第2話 部屋のお祓い

 本当に綺麗な物は、「綺麗」としか言えない。自分の語彙をどんなに活かそうと、それ以上の言葉が見つからないからだ。つまらない修飾や比喩ひゆを用いても、その美は決して言い表せないのである。彼が友人に連れて来られた場所は、そんな言葉しか言えない場所だった。山と森と湖の交響曲。それに季節の風合いが混ざって、何とも言えない情緒を描いていた。


 彼は、その情緒に癒された。嫌な記憶が失われたわけではないが、それでも救われた気持ちになったのである。友人から「どうだ?」と言われた時も、その風景に「凄い」と漏らしてしまった。彼は目の前の風景に打たれて、自然の中に救いを感じた。「ありがとう」


 友人は、その言葉に微笑んだ。本音では「面倒」と思おう部分はあっても、彼が「」と思えば、その面倒も面倒ではないらしい。彼が自分の努力を褒めた時も、それに「どういたしまして」と笑いかえした。


 友人は展望所の手摺りを握って、そこから目の前の風景を眺めた。「たまたま見つけたんだ、彼女とデートした時に。彼女も、この風景を喜んでいた」

 

 青年は、その言葉にうなずいた。友人に恋人が居るのは知っているが、「その彼女も喜んでいた」と言うのは、彼としても嬉しい。「友人の恋人」とは言え、ある種の親近感を覚えてしまった。青年は手摺りの部分に寄りかかって、自然の風に笑みを浮かべた。「彼女とは、上手くやっているの?」

 

 その答えは沈黙、でも意味深な沈黙だった。友人は自分の手元に目を落として、その眉間に皺を寄せた。


「居なくなった」


「え?」


 それは、一体?


「どう言う?」


「言葉通りの意味だよ。彼女は今、行方不明になっている。俺が彼女とデートした翌日からずっと、その消息が分かっていないんだ」


 青年は、その言葉に目を見開いた。そう言う話題は一度も、友人から聞いていないから。友人にどう言えばいいのか分からなかった。青年は自分の不運を忘れて、友達の不幸を案じはじめた。「警察には、言ったのか?」


 その答えは、「言ったよ」だった。「彼女の携帯にも繋がらないし、その両親や友人達も悲しんでいるからさ。速攻で、捜索願を出したよ。じゃなきゃ、色々と疑われるし」


 友人は「仕方ないさ」と笑ったが、そこにはがあった。自分は何か形で関わっているような、そんな雰囲気が感じられたのである。友人はそんな違和感を消して、親友の悩みに話題を変えた。「それで、何があったの?」


 青年は、その質問に暗くなった。自分では「大丈夫」と思いたいが、やはり辛い物は辛い。友人が「どうした?」と見つめる前で、それに「実は……」と話してしまった。青年は自分の親友に「それ」を打ち明けると、今度は手摺りの前から離れて、その場にゆっくりとしゃがんだ。


「幽霊が居るかどうかなんて、どうでもいい。問題は、アイツ等が俺の生活に入る事だ。俺の生活に入って、その中身を引っかき回す。奴等には、何の権利も無いくせに。家中の物を鳴らして、俺の精神を削っているんだ! 俺は、そんな奴等の態度が許せない」


 友人は、その話に呆れた。こう言う場合にはたぶん、問題への対処法を聞く筈なのに。彼の場合はただ、自分の現状に愚痴を漏らしただけだった。友人は彼の思考に呆れながらも、彼自身も(ある意味で)心霊に関わっている事もあって、彼の愚痴に「それなら」と言いかえした。「お寺か神社に行ってみようか? 素人考えではあるけど。そう言うのはやっぱり、『プロに任せた方が良い』と思うし。下手に色々とやるよりは」


 青年は、その返事に迷った。「幽霊」と言う物が「本当に居る」とすれば、友人の案は正に最善策だろう。神社の御守りや、お寺の御札なんかを貼って、あの部屋から幽霊を追いだせばいい。あくまで人間の力を信じる青年だったが、「この案も意外と悪くない」と思った。


 彼は友人の案に従って、彼から良さそうな場所を聞こうとしたが、ある疑問をふと抱いてしまった。「そう言うのも良いけどさ。でも、そう言うのって……こう、前の時点でやっているんじゃねぇの? 部屋の中に御札って言うか、そう言う儀式みたいな物をやって。次の人が、そう言う被害を受けないように?」


 友人は、その意見に驚いた。確かにそうかも知れない。不動産屋でも「心理的瑕疵」の表示を出している以上、その可能性も充分に考えられた。新しい客に何のお祓いもしていない物件を売る筈がない。新しい入居者が決まる前にお祓いか何かを済ませる筈である。


 友人は「彼の家は、かなりヤバいのでは?」と思って、彼の顔を見かえした。彼の顔も、自分と同じような表情を浮かべている。「と、とにかく、調べて貰おう。素人考えではやっぱり、危ないし。売主の不動産屋にも確かめて、そこの調査を進めた方がいいよ」

 

 プロの人は、俺が呼んでくる。友人はそう、青年に言った。「俺の知り合いにそう言う人が居てさ。その人に頼めばきっと、お前の家もまともになる。プロの人でもダメなら……仕方ないけど、別の場所に引っ越せばいい。お前としては、色々と嫌だろうけどね」

 

 青年は、その言葉に押しだまった。格安物件から引っ越すのは嫌だが、このまま住みつづけるのは流石に不味いかも知れない。現にこうして、自分の親友からも言われた以上。早期撤退が、「最も無難」と思えた。青年は「また、部屋探しか」と嘆いて、友人の提案に「それじゃ、お願いするよ」と言った。「俺は、幽霊の類に疎いから」


 友人は、その返事にうなずいた。それがまるで、「ある種の誤魔化し」と言う風に。



 分かったよ、任せてくれ。そう友人から言われた一週間後、青年の家にお坊さんがやって来た。お坊さんは部屋の売主である不動産屋はもちろん、青年の友人にも「同行」をお願いして、彼の家に「お邪魔します」と訪れた。「お話の方は、既に伺っております。いやはや、本当に大変でしたな?」


 青年は、その言葉に応えなかった。友人と別れてからもずっと怖い思いをしていたので、お坊さんの挨拶に応える気力が無かったからである。青年は部屋の中に関係者達を通すと、自分はお坊さんが作ってくれた結界の中に入って、そこからお坊さん達の様子を見はじめた。「どう、ですか?」


 その答えは、「よろしくないですね」だった。お坊さんは家の中をぐるりと回って、部屋の壁に呪文らしき物を唱えた。「ここは、溜まり場になっている。前の家主が柱になってね、そこ等中の者を引き寄せているんだ。車の事故で死んだ子どもも、橋の上から落ちた事故者も。みんな、家主の周りに集まっている。いやはや、本当に怖いでしょ」


 青年は、その言葉に震えた。震えたくなくても、心の底から震えてしまった。彼は幽霊の力が思った以上に強い事、そして、その存在を嫌でも受けいれてしまった。幽霊は、確かに居る。それも、自分の身近に居る。自分が「それ」をどんなに拒もうが、それは変えようのない事実だった。青年は親友の顔に目をやって、お坊さんの顔にまた視線を戻した。「祓う事は、できないんですか?」


 その返事もまた、「難しいですね」だった。お坊さんは相手の強さに呆れているのか、彼の親友にも「やれやれ」と言って、自分の頭をポリポリと掻いた。「正直、今すぐにでも出ていきたいです。こんなに危ない場所は、一秒たりとも居たくない。霊能者の私ですら、『すぐにでも逃げたい』と思うんですから。常人の貴方には、とても耐えられないでしょう。

 家の玄関に貼ってあった御札、貴方は気づかなかったかも知れませんが。あんな物では、どうにもなりません。私がこの部屋を清めたところで、またすぐに濁りはじめます。『すべての元凶を祓った』としても、その力が凄まじいですから。言葉通りの無駄です。貴方の精神もまた、彼等の力に犯されてしまう。経済的な事情もあるでしょうが、ここからすぐに出た方が良いですね」

 

 青年は、その言葉に押しだまった。最悪の状況は避けたかったが、こうなったら仕方ない。親友の青年も、彼に「それが良いよ」と言っている。お坊さんに至っては、「申し訳ない」と謝っていた。青年は自分の部屋を見わたして、床の上に目を落とした。「すいません」

 

 そう言われた相手は、彼にこの部屋を教えた不動産屋だった。不動産屋は彼の意図を察したのか、自信の責任も相まって、それに「貴方の条件には、そぐわないかも知れませんが?」と応えた。「良さそうな物件が、いくつかありません。流石に『格安』とまでは、いきませんが。この家に比べれば、ずっとまともな物件です」

 

 青年はその言葉に笑ったが、不動産屋の厚意には首を振った。相手の態度は嬉しいが、それでも気まずい。信用よりも不安を覚えてしまった。青年は全員の厚意に頭を下げて、彼等に「違うところを当たってみます」と言った。「事故物件はもう、懲り懲りですから」

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