第2話 止まない雨

「雨、止まないね?」


 そう囁く彼女に少年も「そうだね」と返した。少年は少女の隣に座って、そこから窓の外を眺めた。窓の外にはまだ、雨の世界が広がっている。すべての物を濡らすような、そんな感じの雨が降りつづいていた。少年は彼女の手に触れて、その顔を覗きこんだ。彼女の顔は、恐怖の顔に歪んでいる。「大丈夫?」


 彼女は、その質問に微笑んだ。本音では「怖い」と言いたいようだが、「少年の不安を煽りたくない」と思って、その言葉を「ぐっ」と飲みこんだようである。彼女は作り笑いを浮かべて、彼に「大丈夫」とうなずいた。「◯◯君が来てくれたから、全然怖くないよ?」

 

 少年は、その言葉に「ホッ」とした。それがたとえ、「嘘だ」としても。「怖くない」と言ってくれるのは、嬉しい。自分に助けを呼んだ彼女よりも喜んでしまった。少年は雨音が激しくなる中で、少女の顔をじっと見つづけた。「ストーカーの事はもう、家の人に言ったの?」

 

 その答えは、「まだ」だった。彼女は自分の両手を組んで、その指をじっと見はじめた。「本当にストーカーかも分からないし。親にも、心配を掛けたくないから。警察の人にも、この事は言っていない」

 

 少年は、その言葉に眉を寄せた。彼女の気持ちも分かるが、「それでも危ない」と思う。最近は、物騒な事件も多いのだ。「自分の推しに無視された」と言って、その人に危害を加える人も居る。世の中の人達がみんな、「そう言う人だ」とは思わないが。「それでも危険な事に変わりはない」と思った。


 。少年は彼女の身を案じる一方で、問題の打開策についても考えはじめた。「とにかく! 今は、様子を見よう? 君の言う通り、本当に気のせいかも知れないからね? 本物のストーカーよりは、ずっといい。今日は、俺も一緒に居るから」

 

 京子ちゃんは、その言葉に目を潤ませた。自分の信じる人からそう言われて、本当に嬉しいらしい。彼に「ありがとう」と笑った時も、今の恐怖を(少しだけ)忘れたようだった。彼女は彼の肩に頭を乗せて、その温もりに「ホッ」としようとしたが……。


 件のストーカーは、「それ」を許さないらしい。最初は「風が吹いてきたのかな?」と思ったが、玄関の扉が突然に、それも明らかに「人だ」と思える音で、扉の外側を叩きはじめた。

 

 京子ちゃんは、その音に飛び上がった。今の状況から推せば、その犯人がどうしてもストーカーにしか思えなかったからである。ストーカーは家族の留守を狙って、彼女の家に訪れたようだった。


 京子ちゃんは、その気配に震えた……だけではない。ベッドの上にうずくまって、「いやぁああ」と泣きだしてしまった。彼女は少年の体にしがみついて、彼に「助けて、助けて!」と叫びはじめた。「お願い、お願い、お願い!」

 

 少年は、その声にうなずいた。少しの下心は別にして、「彼女の事を守らなければ」と思ったからである。彼は町の警察に電話を掛けて、相手に事件の旨を話した。最初は一応の確認として、「自分が玄関を見に行こう」と思ったが、「それは、あまりに危険だ」と思いなおしたからである。


 家の玄関先でもし、ストーカーと鉢合わせになれば。助けられる物も、助けられなくなるかも知れない。自分の手で犯罪者を倒せないのは悔しいが、「ここは安全第一に行こう」と考えた。彼は警察の指示に従って、彼女に「警察の人達を待とう」と言った。「ストーカーの事は、言ったから大丈夫。すぐに来てくれるみたい」

 

 京子ちゃんは、その言葉に「ホッ」とした。それを聞ければもう、安心。あとは、警察の到着を待つだけである。彼女は自分の顔を上げて、事件の終わりを感じたが。それはどうやら、彼女の勘違いだったらしい。


 例の音はもう聞えなくなっていたが、代わりに妙な気配を感じてしまった。部屋の中に誰かが入ってきた気配、それを直に感じてしまったのである。彼女は「それ」に怯えて、少年の体にまたしがみついた。「◯◯君!」

 

 少年は、その声に気合いを入れた。本当は自分も怖かったが、ここは根性を見せなければならない。自分の前に犯罪者が現われても、「それを絶対に倒してやる」と思った。彼は自分の家から持ってきた金属バットを構えて、部屋の扉を睨みつけた。


 ……部屋の扉が開いたのは、それからすぐの事だった。黒っぽい服を着た中年男、それが玄関の扉を蹴破ったのである。男は獲物の姿を見つけると、嬉しそうな顔で彼女に襲いかかろうとしたが、少年にそれを阻まれてしまった。「なっ! くっ」

 

 少年は、その声を無視した。そんな声は、聞いていられない。愛する少女を守るためには、こいつをどうしても倒せなければならなかった。彼は渾身の力を込めて、自分の金属バットを振った。


 が、それが当たらない。彼としてはちゃんと狙ったつもりだったが、相手の動きがそれを上まわっていたようで、反対に彼の背後を取ってしまった。少年は彼の腕に捕まって、その首を思いきり絞められた。「あ、ぐっ、うっ」

 

 く、苦しい。視界が霞む。頭の方も「ぼうっ」として、体からも力が抜けはじめた。少年は相手の力に捕らわれながらも、何とかして彼女の事が助けようとしたが、男の方がやはり強かったらしく、相手のされるままになって、その戦意を失ってしまった。


 少年は絶望の中で、愛する少女に目をやった。少女は男の一撃を貰ったのか、地面の上に倒れている。「そ、そんな」

 

 ちくしょう……。


「『守る』って誓ったのに」


 こんな、ところで。


「嫌だ」


 死にたくない。


「死なせたくない」


 彼女は自分が、絶対に守るのだ。


「くそぉおお!」


 少年は最後の力を振り絞って、中年男の体を殴った。が、所詮は中学生。喧嘩や格闘技を習っているわけでもない中学生が、大の男に敵うわけはなかった。少年はまた、男に自分の首を絞められた。今度は先程よりも強く、その喉元を締められてしまった。


 少年は、自分の弱さに泣いた。自分の好きな人を助けられない、そんな弱さにも泣いた。彼は薄れ行く意識の中で、中年男の声と、パトカーのサイレンと、そして、激しい雨音を聞いた。


 ……雨はまだ、降っている。「ざあざあ」と、あるいは、「しとしと」と。地上の世界を濡らしている。彼は、「それ」を見ていた。真っ暗な世界の中で、その雨を見ていた。慈雨と豪雨の混ざった雨をじっと見ていたのである。


 彼は、目覚めの時を待った。重苦しい空気の中で、その光を待った。「光の先にはきっと、あの子が待っている」と、そう内心で思ったのである。彼は未来の世界に向かって、その手を伸ばした。病院の気配を感じる光に、そして、その治療が進んでいる想像に。ただ、手を伸ばしつづけたのである。彼は治療の成功を信じて、元の世界を望んだが。

 

 それをどうやら、望まないモノが居るらしい。彼自身はまったく気づかなかったが、その後ろに不気味な家が、つまりは例の事故物件が建っていたのである。事故物件は彼の様子を見ていたのか、その外観こそ変わらないものの、家の中から恐ろしい殺気を放って、少年の周りをすっかり囲んでしまった。「オ前モダ、オ前モダ、オ前モダ」

 

 コッチニ来イ。

 

 コッチ二来イ。

 

 コッチニ来イ。


「オ前モ仲間ニナレ」


 少年は、その誘いを突っぱねた。そんな願いは、聞きいれられない。幽霊の仲間入りなんて、真っ平御免だった。自分は生きて、彼女の事を守りつづける。彼は例の事故物件に唾を吐いて、頭上の光にまた手を伸ばした。「俺の帰る場所は、アッチだ!」

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