6-1

    6


 その夜、湊斗は玲奈の夢を見た。

 場所は昼間の教室だった。休講が決まって早々と学生たちは出ていったのか、教室には一番前の席に座る玲奈と、一番後ろの席に座る湊斗の二人だけしかいなかった。

 二人きりの教室の中で、玲奈がすっと席から立ち上がった。

 そしてカツカツと靴音を響かせて湊斗の目の前にまでやってくると、

「ねぇ、私の身体のことを知りたくない?」

 と、いつものキツイ印象からはとても想像のできない小悪魔的な微笑みを浮かべた。

 思わずドキリとしてしまう内心を隠し、湊斗が「……いきなり、なんだよ」と答えると玲奈がクスクスと笑った。

 湊斗のことをからかっているかのような玲奈の言動に湊斗は少しいらつも、玲奈は湊斗の渋面などまるで気にせず勝手に真隣の席に座る。

 玲奈は長机の上でりようひじを突くと組んだ手の甲の上に自分のあごを乗せ、えんぜんとした笑みを浮かべたまま湊斗へと流し目を向けてきた。

「神隠しに遭ってしまった私の身体には〝本物の神隠し〟が焼き付いてしまっているの」

「……えっ?」

「一〇年の歳月をたった一日で過ごしてしまったことで、私の身体には現実の法則と異界の法則が共存してしまったの。そのために本来ならささいな干渉を起こすのがやっとの死者の想念が、私の身体を介することで強烈な霊障となって現世に具現化してしまう。神隠しの後遺症で、私の身体は異界とのつながりが強くなり過ぎているのよ」

 あぁ、それでか──と、湊斗は胸の中で独りごちた。

 玲奈に憑いた女の霊が起こした、何もない空間から人をびしょ濡れにするほどの水を生む強力無比な霊障──本当にあそこまでの激しい物理現象が起きる霊障なんてありえるのかと、見えないモノを視てなお疑念がふつしよくしきれなかった湊斗だが、今ようやく得心した。

 あの霊障の激しさには、神隠しによって変化した玲奈の体質が影響していたわけだ。

 自然とうなずいた湊斗の様子を目にし、玲奈が「うふふ」と小さく笑う。さらには舌なめずりでもするかのように、玲奈のピンクの舌がチロリと出て自らの唇をめた。

 ……湊斗はまだ玲奈と二回しか会話をしたことがない。おまけにそのうちの一回は、一方的に文句を言われただけだ。だからそんな関係で何がわかるのかとも我ながら思うが、それでも目の前にいるこの玲奈は湊斗の中にある玲奈のイメージとあまりにかけ離れていて、猛烈な違和感に襲われていた。

 ──そして。

「ねぇ、あなたには死者が視えているのでしょ?」

 そう言われた瞬間、湊斗はこれが夢だとやっとわかった。

 玲奈が湊斗の霊感のことを知っているわけがない。そもそもおき湊斗という個人が、玲奈の中で認識されているかすら怪しいと思っている。

 湊斗を湊斗とすら知らないのに、どうして湊斗に死者が視えているとわかるのか。

 だから、これは夢だ。

 夢と気がついた今は、ただのめいせきだ。

 夢の中であれば玲奈の雰囲気が違うのは納得だし、別に隠したり誤魔化したりする必要だってない。だから──、

「あぁ、視えているよ。でも死者が視えるから、それが何だっていうんだ」

 現実では誰に向けても吐けないだろう強気の台詞せりふを、夢と悟った湊斗が口にした。

 湊斗の言葉に玲奈がわずかに目をみはるも、すぐに再びじりを垂らし、まるで強がりを見抜いて小馬鹿にするように微笑む。

「そんなの決まってるじゃない。死者が視えているのなら、私を助けて欲しいの」

「助ける? 俺が、君を?」

「そうよ。あなたのその力でもって、私の身体を通して煩わしい霊障を発露させている霊を取り除いて欲しいの」

 憑いた霊を取り除く──つまり除霊というやつだ。

 目の前にいるこの玲奈の望みを理解した湊斗だが、しかしちようするように鼻で笑ってから大きく首を横へと振った。

「悪いけど、それは相談する相手を間違えている。除霊とか浄霊とか、そんな霊をはらうような力なんて俺にはない。俺にできるのは、せいぜい霊の姿を視てどんな霊なのか推測するぐらいだ。除霊をしてもらいたいのなら俺なんかじゃなくて、どこぞのちゃんとした霊能者の夢の中に出るべきだな」

 というか、霊を除いたり祓ったりする芸当ができれば、湊斗はこんな日陰に寄った日々をそもそも送っていない。身の回りで霊に憑かれた人がいても何も対処できないから、湊斗はなるべく人とも関わらないようにしているのだ。

 だが玲奈は、そんなことはわかっているとばかりに、いっそう口元を微笑ませた。

「いいえ、とぼけたって無駄よ。あなたの力は死者が視えるだけじゃないでしょ?」

「噓なんてついてない。本当に霊を除けるような力は俺にはないんだ」

「そうね……確かにあなたには霊を除くことも祓うこともできない。でも死者が視えるだけじゃないわよね? あなたには死者が死んだその瞬間を、自分の身で体感することのできる力がある」

 ──これは夢だ。

 夢なわけだから、湊斗しか知らないことを玲奈が知っていても不思議はない。

 だけれども〝死人の夢〟──その湊斗にしか備わっていない、たぶん唯一無二であろう特異体質のことを指摘され、湊斗の呼吸が停止する。

 まばたきさえも止まった湊斗の頰を、すっと伸びてきた玲奈の手が優しくでた。

「私の身体には〝本物の神隠し〟が焼き付いてしまっている。そして神隠しに遭いやすい体質なんて言葉があるように、神隠しは神隠しを引き寄せてしまうの。

 それは夜道に一本だけ立った街路灯が辺りの羽虫を集めるかのごとく、〝本物の神隠し〟と行き遭ってしまった私の身体は、同じく神隠しに遭った者たちの霊を呼び寄せる。そして神隠しにかれて私の身体にひようした霊は、おそらく霊能者と呼ばれる連中であってもがせない。なぜならば普通の憑依ではないから、神隠し同士が引き合ってしまった結果で憑いているのだから」

 湊斗の頰を撫でる玲奈の手は冷たかった。触られた感触こそまるで絹のようなのだが、それでも死人の手ではないかと疑いたくなるほどに冷たかった。

「でもね、私が行き遭ったような〝本物の神隠し〟なんてまず他にはない。そもそもこの世の怪異はたいてい偽物だもの。だから私の身体に群がってくる神隠しに遭った霊たちも、そのほとんどが〝偽りの神隠し〟と遭遇したに過ぎない」

「〝偽りの神隠し〟?」

 死者のような手に撫でられながら、湊斗がふと疑問に感じた語を口にした。

「そうよ。虚偽で、まんで、ときには生者がすがりついて固執する、決して本物なんかではないまがものの神隠し。例えば雪の積もった冬山で、あるいは嵐で荒れた海辺で、ときにはビルに囲まれ人目のつかない都心の片隅で、こつぜんと人が消息を絶ってしまったきりそのまま何年にもわたって帰って来なければ、のこされた人たちは消えた者のことをどう思う?」

「まぁ……事故に遭ったか、事件に巻き込まれたんじゃないかって、考えるだろうな」

「えぇ、はそう思うわ」

 普通という部分を強調して口にしながら、玲奈が湊斗の頰から手を離した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る