第92話

 登ってすぐ壁があった。下りて見渡してみると、壁があるというよりも、通路と部屋で構成されているらしいことが分かった。緊張しながら歩いて行く。

「扉に取っ手がありませんね」

 そう言いながら、スーが扉らしき場所に手をかざす。そして掌大の丸い部分に触れた。

「これが取っ手でしょうか。でも、横には動きませんし、引いても――押すんでしょうか」

 スーが力を入れると、カチリという音がなり、扉が横に滑って動いた。驚いたスーが後ずさる。

「取っ手は奥に押したのに、扉が横に動くなんて……」

「不思議なつくりだね。からくりの類なのかな」

 トリルは横に動いて溝にはまった扉が動かないことを確かめてから、扉の奥の様子をのぞき込んだ。奥にベッドが見えた。近くには机もある。壁には、遺跡で見てきた、光を放つ筒が埋め込まれている。

 意を決して入ってみると、すぐにまた丸い取っ手を見つけ、押し込んでみた。扉がまた横に滑って動き、中の様子が見えた。浴槽と便器と思しきものがあった。

「住むための場所、って感じかな」

「書架があり、食堂があり、居住の部屋があり……複合的な施設ですね」

 トリル達は部屋を出て、ゆっくりと通路を進んだ。同じような部屋がいくつもいくつもあり、この階層はどうやら寝泊まりをするためにつくられた場所だということが確認できた。

 一通り見て回り、一行は四層目に移動した。四層目は、三層目とほぼ大差なかった。ただ、一部屋一部屋のつくりが大きく、部屋によっては三層目の一部屋を二つか三つ繋げたような大きさの場所もあった。

「役割に応じて、住む場所が違ったのかもしれないな」

 リリコが呟いた。

 そして、一行は五層目に上がった。五層目の光景は、下の四層とまるで違っていた。

 まずは扉があった。三層目、四層目でも見た、丸い取っ手を押し込む。左右に分かれて扉は滑って開いた。ピピッ、と甲高い音が鳴り、にわかに緊張が走る。

『この先は、研究施設です。用のない方はお引き取り下さい』

 男とも女ともしれない声が部屋に響く。でも、それを発したであろう人影は見えない。

「何と言ったのだ?」

 アインが首を傾げる。スーが口を開いて答えた。

「『力在る言葉』で、この先は研究施設だと。用の無い人は入らないように、と言っていましたが」

「用があるかどうかは、この先に何があるかで決まるな」

 アインはそう言うと、つかつかと進み、またそなえられていた扉の取っ手を押し込んだ。扉は両側に開いた。奥に広がっている光景は、これまでに見てきた遺跡とも、この塔の下の階層とも異なる様相だった。

 あちこちにテーブルが並べられ、その上にはたくさんの細々とした道具が広げられている。どう見ても筆記用具だろうというものもあるが、中には用途の分からないものも多かった。周囲には大小様々な棚があり、ものによっては、下に車輪がついていて移動できるようにしてあった。

 トリル達は武器を構えたまま、離れすぎないようにしながらも散らばって様子を見て回った。羊皮紙とは違う、もっと薄い質の紙に、古い文字がたくさん書かれている。図のようなものも書かれているが、走り書きのようなものが多く、何を表しているのかはよく分からなかった。

 足下に細い何かの感触を覚えて、下を見ると、細い管がびっしりとあちこちに張り巡らされていることに気が付いた。なんとなく踏まないような方がいい気がして、トリルは視線を下に向けながら歩くことにした。

「宮廷魔術師の館でも、これほどの規模ではないですね」

 スーが呟く。

「きっと、ここで色々な種族が生み出されたんだろうね。種族だけじゃなく、オンブラも、か……」

 トリルは手近な机の上に広げられた紙を見た。いったい、どんな人がこれを書き、誰となんの話をして、日々を過ごしていたんだろう。

「見てみろ。上に行く、動く床があるぞ」

 シラブルが指した先に、一行は移動した。ブゥゥン、と不思議な音を立てて、みなの体が持ち上がっていく。グォン、とまた違う音が鳴り、床板は止まった。

 六層目は、一見して、狭かった。五層目の、半分よりももっと狭い空間の奥に、異様な、巨大な人工物が見えた。乳白色の表面に光沢は無く、丸い部分や四角い部分をごてごてにつなぎ合わせて歪な形状をなしていた。巻貝に巻き貝をいくつもくっつけて、さらに杯もめりこませたような異様さだった。あちこちを透明な管でつなげながら、大小様々で色とりどりの筒がはめ込まれたり、上につけられたりしている。まるでそれ自体が壁であるかのような広さと大きさに加えて、高さもあり、どうやら外から見た七層目というのは、この装置の高さでいっぱいになっていて、層としては存在していないようだ。

「誰も、いないようですね」

 スーが双剣をしまい、前に進む。

「そのようだ。生き物の気配がない。ただ、オンブラのような気配が、あの巨大なものから感じられるが……」

 アインが大剣を鞘に収めたのを見て、トリルも剣をしまった。巨大な人工物のそばに来ると、ゴポゴポと水の中で息を吐いたときのような音が、そしてチュインチュインという金属を鋭くぶつけたときのような音がたくさん響いていて、何か、そのからくりがまだ動いていることを感じさせた。

「これが、いろいろな種族を生み出す大元だったのかな。何がどうなってるのか、まるで分からないけど」

「スー、これを見てくれ」

 アインが、近くのテーブルのひとつに私達を呼んだ。

「読めるか?」

 スーが大量にある本や紙を手繰っていく。

「古い言葉と文字ですが、読める範囲です」

 トリルは、それらの紙が、下の層で見たものと比べて誇りや汚れが少ないことに気が付いた。下にあったものよりも、ここにあるものは、新しいのかもしれない。

「この設備について書かれたものですね。書いたのは――インブロリオ。署名があります」

 トリルとアインは、思わず顔を見合わせた。

「三百年に渡る研究の記録といったところでしょうか。価値のある資料であることは認めざるを得ないでしょうね」

 トリルとアインが見守る中、スーはインブロリオが残したであろう記録を読み解いていく。

「……――どうやら、この装置こそが古代文明の結晶のようです。これによって、人と精霊の融合や切り離しを行っていたらしい、とあります。オンブラを支配するあの石も、これで生成していたようです。本来は人からオンブラ――人工精霊へと変化させるための仕組みだったが、それを流用した、と。他にも、あの石を使うことで不老長寿になれることや、力を増幅させられることなどの仔細が書かれています。ですが、インブロリオですら、あの装置の全容を解明するには至っていないような感じですね」

 スーが言い終えるより早く、アインが白銀の大剣を抜いた。

「破壊しよう」

 え、とスーが声を漏らす。

「どうした?」

「あ、いえ、その――極めて貴重な古代遺産ですし、活用の仕方によってはすべての種族に役立つものになりうるかも、と思ったので」

「惜しいということか」

 スーは遠慮がちに小さく頷いた。

「確かに、これは偉大な文明の結晶なのだろう。使い方によっては皆のためになるかもしれん。だが、邪悪な意志をもった者が扱えばどうなるか、俺達は旅の中で見てきた」

 トリルは、あらためてその巨大なものを見た。透明な筒がいくつも取り付けられていて、不思議な質感の管があちこちに繋がっている。何がどうなっているのかは、トリルにはまるで分からない。ただ――

「私は、アインに賛成――かな」

 ふたりがトリルを見る。

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