第3話 不幸の真実

 祠は老夫婦の言った通り、道の途中にあった。主要路から離れた場所、路肩のさらに奥。そこにぽつんと置かれていたのである。祠の周りは柵が巡らされていて、正面以外の場所から入れないようになっていた。


 青年は祠の前に行くと、その入り口部分を開けて、祠の中に供物を入れた。旅のお供として持ってきたお酒を「どうぞ」と捧げたのである。彼は祠の前から少し離れると、今度は老夫婦の事を思って、山の神に手を合わせた。「この旅が無事に」

 

 終りますように。そう祈った瞬間に「ハッ」とした。「無事に終る」とは、どう言う意味だろう? 「この旅が楽しかった」と思える事だろうか? それとも、旅の終わりに「死」を受けいれられる事だろうか? 老夫婦との関わりで「光」を感じていた彼には、その正解が分からなかった。


 。彼は自分の精神に「何だかな」と思ったが、「暗くなる前にここから抜けだしたい」とも思っていたので、自分の自転車に戻ると、自分の気持ちに気合いを入れて、自転車の旅をまたはじめた。

 

 自転車の旅は、心地よかった。昨日の雨もすっかり上がって、道の表面も見事に乾いている。彼が「峠」と思わしき場所を通った時も、その美しい光景が広がっていた。青年は道の乾き具合を見て、「昨日の雨が嘘みたいだ」と思った。あの時に聞えた足音も、「足音?」

 

 その言葉に何故か、引っかかった。そう言えば、あの時に足音を聞いた気がする。足音の主が何者かは分からないが、とにかく「聞えた」と思った。「自分に近づく足音をしっかりと聞いた」と思ったのである。青年は「それ」に震えて、足音の正体を推した。「足音の正体は」

 

 たぶん、守り神だろう。老夫婦の言葉を信じれば、そう考えるのが普通だった。守り神は疲労か何かで倒れかけた自分を見つけて、その救済を図ったに違いない。あの時に見えたヘッドライトも、「お爺さんが乗る軽トラか何かの光だ」と思った。青年は自分の推理にうなずいて、それに「ありがとう」と微笑んだ。「こんな僕を救ってくれて」

 

 本当にありがとう。彼はそう言って、自分の自転車を走らせた。そうする事で、自分の未来を掴むように。彼は「ホッ」とした気持ちで、自然の風景を楽しみつづけた。……自然の風景が変わったのは、昼過ぎの事だった。こう言う山道には、珍しくないトンネル。それが不意に現われたのである。

 

 青年はトンネルの脇に自転車を止めて、自転車の取り付け部分から水筒を取りだした。気温の方は普通だが、「ここら辺で水分を補おう」と思ったらしい。顔の頬に流れる汗も、一応の水分補給を望んでいた。


 青年は水筒の中身を飲みほして、トンネルの中に入った。トンネルの中は、涼しかった。その出入り口から入ってくる風のお陰で、前にも後ろにも冷気が走っている。今は消えているトンネルの照明も、その冷気を保つのに役立っていた。

 

 青年は風情溢れるトンネルを通って、その向こう側を目指した。が、おかしい。確かに涼しいが、どうも涼しすぎる……気がする。「平地よりは涼しい場所」とは言え、「これはいくらんでも、涼しすぎる」と思った。


 彼は周りの冷気に震えつつも、不安な顔でトンネルの中を走りつづけた。……トンネルの中に気配を感じたのは、正にその瞬間だった。自分の背後から感じる気配、それに重なる悪寒。気配は彼の後ろについて、その背後を追いかけはじめた。

 

 青年は、その気配に震えた。「これは、振りかえってはならない」と、そう本能で感じたからである。彼は不安な顔で、背後の気配から逃げつづけた。が、どうしても逃げられない。今の村から抜けだせたのはよかったが、それでも相手から逃れられなかった。青年は、その事実に震えた。「何だよ? 何なんだよ、一体?」

 

 コイツは、守り神ではないのか? 旅人の無事を祈って、その安全を守る神。自分の後ろを追いかけている神は、その守り神ではないのか? 青年は町の中に入った後も、死にそうな顔で自分の自転車を走らせつづけた。


 が、それが色々な意味で不味かったらしい。彼自身は充分に見ているつもりだったが、ある信号機の点滅を見逃して、横から走ってきた車に轢かれてしまった。自動車との衝突で、その体を飛ばされる青年。青年は地面の上に倒れて、それから意識を失ってしまった。

 


 ? 体の痛みで意識を取りもどしたが、その全身には包帯が巻かれていた。青年は自分の状態を察して、その結末に苦笑いした。あの神様は、守り神などではない。人間の命を脅かす、疫病神だ。自分のような人間を生みだす、邪神。あの場所に住まう、邪神様である。


 青年はその事実を知って、あの老人達にも苛立った。あの老人達もまた、自分を嵌めようとしたに違いない。自分に嘘の情報を教えて、この状況を引きおこしたに違いなかった。彼はあの老夫婦を信じた自分、人間の情に騙された自分を呪って、激痛の走る拳を握りしめた。「殺してやる、殺してやる、殺してやる」

 

 みんな、みんな、自分と同じ目に遭わせてやるのだ。今の自分と同じ苦しみを与えて、文字通りの生き地獄を味わわせてやる。青年は体の痛みを無視して、己の復讐心を燃やしたが……。そうしてからふと、ある違和感を覚えた。


 ここが病院の集中治療室であるのは分かるが、自分の回復に駆けつけた人間が数人しかいなかった事、それも病院の関係者しかいない事に気づいたからである。彼等から伝えられる情報も、事故の状況だったり、加害者の話だったりで、自分の家族に関する情報は、一つたりとも出てこなかった。

 

 青年は、その事実に眉を寄せた。「これは、いくらなんでもおかしい」と、そう内心で思ってしまったのである。あんな家族だが、こう言う事があれば……いや、「こう言う事だからこそ」か。「縁を切った息子と会おう」とは、思わない。


 今回の加害者である相手、その弁護士からも「慰謝料は、要らないそうです」と言われた「『治療費はすべて、こちらが持つから』と。警察にも、『こちらの罪が軽くなるように』と頼むそうです。『すべては、家の愚息が悪いから』と言って。あの人達は……表現は悪いですが、今回の事で『貴方が死んでくれれば』と思ったそうです」


 彼は、その話に苦笑した。そんなのは、聞かなくても分かる。彼等は自分達の表面が悪くなるなら、そう言う事も平気でやれる人達だ。払いたくもない交通費を払って、こんな場所に来る筈がない。ただ、「そうですか」と聞きながすだけである。彼の経験から言えば、それが普通の反応だった。


 彼はそんな反応を笑って、目の前の人達に頭を下げた。「申し訳ありません、こんな事に巻きこんでしまって。自分は……いえ、わたしは死ぬべき人間です。世間のみなさんに御迷惑を掛けて、挙げ句は! 私は一人で、死ぬべきでした。すべての存在に詫びて、この命を閉じるべきでした。『そうするのが、世間のためだ』と思って。権力者に利を与えない人間は、生きていても仕方ないんです」

 

 そう言った瞬間に怒鳴られた。今回の加害者に、彼の体を轢いた運転手に。「ふざけるな!」と言われて、その顔を睨まれたのである。彼は相手の眼光に怯んで、それに「す、すいません」と謝った。「そんなつもりは、なかったんですが?」

 

 相手はまた、その声に怒鳴った。今度は、人間の憂いを見せて。「親も親だが、息子も息子だ。『命を何だ』と思っている? たった一つしかない命を? 君は、人の命を舐めているのか?」

 

 青年は、その言葉に押しだまった。最早、謝る気力すらない。相手から言われた言葉は、自分の魂を揺さぶる一言だった。彼は「それ」に揺れて、自分の根性を改めた。「すみません、本当に」

 

 自分は、舐めていた。自分の人生と向きあう事を、理不尽な事に立ちむかう姿勢を。楽な方を選んで、その現実から逃げていた。本当は、「それ」と戦わなければならなかったのに。自分は現実に甘えて、その本質から逃げていたのである。彼は「それ」を悔やんで、自分の根性に涙を流した。


「変な質問ですが。僕は、今からでも」


「やりなおせるさ? 君がそれを望む限り、いくらでもやりなおせる。私もそれを乗りこえて、今の会社を興した」


「え?」


 会社を興した?


「昔の苦難を乗りこえて?」


 加害者の男性は、その質問に微笑んだ。彼の未来をまるで、そっと照らすように。


「困難は、友達だ。相手に現実を見せる事で、『そこから這い上がれ』と励ます。『それが、お前の救いになる』と。人の憂いは、慈悲の手掛かり。私はそれを知って、今の会社をはじめたんだよ」


「凄い、ですね。僕にはとても、できそうにない」


「そんな事は、ないよ?」


「え?」


「わたしは、君を助けたい。どうだろう? 君が嫌でなければ、私の会社で働かないか?」

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