6-2

「でもね、人はときに普通の思考を拒否することがある。遭難した雪山で消えた息子の死体が発見されなければ、きっとどこかでまだ生きていると母親は信じる。高波にさらわれた父親の死体が打ち上がらなければ、きっと遠くに泳ぎ着いていると娘は願う。それが人の心の機微というものであり、遺された人の想いの寄る辺こそ──神隠しなのよ。

 人が消えたまま死体が見つからないというのは残酷だわ。あの人はここではないどこかでまだ生きている。あの子はどこか遠くの場所できっと幸せになっている。ときにそんな妄想からいつまでも解放されなくなる。死んだ証明となる死体がなければ、この世に遺された者たちは神隠しの可能性を完全には否定しきれない。普通に考えればどう考えてもまず死んでいるだろうに、それでもどこかの異郷で生きているという希望を捨てきれなくなってしまう」

「つまり〝偽りの神隠し〟っていうのは、何らかの理由で亡くなったのに死体が発見されていない、神隠しとも解釈できる行方不明事件のことを言っているのか?」

 的を射たらしい湊斗のひと言に、玲奈がいっそう口角を上げて微笑む。

「その通りよ。だからこそ、あなたにしか頼めないの。私の身体に焼き付いた〝本物の神隠し〟は神隠しを引き寄せる。それは〝偽りの神隠し〟であっても同じこと。今のままなら、集まってきた〝偽りの神隠し〟によっていずれ私の身体は押しつぶされてしまうわ。でもあなたであれば真相を暴ける。どこで眠っているかもわからない行方不明者の死体を見つけて〝偽りの神隠し〟をただの事故や事件へとおとしめることができる」

「……どういうことだ?」

「簡単な話よ──私のために〝死人の夢〟を見てくれたらいいだけのこと」

 瞬間、湊斗の背筋をゾワゾワしたおぞが駆け抜けた。

 湊斗にとって〝死人の夢〟を見ることがどれほどおぞましいことか、他人の死の瞬間を味わうことでどれほど正気を削られるか、玲奈は──この女は、ちゃんとわかって言っているのだろうか。

 ──わかっているのだろう。

 こちらの心の内を見透かしたようなその目の色を見れば、湊斗が苦しむことをわかった上で言っていることは、いちもくりようぜんだった。

「〝偽りの神隠し〟に遭ったままの霊たちの夢を見て、その末期の光景から死体の在処ありかを見つけてほしいの。死体が見つかれば、その瞬間に神隠しは神隠しでなくなる。私の身体にまとわり付いてくる霊どもは、自然と離れていく」

「なんで俺が……他人のために〝死人の夢〟を見なくちゃいけないんだよ」

 ともすればげきこうしそうになるのをこらえ、湊斗が吐き捨てた。

 だが今にも怒り出しそうな湊斗を前に、玲奈は少しだけわざとらしく目を丸くした。

「あら、そんなわかりきったことも気がつかないの?」

「……わかりきったこと、だって?」

「そうよ──だってあなた、私のことをもう好きになりかけているでしょ」

 そのひと言を最後に、湊斗は目を覚ました。


 目を覚ましたとき、湊斗は見たばかりの夢の生々しさに打ちひしがれ、日の光が隙間から差すカーテンを開けるのも忘れてしばしベッドの上でぼーっとしてしまった。

 ──なんだったんだ、今の夢は。

 夢は湊斗にとって特別だ。何しろ湊斗は〝死人の夢〟を見る。無念を抱えた霊にとっておそらく最も鮮烈に残っているだろう死の間際を、湊斗は夢を通すことで自らの体験として味わうことになるのだから。

 現実と変わらない濃密な感覚と情報量を湊斗に与えてくる──〝死人の夢〟。

 だが今見た玲奈の夢は、その〝死人の夢〟と同等以上の生々しさがあった。

 自分の頰に触れた、心地よくも異常に冷たい玲奈の指の感覚。玲奈の顔が近づいてきたときに鼻先に感じた吐息、そしてかすかにこうをくすぐった玲奈の髪の香り。どれもこれも頭の中ではんすうできそうなほどに、湊斗ははっきり覚えていた。

 だがどれほどリアルであっても、夢なことには違いがない。

 何しろ夢の中の玲奈は、霊が視える湊斗の体質のことを知っていた。あまつさえ誰も知るはずのない〝死人の夢〟のことさえもわかっていた。

 おまけに玲奈に対する強烈な違和感。まだ知り合いの域にも到達していないが、それでも夢の中の玲奈を「あれは違う」と湊斗は思っていた。

 湊斗から見た高原玲奈の印象は、ひと言で示せば〝れつ〟だ。

 方向性は違っているが、強烈な霊障に見舞われる玲奈もまた霊感と呼ぶに足る能力を有しているのだと湊斗は思っている。たまにうらやましがる者もいるようだが、しかし湊斗にとって霊感というのはハンデだ。普通の人なら何ごともなく過ごせる日々を、霊感があるだけでこの世の者ではないモノたちに煩わされ、悩まされることになってしまう。

 それなのに、死者によって被らされる迷惑を誰も理解はしてくれない。むしろ口にすれば、それだけでおかしい人を見る目で冷たくあしらわれる。

 だからこそ湊斗は目立つことのないよう、誰にも自分の異端を悟られることのないように、教室の片隅でひっそり一人で過ごしている。

 ──それなのに。

 玲奈は自身の身に起きる怪異を、じんも隠そうとしない。いた霊の引き起こす霊障なんて意にも介さないとばかりに人前に出て、教室中の誰からも気味悪がられて避けられているのにまゆ一つ動かさず涼しい顔をしている。むしろそんな玲奈の正面に立てば、今にもってかからんばかりの勢いでみつかれそうになる。

 こんな玲奈を〝苛烈〟と称さなければなんと称そう。──あるいは〝孤高〟。

 おびえて誰とも接しようとしない湊斗の一人ぼっちがであれば、霊障を隠すことなく堂々と胸を張って人を寄せ付けない玲奈はだった。

 そんなぜんとした玲奈が、びを売るようなあんな表情や仕草をするわけがない。

 だからこそ、さっきのは夢なのだ。

 ──だってあなた、私のことをもう好きになりかけているでしょ。

 夢の終わりに告げられた玲奈からの言葉も思い出すが、それも含めて夢だ。

 断じてあれは、ただの夢に決まっている。

 だから──もう忘れよう。

 ぐだぐだながらも思考を整理したことで、ようやく気持ちの落ち着いてきた湊斗はベッドからい出て立ち上がる。

 着替えるべく部屋の隅のチェストに向かおうとして、枕元にバックパックと一緒に置いておいた物を目にし「……あぁ」と自然に声がもれた。

「……そうか、こんなものを置いたからかもな」

 それは玲奈から借りた、赤い折り畳み傘だった。

 返しそびれないようにと寝る前に枕元に置いておいたのだが、そのせいできっとあんな夢を見たのだろう。

 ──だってあなた、私のことをもう好きになりかけているでしょ。

 再び玲奈の声が内耳の奥から聞こえたところで、湊斗は熱を持ちかけた頰をパンとはたいて気持ちを切り替える。

 今日は一限がなくて本当に良かったと、湊斗は切に思った。

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