事故物件

第1話 事故物件に引っ越す

 幽霊は、信じない。オカルト好きな連中は、「あそこは出る」とか「この写真は、出る」とか言っているが。そう言う物を信じない彼は、「そんなのは、ただの妄想だ」と思っていた。


 。テレビやネッドで取り上げられる怪談話も、「馬鹿の妄想が作った作り話」と思っていた。「怖い」と言う点では、生きた人間の方が怖い。有名な繁華街で自分に喧嘩を売ってくる人間の方が、「幽霊よりもずっと怖い」と思った。


 だから、不動産屋で「それ」を見つけた時も別に怖くなったし。その不動産屋から「止めた方がいいです」と言われた時も、それに「大丈夫です」と答えてしまった。青年は「心理的瑕疵しんりてきかし」の文字などまったく気にしないで、不動産屋から出された書類に判子を押した。「会社の給料が安くて。本当はもっと、良いところに住みたいんですけど」

 

 不動産屋は、その言葉に苦笑した。彼の事情も分かるが、それでも事故物件にわざわざ住むなんて。不動産を扱う立場では言えないが、それでも「自分なら絶対に住まない」と思った。家中がヤバイ家なんで、お金を積まれても住みたくない。速攻で、「ごめんなさい」と断る。


 維持費の関係でそんな事は言えなかったが、正直に言って「馬鹿だ」としか思えなかった。不動産屋は契約者から規定通りのお金を受けとって、その登録に関わる手続きを済ませた。「お節介かも知れませんが」

 

 青年は、その声に振りかえった。頭の中はもう、新居の事を考えていたのに。そんな声で呼び止められては、彼としても嫌な気持ちだった。青年は不機嫌そうな顔で、不動産屋の男性を睨みつけた。


「なんです?」


「何かあったら、すぐに伝えて下さい。貴方の身を守るためにも」


 青年は、その忠告に溜め息をついた。相手の忠告は嬉しいが、正直に言って煩わしい。前の住人が「亡くなっているから」と言って、「自分も前の住人と同じになる」とは限らないのだ。「前の住人がストーカーに殺されたから」と言って、「自分もそれに殺される」とは限らないのである。「現にそいつも捕まっているし。檻の中に居る奴が、次の獲物を狙えるわけがないでしょう?」


 男性は、その言葉に口を閉じた。確かにそうだが、そうではない。彼が不安に思うのは、青年が「幽霊に殺されるかも」と言う事である。ストーカーに殺された女性が、素直に「上がっていく」とは思えない。あの部屋に念を残している筈だ。そこに住んだ人間を殺すような、そんな感じの念を。彼女は「浮かばれない霊」として、あの部屋に留まっている筈である。


 男性は「それ」を案じて、青年にまた助言を与えようとしたが。青年の方は、「それ」を聞きいれようとはしない。男性の声を無視して、店の中から出て行ってしまった。男性は、その背中に溜め息をついた。「あそこまで頑固とは。本当に怖いのは、生きた人間かも知れない」

 

 青年は男性の不安を無視して、自分の新居に向かった。彼の新居は、不気味だった。一応は清掃業者が入ったようだが、その雰囲気が気持ち悪い。彼が頼んでいた引っ越し業者も、この部屋には苦笑いを浮かべていた。


 彼はそんな反応が「馬鹿らしい」と思って、家の中を歩きはじめた。家の中がどんなに不気味でも、現実の縛りには逆らえない。居るかどうかも分からない幽霊よりも、金欠で飢え死にする方がずっと怖かった。


 今日の食事も、近所のスーパーで買った値引き品だし。「自炊の方が安い」と分かれば、(それがどんなに大変でも)「節約に励もう」と思った。「食っていくのは、大変なんだよ。いつ死ぬかも分からないし、会社が倒れるかも分からない。生きる怖さが分からない幽霊には、その苦労が分からないんだ!」

 

 そう叫んだ瞬間だろうか? 家の中から突然、「物音」と言っていいだろう。「彼」ではない音が、周りの壁から聞えてきた。「パキン、パキン」と言うラップ音。家の窓も「ガタガタ」と動いて、彼がそれに「ああん?」と唸ると、それに応えて「ガタガタ」と暴れ出した。

 

 青年は、その音に溜め息をついた。映画やドラマでは、こう言う現象は「怖い物」と描かれているが。実際には、迷惑以外の何物でもない。部屋の電気がいきなり消えた時は、それに怖がるよりも、苛立つ方が強かった。こんなのをしょっちゅうやられては、自分の気持ちが滅入ってしまう。家の怪奇現象に驚く気持ちもあったが、それ以上に怒る気持ちが強かった。


 彼は家の物音に苛立つあまり、戸棚の中から塩を取りだして、家中の壁や窓に「それ」を投げつけた。「ふざけんじゃねぇよ! 俺は、そう言う音が嫌いなんだ! 安い給料でずっと、頑張っているのに! 現実のストレスから逃げた連中が、生きた人間に楯突くんじゃねぇよ!」

 

 幽霊は、その音に怯えたらしい。彼の撒いた塩が効いた可能性もあるが、とにかく鎮まったのは確かだった。青年は、ようやく鎮まった家の様子に「やれやれ」と思った。引っ越し初日からこんな調子では、流石の彼も疲れてしまう。普段は夜の十二時を過ぎても眠れない彼が、この日だけは九時前に寝てしまった。

 

 彼は、翌日の七時に起きた。昨日は会社から有給を貰ったが、今日は通常の休みである。ベッドの上から起き上がる時も、休日らしい安堵感を覚えていた。彼は今日の朝食を作ると、家のテレビを点けて、朝食のご飯を頬張りはじめた。


 が、そこで違和感が一つ。口の中にご飯を入れた瞬間、それに妙な感覚を覚えてしまった。彼はティッシュ箱の中からティッシュを出して、それに違和感の正体を吐き出した。違和感の正体は、だった。自分の物ではない、真っ黒な髪の毛。その長さから言って、女性の髪の毛が出てきたのである。彼は違和感の正体をしばらく見ていたが、やがてゴミ箱の中に「それ」を投げ入れてしまった。「ふざけんじゃねぇ!」

 

 朝からこんな嫌がらせか? 他人様が炊いたご飯の中に? 「幽霊」って奴は、礼儀の一つも分からないのか? 彼はご飯茶碗の中に塩を入れると、そこにお湯を入れて、自分の胃袋に流してしまった。「食い物は、大事にしろ! お前の大好きな命なんだから!」

 

 それが、幽霊に効いたのかも知れない。今日の朝食は仕方なかったが、それ以後の料理から髪の毛は出てこなくなった。青年は今の気分を変えたくて、友人の一人に電話を掛けた。「あ、もしもし?」

 

 友人は、その声に「どうした?」と応えた。彼から電話が来るのは、長期連休の前くらいしかなかったからである。友人は突然の電話に驚いて、彼に「何かあったの?」と訊いてしまった。「いつもは、違うのに? 今日は」

 

 青年は、その不安を無視した。友人の心配はありがたいが、今は「それ」を無視したい。友人とただ、「遊びたい」と思った。彼は友人の予定を確かめた上で、彼に「どこか行こうぜ?」と言った。「明日の夜まで暇だからさ? 小旅行にでも行こう?」

 

 友人は、その誘いにうなずいた。それもただ、うなずいたわけではなく。彼の誘いが、救いのようにうなずいた。友人は彼に「自分が車を出すよ」と言って、彼との通話を切った。「それじゃ、十時頃に行くわ」

 

 青年は、その声に微笑んだ。「短い期間ではあるが、この家から離れられる」と、そう内心で思ったからである。この家から出て行く気はないが、それでも「ずっと居たい」とは思わなかった。「ここは、衣食住ができる場所」と思えば、いい。「食う、寝る、着替える事」ができれば、「それでいい」と思った。彼は友人の車を待って、家の外に出た。「あっ!」

 

 来た、約束通りの時間に。家の前にわざわざ止まって、運転席の中から「お待たせ」と出てきてくれた。友人は車の中に彼を導くと、彼の好きな音楽を流して、家の前から走りだした。「いやぁ、びっくりしたよ。お盆前にお前から電話が来るなんて」

 

 青年は、その言葉に頭を下げた。自分の前では「大丈夫」と笑っているが、その内心ではやはり呆れているだろう。時折眠たそうにする顔からは、彼の疲れ具合が窺えた。青年は相手の厚意に微笑んで、相手にまた頭を下げた。


「悪いな、せっかくの休みだったのに」


「いや……」


 そう応えた友人の顔はやはり、疲れていた。友人は自分の正面に向きなおって、信号機の赤に止まった。


……の事で、ちょっと」


「ふうん。お前も、大変なんだな」


「うん……」


 友人は、車のアクセルを踏んだ。相手の目から視線を逸らした瞬間、道路の信号機が青になったからである。友人は次の交差点を曲がると、いくつかの娯楽施設を見て、自分の正面にまた向きなおった。「それで、どこに行く?」


 青年は、その質問に喜んだ。質問の答えはもう、決まっていたから。それに躊躇いなく答えた。青年はスマホの電源を切って、助手席の背もたれに寄りかかった。「景色が綺麗なところ」

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