第4話 凛

Episode14

九重 凛は、呆れていた。

今日は、仕事終わりに忘年会を行っている。

今朝、出勤すると金曜の騒動を知った。

彼女は、人事部に残った唯一の女性社員である。

凛だけは、忌引きで休んでいた。

その旨は、弓弦も知っていた為、彼女は人員整備の対象から外されていた。

まして、彼女に関してだけは一定の評価もあったのだ。

凛は、人事部課長である。

そして、今日の忘年会は人員配置により総務部からの異動組と共にしている。

彼女の座る席には、「エリート」を自称する男性社員がいた。

彼の名前は、塩澤 広大。


「おいおい、高卒が上司だって!?僕より劣る凡人が」


広大の所為で、場は白け始めていた。

実は彼、今回人事部の騒動で解雇された社員の身内でコネ入社だったが目立った不正がなかったため残留となった。

ちょっとした曰く付き物件である。


「九重課長、来年もよろしくお願いします」


ちょうどそこへ、耕太がやって来る。

彼の手には、烏龍茶が握られている。


「あ、進藤君。君も災難だったね。

姪っ子ちゃんの面倒も見てて大変だと思うけど、よろしくね。

困ったことがあったら何でも言ってよ」

「ありがとうございます、九重課長」

「君!なんなの?」


耕太と凛の話に割って入ってくる広大。

彼女は、心底呆れていた。


「進藤君、ごめんね」


耕太は、気付いた。

この輪にいると面倒なことが起こると。

なぜなら、凛の目が笑っていないからだ。


「さて、宴もたけなわではございますがこれで今年の忘年会を終わりにします」


そう、凛は告げる。


「高々、1時間で終わる忘年会などありえないだろ。これだから低学歴は」

「はぁー、みんな解散ね。よいお年をお迎えください」


凛がそう言うと、皆解散していく。

彼女もまた、広大を無視してレジで会計を済ませお店を後にした。

店を出ると凛は、ある人にメッセージを送る。

シリオン企画の専用メッセージアプリ。

社内の人間とは、これで話をする方が早い。

その日のうちに、晴夏に連絡を入れておくのだった。

凛は、忘年会ではアルコールを飲んでいない。

というよりもほとんどの社員がノンアルコール、ソフトドリンクを頼んでいた。

早めに切り上げることでその後のプライベート時間も取れると思い、1時間程度の忘年会に済ませた。

17時から開始で今は18時。

忘年会では、料理も軽めな物にし会費も極力抑えた。

あの会で飲んでいたのは、広大だけだろう。

凛は、行きつけのバーへと向かっていた。

バーは、社屋・社宅の近くにある。

凛は、時間があればそのバーによく行っている。

クラシックな店内。

カウンターにはバーテンダーが立っていた。

バーテンダーは壮年の男性だ。


「マスター、こんばんは」

「九重ちゃん、今日もいらっしゃい。

今日は、どうする?」

「マスターに任せますよ」

「分かりました」


凛は、カウンターに座る。

それと同時に、マスターの男性は準備をしてハイボールグラスに注いだ。

透明でグラスが透けている。

中には、ライムが入っている。


「カイピロスカ・・・カイピリーニャだよ、どうぞ」

「いただきます。ん!?モヒートと違って甘いですね」


カイピロスカは、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチンで人気のカクテルである。

ウォッカにライム、ブラウンシュガー、タービナート砂糖、クラッシュアイスを混ぜ合わせた物だ。

カイピリーニャは、ブラジルの代表的なカクテルでライムと砂糖をオールドファッショングラスに入れて、軽く混ぜたものだ。

クラッシュアイスを入れ、カシャーサを加えた物。

カイピロスカとカイピリーニャの違いは、前者がウォッカ、後者がカシャーサである。

ウォッカは、大麦、小麦、ライ麦、ジャガイモなどの穀物を源蔵領とした蒸留酒である。

カシャーサはサトウキビを原材料とした蒸留酒である。

スペイン風邪の特効薬とされていたのがカシャーサを使うカンピリーニャだったらしい。

その際のカイピリーニャは、ニンニクや生姜などが入っていたそうだ。

ちなみに、凛が最初に行ったモヒートはミントの葉とライム、砂糖を使ったカクテルで、主となるアルコールはラム酒である。

ライムの風味よりもミントの風味が強くすっきりとした香り高いカクテルだ。


「カイピロスカ?カイピリーニャ?」

「アルコールが違うだけかな、今回はカシャーサを使ったから」


マスターとそう話をしていると奥から1人の男性がやってくる。

彼は、どこかマスターに似ている。

細身で長身。

顔は、穏やかで優し気なそんな男性である。


「九重ちゃん、紹介しておくよ。俺の息子だ、これからここで働くからよろしく頼むよ」


マスターが息子を招き紹介する。


「佐伯 透哉です。よろしくお願いします」

「九重 凛です。よろしくお願いします」

「九重ちゃんは、うちの常連だからお前もよく会うことになると思うからな」

「わかったよ、父さん」


マスターは裏へと下がっていった。

今は、店内にお客さんは凛以外いない。


「えっと、透哉くん・・・でいいかな?」

「あ、はい。じゃあ、凛さんって呼びますね」

「う、うん」


凛の頬は赤くしていた。

アルコールで赤くなっているのか、名前を呼ばれて恥ずかしくなって赤くなったのか。

それは、どちらなのかわからない。


「透哉くんは、バーテンダーとして働くの?」

「はい、そうですよ」

「じゃあ、なにか作ってもらえる?」


凛のグラスはもうすぐ空きそうになっていた。

透哉は、少し考えてから彼女の前に店名の刻まれたコースターとカクテルグラスを用意する。

シェイカーに、2種類のブランデーとレモンジュース、オレンジ・キュラソー、シロップを入れ、蓋をすると軽快なリズムでシェイクする。

彼の仕草は、同に行っていて素人ではないことが感じ取れるほどだ。

そんな、透哉の仕草に彼女は見惚れていたのは言うまでもない。

そして、グラスに注ぐ。

グラスに注がれたカクテルは、深い紅色だった。


「チェリーブロッサムです、どうぞ」

「桜・・・結構深めの色合いなんだね」

「あ、ちょっと強いカクテルなのでゆっくり飲んでくださいね」

「ふふ、ありがとうございます・・・アルコールは強いけど結構甘いんだね」


凛は、ちびちび飲み始める。



「ねぇ、透哉くんは~。どうして~」


凛は、すっかり酔っぱらっていた。

今は、透哉に絡んでいる。

ちょっと、目が座っている。


「なんで~、ここで~、働いてるの~」


凛の声は間延びしている。

どこまで、思考が正しく働いているのかわからない。


「おいおい、透哉・・・飲ませ過ぎだ」

「いや、凛さん。そんなに飲んでないですよ」

「まあ、送って行ってやってくれ。

すぐそこの社宅に住んでいるからな。

店はまだ1人で大丈夫だから行ってこい」


時刻は、凛が入店してから1時間くらいしか経っていない。

チェリーブロッサムが強すぎたのかもしれない。


「僕の所為だよな、もっと弱めなカクテルにすればよかった」

「まあ、いってこい」

「ああ、行ってくるよ」


透哉は、コートを羽織る。


「凛さん、送って行きます。立てますか?」

「むり~、おんぶ~」


凛は、急に彼へと甘え始める。

透哉は、「クスッ」と笑みを浮かべると彼女の前で背中を向け座り込む。

凛は、それを見ると彼の背中に負ぶさる。


「九重ちゃんがこんなに甘えるとはな」


マスターは、呟いていた。

いつもは、ここまで飲む前に帰ってしまうので落ち着いた雰囲気の凛しか知らない。


「じゃあ、父さん行ってくるよ」

「おう、頼むわ」


透哉は、彼女をおんぶしてバーを出た。

凛は、彼の背中に頭を預けていた。

透哉は、ゆっくりと歩き出す。


「ね~、透哉く~ん」

「なにかな?凛さん」

「わたしだめなのかな」


凛は、急に吐露し始める。

少し真剣な声色だ。

酔っているからなのか、彼が話しやすいからなのかはわからない。


「学歴ってそんなに必要かな?」

「凛さん。確かに、学歴は必要だよ・・・でもね、どんなにいい大学を出ていたとしても大学時代を遊んで過ごしていた人もいるよ。

僕は、中卒だって高卒だって仕事が出来る人は素敵だと思うよ。

凛さんは、頑張り屋さんなんだね。

僕は、これからはあの場所にいるからいつでも愚痴を聞くからいつでも来てよ」


凛は、小さな声で「うん、ありがとう」と囁いた。

その言葉は、透哉の耳にしか届かないほどの声量だっただろう。

やがて、社宅の前までやってきた彼。


「えっと、凛さん。お部屋はどこかな?」

「305号室」


透哉は、エレベーターへと乗る。

部屋の前までくると凛を下ろす。


「透哉さん、ありがとう」

「ああ、おやすみなさい。じゃあ、またね」

「うん、また」


そう言うと凛は家へと入っていった。

彼は、見送るとバーへと戻るのだった。


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カクテル言葉

カイピロスカ:『明日への期待』

カイピリーニャ:『素朴』

チェリーブロッサム:『印象的な出会い』


マスター作った時に、アルコールを間違えたことに気づいたという。

本当は、カイピロスカを出したかった。

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