神主が彼女を見つけた時だった。


 彼女の姿に目を見開く、神主。神主は彼女の姿をしばらく見たが、そこから何かを察すると、真面目な顔で自分の腕に彼女を抱きしめた。「今までずっと、辛かっただろう?」

 

 彼女は、その言葉に震えた。それに神主の愛情を感じたからである。彼女は神主の腕に身を委ねて、その声にただ甘えつづけた。「アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ」

 

これで救われる、あの苦しい日々から。この神主に拾われる事で、その日々から抜けだせるのだ。彼の加護がある限り、この不幸から抜けだせるのである。彼女は神主の腕に従って、その神社に運ばれた。運ばれた神社は普通、ではないらしい。神社の造形は普通だが、その雰囲気は普通ではなかった。


 自分と同じような物が潜む気配、その気配がそこ等中から感じられたのである。彼女は自分の本質を忘れて、その雰囲気に息を飲んだ。「ドウシテ?」

 

 その答えは、「すぐに分かる」だった。神主は彼女の体(つまりは、鈴)を撫でて、神社の中に入った。「ここは、そう言うところだからね。君もきっと、気に入る筈だ」

 

 怨霊は、その声に眉を寄せた。そう言うところなのは間違いないが、それでも怖い。何か違和感を覚える。怪異が怪異に怯える事はほとんどないが、ここではなぜか怯えてしまった。ここには、怪異すらも怯える物があるのかも知れない。それこそ、神主が自分に笑いかける程の。ここは、「怪異」とは違う怪異が収められているようだった。怨霊は「それ」が怖くて、神主の腕に逆らえなかった。


「ドコニ連レテイクノ?」


? そこに君の仲間達が居る。彼等はみんな、優しい呪物だからね。君の事もきっと、気に入る筈だ」


「ソ、ソウ? ソレナラ」


 良いかも知れない。そう思った彼女だったが、その期待は見事に裏切られてしまった。祭壇の上に並んでいる呪物達。それ等は各々に意思を持っていたが、彼女のような感情は持っていなかった。「憂い」と「恨み」と「悲しみ」、それ等の感情しか持っていなかったのである。


 怨霊は自分の仲間達を見わたしたが、ある呪物に目が留まると、そこから感じられる空気に圧されて、その人形をじっと見てしまった。「アノ、人形は?」

 

 神主は、その質問に「ニヤリ」とした。まるで、その質問を待っていたかのように。「ああ、最近加わった新人だよ。ある趣味人から預かった物でね? ネット販売で買った物らしいが、その怪奇現象に苦しんでいたようだ」

 

 怨霊は、その話に眉を寄せた。ネット販売の知識には疎いが、その経緯は大体分かる。正直、件の新人に興味を抱いた程だった。怨霊は先輩の怪異に「ヨロシク」と話しかけたが、それが彼女の未来を変える出来事。もっと言えば、「運命の再会」と言える出来事になってしまった。怨霊は人形の姿を見て、そこから懐かしい感覚を覚えた。「コノ、感覚ハ?」

 

 ……アイツだ。自分を飼おうとした女、あの風変わりな収集家である。入れ物の方は、今風の人形(アニメキャラのフィギア?)だったが。その気配はやはり、あの女だった。怨霊は女の気配に怯えて、神主に「ココニハ、居タクナイ」と言った。「アイツハ……経緯ノ方ハ分カラナイガ、アノ人形ニ姿を変エタラシイ」

 

 恐らくは、何かの怪異に触れて。その呪いを受けたらしかった。怪異の呪いを受けたのであれば、その絶望もまた深いだろう。彼女がまともな神経の人間なら、すぐに狂ってしまう筈だ。が、彼女はそう言う人間ではない。自分がたとえ、怪異になっても。それを反対に喜ぶような人間だ。怨霊の思うような、正常な精神の持ち主ではない。怨霊は「それ」を思いだして、かつての主人に恐怖心を抱いた。「嫌ダ」

 

 そんな奴とは、一緒に居たくない。自分を今すぐに逃がしてくれ。怨霊は神社の神主に「それ」を願ったが、神主の方は「それ」を聞きいれなかった。神主は怨霊に自分の仕事を話した上で、「自分も件の女に興味がある事」と伝えた。


「自分も、この仕事は長いですが。こんな現象は、見た事がありません。人間のそれ自体が、人形に変えられてしまうなんて。普通なら有り得ない事だ、人形の中に魂が入るならまだしも。これは、前代未聞の珍事だ。自分は、その珍事を揃えたい」


 怨霊は、その言葉に力が抜けた。それが伝える事は一つ、「コイツも、あの女と同じだ」と言う事である。あの女と同じ、「怪異の収集家」と言う事だった。怨霊は「最後の抵抗」として、彼等の事を呪うとしたが……。


 現実はやはり、非情だった。どんなに強くても、その全員に敵う筈がない。怨霊が彼等に念を送った瞬間、彼等に「それ」を防がれてしまった。怨霊は、その光景に肩を落とした。「自分はもう、助からない」と、そう内心で悟ったようである。彼女は神主のされるまま、元飼い主の隣に置かれてしまった。「ウ、ウウウ」

 

 元飼い主は、その声を喜んだ。かつてのコレクションがまた、帰ってきた事に。彼女は「ニコッ」と笑って、鈴の表面を撫でた。「お帰り、私のコレクション」

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